
「藝大合格まで、だいたい9浪(笑)の話」 鴨居玲の衝撃編 No.2
命の画家
「藝大合格まで、だいたい9浪(笑)の話」 鴨居玲の衝撃 No.1からの続き…
鴨居さんの画面は、基本的には暗い印象を与えるような色彩や濃淡をベースとして、彫刻家による表現のような陰影を利用した存在感の強い人物が画面上に大きく配置されます。また、単色で扱われる背景は、人物の強い存在感に拮抗するような重要性を持ち、基本的には絵具の拭き取りやマチエールによる僅かな物質性を伴いながらも緩やかな空間性を感じさせます(図1)。画面が閉塞的になっていないのは、背景の抑揚、特に明るさを感じさせる部分が空間(空気感、抜け)を演出するからでしょう。画面全体の重い陰影の扱いや強いコントラストからは、まるでそこから鴨居さんご自身を感じ取ることができるかのような印象を持ちます。
この描き方は、ともすると画面がまとまらなくなる、グシャグシャになりやすい場合が多いかと思うのですが、モチーフである人物の存在の強さが画面の軸となっています。人物の、絵としての形の選択の緊張感とその良さが。(その意味ではエゴン・シーレ(Egon Schiele、1890年 - 1918年)が思い浮かびます。また、画面全体を支配する緊張感という意味では、フランシス・ベーコン(Francis Bacon、1909年 - 1992年)も挙げられるかもしれません。)私には、いろいろな意味でギリギリの、緊迫感のある作品と感じられました。画面から感じられる鴨居さんご自身の命をぶつけるようなその姿と、作品としての存在感の強さとに圧倒されたのです。

その2年後である予備校3年目の時、私は予備校を立川美術学院(以下「立美」)に変えて心機一転頑張っていました。(ちなみにその年、私は初めて東京藝術大学(以下「藝大」)の油画科の一次試験を通過することになります。)
立美では、私も比較的真面目に出席して課題をこなしていました。そのため人見知りの激しい私でも友人ができ、お昼休みや予備校の後など、一緒に食事をしたりもしていました。そのうちの一人が当時の立美のエースでした。予備校にもよりますが、当時の立美では課題ごとに予備校生の(解答)作品を、その内容や完成度、技術力やアイデア力などによって講師が順位付けをしていました(”講評会”と呼ばれます)。簡単に言えば、一番に順位付けられた作品が、その課題の中では一番魅力的な作品だったということになります。
その講評会で常に一番だった友人が先述のエースです。静物でも人物でも言葉渡し(何のきっかけもなく、言葉のみの出題。例えば「”写る・写す”をテーマに描きなさい」など)でも。
ある日、その友人から「鴨居玲の画集を貸してほしい」と頼まれました。ただそれだけの事なのですが、私の好きな鴨居玲が広がっていく気がして、それも、当時のエースにも広がった気がして随分嬉しく、また、誇らしかったのを覚えています。別に私が褒められたわけではありませんが(笑)。
実は私には、鴨居さんとの不思議な縁があります(…と勝手に思っています(笑))。
「藝大合格まで、だいたい9浪(笑)の話」 鴨居玲の衝撃 No.3へ続く…
【注釈】私が美術系予備校(以下「予備校」)に通ったのは6年間で、それ以前は、今はすでに廃校になっている、吉祥寺にあった「武蔵野美術学園」(各種学校)の油絵科の夜間部に3年間通っていました。
【参考文献】・表紙および掲載図版は、『没後10周年記念 鴨居玲展』(図録)、鴨居玲展実行委員会、1995年より引用。