
恋 (最終回 13話/全13話)
『どうした?』
煌はとおこの頬から手を離し、幽かに不安を刷いた表情で彼女の瞳を覗き込んだ。
『うん……時々思うんだ。こんな風に話すようになって、わたしは救われたの……。でも、煌はかっこよくて、人気者で、生徒会長とかしてて……そんな煌の横に、わたしなんかがいていいのかなって……』
煌は静かに息を吸うと瞳に力を込めて、まっすぐに答える。
『……そんなこと言うなよ……お前が俺の横にいることに理由なんていらねぇよ。俺が選んだのはお前だし、迷いも一度もねぇ。それに、本当に救われているのは、俺の方だよ……お前といるこの瞬間が、どれほど尊いか……。お前と笑い合えるだけで……』
煌はそっと目を細め、とおこを真っ直ぐに見ると照れ隠しのような微笑みを向けた。
『ただ、いてくれれば、俺の隣にいてくれれば、それでいい……。よく思うんだ……お前と会ってなかったらどうなってたんだろうって。考えたくもねぇけどな』
『うん、わたしも……。煌のいない世界なんて、なんの意味も、生きる意味さえないって思える……』
『それは……俺には怖すぎる言葉だ。お前がいない世界なんて……。お互いが生きる意味、なんだよ……』
『うん……』
とおこは煌の肩に頭を預け、宵闇が迫るその一瞬前の街に見入っていた。
家々の屋根や窓、ビルの壁面、マンションの壁、それらの一部に夕陽が反射し輝いている。輝いている場所は金色の紗を纏い神威を現し影を従え、影のところは陰として金色の紗を服従させているように、そのコントラストは絵画の様であり、どちらかだけの存在では意味がなく、どちらか一つでは為し得ない対照の妙だ。
はっきりとくっきりとそれは分かれているように見えて実は、夕陽を反射している場所と影の場所のそれぞれは一色ではなく、互いに溶け合い揺らめく煌きを放つ。
光と影の交錯が全ての気配を覆い隠し、街はひととき、静謐な世界へとずれていく。
金色の美しさが深まれば深まるほど、そこに哀しみが滲んでくる。なんの哀しみなのか知る由もなく、とおこは幻影が見え隠れするのを追わず感じるに任せていた。
『わたしね、こんな風に夕陽が家々の壁やビルに当たって、オレンジ色に輝いている光景が好き。夕陽があたっていないところは暗く影になって、そのコントラストが好き。でもただの光と影じゃなくて……どっちも影響している感じ……』
『暗さで明るさが際立ち、逆もまた真なり……か』
『うん。……最近思うの。例えば商店街から住宅街に入るところにあるあのコンビニなんて、周りにお店とかないからコンビニの明るさが強すぎて……その辺りの闇が深くなる……そのコントラストの強さは……好きじゃないな……』
『……そうだな。明るすぎるって、なんか落ち着かねぇよな。少し暗い方が、本当の光を見つけやすいのかもな』
氾濫する光の中でひと筋ひと筋の光を解くより、少し照度を落とした方が、目が眩まずにすむのかもしれない。それはまるで品行方正な者より、少し崩れた、斜に構えた者の方がその真実を見出しやすいというような……。
『それって煌みたい……』
『……そんなふうに言われたら、ハズイよ……。俺の中身なんて、正直いいとこばっかじゃねぇのに……。でも』
煌は蕩けるような微笑みを浮かべてこう言った。
『でも、お前にそう見えてるなら、ちょっと誇らしいかもな』
『うん、もっと誇っていいよ』
『俺が誇れるのは、自分のことより、お前が隣にいることだよ』
とおこは真っ赤になって俯く。心臓が跳ねている。この鼓動が煌にも聞こえてしまいそうだと、とおこは両膝を掴んだ。
『な……何言って……やだ、もお……』
『顔真っ赤だよ……。俺、なんか変なこと言ったか?』
『言ったよぉ……もお……、嬉しいんだけど、どうしていいかわかんないよぉ』
とおこは、顔を隠す。
『……ほんとそれ反則だって……どうしたらいいか、俺もわかんねぇ』
そう言って煌はゆっくりと、とおこの背中に腕を回して優しく優しく抱きしめる。それはまるで繊細なガラス細工を包み込むような仕草だった。
『このまま……時間が止まればいいのに……』
『……うん……でもさ……流れてくからこそ、今が特別なんだと思う。止められないならせめて、一緒に進もう。俺が隣にいるから』
とおこは煌に包まれ、とおこもまた、煌を抱きしめた。
宵闇が迫る中、金色の風が通り抜けた。
『遅いなぁ、ま、来たから許す』
煌はそして、付け足す。
『他の誰にも、目移りなんかすんなよ』
とおこの身体がぴくんと震えた。煌の言葉に抱きすくめられる。
『煌以外、見てないもん』
『……ハッキリ言うなよ、嬉しすぎて変になんだろ、馬鹿』
とおこが嬉しそうに笑っている。
『んだよ?』
『わたしね、煌がわたしに「馬鹿」って言うの、なんか好き』
『……ほんとお前は変わってるよな。馬鹿って言うたび、そうやって笑ってくれるから、かな。笑ってくれるなら何回でも言ってやるよ。だからその顔……俺以外に見せんなよ』
『煌以外に見せるわけないよ』
『言ったからには守れよ。もし他の誰かに見せたら、俺、本気で拗ねて一日中離さねぇからな』
『え~、拗ねた顔、見て見たい……』
『……お前な……』煌が脱力して笑う。『俺の拗ね顔なんか見て楽しいかよ。そんなこと言うと、本気で一日中無視してやる』
『無視はやだ……もうイジワル言わないから、煌もわたしだけを見て……』
とおこは、調子に乗り過ぎた、と涙目になり俯いた。
気持ちが乱高下する。
煌は深い笑みをたたえている。
『無視なんかしねぇよ。……できるかよ……。泣きそうになる前にちゃんと言えって。馬鹿。甘やかしてほしいなら素直に来いよ。ほら、顔見せて』
『ん』
煌の言葉で気持ちが立ち直る。そしてまた、ふざけてみたくなった。
『おバカなとおこの顔です』
とおこは涙目のまま煌を見上げて笑いかけた。
『……だから……だから誰にも渡したくねぇんだよ、こんな可愛いバカ。もっと甘やかしたくなんだよ。ほら、もっとこっち来い』
煌はとおこを、強く抱き寄せた。
※ ※ ※ ※ ※
《エピローグ》
春は名のみの朝――-。
「冬ちゃん、降り出したで、雪」
「ほんまや……」
雪が淡く地面を白ませていた。
「天気予報、当たるね。あ、これチョコ」
「ああ、ありがとう」
もう一つ、チョコレートを持っている。
「それは、自分チョコ?」
「……ん? ああ、これ? そう……」
コンマ三秒遅れて笑って答える。
(手作りしたかったけど)
「あ、もう食べてる。朝ごはん、できたよ」
「ちょこっとだけやん。チョコだけに」
「しょうもないこと言うてんと」
二人で笑い合う、バレンタインデーの朝。
チョコレートをあげるというそれだけのイベントの朝。
食欲も戻り、いつも通りの落ち着きを感じている。
窓の外では、粉雪がちらついている。おそらくはこの冬最後の雪。
雪景色は夕焼けに映えるだろう……。
しんしんと……しんしんと……。
ヴェールが降りるように……。
……音さえも遠ざける……。
季節はまもなく啓蟄になる―――。
※ 本作品は「別冊關學文藝」第七十二号の再掲です。
※ note版ではプロローグ・エピローグの見出しを付けています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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