
「藝大合格まで、だいたい9浪(笑)の話」 鴨居玲の衝撃編 No.4
縁
「藝大合格まで、だいたい9浪(笑)の話」 鴨居玲の衝撃 No.3からの続き…
…続いて、「そのいとこのお姉さんはデザイナーでね〜」、ここで私は「ん…!?」となりました。
鴨居さんのお姉さんは鴨居 羊子(かもい ようこ、本名 洋子、1925年 - 1991年)といい、有名な下着デザイナーでいらっしゃいました。そして、鴨居さんはお酒が好きでいらっしゃった。また、180cm近い長身でもいらっしゃいました…。
私が「その方は、お名前は何と仰るのですか?」と伺ったところ、「君たちは知っているかな?鴨居玲というんだよ」と仰いました。私たち2人は「え〜〜〜〜!!!」となり、「知っています!!もっと早く教えてくださいよ〜〜!!」となったのです(笑)。ただ残念ながら、その頃には新宿まであと数分といったところとなっていたのです。

私たちは電車を降りる際、深々とお爺さんに頭を下げ、このあり得ないタイミングでの、あり得ない出会いに感謝しました。ホームでお爺さんをお見送りして、私たちは、当時は新宿御苑の近くにあった新美までキャリーを引きながら帰りました。何時頃だったのでしょうか。まだ夕日で明るかったのを覚えています。
とてもよく覚えているのですが、このあり得ない出会いを経験して、私は「これは、どっちかが合格するな…」と感じていました。
今は分かりませんが、当時は鴨居玲の人気はすさまじく、予備校生の9割以上が知っていたのではないでしょうか。しかも、私が一番最初に衝撃を受けた画家です!ただ、その日行われた油絵の試験の自分の作品の出来の不具合さを、当然、私自身が一番よく知っています。試験終了時、「こりゃダメだろうな…(苦笑)」と思っていたのです。そして1浪の彼は、「よく描けました!」とのことでした。
私は「こいつ(失礼!)が合格したのか〜。いいな〜!」と思ったのです。
どのくらいの確率でしょうか。憧れの藝大の最終試験が終わったまさにその日。出しっぱなしの道具の片付けのために予備校へ帰る電車の中で、たまたま、自身が一番最初に衝撃を受けた憧れの画家の親戚の方に話しかけられるなんて…。
そして合格発表の日。当時はWebによる発表がなく藝大まで各自で確認に行ったのですが、私はそこに自分の受験番号を見つけました。
振り返ってみると、私は運が良い方なのだと思います。
その後も折に触れ、私にとってはその後の人生を左右するような出会いがありました。それらの出会いのおかげで、いまだに制作を続けられているところがあります。きつい時、制作を諦めたくなった時、”もういいかもしれない”と思ってしまう時、それらの出会いを思い出します。「私にはきっと使命があるのだろう」と。
ただ…、使命などいまだに影も形も見えてきていません(笑)。
仕事をしながら制作を続けるのは決して楽ではありません。そんな時、こういった奇跡のような出会いの数々が、今でも私の背中を支え続けてくれているのです。

【注釈】私が美術系予備校(以下「予備校」)に通ったのは6年間で、それ以前は、今はすでに廃校になっている、吉祥寺にあった「武蔵野美術学園」(各種学校)の油絵科の夜間部に3年間通っていました。
【参考文献】・表紙および掲載図版は、『没後10周年記念 鴨居玲展』(図録)、鴨居玲展実行委員会、1995年より引用。