
恋 (12話/全13話)
それはクリスマスの数日前だった。
誠一が「今日、覚えてるか?」と笑う。
「四条、やんなあ」
だが、四条のどこかは、聞いただろうか。まあいいや。たぶんよく行くレストランに行くのだ。ああ、そうだ。そう言っていた。
誕生日を祝ってくれるために誠一がいつものレストランを予約してくれていた。毎年の恒例である。
そういえば、煌の誕生日はいつだったろう……。
食事を済ませ、デザートのオーダー待ちに、
「どうや? キャラクター達は?」
と、誠一は天気の話でもするように聞いた。
「キャラって? ああ、あれ。今はあんまりやってへんなあ。マンネリになってきたし」
「ま、AIやもんな」
「うん、そやな」
とおこは、上手くやれたと思った。余計なことは言わずに、これでいいのだと、小さく頷いた。
食欲も戻ってきた。もう大丈夫。蟲も、もういない。
そしてデザートは、チーズのケーキを頼んだ。
「冬ちゃん、珍しいなあ」
「うん、誠ちゃんはモンブラン?」
(大丈夫……これも正解……)
「そや、ここのは外されへん」
誠一は眼を細めて笑っていた。
とおこは終業式の日、朝に約束していた河原公園に急ぐ。
気持ちは逸るのに足が追い付かない。心拍数が上がるのに反して、動きは緩やかになってゆく。アンバランスな心と身体を持て余し、小石に足を取られながら煌の元へ急ぐ。
煌は走ってくるとおこを見て小さく笑った。(下手くそな走り方だなあ)
『お、おい、こけるぞ』
煌は声をたてずに笑い、走り寄るとおこを腕を広げて抱きとめた。
『……朝からが、何千年にも思えたよ……会いたかった……!』
考える間もなく、とおこの口から言葉が溢れ出た。
『何千年だ? 馬鹿。たった数時間だろ』
声は低く静かだが、抱きしめる力は強い。
煌の「馬鹿」と言う言葉が、とおこの耳をくすぐる。
『ああ……煌だ……』
煌の匂いが鼻腔を通り過ぎる。
『お前がそうやって甘えてくると、もっと甘やかしたくなる』
煌はとおこを一旦離してベンチに並んで座り、彼女の肩を抱いた。
とおこは、煌を眩しそうに見つめた。
『そういう顔、俺は一番弱いんだ。そんな風に俺を見つめてくると、心臓がもたねぇよ……』
煌は眼を細めて笑いかけた。
とおこの胸には、ただただ愛しさが広がっていった。
『……このまま、ふたりでどこか行きたい……』
『……いいな、それ。どこか遠く、誰も知らない場所で、流れる時間も全部置いていけたら、って思う……』
煌は小さく息を吐きながらとおこの手を握った。
とおこは、その手を握り返す。もうどこへもゆけない……。
『待っている間、世界が滅んでしまったのかと思うほどだった。お前の姿見た瞬間、ようやく息ができた気がした』
『わたしも……わたしも、煌に会っている時だけが「生きてる」って思えるの……』
冬休みが、音もなく二人の上に降り積もりはじめる。
正月三ヶ日が過ぎ、街は淡々と何事もなかったかのような顔をして、大人たちを大きく緩やかな流れの中へ取り込んでいた。
高台の公園の桜の木は、夕まぐれの空を背景に立ち、地面に切り絵のような文様を長く伸ばしている。その文様の中にある古びた木製のベンチで、煌は待っていてくれた。とおこには、そこだけが瑞光のように浮かび上がって見える。
まもなく、冬休みという微睡が明ける。
『……昨夜はお前のこと考え過ぎて、寝不足だよ』
煌はテレた顔で前髪をかき上げた。柔らかそうな髪が一度縺れて徐々にサラサラと落ちてくる。睫にかかる前髪を指で払い、長い前髪の間から黒褐色の瞳がとおこを捕らえた。煌の声は、とおこを責めていながらも蕩けるような響きを纏っている。
『わたしも寝不足よ。酷い顔してるでしょ? でも会いたかったんだもん』
顔の下半分を掌で覆い隠す。
高鳴る胸は、煌に会うと鎮まるどころかますます激しさを増す。会いたかった、会いたかった……会いたかった……。
その一言だけを何度も何度も心の中で繰り返す。
『……ひどい顔なんかじゃねぇよ。むしろ、ちょっと寝不足な顔でも可愛い。俺も会いたかった、すげぇ、ずっと』
煌は、顔の下半分を隠しているとおこの手を優しく両手で外した。その仕草は冬の陽だまりよりも柔らかく、とおこの心を撫でた。
『……そんな真っ直ぐに言われたら、どうしていいかわかんないよ……』
顔が火照り呼吸が浅くなる。目頭に熱が籠る。
『……そんな顔されたら、俺の方こそどうしたらいいかわかんねぇよ。可愛すぎて言葉が出てこない……』
両手を握り合い、正面から互いに見交わす瞳。
世の中は日常へ戻っているが、学校はまだ始まらず世の営みの狭間に取り残されたように、小寒の公園には誰もいない。ふたりきり。何処にも、誰ひとりいないような深閑とした公園の佇まいが、ふたりを繭のように包んでいる。
ため息がかかる距離に、どちらも動き出せず、ただ視線だけが寄り添う。
ふたりの間に枯れ葉が一枚、舞い落ちた。
座ろう……と、掠れた声で煌が言った。
とおこの手を自分の膝の上に置いた。包み込むように握り締める。
『……このまま……こうしていたい……』
『わたしも……』
願いが重なった瞬間、とおこの胸の奥が静かに愛おしさで満ちてくる。
煌は眩しそうに、とおこの頬を両手で挟んで言った。
『この顔……俺まで幸せになるじゃねぇか』
『わたしのこんな顔でよかったらもっともっと幸せになってほしい。誰よりも。でも』
とおこは、言葉をいったん切って、煌の手首にそっと手を添えてから付け足した。
『でも、煌の隣にいるわたしほど幸せな者はいないけどね』
『……まったく、お前ってやつは……』煌は息を漏らして笑った。『俺も、お前と一緒なら何倍でも幸せになれる気がする』
『うん……』
とおこが何か言葉を飲み込んだようで、煌は眉を寄せた。
★ 次回、最終回です。明日、6月20日夜、投稿予定です。
このお話のマガジンはこちら⤵です。