
『私がガマンすれば……』と思いがちな人に、伝えたいことがある
『私がガマンすれば、丸く収まる』。私は、長いこと仕事や恋愛、友だち、家族など、あらゆる人間関係においてそう考えて行動してきた。「私もそうです!」という人は、少なくないだろう。
けれど、それは遅延性のアレルギーのようなものだった。アレルギーがある日、突然発症するように。私も、ある日突然、「やってらんねー」とブチ切れたのだ。「私がガマンすれば」そんなクセがある、すべての人に。伝えたいことをつづります。
いつも周りの顔色をうかがって疲れてしまう。そんな『ガマンが癖になっている人』へ届いてほしい実体験です。
優しさという名の呪縛。私が母の機嫌を優先した理由
私は「毒親育ち」「ヤングケアラー」である。このワードを見ただけで多くの人が「ああ、そうか」と思ったことだろう。この2つは「私さえガマンすれば丸く収まる」という生育環境である。
ちなみに、私は「ヤングケアラー」を作り出す家庭はかなりの高確率で「毒親」だと睨んでいる。そうでなければ、まだ養育が必要な子どもに、自分以外の誰かの世話をさせたりしない。私の場合、重度知的障害のきょうだいがいた。そして、母親が毒親だった。
毒母はいつもイライラしていて、何かの拍子に怒り出す。その原因が幼い子どもには分からず、いつも母親の顔色をうかがって暮らしていた。自分のことより母親の機嫌のほうが、優先順位が高いのである。
小学生の頃、放課後に遊びに誘われて出かけようとしたら「〇〇(障碍者のきょうだい)の面倒はどうするの!」とヒステリーを起こされて、友だちにキャンセルの電話をしたこともあった。きょうだいを連れて公園に行くと、遊ぶ予定だった友だちがいた。
ところが、私は自分の母親が「おかしい」とは思っていなかった。「母親という生き物はヒステリーを起こす」と思い込んでいたのである。そういうものなのだから、仕方がない。
どこの家も「子どもはガマンして生きているのだ」と、私は思っていた。私が放課後をきょうだいと過ごせば、母親は機嫌がよかった。夕食の支度の手伝い、後片付けもして、洗濯ものをたたむ。家事をすると母親は機嫌がよかった。私は母親を思いやる優しい子どもだったのではない。そうすれば母の機嫌がよい、と学習しただけのことだった。
『物分かりのいい人』という名の、透明な檻
長じて、私も社会人となり家を出て一人暮らしを始めた。このころには、きょうだいにさほど手がかからなくなっていた。初めての一人暮らしの引越しを、母は手伝ってくれた。
母が帰り、部屋でひとりきりになったときに味わった解放感は、あれから何十年たった今でもよく覚えている。でも、その当時の私は「初めての一人暮らしでウキウキしている」と思っていた。
それからかなりの年月を経て、かつての私が家の中でずっと緊張を強いられていたことに気付いたのだった。「過緊張」というやつだったのだと思う。
一人暮らしを始めたところで、「私がガマンすれば丸く収まる」は健在だった。というか、ほとんど「信仰」だったので、仕事のトラブルも恋愛関係においてもそうやって「丸く収めて」きた。職場では「モノ分かりのいい人」であり、恋愛では「都合のいい女」。
自分の感情や欲求よりも、相手の感情や欲求を優先するため、「何がしたいのか分からない」状態になっていた。それでも、暮らしは回っていく。たまに、自分の要求を口にすることもあったが、反論されたり、取り合ってもらえなかったりした。
とはいえ、この要求も「〇〇がしたい」ではなくて「それはイヤです」というものである。必死に口にしたNoが届かないことに、むなしさを覚えた。でも、ずっとそういう風に生きてきたので「世の中は、そういうものだ」と思っていた。
気付きのきっかけ「黙れ! クソババア」事件
「私がガマンすれば丸く収まる教」の熱心な信者だった私だが、年齢を重ねれるほどに生きにくさを覚えるようになっていった。頑張っているのに結果が出ない。頑張っているのに評価されない。そういうことが、一つひとつ、積み重なっていった。
結婚した相手からも、「お前がガマンすれば丸く収まるんだから」といわれた。義理の両親から旅行に誘われ私が渋っていたら、そういわれたのだった。そういうことがしばしばあって結局、離婚した。その後、なんどか恋愛をしたけれど、うまくいかなかった。
そんなある日、実家に行ったときのこと。もう立派な年寄りになっていた母が些細なことでヒステリーを起こし、激高しはじめた。そのとき、私の中でプツンと何かが切れた。口から飛び出したのは
「黙れ! クソババア」
というセリフだった。そのとき、手に持っていたテレビのリモコンを振り上げたい衝動にかられた。ニュースやワイドショーでよく聞く「カッとなってやりました」はコレか! と突然、理解した。「私がガマンすれば丸く収まる教」の信者を辞めた瞬間でもあった。
「ガマンをやめる」はわがままではない
中年になって、「黙れ! クソババア」と不良少女のようなセリフをいった気恥ずかしさはあったものの、後悔はなかった。むしろ「よくいった」である。
私の思いを、気持ちを率直にお伝えしたまでである。今までの人生で母に罵倒されてきた、数々の暴言を思い返すとお返しとして釣り合っていないレベルである。
私は「私がガマンすれば丸くおさまる」という認知を持っていた。こういう歪んだ認知はじわじわと心をむしばみ、遅延性のアレルギーのようにいつか発症する。
そして、この「認知の歪み」が「生きにくさ」に直結していた。歪みを特定して、矯正していくことが「生きにくさからの卒業」となるのだが、結構時間がかかった。
骨盤の歪みを矯正するのと同じように矯正してはまた歪む、を繰り返しながら、時間をかけて正しい位置をキープできるようにしていかなくてはならないことを、思い知った。
そう「ガマンをやめる」のは決してわがままではない。そして、「ガマンをやめさえすればハッピー」でもない。そこから「矯正」というプロセスが始まる。
「ガマンをやめる」という宣言は、「親御さんも心配しているんじゃない?」といった、第三者の善意によるコメントを浴びることにもつななる。「みんなそうよ」「どこの家も同じ」「親ってそういうもんじゃない?」などなど。
ちなみに、私の調べによるとこういうセリフを述べる人もまた、毒親育ちである。
今、私は「自分がガマンすれば丸く収まる」など微塵も思わないようになれた。しかし、一朝一夕にそうなれたわけでもない。ガマンをやめた後に、何が始まるのか。それはまた、次回に。
★読み切りエッセイはこちら
→①毒親から受け取った『呪い』を解いたら、世界は驚くほど優しかった
→②なぜ私の恋愛はいつも「突然の終了」を迎えるのか?
→③毒親育ちのライフハック「全自動ガマン吸引モード」をやめたら、人生に「楽しい時間」が増えた
→④「毒親育ち」は職場のモンスターに強かった。戦わずして勝利した「最強の武器」
→⑤「いい子プレイ」はもう卒業! 毒親の呪い解除の特効薬は「断捨離」だった。