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授業メモ|しんどかったので、ちょっと変えた話②|構えを変える編

    前に、「教卓の前に立ち続けるのをやめた」という話を書きました。 最近は、それに加えて、座って話す時間も増えました。

    別に、深い理論があったわけではありません。 あれこれ、もうしんどいと思っているので、「もう少し力を抜けないかな」と思っただけです。


    最初は少し違和感がありました。 授業というと、立って、前に出て、声を張って進めるものだと思っていたからです。

    でも、座ってみると、少し変わりました。

    まず、自分がゆっくり話すようになった気がします。 感覚としては、「授業」より、少し雑談に近い。 もちろん、本当に雑談しているわけではありません。 ただ、立っているときの「ちゃんと回さなきゃ」という緊張感が少し減って、結果として、話し方が柔らかくなった感じがあります。

    不思議なのですが、その方が、生徒も少し聞きやすそうでした。

    あとから考えると、これには少し説明がつく気がしています。

    人間は、姿勢や身体の状態によって、思考や気持ちのモードが変わるらしい。

    「立って前に出る」という身体の構えが、自動的に「盛り上げなきゃ」「反応を取らなきゃ」「ちゃんと見なきゃ」という感覚を呼び起こしていた。
    そのスイッチを、座ることで入りにくくした。

    頭で決めたわけじゃなくて、身体を変えたら、モードが変わった。 そういうことだったのかもしれません。


    約30年かけて染み込んだ「授業とはこうするもの」という感覚は、理屈でわかるだけでは書き換わらない。

    論理的には「今の学校でそれをやっても空回る」とわかっていました。

    気を張る。反応が薄い。さらに頑張る。さらに疲れる。

    そんな繰り返しだと、ずっと自覚していました。
    それでもやめられなかったのは、意思が弱いとかではなく、たぶん、長年の型そのものがそういう動き方をさせていたからだと思います。

    それが変わったのは、深く考えたからではありませんでした。
    もうあの消耗感は嫌だ、と思ったから。

    そこからようやく、身体ごと変えることができた気がしています。

    今は、「ちゃんとやる」より、「無理なく続けられる」を優先しています。
     
    すり減った状態で続けても、授業の質は上がらない。
    自分が落ち着いていないと、教室も落ち着かない。 長く続けるためには、まず自分が持たなければいけない。

    「すり減りすぎない」は、後ろ向きな選択ではなく、むしろ合理的な判断なのかもしれない、と最近は思っています。

    生徒との距離感も、今くらいでちょうどいいと思っています。 近づきたいわけではありません。

    もう若くもないので、無理に熱血教師みたいなことをする気もない。

    ただ、少し離れた場所から、落ち着いて話す。 それくらいの距離感の方が、お互いに楽な気がしています。

     まずは、自分がすり減りすぎないようにする。




     
     
     
    高校の社会科教員。AIを使って、授業づくりやテスト作成を少し軽くする方法を試しています。目指すのは、すごい授業より、先生がすり減らずに回せる授業。実業高校での授業実践と、学校現場で考えたことを書いています。

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