【救】川越、秋のはじまりに|Rosso d’Autunno
Parodyect MOON No.14-3
▶前作はこちらです
「今度、会ってほしい人がいる」
その一言で、
三か月前に終わったと思っていた話が、
まだ続いていたことを知った。
私は手にしていたコーヒーカップを、
ゆっくりテーブルに戻した。
「男?」
「……男」
「川越の?」
彼女は答えなかった。
ただ、
少しだけ目を逸らした。
それだけで十分だった。
三か月前。
旅先の川越で、
彼女は偶然入ったカフェで、
同じ本を読んでいた男と出会った。
少し話をして、
名前も連絡先も聞かないまま別れた。
それだけの出来事。
――のはずだった。
でも、
帰ってから彼女は男を探し始めた。
仕事。
住んでいる街。
趣味のランニング。
会話の中に残っていた
小さな手がかりを頼りに、
何度もSNSを検索した。
そして三か月かけて、
ようやく見つけた。
そこまでは聞いている。
「私も行く」
「え?」
彼女が顔を上げた。
「なんで?」
「心配だから」
「大丈夫だよ」
そう言って、
彼女は笑った。
でも、
こういうときの彼女は、
だいたい大丈夫じゃない。
期待して、
傷つくくらいなら、
最初から期待していなかったことにする。
昔から、
そういうところがある。
だから私は、
三か月も名前の知らない男を探した人の
「大丈夫」なんて、
まったく信用していない。
☕️
その夜。
ベッドに寝転びながら、
私は川越のカフェを検索した。
店は、すぐに見つかった。
アイコンには、
長い髪を後ろで束ねた
髭の男性が写っている。
店長だろうか。
SNSには、
湯気の立つコーヒー。
木のテーブル。
夕暮れの蔵造りの町並み。
観光客が行き交う通り。
どれも、
街の小さなカフェらしい投稿だった。
私は指で画面を送りながら、
過去の投稿を遡っていった。
一週間。
ひと月。
さらに遡る。
そして、
指が止まった。
窓際の席。
西日に照らされたコーヒーカップ。
その向こうに、
一人の男の横顔が小さく写っている。
テーブルの上には、
一冊の本。
彼女から聞いていたものと、
同じ本だった。
「……この人か」
写真の下に並んだタグを見る。
#川越
#カフェ
#珈琲
#読書
#ランニング
ん?
「……ランニング?」
カフェの投稿にしては、
その言葉だけが少し浮いて見えた。
気になって、
さらに過去の投稿を遡る。
ひと月。
半年。
一年。
探してみたが、
「ランニング」という言葉が使われていたのは、
その投稿だけだった。
偶然と言われれば、
それまでだ。
でも、
なぜか引っかかった。
私はその投稿を、
そっと保存した。
☕️
翌日。
川越には、
まだ少しだけ夏の暑さが残っていた。
蔵造りの黒い壁に、
午後の日差しが照りつけている。
観光客の話し声に混じって、
どこかの店から
甘い芋の匂いが漂ってきた。
例のカフェの扉を開ける。
チリン。
小さなベルが鳴った。
男は、
すでに来ていた。
私たちに気づくと、
すぐに椅子を引いて立ち上がる。
「はじめまして」
少し緊張した顔で、
頭を下げた。
私は思わず、
彼を上から下まで見た。
普通。
驚くほど、
普通の人だった。
三か月もかけて探した男だから、
勝手にもう少し特別な何かを想像していた。
隣を見る。
彼女は髪を耳にかけながら、
「待った?」
と笑った。
その顔を見て、
私は少しだけ考えを変えた。
三か月かけて大きくなったのは、
この男の価値ではなく、
彼女の中にある想いのほうだったのかもしれない。
ふと、
カウンターの奥を見る。
SNSで見た長髪の店長がいた。
四十代くらいだろうか。
顎の髭には、
少し白いものが混じっている。
店長はグラスを拭く手を止め、
こちらを見ると、
「いらっしゃいませ」
と穏やかに笑った。
それだけだった。
☕️
三人で話した。
男は、よく喋る。
でも、
自分の話ばかりする人ではなかった。
彼女がアイスコーヒーを頼むと、
「また、それなんですね」
と笑った。
三か月前に彼女が飲んでいたものを、
ちゃんと覚えているらしい。
しばらくして、
彼女が席を立った。
その背中が化粧室の奥へ消えるのを待って、
私は男を見る。
「三か月、何してたんですか?」
男が目を瞬かせた。
「え?」
「三か月前。
この店で、私の親友と別れてから」
男は一瞬、困ったような顔をした。
そして、
「探してました」
と答えた。
「親友を?」
「はい」
「でも、見つからなかった?」
「名前すら聞いてなかったので」
カップの取っ手に置かれた指が、
少しだけ動いた。
「そのわりには、仕事とか住んでる場所とか、
走ってる場所とか。
自分のことはずいぶん話してたみたいだけど」
男は黙った。
一度、窓の外を見る。
それから、
照れたように笑って頭を掻いた。
「……もし向こうも探してくれたら、
見つけてもらえるくらいには
話しておこうと思って」
少し間を置いて、
「ちょっとセコいかなとは思ったんですけど」
私は男の顔を見た。
なるほど。
この三か月、
探していたのは彼女だけじゃなかったらしい。
思っていたより、
ずいぶん面倒くさい男だ。
でも、
嫌いじゃない。
そこへ、
彼女が戻ってきた。
「何話してたの?」
「別に」
そう答えながら、
今度は彼女を観察する。
男の話に笑う。
いつもより、
ほんの少しだけ声が高い。
ストローの袋を指先で折って、
また伸ばす。
男が窓の外を見れば、
つられるように同じ方向を見る。
目が合えば、
彼女のほうが先に逸らす。
ふむ。
私は二人を見比べてから、
さっと席を立った。

なんとなく、
カウンターへ目を向けた。
長髪の店長が、
こちらを見ている。
いや。
私たちじゃない。
男を見ていた。
ほんの一瞬、
店長と目が合った。
彼は何事もなかったように、
小さく会釈する。
私も会釈を返した。
知らない者同士の、
ただの挨拶。
それなのに、
昨夜見つけた
「#ランニング」が、
また頭の隅に引っかかった。
店を出て、
少し歩いたところで足を止める。
「私、ここで帰るね」
彼女が驚いた顔をした。
「え? 一緒に来たのに」
「もう大丈夫そうだから」
隣で、
男が少しだけ姿勢を正した。
私は彼女を見る。
「じゃあね」
ウインクをひとつ。
いつものようにニッと笑って、
二人に背を向けた。
少し歩いてから、
一度だけ振り返る。
彼女が何かを話している。
男が笑った。
三か月前、
別々の方向へ歩いていった二人。
今日はきっと、
同じ方向へ歩いていく。
悪くない。

私はスマホを取り出し、
昨夜保存した投稿をもう一度開いた。
男の横顔。
テーブルの上の一冊の本。
そして、
#ランニング
顔を上げる。
カフェの窓の向こうには、
長髪の店長がいた。
カウンターにもたれながら、
冷めたらしいコーヒーを口にしている。
目が合いそうになって、
今度は私が先に歩き出した。
まあ、いい。
今日はもう、
ひとつ分かれば十分だ。
スマホを閉じる。
どうやら、
人のおせっかいを焼くのが好きな
物好きは、
私ひとりじゃないらしい。
▶︎【心】へつづく
前作の二作品は、
りりぃさんの素敵な企画に
参加させていただいています。
読むというより、観る企画。
まるで、
深夜にこっそり放送されている
丁寧に作り込まれた番組のようです。
世界観も、演出も、遊び心も。
細かいところまで仕掛けが詰まっています。
ぜひ、
夜更かしする気分で覗いてみてください🌙📺✨
▶︎恋愛相談|🐰🖤裏りりぃの秘密箱🎩🐈⬛ Vol.1〜迷える子羊ちゃん、おいで。〜
恋愛相談のはずなのに、相談する相手を間違えた気がしてきた。🐰🖤🤣
毒っ気ある掛け合いから、最後はちゃんとその人に必要な言葉へ着地する「裏りりぃの秘密箱」Vol.1。私の相談もしっかり料理されてます🌙✨
