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「見えるようになるまで」 ペースメーカー やるべきかやらないべきか篇

98歳の患者さんが、「もう十分生きました」と頭を下げた。
家族は全員、手術を望んでいる。
私も本心ではそうしてほしかった。

それでも私は、「やるべきか、やらないべきか」で迷っていた。

今回はペースメーカーの“適応”についてのお話です。

※本記事は創作大賞応募期間中のため全文公開しています。応募期間終了後は一部有料公開へ戻す可能性があります。


まえがき

「見えるようになるまで」シリーズも、ついに第五弾になりました。

前回の心筋梗塞篇後篇で、普段若手に伝えたいと思っていた内容のほとんどを描けたと思い、個人的にはかなり満足していました。
しかし先日、日常診療の中で命に関わる様々な選択を、患者さんと患者さん家族、そして後期研修中の主治医が、悩みながら決断していくシーンに遭遇しました。
その場面で指導をしながら、“これは物語にして描いておきたい”、“若い世代に伝えておきたい”、という思いが膨らみ、もう一度筆をとることにしました。

日常診療の中で、医療者が何をどう考え、悩んでいるのかを、この物語を通じて知って頂けると嬉しいです。

これまでの「見えるようになるまで」シリーズ
第一弾

第二弾

第三弾

第四弾


外来診察室で

「先生のおかげでここまで元気に生きてこられました。これ以上はもういいんです。」
「本当に、本当にありがとうございました。」
98歳になった片岡村の月山チヨさんが頭を下げる。

外来の診察室には、いつもは別々に住んでいる息子さんと娘さん、そして孫数人が一堂に会し、チヨさんをぐるりと囲んでいる。

「ねえ、おばあちゃん、そんなこと言わないでやってもらおうよ。」
「そうよ、まだ頭もはっきりしているし施設も楽しいんでしょ?」
誰がそう言ったか分からなかったが、チヨさん以外は全員がうなずいている。

「私はもう満足なのよ。みんながこうして集まってくれたし…」
「この前転んで怪我してからは車椅子になっちゃって、施設に入ることになったし、片岡村のお友達はもう誰もいないのよ。」

「何よりみんなにこれ以上迷惑かけたくないしね。」チヨさんの意思は固いようだ。

幸い外来はチヨさんが最後で、待合室にはもう誰もいない。
今なら少し時間を割いて話を聞いてあげられる。

ペースメーカーを植え込んでからもうすぐ8年になる。
電池の残り期間はあと6ヶ月だ。

前回の外来では、
「もうすぐタイムリミットが来てしまうので、電池交換の手術をするかどうか、家族みんなで話をしてきて下さいね。」
と言って結論を先延ばしにした。

しかしそれもそろそろ限界である。

「手術は1時間もかからないし、部分麻酔でやるからそれほど負担もないですよ。」
「しかも痛いのは、麻酔の時くらいです。」
と話しながら、“適応“について頭を巡らせる。

認知症は全くないが、車椅子生活になってしまった。
しかし車椅子移乗は自分でできるし、トイレなどの日常生活は軽介助のみで可能だ。
持病も不整脈の他には全くない。

ペースメーカーの電池さえ交換できれば、まだまだ元気にしていられそうだ。

基本的に年齢で制限するということはないが、98歳という一般的にはあらゆるリスクが上昇する年齢を考えると、手術を積極的に勧めるケースではないのかもしれない。
こういう場合、本来は倫理的な問題も含めて多職種で検討するべきなのだろう。

ペースメーカーのおかげで今は元気に過ごしていられる。
でも逆に考えれば、ペースメーカーがなければ、今の元気な姿は見られなかったはずなのだ。

「以前、私はペースメーカーを入れた患者さんから、“先生、あの時なんで機械なんて入れたの?”と怒られたことがあるんですよ。」
「その患者さんは、ペースメーカーを入れた後しばらくしてから、脳梗塞を起こして寝たきりになってしまったんです。何をするにも介助が必要になってしまって、大好きで仲の良かったお嫁さんに頼らざるを得なくなってしまったことが、本当に辛かったようなんですよ。歳はチヨさんよりだいぶ若かったですけど。」
「初めは軽い冗談かと思っていたんです。でも外来に来るたびに何度も“先生のせいでこの子に迷惑かけることになってしまった”と言われ続けて、本気で怒られていることに気がついたんです。」

「多分ですが、“死ぬことよりも辛いことがある”ということを、私はその時に学んだのです。だから、チヨさんも今の生活が続くことに不満や苦痛を感じているのであれば、電池交換手術をしないという決定をすることもできると思いますよ。」
そう言ってから、
「本人がなぜここまで、やらないと言っているのか、理由が分かりますか?」
と、集まった家族に聞いてみた。

家族の“手術をやって少しでも長生きしてほしい”という意見はよく理解できるが、本人の“もう十分生きた”という意見も絶対に尊重されるべきなのだ。

私も本心では“手術をお願いします”と言ってほしい。
そうすれば、悩むことなく手術をすればいいし、今後チヨさんが心臓病で亡くなる可能性は低くなる。
でも、もし“本人の意見を尊重して手術はしない”と決めるようならば、それはペースメーカーの電池寿命がそのまま人生の終着点になるかもしれない。
主治医としては、“そんな形でお見送りする”ことを覚悟して、気持ちも環境も整えておかなければならないのだ。
本人の意向を無視して、家族の希望に沿って本人を説得できれば、それを避けられる。

“本当にいい医師”がとるべき道はどちらなのだろう?

本人を説得することもできたと思う。
家族は全員手術を望んでいた。
私も本心ではそうしてほしかった。
そうすれば少なくとも心臓病で亡くなる未来は遠ざけられる。

それでも私は迷っていた。

そんなことを考えながら、今回は本人の気持ちに寄り添って、本人の本心を家族としっかり共有してもらうという道を選択した。

でも、もう先延ばしは本当にこれで最後だ。

話し合いの結果

そして3ヶ月後。
電池の残量がいよいよ3ヶ月を切った頃、星山チヨさんは、“ペースメーカー電池交換をお願いします”と頭を下げて、また家族一同に囲まれて外来にやってきた。

“どう話がついたのか?”
と尋ねると、

前回の外来では、家族みんなが病院に呼ばれていたから、
“もう手術はできない”
と言われるのだと、チヨさん本人が勘違いしていたらしいのだ。

だから主治医にも家族にもとにかく“お礼”を言っていたというのである。

チヨさんはその1か月後、無事に手術を終えて元気に退院して行った。
もしかしたらこの先には、“生きているのが辛くて仕方ない”という未来が待っているのかもしれない。

寝たきりになるかもしれない。
家族のことが分からなくなってしまうかもしれない。
そして最悪なのは、今回熱心に説得してくれた家族に先立たれてしまうことなのかもしれない。

もしかしたら、そんな最悪な未来がやってきて、私は外来でチヨさんに怒られるのかもしれない。

そんなことを心の片隅で少しだけ覚悟しながら、それでも退院していくチヨさんを、“おめでとうございます“と言って見送ったのだった。

病棟のモニターで

「ピーピーピー」、後期研修医1年目の菊岡からだ。

「総合診療科から、肺炎で入院中のおばあさんが夜間に房室ブロックが出ていて、脈拍が時々30台になっているとコンサルトがありました。」
「モニターを確認したんですが、脈が繋がったり切れたりしていて、時々完全に切れていました。」
と報告を受けた。

「ちなみに年齢は?それで肺炎の調子はどうなの?」
と聞くと、

「年齢は92歳で、肺炎は治療開始からそろそろ2週間です。熱は下がって酸素も外れています。抗菌薬は明日で中止の予定だそうです。」
とすぐに答えが返ってきた。

「房室ブロックだな。じゃあ、転科で預かるか。」
と言うと、

「モニター観察して慎重にペースメーカーの適応を検討します。」
と迷いのない返事だった。

“おー、ちょっとは成長したな”と、一瞬褒めそうになるのを思い止まった。
これを褒めるのは、さすがにレベルが低すぎる。

でも少し前の菊岡なら、きっと“ペースメーカーの適応ですか?”と言っていただろう。
後で、何をどう慎重に適応を考えるのか聞いてみようと思い、先程臨床工学技士から依頼されたペースメーカー遠隔管理のチェックを再開した。

ペースメーカー遠隔モニタリング

このペースメーカーの遠隔管理だが、今は患者さんに植え込んだ機械が勝手に病院へ情報を送ってくれる。
便利になった反面、患者さんと顔を合わせる機会が一年に一度に減ってしまった。
主治医と患者さんが、関係性を築く時間がほとんどないのだ。
これでは“機械のチェック”という必要最低限の仕事としてしか考えられなくなってしまう。

“医者と患者さんの関係性は本来深い方がいい”という考えは、もう古くて誰にも求められていないのかもしれない。
でもやはり、星山チヨさんの時のように命に関わる処置の適応の判断をする場合には、患者さんや患者家族と一緒に悩んで方針を決定したいと思う。

そしてそのためには人間としての付き合いが必要なのだと思うのだ。

名前を見て顔を思い浮かべるゲーム

「部長、その遠隔管理のチェックも教えていただけませんか?」
循環器病棟に戻ってきた菊岡に頼まれた。

「あー、手伝ってくれるか?」
「じゃあさ、この中に知っている名前がある?」

「えっと…」
リストを見ながら、
「この前電池交換した星山チヨさんだけですね。」
と答えが返ってきた。

チヨさんは、新しい機械に交換したから、遠隔管理ができるようになったのだ。

そうか、チヨさんには今後は1年間会えないのか。
次に会った時には99歳になっているんだな、と思いながら、

「電池残量と、リードの状態、そしてペースメーカーの動作の状態と不整脈の有無。もし今までなかった不整脈が出てたら、追加の薬が必要かどうかの確認をする。」

「そして最後に、患者さんの顔を思い浮かべる、できれば家族の顔も分かるかな?」
菊岡は、冗談ですよね?という顔をしている。

「まさか…顔が浮かばない?」
ちょっと、からかってみる。

「たしか痩せてましたよね。皮膚が薄かった気が…」
菊岡は気まずそうに答える。

「そうだな、チヨさん、この前術後の傷を見せにきてくれたけど、綺麗だったから大丈夫だよ。」
「なあ菊岡、医療はさ、どんなに忙しくても、ベルトコンベアみたいな流れ作業にしちゃいけないんだよ。人間と人間がしっかり関係性を築いて、一対一で行われるべきなんだ。」
「こんな紙切れ一枚のチェックって、完全にやっつけ仕事にしたくなるだろ?でもね、難しいこともあるんだけど、俺は名前を見て、患者さんの顔を思い浮かべるようにしてるんだ。」
「自分なりのちょっとしたルール。ゲーム感覚でもあるかな?点数もなければ、誰もそんなことをしてるって知らないと思うけど…」

「名前見て顔を思い浮かべるゲーム、今度やってみてごらん。」

「顔を見て名前を思い浮かべるゲームは、難しくて諦めたけどな…」

未来の主治医のために

「そう言えば、夜間徐脈の肺炎の人、モニターどうだった?」

「徐脈は夜間だけで、全く症状ありません。完全房室ブロックの時もありますが、1分間に40回くらいの補充収縮が出ています。日中のリハビリ中にはブロックは出ないので、ペースメーカーは慌てる必要はなさそうです。」
「リハビリはあと1週間くらいの予定なので、その間はモニター観察して、このままなら退院させようかと思っています。」

「分かった。それでいいよ。たしか90代だったよね。」
「ところでその患者さん、退院した後のことをどう考えてる?」
「ペースメーカーはいつかやるの?もうやらないの?」

一瞬戸惑いながら、
「失神とか心不全とか起こしたら、やるんですかね?」
と答えが返ってきた。

「その時、95歳でもか?」
と聞いてみる。

「その時の状況によると思います。」

「そうだな。じゃあ、誰がどうやってそのタイミングと適応を判断するのか、今の時点での先生の意見を考えておくことが大事なんだ。」
「今の時点でその患者さんと一番関わっているのは先生だろ?できれば本人にも家族にも、だんだん悪くなる未来も想像してもらう。その時に何を一番大切にしたいのか今のうちに考えてもらうんだ。そして本人、家族の気持ちと先生の考えを今のうちに残しておくことが大切なんだ。」

「未来の主治医が迷った時のためにな。」
と大切なことを伝えた。

「はい、色々考えて、本人や家族とも話してカルテに書いておきます。」
菊岡は少し悩んだ顔をしながら電子カルテを開いていた。

菊岡に求める医療への向き合い方の指導が少しずつレベルアップしている気がする。

若手を教えていると、自らの態度についても、あらためて引き締めなければと思うものである。

これはこれで、なかなかいい関係だ。

あとがき

今回の話は、ペースメーカーの話でありながら、実は人生の話だったのかもしれません。

「やるべきか、やらないべきか」

医療の現場では毎日のようにそんな選択をしなければならない場面があります。

そして困ったことに、正解は後になってみないと分かりません。

もしかしたら将来、チヨさんに怒られる日が来るのかもしれませんし、「あの時やってよかったね」と笑ってくれるのかもしれません。

それは誰にも分かりません。

それでも、その時その時で、その時できる最大限に、患者さんや家族と一緒に悩み、一緒に考えること。
それが主治医の仕事なのだろうと思っています。

そして菊岡にも、そんな医師になってもらえたら嬉しいです。

「適応」とは、ガイドラインに書かれた条件を満たすことではありません。
目の前の患者さんがどんな人生を歩み、これからどんな人生を望むのか。
それを一緒に考えながら決めていくことなのだと思います。

私自身もまだ、その答えを探し続けています。

そしてきっと、それもまた「見えるようになるまで」の途中なのだと思います。

 
 
Thoughts_Inside Heart 医療x物語xランニング 1975年生まれ/田舎の循環器内科医 /趣味 マラソン,テニス,スノーボード,スポーツ観戦,読書 若い医師など、次世代の担い手達の未来を、心から応援したい。 時々妻の実心の日常のエッセイも。

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