
漆黒の公爵シリーズ~断章集~ 「必要のない出陣」3(第三話ー最終話ー/全三回)
「お退屈を紛らわす程度にはお役に立つかと」
男爵の言葉に、空気がぐっと冷えた。
(男爵は……まさか……)
元帥の目が僅かに、だが鋭く細められ、瞳の闇色が深くなったように見えた。そしてその視線は、あっさりと二人から外れた。
はじめて、カイルにも元帥の感情がわかったような気がした。
侮蔑、軽蔑などという軽いものではない。剣こそ抜かなかったが、切り捨てた感があった。
だが、男爵も令嬢も微笑みはそのままだった。
カイルは何か居心地の悪さを感じた。
元帥をこの場に置いて、自分は引き上げてもよいものか。それとも元帥に声をかけ、部屋へと誘導……、いや、元帥の心底が見えない……。
理解の外の人だから変に声をかけてもいけないと思い直した。
元帥の前に立ち、敬礼をして部屋に引き上げることにした。
元帥はカイルを一瞥すると幽かに頷いたようだった。
今夜は野宿を免れたが、野宿の方が良かったと思った。疲れているのになかなか寝付けなかった。
眠れたのかどうか定かではなかったが、気づくと夜が明けていた。
身支度を整え、軽い朝餉を馳走になり配下の者と出立の準備をした。
そこへ、アスタリエル元帥が愛馬に乗って戻ってきた。
どうやら朝早くから走ってきたらしい。人馬ともにうっすらと汗をかいている。
その姿は朝陽に照らされて神々しいほどだった。目を細めて愛馬の首を軽く叩いていた。
(こうしてみると、絵物語の英雄なんだがなあ……)
元帥は、いつでも出られる状態だった。
発つにあたり、男爵と令嬢が見送りに出てきたが、令嬢はともかく、男爵は昨夜の「人のよさそうな田舎の貴族」とは一線を画す硬い表情だった。
「黒鉄(くろがね)」から降りていた元帥は、特に挨拶をすることもなく、愛馬の鞍をサッと直した。
「黒鉄(くろがね)」は元帥に鼻を寄せていたが、元帥は相変わらず感情の読み取れない表情で愛馬の首をまた軽く叩いた。
元帥は、昨夜令嬢に見せたほんの少しの柔らかさも、今朝は男爵父娘に見せなかった。
カイルは男爵に礼を言って、隊は静かに門を出た。
あれから、何があった……。いや、なかったのか。
男爵の狙いは外れた、ってことか……。
カイルは、それ以上考えるのを止めた。
今夜は中継地点で泊まり、明日には王城に着く。
やっと帰れる。早く帰りたい……。
さて、報告書になんと書くか……そう考えてまた気持ちが沈んだ。
(元帥の怪我を、どう書けばいいんだ……。グラディス中将に……殺される……)
詰んだ。
カイルは、朝日に照らされていた元帥の姿を思い出していた。
(伝説というのは、遠くで聞くものだ……。絵物語だけでいい……)
考えない、考えない。
カイルは、「今」だけに意識を向けた。
9名の隊列は順調に進めているか。速度は速くないか、遅くないか。ついでに、王城への街道に異変はないか。
中継地点ではちゃんと休めるか。物資の不足はないか。そして時々、下士官達との無駄話で笑う。
夜は王城を出た日と同じように元帥ともども雑魚寝をした。
夜が明けて、また眠れなかったと感じた。
野盗討伐に出て、こんなに眠れなかったことは今までにない。
ようやく王城の城壁が見えた。三日ぶりの王城だ。
元帥は寡黙を通していた。晩餐会で男爵や令嬢を相手に話していたのが、夢じゃないかと思う。それにしても、あの……、いや、考えない。
まもなく、王城に着く。あと少し。あと少しで解放される。
(解放される……? いや……)
カイルは項垂れた。
城壁を入った。
馬の足音が後ろから近づいてきたと気付いた時に、
「御苦労」
という元帥の声が、カイルの横で聞こえた。
その声には、天鵞絨を思わせる深い得体の知れない柔らかさがあった。
殿(しんがり)にいたアスタリエル元帥が、上がってきていた。目が合う。
カイルは視線を下げ、姿勢を正して短く返し、敬礼をした。
「尚、報告は不要だ」
「……それは……」どういうことかと元帥を見上げると、元帥の視線はカイルから外れていた。一拍の間の後、元帥は王宮の方へ駆けて行った。
「御苦労」と元帥から声をかけられた感慨は、味わう間もなく遠くに去ってしまった。
なんの報告が不要だというのだろうか、と考えた瞬間に、元帥の怪我の事だとカイルは気づいた。だが報告しないわけにはいかない。
なぜわざわざ、報告は不要だと言いに来たのか……。
(……まさか……俺を庇って……?)
ないない!
カイルは即座に打ち切ったが、もう見えなくなった元帥の後ろ姿を追った。
元帥からの御下命だとしても、これは従うわけにはいかない……。
王城の中に明りが灯りだしていた。
カイルは国境本部に着くと、配下に任務完了を宣し、レオンに戻った旨の報告をした。
「詳細は後程」という自分の声が可笑しいほど小さい。
何もかもを片付けて、改めてレオンの許に赴いた。手を胃に当てる。少し強めに力を込めて、痛みを誤魔化した。
ブレノン男爵領に出立した日から、カイルの胃にはなにか鉛でも詰まっているようだった。
「報告を聞こうか」
レオンはデスクで目を通していた書類を置いて、カイルの方へ体を向けた。
カイルは手短に討伐完了を報告した。
「それで、何があった?」
やはり知っているよな。
「自分が、防ぎきれませんでした……。処分はいかようにも……」
カイルは沈痛な面持ちで答えた。
「……どういう状況だったんだ?」
「それが……」
カイルにも説明がつかない。
「元帥閣下は恐ろしく強かったのですが……」
兵士から聞いた話をそのまま伝えた。「申し訳ありません!」
「そうか……」
カイルは、レオンから叱責がないことが不思議だった。怒号が飛ぶと思っていたのだ。だがレオンはそう言うとガラリと雰囲気を変えて軽口をたたいた。
「それで? やはり“恐ろしく”強かったか」
中将は元帥閣下の強さを知っているだろうに。
「えげつなかったです」
レオンは楽しそうに笑った。
「そうか、えげつなかったか。よかったな、伝説を実際に目撃出来て」
「いえ……伝説は、聞くだけでいいです」
レオンは一瞬黙ったかと思うと、彼の笑い声が部屋に響いた。
「そうか……、聞くだけでいい、か! それは、ご苦労だった」
そして、笑いが滲んだ声のままで付け足した。
「安心しろ、処分はない。不問に付す」
カイルは顔を上げて、まっすぐにレオンを見た。
「中将……、それは……?」
レオンは親指を立てて、元帥を表した。
「処分は不要、だと」
「え?」
本当に、庇って下さっていたとは……。
「それに、元帥閣下は今回『単独行動』だ」
そう言ってレオンは頷いた。
カイルは細く長い溜息を吐いた。
レオンは書類を振り分けながら言った。
「アルノーが言っていたが、晩餐会に呼ばれたそうだな。旨かったか?」
「味なんてわかりませんでしたよ……」
「情けないな」
「元帥閣下の横、ですよ? あ……」
「なんだ?」
「いえ、なんでもないです」
「いいから言え」
「たいしたことでは……。男爵のご令嬢が、可愛かったです」
「……男爵に令嬢がいたのか……?」
レオンの手が束の間止まった。
「はい。男爵は“田舎の人の良さそうなおじさん”でしたが……なんか……自分は今一つ好きになれませんでした。でも令嬢は父親に似ずに可愛かったです」
確かに令嬢は可愛かったなあ。
レオンはしばらく考えていたが、「そうか……」と言っただけだった。
カイルは辞すると、兵舎に向かった。ようやく休める。長かった……。
(結局元帥閣下は……怪我、しただけか?……まさかそんなはずは……だけど)
ふと、今になってレオンの反応が気になった。
男爵令嬢の話をしたら何か考えていた。なにか引っかかることがあるのだろうか。
カイルは立ち止まった。
元帥は丘陵の高台に留まり、あんな裂傷を気にした様子もなく、その状態でのあの強さ。
それとは違う雰囲気での、男爵や令嬢との会話。そしてあの後、何があったのか、いやなかったのか……。落ち着かない。
その出陣は必要のないものだと、元帥本人を含め全員思っていた。
だが、元帥は“出た”。
「……ええ……?……いや……」
カイルはひとつ頭を振ると、理解の範疇を超えているのだと言い聞かせて兵舎へと向かった。
考えても答えなど出ない。ならば、考えない。それでいい、と思った。
明日の夜は二つの月が共に満月を迎える、月に一度の「桃影の夜」と呼ばれる双満月の日だ。多くの催しが行われる、誰もが浮かれる夜だ。
俺もいつもの酒場のお祭り騒ぎに行くつもりだった。
だが、とカイルは思う。
きっと俺は、泥のように眠るんだ。
最終話までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
このシリーズは、「断章集」として、小さな話を続けていく予定です。
また、お気が向いた時に、お付き合いいただければ嬉しいです^^
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