
未練を断って切り離す「断捨離」
4月19日。
「範囲の広いのダーニングはダーニングマッシュルーム(の代用品)ではなく、刺繍の枠を使ったほうが楽なのではないか」
という発想に至ったので、刺繍枠を探し始めた。
枠って、こういうの。

ありがとうございます
実はあまみ、小学生の時にクロスステッチをやっていた。
半年足らずで、やめたけれど。
クッションカバーを作っておしまいにした。
なんで始めたんだったかなー……、その前に刺繍を習い始めたんだよね。
近所の商店街にあった、手芸店のおばあちゃん店主のもとで。
母に押し切られた気がする。
それも、かんしゃく持ちをどうにかするためとか、根気強さを学ぶためとか。「女の子は刺繍のひとつぐらいできなくちゃ!」って目的じゃなくて。
むしろ「いっそう感情が爆発しちゃうんじゃないの?」って理由で始めさせられた記憶がある。
だから家には使わない刺繍糸が、それなりにあった。
DMCの25番。
ミサンガ作りが流行った時期、これで作ろうとして母に怒られた記憶もある。
社会人になってからも刺繍はやらなかった。
けど、ボタンホールの修繕とかに使った。
昨年10月、超遅れてやってきた組みひもブームで一部を組んだ。
だから「糸があるなら枠もあるんじゃない?」と思って。
実際、10年以上前にやった大きな断捨離で発見し「うわ! なつかし〜!!」とテンションが上がった覚えがあるから。
さらに妖怪“もったいないおんな”は、刺繍をやらなくても「えー……なんかもったいないからとっとこ」ってする。そんな確信があったから。
4月20日。
勢い込んで「絶対あそこにある!」という場所を開けた。
……ない。
出せるものは出して、出せないものは懐中電灯に照らしてみた。
ない。
やらないバドミントンのラケットはあるのに、刺繍枠を収めた缶がない。
平たいクッキー缶に、まとめてたはずなんだが……?
母「クッキー缶に入れてたっけ?」
私「入れてたよお。アイロンでジュッって潰すビーズあったじゃん」
母「ああ、あったねえ。なつかしい! でもそれは処分しなかった?」
私「した。それとお揃いの缶に入れてたのよ」
母「憶えてない」
わたしよりずっと記憶力が良い母に「憶えてない」と言われると自信をなくす。
けど諦められず、思いつく限りの場所を開けて漁った。
ない。ない。ない。──空振りの連続。
最初に戻り、もう一度探してみる。
やっぱりない。
「あとはあそこぐらいじゃない?」と母が指さしたのは、天袋。
何年も開いてない……東日本大震災後、上からものが落ちると危ないからって整理して以降、一度も中を覗いてない収納スペース。
あるかな?
……たしか、セーラームーンのおもちゃをしまったな。
それと一緒に入れた可能性、あるかも。使わないけど捨てられないからって。
積もったホコリに顔をしかめつつ、慎重に箱を取り出していく。
お目当ての缶はない。
一目でわかる。全部、大きい箱。
そして結構、重たい。
……なにが中に入ってるんだろう?
気になって、好奇心のままに開けてみたら──
「うわっ」
白いブツブツまみれの筆箱(小学校低学年の子が使うやつ)が出てきた。
刺繍枠を探す→断捨離が始まる
筆箱だけではない。
幼稚園の「おたんじょうびおめでとう」メッセージ(写真付き)
小学校の連絡帳
学校指定のプールバッグ
家庭科の時間に作ったキルトのナップザック
幼少期、父方の祖母からもらったウサギのぬいぐるみ
自分で作ったあみぐるみ(ちょっと大きめ)
サンリオのキャラクター「ザ ボード ビルデュオ」の3wayバッグ
記憶にはあるけど使い方がわからない、マグネット入りブロック
etc.
出るわ出るわ。
「なつかし〜!」から「こんなところにあったんだ!?」というものたち。
極めつけは、集めてた消しゴム。

食べ物のかたちのやつ
変わり種
はやってた〜!
いい匂いだった消しゴムも、いまは昔の話。
箱を開けた瞬間、なんとも言えない香りがムワッと立ち上がる。
懐かしいけど即、閉めた。
消しゴムより驚いたのが、高校時代に使ってたスクールバッグが出てきたこと。

とっくの昔に処分したと思ってた。
母「まさか。ちゃんと自分で捨てさせるよ」
そうだった。
家族でも、自分宛以外の手紙は開封しない。はがきも読まない。
親でも、子供に買ったものは勝手に処分しない。自分で決めさせる。
それが我が家のルールでした。
よくよく思い出すと、高校時代は良い意味でも悪い意味でもいろんなことがあって、長年その思い出に執着していた。
スクールバッグも絶対に! 2,000%使わないのに、しがみついて離さなかった。
でも部屋に転がしてても邪魔だから、箱に詰めて上に上げたんだった。
すっかり忘れてた。
白いブツブツまみれの筆箱や異臭を放つ消しゴムを見たとき、
「パンドラの箱を開けちゃったな〜」
と、後悔したのだけれど。
パンドラの箱じゃなかった。
いずれ訪れる「手放すとき」が来ただけだった。
未練を断って切り離す
不要なものばかり出てきた、ってわけでもない。
Eチャレンジ(こどもチャレンジの英語バージョン……だったと思う)でもらった外国の切手や、コインセットなどは価値があると思って保管。
『おたんじょうびおめでとう』メッセージに貼られていた写真も切り離し、残しておく。
それ以外にはすべて、サヨナラを告げる。
かぶったホコリをシャワーで洗い流したあと、ふいに
「きれいなカバンとか売れたんじゃないかな」
という考えが生まれた。
「ザ ボード ビルデュオ」の3wayバッグ、買って貰った当時は大好きすぎて「使うのもったいない!!」って大事にしてたから、割と状態がよかった。
ひび割れや傷もない。
けど、その考えはすぐに捨てた。
25年以上前の代物である。ぱっと見た限りきれいでも、いつ、どう劣化するかわからない。
売るという労力も大変なものだ。
宅本便で本を整理したとき、身をもって知った。
なにより「いま、手放す」行為に意味があるように思える。

なんでもノートに「断捨離」「ゴミ捨て」って書いて、ものすごい罪悪感に駆られたけど(過去の思い出に、ゴミって……、胸が痛む……)
40リットルと、20リットル(×2)の袋に詰め込まれたものたちはゴミなんかじゃなくて、重たい体にへばりついていた未練。執着心。
それを、そっと払いのけただけなのだ。
すす払いのように。
……すすの割に、めっちゃ重かったけれど。
お役ごめんとなった空き箱も3箱ほど片づき、天袋が一部すっきり、きれいになった。
が、目的の刺繍枠は、見つかっていない。
中身不明の重い箱も、まだ残っている。
いつかまた整理しなきゃな〜と思いつつ、わたしは今日も書いたり編んだり繕ったりしている。
ときどき、思い出したようにクッキー缶を求めながら。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。