
漆黒の公爵シリーズ~断章集~ 「必要のない出陣」1(第一話/全三回)
【あらすじ】
大小(蒼と橙)二つの月が浮かぶヴァルシア王国。その国境警備軍の中尉、カイル・ヴァルディエの目を通し、王国軍統括司令官であるルシアン・ケイ・アスタリエル元帥(公爵位を持つ)を見る。
カイルは小規模な野盗討伐の指揮を任されていた。
出立前日、王国軍統括司令官・アスタリエル元帥が本部に現れ、「同行する」と告げる。カイルの上官が制止したが、元帥自身も「必要のない出陣」と認めながらも出ると言う。
討伐では元帥の「伝説」を、晩餐会では「漆黒の公爵」と呼ばれる貌を、カイルは間近で目撃する。
王城に戻っても思考は元帥に引き寄せられる。何かを掴みかけるが――「理解の範疇を超えている」と、カイルは考えることを放棄する。
「必要のない出陣」1
カイル・ヴァルディエ中尉が、翌朝に発つ野盗討伐の準備を配下の者としていると、急に国境警備軍総司令部(国境本部)の空気が張り詰めた。
王国軍統括司令官であるルシアン・ケイ・アスタリエル元帥が漆黒の外套を翻し、宮廷服のまま入ってきたのである
カイルは緊張し、慌てて敬礼をする。
元帥は整った顔立ちだが、感情は読み取り難いとカイルの目には映った。確か今、34歳だと聞いているが、不遜なほどの落ち着きのせいか、もう少し年上に見えた。カイルと6歳ほどしか変わらないとは思えない。
元帥は蒼くなり始めた宵を背に、それはまるで一幅の絵画のようだった。
そうだ、今夜は「蒼い夜」だったと、カイルは思い出した。
空には、二つの月の大きい方の蒼月が満月前、小さい方の橙月が新月で、月光が蒼くなっているのだろう。「蒼い夜」が好きなのに、今月も楽しめないなと諦めた。
入ってきたアスタリエル元帥のその存在感たるや、国境本部のこの部屋を制圧したようにカイルには思えた。
歩幅は大きくゆったりと、長身の均整の取れた体躯が無駄なく動き、カイルの上官のレオン・グラディス中将に真っ直ぐ向かって行った。
カイルをはじめ国民の多くが、まるで絵物語の中の人物のように語る、その人が目の前にいるのだ。
レオンは薄っすらと、困ったような表情を浮かべていた。新たな任務か、指示か、いずれにしろ王国の双璧のひとり、公爵位を持つ元帥が直接国境本部に来ることは、すくなくともカイルには覚えがない。
「ヴァルディエ中尉!」
レオンの声が飛んだ。
カイルは短く返事をするとレオンとアスタリエル元帥の許へ行き、直立不動で次の言葉を待った。
「閣下、これがブレノン男爵領、国境付近野盗討伐の現場指揮をしますカイル・ヴァルディエ中尉です」
カイルは最敬礼をした。至近距離で元帥閣下を拝見することができることなどそうそうある事ではない。
アスタリエル元帥の闇色と言われている瞳が見えた。
(これは……)
公爵は一見硬派に見えるが艶聞が絶えない、という場違いな話を思い出した。
「中尉、ブレノン男爵領の野盗討伐に閣下もお出ましになる」
レオンの声がカイルを現実に戻した。
「……はっ!」
カイルの返事がワンテンポ遅れる。
(いや、閣下が出陣されるほどのことでも……何か、あるのか?)
そのカイルの気持ちを読んだかのように、レオンがアスタリエル元帥に話しかけた。
「やはり、閣下がお出ましになるほどのことではないと考えます」
カイルは目を見開いた。上官のレオンは確かに元帥と直接話せるポジションだが、閣下のお考えに異を唱えることをするとは。だが、アスタリエル元帥は気にする様子もなくこう言った。
「そうだな、一個中隊だけで十分だ」
「では……」
「うむ、必要のない出陣だ。カイル・ヴァルディエ中尉、指揮は任せる。好きにやれ」
呆気に取られてしまったカイルをそのままに、アスタリエル元帥は踵を返した。
「必要のない出陣だ」と元帥本人が言っているのに、出るのか? カイルには消化できない。
レオンが見送りに行こうとするのを、アスタリエル元帥は片手を上げて制した。
元帥が建屋を出ると、ため息を吐き出したレオンにカイルは尋ねた。
「どういうことです? 元帥閣下のお出ましは……。何かあるのでしょうか?」
「……さあ、な」
そしてレオンは、吹っ切るようにカイルに言った。
「そういうことだ。頼む」
カイルにはレオンの口元が意地悪そうに上がったように見えた。
「いや、待ってください」
とは言ったものの、元帥が「出る」と言ったのだ。こちらがどうこうできる事ではない。
明日のことを考えると、内臓が全て裏返り、口から流れ出そうになった。
出立の朝は容赦なくやってきた。
夢ではなく、アスタリエル元帥がいた。軍の者が「黒鉄(くろがね)」と呼ぶ気性の荒い黒馬に乗っていた。
王城から東へ、一日かけて中継地点に行き、そこで夜を過ごす。
中継地点の施設では通常雑魚寝をする。
だが、元帥閣下はそういうわけにはいかないだろうとカイルはそう考えて、自分たちとは別に部屋を設えようとしていると、元帥は「構わん」とだけ言い、ゴロっと横になった。
カイルたちは、アスタリエル元帥から一定距離をおいての雑魚寝となった。
手がかからないのは良いが、「元帥」がこんなに無防備でいいんだろうかとカイルは不思議に思った。
夜が明けてその中継地点を出立し、昼前にはブレノン男爵領に入った。
先発隊のパイク兵達31名はまもなくポイントに着く頃だろう。
野盗の数は約50。国境警備軍は80。その内の後発隊である弓兵と騎兵らの49人を従え、カイルは馬上でひっそりとため息をついた。
アスタリエル元帥が殿(しんがり)を務めている。おまけに「警護は不要だ」と中継地点を出る時に言われた。せめて一人だけでも付けさせて欲しいとのカイルの申し出に、温度の低い声で「作戦に使え」と言われてしまった。
(なぜだ……)
カイルの頭の中は、元帥が国境本部に現れた夜からその言葉で埋め尽くされていた。
今回の野盗討伐の規模は、さほど大きくはない。元帥は「必要のない出陣」なのだ。なぜ元帥自ら出てきたのか。なぜ警備兵を一人も付けさせないのか。どんな思惑、意味があるというのだろうか。
作戦―挟撃―については先発隊が出た時点で配下の者たちは全員理解し、体に落とし込んでいる。元帥閣下をどうするか……と考えて、カイルは頭を振った。中尉であるカイルが元帥を動かせるわけがない。任せると言われた。元帥閣下はオブザーバーだ。
いや、後ろから動きを見られるというのは、これは何か試験なのか……? 俺は何か、試されているのか……?
「中尉……」
下士官の二人が馬上から心配そうにカイルに声をかけた。
「ああ、大丈夫だ。まもなくだ。気を引き締めろ」
その言葉は、カイル自身に向かって言ったようなものだった。
殿(しんがり)の元帥が気にはなるが、カイルは自分の任務を全うするだけだと腹をくくった。
野盗被害のある地域に入った。
地形はすっかり頭に入っている。
「弓兵、前へ」
カイルたち騎兵は弓兵の側面に位置した。今回、徒歩弓兵に加え一部騎乗弓兵を組んでいる。
斥候がひとり戻った。
野盗の拠点を捉える地点に静かに展開する。
カイルはその斥候を先発隊を率いたアルノー・マルセル少尉に放ち、声を張った。
「さあ、猟犬の出番だ! いくぞ!」
カイル達は展開していた丘陵の上から、まろび出てきた野盗を追い立てながら駆け降りて行く。
隣国への狭い旧道へ追い込み、そこで事前に展開しているパイク隊とで挟撃する。
「森には入れるな! 弓兵、野盗の行く道を示してやれ!」
弓兵は矢の雨で森への道を塞ぐ。
弓兵の矢の音が心地よくカイルの耳に響いた。
この辺りの起伏のある一帯では逃げ場は限られてくる。
騎兵は逃げ遅れこぼれた野盗を倒してゆく。
「生け捕りが無理なら殺して構わん」
野盗と王国軍の腕の違いは、比ぶべくもないが、一対一で差がない場合、手加減は難しい。無理をさせるつもりはなかった
戦闘とは違う種類の足音が南西方向から聞こえた。
ブレノン男爵領の軽歩兵の到着である。数は少なかったが、その方が有難かった。彼らを弓兵隊長に任せ、配置させた。
カイルは配下の動きを見ながら、後ろのアスタリエル元帥をチラリと見た。
丘陵の中腹に留まり、「黒鉄(くろがね)」に騎乗している姿はまるで伝説の騎士の姿絵そのものだ。カイルは少年のように目を輝かせると同時に、「そんなに目立たないでくれ」と祈った。
徐々に包囲網を狭めつつあった。
カイルは自分の軍馬を操り、状況に応じて場所を変える。
伝令を出し、伝令を受けた。
だが、北方面で土煙が増えてきた。
順調にいけそうに見えたが、そうはいかないか。
思ったより手練れが多く、各所で押され気味になっている。
まずいな……、このままでは……。
「閣下っ!」
異常事態を想起させる声が、後方からカイルの耳を突き刺した。
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