
「いい子プレイ」はもう卒業! 毒親の呪い解除の特効薬は「断捨離」だった。
本日も読んでくださり、ありがとうございます。
クローゼットを開けるたびに、家具や雑貨が目に入るたびになんともいえない、モヤっとした感情が浮かんでくる……。そんな経験、ありませんか? 私はこの現象に、Vol.1「『私がガマンすれば……』と思いがちな人に、伝えたいことがある」で書いた「黙れ! クソババア」事件を経て「精神的天涯孤独」を選択した後に、直面しました。
このモヤモヤの正体は、毒母との関係性そのものでした。その解消のために着手した「断捨離」について書いていきます。
私が家の中で目にするものに「モヤッ」としていたのは、家にあるモノの至るところに「毒母」を想起するものがあったからだ。「サイズが合わないからあげる」といわれ、もらってきた服やバッグ、靴。「もう使わないから」と、事前の打診も断りもなく、いきなり搬入されたローテーブル。好みではない、サイズも微妙なモノたちから負のオーラが漂っているような気がしてならなかった。
やましたひでこさんが提唱する「断捨離」では「1年以上、使っていないモノは手放す」のがセオリーである。そういう意味では、負のオーラを放つアイテムたちは「使っていないモノ」だった。ということは、やるべきことはただひとつ。断捨離である。
結論から言うと、断捨離は毒母の呪いの解除に効果絶大だった。
「もったいない」という罪悪感は処分の方法で解決する
ソロ断捨離に合言葉もなにもないのだが、基本は「思い立ったが吉日」だ。とりあえず毒母からもらった衣類、バッグ、靴を処分しようと考えた。しかし、マジマジ見ると、どれもほぼ新品なのである。これは「MOTTAINAI」というやつだ。
そこで、「古着deワクチン」「ワールドギフト」などの寄付を利用することにした。費用はかかるが、捨てる罪悪感もなく宅配便で手軽に送れる。おまけに誰かの役に立つなんて、一石三鳥。
手始めに服やバッグ、靴を送った。毒母からもらったものが7割を占めたが、3割は自分で買ったものの、出番があまりなかった衣類やどうしても足が痛くなる靴というラインナップ。たくさん手放した気になったが、まだまだ大量にあった。
この時点ではまだ、断捨離ビギナーだった私は、思い切りが悪かった。毒母からもらった服やバッグを「これは着るかも」「これは使えそう」と残していた。ひと思いに一気に断捨離することができず、ゆえに数年かかってしまった。
今だからわかる。毒親から「サイズが合わない」といった理由でもらったものは、100%捨ててOKだ。私は最終的に全部、捨てたのだった。いつかタイムマシンができたら、断捨離初日の私に教えてあげたいので長生きする所存。
お次は食器や調理器具。いわずもがな、毒母が「あげるわ」とくれたものだ。これまたビックリするほどたくさんあった。6客の湯のみと茶托とか。ひとり暮らしのわが家に、そんな人数の客人が来るはずもないのに。カトラリーも小さな店を開店できそうなぐらいあった。食器類も大量に寄付した記憶はあるのだが、何を寄付したのかあまり覚えていない。思い入れゼロ。そんなものである。
同時並行で粗大ゴミで捨てられるモノも少しずつ、処分していった。「使っていないモノ」と書いたが、家具や家電類はキッチンの作業用テーブルやふとん乾燥機など、使用しているものもあったのだ。そうそう。毒母は「新しいふとん乾燥機を買ったから、あげる」とユーズドの家電をくれることが多かった。製造年月日を見ると、10年以上前。家電の耐用年数はおおむね10年が目安であることを、付け加えておく。
もらったものを保管し続けて演じていた「いい子プレイ」
こんなに大量に保管し続けていた自分に感心しながら、呆れた。なんで、もっと早く捨てなかったんだろう? と自問しながら捨てたり、寄付したりを繰り返していった。だんだんスペースにゆとりが生まれ、クローゼットを開けるたびになんともいえない気分になることが減っていった。
モノが減るにつれて、「なんで?」の答えが少しずつ、輪郭を持ってきた。もらったモノを使っているのを見ると母は機嫌がよくなったのである。つまり、私は「母親からもらったモノを、大事に使う」という「いい子プレイ」をしていたのだ。
耐用年数を過ぎた布団乾燥機を使っていると「やっぱり乾燥機があると便利でしょう」と母は得意げにいった。もらった服を着ていると「あら、似合うじゃない」と似合ってなくても、サイズが合っていなくても褒められた。
自分の健気さに泣けてくるような気がしたが、気がしただけで涙は出なかった。むしろ処分がはかどった。いきなり搬入されたローテーブルは、それなりに大きく、重さもあって粗大ゴミに出すのに苦労した。でも、家から消えたらものすごく気持ちがスッキリした。
断捨離が進むにつれ、「毒母からもらったものを、視界から消す」ことよりも、純粋に「不要なモノを処分してスッキリ暮らしたい」という思いに夢中になっていった。自分で買ったモノでも使っていなければ捨てるようになっていった。
服、バッグ、靴。自力で運べる家具家電をだいたい処分し終わってから、「開かずの箱」を開いた。そう、アルバムや思い出の品である。紙焼きの写真は、まずピンボケだったり、似たような風景写真だったり「どう考えてもいらないよね」から捨てていった。
すると、人物がうつっている写真だけが残った。判断が難しくなって、とりあえず箱に戻した。部屋を見渡すと、毒母が買ってくれた家具、一緒に買いに行った家具が目に入った。どちらも気に入っていなかったけれど、さすがにひとりで粗大ゴミに出すことが難しかった。
『友だちに助けてもらうしかないな』と思っていた矢先、私は引越しを余儀なくされた。
毒大家とのバトル、急な引越しで迎えた断捨離フィナーレ
引越しに至った経緯は実に波乱万丈で、いつかそれも書きたいのだがここでは簡単に「大家との交渉決裂の結果」とだけ記す。そして、この交渉決裂のプロセスで気づいたのだが大家もまた『他人とは思えない』ほどに、毒母とキャラが被っていた。
内見から、引越し日までわずか3週間。
あまりの時間のなさに途方に暮れながら部屋を見回すと、もうすべてがゴミに見えた。いかん、そうではない。必要なモノもあるではないか。落ち着け、私。とりあえず、本。本棚は持って行かないので、本を処分。とりあえず「ブックオフ」に送り付けた。
引越しの配送業者が見積もりに来たときに、もっていくモノと捨てたいモノを伝えた。捨てるための搬出は別途料金といわれた。『なぜだ。運ばなくていいのだからむしろ、ディスカウントでは?』と思ったが、急な引越し予定をねじ込んでもらっている手前、「わかりました」と答えた。
粗大ゴミを手配し、自力で運べるいらないモノはバンバン処分。毒母が昔「買ってあげたわよ」と得意げにいった小さいテーブルとイスのセットは「キッチンの作業台」「加湿器を置く台」になっていたが捨てた。
粗大ゴミ20個。収集日に出せるゴミは、1収集日に3~5袋。断捨離を進めていたのに、1LDKの家に何がまだそんなにあったのだろう? と首をかしげたが、あったのだ。
引越しの日が迫るにつれ、私は断捨離ハイになっていった。迷いなく、なんでも捨てるモードである。「洗えばキレイになる」モノも「汚れている!」と捨てた。毒母がくれたキッチンツールで使っていたモノも「新しいのを買う!」と捨てた。
持っていくモノは梱包した。つまり「出ているモノ」は捨てる候補だ。3週間のフィナーレにより、私はシンプリストぐらいの物量の軽やかさになって、新居に移った。
断捨離による「解毒」で「反転した優しい世界」に
数年がかりの断捨離、そして引越しによるフィナーレで、目に入った瞬間に何ともいえない苦い気分になるモノ、使っていないモノがない生活になった。そして、何かの拍子に毒母の暴言や罵倒を思い出すこともなくなった。
引越しのフィナーレで写真も相当、処分した。人物がうつっていてもピンボケ、変な服を着ているものはザクザクと捨てていった。そして、気づいた。家族で撮った家族旅行の写真が誰も笑っていないことが多い、ということに。写っている顔ぶれから、母が撮ったと思われる。レジャースポットにいるのに、葬儀の日の写真といっても通用する表情の家族の写真。迷わず、捨てた。
今、残っている写真は「私が若かったころなの」と年老いてから誰かに見せても、差し支えない、と判断したものだけだ。この選別をしているときにソファの下に落としたのだろう。南の島の海で浮き輪も使わずに水面にプカプカ浮かんでいる、ビキニ姿の私の写真が「あの、こちらお写真が……」と引越し業者の方に発見されてしまったのは、痛恨の極みだ。
家族写真は笑っている写真と、写真館で撮ったもの以外はすべて処分した。
数年越しの「断捨離」もまた、「呪い」の解除のプロセスだった
「毒母の呪縛からの解放を目指して、断捨離しよう」と思って始めたわけではなかった。目にするとイヤな気持ちになる、だから処分しようという後ろ向きな動機だった。けれど、断捨離も後半戦になると目的が「すっきりした暮らし」に変わり、最後は「引越しのために」と変化していった。そんなプロセスをあらためて振り返ると、結果的に「呪いの解除」の役割を果たしていたことに気付いた。
「断捨離」をインターネットで調べると、こんな風に紹介されている。
断捨離とは、不要な物を断ち、捨て、物への執着から離れることで、空間や心のゆとりを生み出す整理法です。単なる片付けにとどまらず、自分にとって本当に必要な物を見極める「自分軸」を取り戻すためのプロセスでもあります。
確かに私は「自分軸」を取り戻せたと実感している。そして、「自分軸」になれたことで「反転した優しい世界」を生きることができている。
かつての私は、毒母がくれたモノを使うことで「いい子プレイ」をしていた。しかし、毒母は自分があげたことを忘れて「あら、それいいわね」ということもあった。「お母さんがくれたやつじゃん」と返すと、忘れていたことを指摘されたことにムッとして「そうだっけ? 忘れたわよ、そんなことっ」と急に不機嫌になった。そういう出来事にいちいち振り回される日常が断捨離されたことが、とてもうれしい。
もしも「目にすると心がざわつくモノ」があなたの部屋にあるのなら。それを手放してみてください。捨てるのが難しかったら、見えない場所にしまったり、隠したりするのでも大丈夫。きっと、ふっと気持ちが軽くなるのを感じるはず。
今の住まいは窓の外に目を移すと、空が広がっている。時間帯によって移り変わる色や、暦によって変わる月の位置を感じることができる。そうした、何気ない日常の一瞬に思いをはせることができる、心のゆとりを大切にしていきたい。
本日も読んでくださって、ありがとうございました。
あなたの日常に、優しい時間が増えることを心から願っています。
★毎週土曜日更新
「Clear essay」Vol.1「『私がガマンすれば……』と思いがちな人に、伝えたいことがある」から読む
★読み切りエッセイはこちら
→①毒親から受け取った『呪い』を解いたら、世界は驚くほど優しかった
→②なぜ私の恋愛はいつも「突然の終了」を迎えるのか?
→③毒親育ちのライフハック「全自動ガマン吸引モード」をやめたら、人生に「楽しい時間」が増えた
→④「毒親育ち」は職場のモンスターに強かった。戦わずして勝利した「最強の武器」
→⑤「いい子プレイ」はもう卒業! 毒親の呪い解除の特効薬は「断捨離」だった。