【心】川越の夏の続き、そして秋|Blu d’Autunno
Parodyect MOON No.14-4
▶︎前編はこちらです
恋というものは、
本人たちよりも、
少し離れた場所にいる人のほうが、
よく見えていることがある。
あの日も、
そうだった。
彼が鞄から本を取り出した瞬間を、
私は見ていた。
いや。
正確には、
その少し前から見ていた。
夏の川越。
午後の日差しで熱を持った
蔵造りの通り。
店の扉が開くたびに、
ぬるい風と観光客の声が入ってくる。
窓際には、
一人の女性が座っていた。
テーブルの上では、
アイスコーヒーの氷が
ときどき小さな音を立てている。
窓際の女性は、
一冊の本を読んでいた。
少し離れた席にいた男性が、
その本の表紙を見る。
一度。
自分の鞄を見る。
そして、
もう一度、窓際の女性の本を見る。
男は少し迷ってから鞄を開け、
中を探し始めた。
そして取り出したのは、
窓際の女性が読んでいるものと
まったく同じ本だった。
私は、
カップを拭く手を止めた。
分かりやすい。
実に、
分かりやすい。
「店長」
カウンターの向こうから声がした。
「何?」
スタッフの彼女が、
トレーを胸の前に抱えながら
こちらを見ている。
「また、お客さんのこと見てるでしょ」
「見てないよ」
「その顔してるとき、
だいたい何か企んでますよね」
「なんだか照れるな」
「褒めてません」
スタッフの彼女は呆れたように目を細めると、
テーブルを片づけに行った。
私はコーヒーを一口飲む。
そして、
視線だけを窓際へ戻した。
ちょうど男性が、
窓際の女性に話しかけていた。
窓際の女性が顔を上げる。
少し驚いたあと、
男が持つ本の表紙を見て笑った。
どうやら、
同じ本をきっかけに声をかける作戦は、
うまくいったらしい。
☕️
しばらくして、
窓際の女性が店を出ていった。
少し遅れて、
男がレジへやってくる。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
会計を済ませる。
けれど、
男はなかなか帰ろうとしない。
ガラス扉の向こうを見る。
そして、
もう一度見る。
「さっきの方って、
よく来られるんですか?」
「いえ。たぶん初めてですね」
「そうですか」
男はまた、
入口のほうへ目を向けた。
私は少しだけ笑う。
「名前、聞かなかったんです?」
男は一瞬こちらを見て、
苦笑した。
「……聞けませんでした」
「そうですか」
それ以上は聞かなかった。
カウンターの端から、
痛いほどの視線を感じたからだ。
「店長」
「何?」
「余計なこと、
しないでくださいね」
「しないよ」
「その返事が、
いちばん信用できないんです」
スタッフの彼女はそう言いながら、
空いたグラスを重ねていく。
私は肩をすくめた。
このときは、
本当に何もしないつもりだった。
たぶん。
☕️
数週間後。
あの男が、
また店に来た。
前と同じ窓際の席。
テーブルには、
あの日と同じ本。
ただ、
向かいの席だけが空いている。
男はコーヒーを飲みながら、
ときどき入口へ目を向けていた。
待っているのか。
期待しているのか。
もしかすると本人にも、
よく分かっていないのかもしれない。
私は店のSNS用に、
一枚の写真を撮った。
木のテーブル。
午後の日差し。
白いコーヒーカップ。
一冊の本。
そして、その向こうに
男の横顔が小さく写っている。
「写真、載せても大丈夫ですか?」
男は写真を確認して、
「はい。全然」
と笑った。
私は一度、
男の顔を見る。
「ついでに、
アカウントもタグ付けしていいですか?」
「どうぞ」
男は、
特に気にした様子もなく答えた。
私は彼のアカウントを付けて、
投稿文を書く。
いつも通りの、
何でもない文章。
最後にタグを並べた。
#川越
#カフェ
#珈琲
#読書
そこで、
指が止まった
あの日、
二人が話していたことを思い出す。
仕事。
住んでいる街。
そして、
走ること。
男は自分のことを、
ずいぶん具体的に話していた。
まるで、
いつか誰かが自分を探したときに、
見つけてもらえるように。
そんな目印を
いくつも残しているようだった。
私は最後に、
ひとつだけ付け加えた。
#ランニング
そのまま、投稿する。
「店長」
すぐに声が飛んできた。
「何?」
「それ、わざとですよね」
「何が?」
「ランニング」
「健康にはいいよ」
「カフェの投稿ですよ」
「コーヒーとランニングは相性いいよ」
「そういう話じゃありません」
スタッフの彼女は眉間にしわを寄せた。
でも、
本気で怒っている顔ではない。
「あんまり人の人生に首を突っ込むと、
いつか怒られますよ」
「何が?
別に何もしてないよ」
「十分してます」
そう言いながら、
スタッフの彼女は私の前に新しいカップを置いた。
「冷めてたので。
本日のコーヒー、エチオピアです」
湯気と一緒に、
甘い香りが立ちのぼる。
「エチオピアか」
一口飲む。
華やかな酸味のあとに、
やわらかな甘さが残った。
「ホットだと奥行きがあって、
うまいんだよな」
「はいはい」
スタッフの彼女はそう言って、
背を向けた。
その耳が、
ほんの少し赤く見えたのは、
きっと夕日のせいだ。
人のおせっかいにはうるさいくせに、
自分のおせっかいには気づかない。
私はスタッフの彼女の背中を見ながら、
もう一口、コーヒーを飲んだ。

それから、しばらくして。
見覚えのない女性が、
一人で店にやってきた。
カウンターの端に座り、
コーヒーを飲みながら、
なぜか何度も店内を見回している。
スマホを見る。
店内を見る。
そして、
またスマホを見る。
誰かを探しているようにも見えた。
カウンターの女性が帰ったあと、
スタッフの彼女が口を開いた。
「さっきのお客さん、
ずっと店の中を見てましたね」
「そう?」
「気づいてなかったんですか?」
「うん」
「人の恋愛はあんなに見るくせに」
失礼なやつだ。
私は、
カウンターの女性が出ていった扉へ目を向けた。
小さなベルが、
まだかすかに揺れている。
あの女性が誰だったのか。
このときの私は、
まだ知るはずもなかった。
☕️
そして、
秋。
店の扉が開いた。
チリン。
ベルの音に顔を上げる。
三人だった。
最初に目に入ったのは、
あの男。
その隣には、
あの日、
窓際で本を読んでいた女性がいた。
私は、
拭いていたグラスを持つ手を止めた。
そうか。
どうやら、
あの一行のタグは、
ちゃんと彼女に見つけてもらえたらしい。
自然と、
口元が少し緩んだ。
そして、もう一人別の女性が入ってきた。
その女性と目が合う。
どこかで見たような気がする。
向こうも、
こちらを見ていた。
ほんの一瞬だけ。
「店長」
隣から小さな声がした。
「何?」
「あの三人目の人、
前にも来てましたよ」
「ん? そうなの?」
「一人で。
カウンターの端に座ってた人です」
私はもう一度、
三人目の女性を見る。
「ほんと、
人の恋愛には敏感なくせに、
人の顔は覚えませんよね」
「それ、褒めてる?」
「一ミリも褒めてません」
しばらくして、
三人目の女性だけが、
先に店を出た。
そのあと、
残った二人も席を立つ。
チリン。
また、
扉のベルが鳴った。
私は窓の外を見る。
三か月前。
あの日、
二人はこの店を出て、
別々の方向へ歩いていった。
でも今日は、
同じ方向へ歩いていく。
私はスマホを取り出し、
店のSNSを開いた。
数か月前まで遡る。
見つけた。
コーヒー。
一冊の本。
男の横顔。
そして、
#ランニング
編集画面を開く。
その一行だけを、
消した。
「消すんですか?」
いつの間にか、
スタッフの彼女が隣に立っていた。
「だって、
もういらないでしょ」
「だから、
人の人生に首を突っ込みすぎなんですって」
「そうかな」
「そうです」
そう言いながら、
スタッフの彼女は笑った。
そして、
私の手元のカップに触れる。
「また冷めてる」
カップを持ち上げ、
新しいものと取り替える。
今度も、
エチオピアだった。
窓の外を見る。
二人の姿は、
もう人波の向こうに消えている。

秋の日が、
蔵造りの町並みの向こうへ
ゆっくり沈んでいく。
空に残っていた明るさも、
少しずつ夜の色へ変わり始めていた。
私は新しいコーヒーを
一口飲む。
温かい。
「ありがとう」
スタッフの彼女が、
カウンターの向こうで振り返る。
少しだけ笑って、
「どういたしまして」
私はもう一度、
誰もいなくなった窓の外を見る。
あの「ありがとう」は、
もちろん彼女に向けたものだ。
でも、
もう一人。
心の中で、
同じ言葉を送った人がいた。
名前も知らない。
以前、
カウンターの端に座っていた女性。
おそらく、
窓際で本を読んでいた女性の
友人なのだろう。
そして、たぶん。
私と同じ匂いのする、
もう一人のおせっかい焼き。
名前も知らないけれど。
どうやら、
あの友人とは少し気が合いそうだ。
Fin
【序】【破】の二作品は、
りりぃさんの素敵な企画に
参加させていただいています。
読むというより、観る企画。
まるで、
深夜にこっそり放送されている
丁寧に作り込まれた番組のようです。
世界観も、演出も、遊び心も。
細かいところまで仕掛けが詰まっています。
ぜひ、
夜更かしする気分で覗いてみてください🌙📺✨
▶︎恋愛相談|🐰🖤裏りりぃの秘密箱🎩🐈⬛ Vol.1〜迷える子羊ちゃん、おいで。〜
恋愛相談のはずなのに、相談する相手を間違えた気がしてきた。🐰🖤🤣
毒っ気ある掛け合いから、最後はちゃんとその人に必要な言葉へ着地する「裏りりぃの秘密箱」Vol.1。
私の相談もしっかり料理されてます🌙✨
