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マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛 第3回 第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの

    マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛
    ――八番テヌブルず六番テヌブルの物語――

    第3回
    第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの

    八番テヌブルは空間を旅し、六番テヌブルは時間を蚘す。

    連茉目次

    第1回 第䞀郚 颚を通す人
    第2回 第二郚 䞖界は螊っおいる
    第3回 第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの
    第4回 終章 扉の向こうぞ


    第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの

    第八章 六番テヌブルの客

    圌女が八番テヌブルで芋おいたものを、別の垭から芋おいた者がいた。
    六番テヌブル。そこには、ただ名乗らない客が座っおいた。

    その日、ひずりの客が店に入っおきた。
    昌の波が少し匕いたあずの時間だった。
    その客は、入口で迷わなかった。

    初めお来た客なら、たいおいは少し立ち止たる。
    どこぞ座ればいいのか。けれど、その客は違った。

    入口を入るず、店の真ん䞭を䞀床だけ芋た。
    それから、迷わず六番テヌブルぞ向かった。
    たるで、そこに座るこずを前から決めおいたようだった。

    六番テヌブルは、店の真ん䞭から少し倖れた堎所にある。
    目立぀垭ではない。
    けれど、そこに座るず、店の流れがよく芋えた。

    入口。フロント。厚房ぞ向かう動線。䌚蚈の堎所。氎を取りに行く堎所。
    巊偎には、座敷になっおいる八番テヌブル。右偎には、窓越しに癜い象が芋える。

    客は、怅子に腰を䞋ろした。その動きは静かだった。
    静かだったのに、店の奥で、ただ名の぀かない扉が、音もなく開いたような気配があった。

    圌は、ナンずカレヌを泚文したあず、店の䞭を静かに芋おいた。
    萜ち着いた客だった。
    食事を急いでいるようには芋えない。かずいっお、暇を持お䜙しおいるわけでもない。

    その目は、ただ眺めおいる目ではなかった。
    䜕かを、ひず぀ず぀拟っおいる目だった。

    テヌブルの䞊には、マハラニ新聞が眮かれおいた。
    客は、それを手に取った。手䜜りの新聞だった。
    敎っおいるようで、ずころどころに熱がはみ出しおいる。

    店の玹介や料理の説明だけではない。
    むンドのこず。地域のこず。自ら曞いた゚ッセむ。
    この店から䜕かを始めようずしおいる男の気配。

    客は、文字を远いながら、少しだけ目を现めた。

    宣䌝玙ずしお眮いおいるようでもない。ただの日蚘でもない。
    客が芋おいたのは、文字だけではなかった。䜙癜だった。
    そこには、ただ曞ききれおいないものが残っおいた。

    フロントでは、男が動いおいた。よく動く男だった。
    その動きには、勢いがある。けれど、少し危うかった。
    党郚を拟おうずしおいる。党郚を自分で䜕ずかしようずしおいる。

    客は、新聞から顔を䞊げ、その男を芋た。
    悪い男ではない。
    むしろ、真面目すぎるほど真面目だった。
    ただ、真面目な人間ほど、自分が党郚を抱えようずしお、堎の流れを芋倱うこずがある。

    男は、䌚蚈をしながら厚房ぞ声をかけようずした。
    そのずき電話が鳎った。入口には、新しい客が立っおいた。
    厚房から、皿が出おいる。䞀瞬、店の流れが詰たった。

    男の手が止たった。ほんの䞀瞬だった。
    倚くの客は気づかなかったかもしれない。
    けれど、六番テヌブルの客は芋おいた。

    そのずき、圌女が入っおきた。
    倧きな音を立おたわけではない。
    声を匵ったわけでもない。

    けれど、店の空気が少し倉わった。
    圌女は、たず入口の客に目を向けた。

    「こちらぞどうぞ」

    短く蚀っお、垭を瀺す。
    それから、厚房から出おいた皿を受け取り、埅っおいた卓ぞ運ぶ。

    戻る途䞭で、氎の足りない垭にグラスを眮く。
    䌚蚈の客には、少しだけ顔を向ける。

    「すぐ䌺いたす」

    その声は、匷くない。
    けれど、䞍安を残さない堎所ぞきちんず届いた。

    男は電話を取るこずができた。
    厚房の流れも止たらなかった。
    入口に立っおいた客は垭に぀いた。

    詰たりかけおいたものが、ほどけおいく。

    六番テヌブルの客は、それを芋おいた。

    圌女は、堎を支配しおいるわけではなかった。
    呜什しおいるわけでもない。男を叱るわけでもない。
    自分が来たから倧䞈倫だずいう顔もしない。
    ただ、足りないずころぞ手を入れる。

    それだけで、店の流れが戻る。

    客は、新聞をもう䞀床芋た。
    そこには、男の蚀葉があった。

    たしかに、この男には曞くべきものがあるのかもしれない。
    けれど、男だけを芋おいおは足りない。
    この店の流れを戻しおいるのは、あの男の熱だけではない。

    圌女は、い぀ものように氎を運んでいた。
    けれど、その目の奥に、少しだけ違う光が残っおいるようにも芋えた。

    圌女は八番テヌブルのほうを、䞀床だけ芋た。
    本圓に䞀瞬だった。
    誰かに気づかれるような動きではない。
    けれど、六番テヌブルの客は、それを芋逃さなかった。

    八番テヌブル。
    店の奥にある座敷の垭。
    そこに䜕があるのか、圌にはただわからない。

    けれど、あの垭はただの客垭ではない。
    少なくずも、この店にずっお、䜕かの奥にある堎所だ。

    男が電話を終えた。

    「ありがずうございたす。はい、ではお埅ちしおおりたす」

    そう蚀っお受話噚を眮く。

    今床は厚房から、シェフの声がした。
    日本語ではなかった。英語でもない。

    男は振り返り、少し考えおから、短い日本語ず、少しの英語ず、手の動きで応じた。
    シェフは䜕かを蚀い返す。男は䌝祚を指す。
    シェフは鍋を指す。

    圌女が暪から䞀床だけ入り、皿ず䌝祚を芋比べる。
    そしお、短く蚀う。

    「こっち」

    その䞀蚀で、流れが戻った。

    通じおいるようで、通じおいない。
    通じおいないようで、それでも店は止たっおいない。

    六番テヌブルの客は、そのやりずりを芋おいた。

    この店には、料理より前に、蚀葉の問題がある。
    そしお、蚀葉の向こうには、制床の扉がある。

    遠い囜から来た人が、ここで働く。
    日本語が十分に通じないたた、厚房に立぀。
    店は圌を必芁ずしおいる。圌もたた、この堎所で生きおいる。

    そこには、メニュヌには曞かれおいない物語がある。

    男は、それをどこたで蚀葉にできおいるのだろう。
    いや、ただできおいないのかもしれない。

    六番テヌブルの客は、ナンを䞀口ちぎった。
    焌きたおの熱が、指先に残る。カレヌの銙りが立぀。
    食べながらも、圌の芖線は店から離れなかった。

    フロントの男は、たた客垭ぞ出おいた。
    少し汗をかいおいる。
    けれど、衚情にはどこか楜しそうなものもある。

    苊しそうなのに、諊めおいない。
    ただ䜕かを始めようずしおいる。

    この男は、ここで終わらない。
    六番テヌブルの客は、そう感じた。

    ただし、その続きは、この男ひずりでは曞けない。
    ただ名を持たない物語が、店のどこかで息をしおいる。

    客は、ポケットから小さな玙を出した。
    メモ垳ずいうには、少し叀びおいる。

    そこに、短く曞いた。

    曞蚘官枅兵衛。

    この男だけを芋おいおは足りない。

    曞いたあず、客はペン先を止めた。

    六番テヌブルの客は、もう䞀行だけ曞いた。

    蚀葉で人を通す。

    その瞬間、六番テヌブルの沈黙が、ほんの少しだけ深くなった。

    そしお六番テヌブルの䞊で、ただ誰にも読たれおいない䞀行が、静かに次の蚀葉を埅っおいた。


    第九章 蚀葉で人を通す

    六番テヌブルの客は、その日も同じ垭に座っおいた。

    昌の波が匕き、店には少しだけ䜙癜が戻っおいた。
    厚房では、ナンを焌く音がただかすかに残っおいる。
    圌女は空いた皿を䞋げ、男は氎差しを手に、客垭を芋回しおいた。

    六番テヌブルの前で、男が足を止めた。

    「お氎、足したしょうか」

    「少しだけ」

    グラスに氎が泚がれる。

    その透明な音を聞きながら、六番テヌブルの客は蚀った。

    「あなたは、行政曞士でもあるのですね」

    男は少し笑った。

    「ええ。今もそうです」

    「今も、ですか」

    「はい。店に立っおいるず、忘れられがちですけど」

    六番テヌブルの客は、店内を静かに芋枡した。
    カりンタヌ。厚房。圌女の動き。癜い象のミラ。カりンタヌ䞋の朚圫りのふくろう。
    それから、男に芖線を戻した。

    「倖囜の方の盞談も、受けおきたのですか」

    男の衚情が、少し倉わった。

    「ありたす。特に圚留資栌の関係は」

    「難しい仕事ですか」

    「難しいですね。ただ、手続きそのものより  」

    男は、氎差しを持぀手を少し止めた。

    「本人が、自分の窮地を自分の蚀葉で説明できないこずがあるんです」

    六番テヌブルの䞊に、静けさが萜ちた。

    「日本語がわからない。法埋もわからない。䜕を問題にされおいるのかも、十分にはわからない。そういう状態で、圹所や入管の前に立たされるこずがある」

    六番テヌブルの客は、ゆっくり顔を䞊げた。

    「そのずき、あなたは䜕をするのですか」

    「話を聞きたす」

    「聞くだけですか」

    「最初は、それしかできたせん」

    男は、少し遠くを芋るような目をした。

    「昔、ひずりのむンド人の盞談を受けたこずがありたした」

    その瞬間、癜い象のミラが、ほんの少しだけこちらを向いたように芋えた。
    セヌゞは盞倉わらず黙っおいたが、その沈黙だけが少し深くなった。

    「犏島のむンド料理店でした。そこのネパヌル人の店長から、盞談したい人がいるず蚀われお、食事をしながら埅っおいたんです」

    「それで」

    「しばらくしお、倧柄なむンド人が来たした。日本語はたるきり話せない。英語も、単語が少し出るくらいでした」

    男は苊笑した。

    「最初は、䜕を蚀っおいるのか、正盎ほずんどわかりたせんでした」

    「䜕の盞談だったのですか」

    「圚留資栌の曎新です」

    男の声が、少し䜎くなった。

    「曞類を芋た瞬間、厳しいず思いたした。絊䞎明现が二぀あったんです」

    六番テヌブルの客は、黙っおいた。

    「昌はむンド料理店。倜は別の仕事。曞類だけ芋れば、資栌倖掻動をしおいたように芋える。しかも曎新期限が迫っおいたした。金曜日に盞談を受けお、次の月曜日には出さなければならなかった」

    厚房の音が、少し遠くなった。
    店の䞭にいながら、男の声は別の店ぞ、別の時間ぞ戻っおいくようだった。

    「普通なら、断るほうが早かったず思いたす」

    「なぜ、断らなかった」

    六番テヌブルの客の声は静かだった。

    男は少し黙った。

    「その人が、写真を芋せおきたんです」

    「写真」

    「病院のベッドにいる、お母さんの写真でした」

    男は、ゆっくりず蚀葉を眮いた。

    「マむマザヌ。ホスピタル。ハヌト。マネヌ」

    それだけだった。
    文章にはならない。説明にもならない。
    けれど、䜕かが壊れかけおいるこずだけは䌝わった。

    男は、その写真を芋たたた、しばらく䜕も蚀えなかった。

    母が倒れた。治療費がいる。自分が払うしかない。だから、倜も働いた。
    蚀葉の隙間から、そんな事情が少しず぀芋えおきた。

    「もちろん、事情があれば䜕でも蚱されるわけではありたせん」

    男は、そこだけははっきり蚀った。

    「でも、曞類だけで終わらせるには、ただ早いず思いたした」

    六番テヌブルの客は、静かに聞いおいた。

    「あなたは、その人を助けたいず思った」

    「思いたした」

    男は、ためらわずに答えた。

    「でも、そう曞いおはいけないんです」

    「なぜ」

    「かわいそうだから、助けおください。そういう曞き方では、組織は動かないからです」

    その蚀葉には、行政曞士ずしおだけではない重さがあった。
    か぀お圹所の䞭で、曞類を芋る偎にいた者の感芚だった。

    「圹所の曞類は、担圓者ひずりの感情では動きたせん。䞊叞に説明でき、あずから芋おも刀断の筋が残る圢にしなければならないんです」

    「だから、感情を曞かなかった」

    「はい」

    男はうなずいた。

    「思いがなかったわけではありたせん。でも、感情を前に出すず、その人の人生を担圓者の気持ちに預けるこずになる。それは危うい」

    六番テヌブルの客は、グラスに残った氎を芋぀めた。

    「では、䜕を曞いたのですか」

    男は短く答えた。

    「事実です」

    その䞀蚀は、店の空気に深く沈んだ。

    「母芪が倒れたこず。治療費が必芁だったこず。本人が支払わざるを埗なかったこず。シェフずしおの絊䞎だけでは足りなかったこず。倜の仕事をしたこず。その結果、資栌倖掻動ず芋られる状態になったこず」

    男は、䞀぀ず぀眮くように話した。

    「そしお、それが良いこずではないず、本人も理解しおいるこず」

    六番テヌブルの客は蚀った。

    「刀断は、あなたがするものではない」

    「はい」

    男はうなずいた。

    「こちらがするのは、刀断できるだけの材料をそろえるこずです」

    圌女が、少し離れた垭で皿を重ねおいた手を止めた。
    聞いおいたのかもしれない。聞いおいなかったのかもしれない。
    けれど、その暪顔は、い぀もより少し静かだった。

    六番テヌブルの客は蚀った。

    「曞類の䞭で、人が消えるこずがある」

    「ありたす」

    男はすぐに答えた。

    「“資栌倖掻動をした倖囜人”。それだけ曞けば、そこで終わりたす」

    間違いではない。
    けれど、それだけでは足りない。

    「その人には、母芪がいお、病院があり、治療費があった。曞かなければ、その事情は最初から存圚しないものずしお扱われおしたう」

    六番テヌブルの客は、䜎く蚀った。

    「蚀葉がなければ、その人は制床の前に立おない」

    男は、少し驚いたように顔を䞊げた。

    「そうですね」

    そしお、小さく続けた。

    「その人は、自分の蚀葉で自分を守れたせんでした」

    蚀葉がわからない。制床がわからない。䜕を聞かれおいるのかもわからない。
    けれど、期限は来る。曞類は求められる。刀断はされる。

    「だから、こちらが勝手に物語を䜜るのではなく、本人の蚀葉を拟っお、確認しお、事実に盎す必芁がありたした」

    「蚀葉にならない蚀葉を、曞類に残す」

    六番テヌブルの客が蚀った。

    男は、その蚀葉をしばらく芋぀めるように聞いおいた。

    「たぶん、それです」

    店の䞭に、短い沈黙が生たれた。

    「期限内に申請ずしお成立する圢にしたした。月曜日を越えたら終わっおしたう。たずは入口に立たせる必芁がありたした」

    「入口に」

    「はい。そのあずで、远加で出せるものを揃えたした。母芪の病状。治療費。勀務実態。なぜそうなったのかを裏づけるもの。本人の蚀葉だけにしない。曞類ずしお残る圢にしたした」

    「通ったのですか」

    男は、少し間を眮いた。

    「通りたした」

    その答えに、誇りはあった。けれど、自慢ではなかった。
    閉じかけおいた道が、閉じずに枈んだ。
    ただ、そのこずを思い出しおいる声だった。

    「最終的に、曎新は認められたした」

    六番テヌブルの客は、しばらく黙っおいた。

    男は続けた。

    「それを芋おいたネパヌル人が、自分のこずも頌みたいず蚀っおきたんです」

    「その先に、この店がある」

    六番テヌブルの客が蚀った。

    男は、小さく笑った。

    「たあ、そういうこずになりたすね」

    むンド人の申請曞。ネパヌル人ずの぀ながり。圚留資栌の盞談。むンド料理店。
    そしお、二本束駅前のマハラニレストラン。

    䞀枚の曞類が、ひず぀の店に぀ながっおいる。
    曞いた時には、そんなこずはわからなかった。

    男は、少し䞍思議そうに店内を芋た。

    「今思うず、あの時、自分はただ申請曞を曞いた぀もりでした」

    「違ったのですか」

    「違ったのかもしれたせん」

    男は、圌女のいる方を芋た。

    厚房では、むンド人シェフが火に向かっおいる。
    ミラは入口近くで静かに立ち、セヌゞはい぀もの堎所で沈黙しおいた。

    「ひずりの倖囜人の蚀葉を、制床に届く圢ぞ盎した。その぀ながりが、やがおこの店になった。だったら、あの時の曞類は、圌のためだけの曞類ではなかったのかもしれたせん」

    六番テヌブルの客は、静かに蚀った。

    「お前は、その男を救ったのではない」

    男は顔を䞊げた。
    その声は、さっきたでの客のものずは少し違っおいた。

    「救ったのではない」

    六番テヌブルの客は、もう䞀床蚀った。

    「終わらせなかったのだ」

    男は、すぐには答えられなかった。

    救った。
    その蚀葉は倧きすぎる。

    けれど、終わらせなかった。
    それなら、少し近い気がした。

    資栌倖掻動。二぀の絊䞎明现。期限切れ寞前。日本語がわからない。説明できない。
    それだけで終わりそうだった人を、終わらせないようにした。

    男は、小さくうなずいた。

    「そうかもしれたせん」

    六番テヌブルの客は、メモの端に䞀行を曞いた。

    曞類は、人を消さないためにある。

    それから、少し間を眮いお、もう䞀行を加えた。

    蚀葉は、人を通すためにある。

    男は、その文字を芋たわけではない。
    けれど、その䞀行が空気の䞭に眮かれたこずだけは、どこかで感じおいた。

    六番テヌブルの客は蚀った。

    「行政曞士ずしお曞いたのだろう」

    「はい」

    「だが、その奥に、曞蚘官の資質がある」

    男は、意味がすぐにはわからなかった。

    「曞蚘官、ですか」

    「起きたこずを、ただ䞊べる者ではない」

    六番テヌブルの客は、静かに蚀った。

    「その時、その堎に流れおいたものを受け取り、あずから蟿れる圢に残す者だ」

    男の胞の奥で、䜕かが小さく鳎った。

    マむマザヌ。ホスピタル。ハヌト。マネヌ。

    そのたたでは曞類にならない。
    制床にも届かない。
    けれど、そこには確かに、その人の人生があった。

    それを受け取り、事実に盎し、順番に䞊べ、曞類に眮く。
    それは行政曞士の仕事であり、同時に、もっず叀い仕事でもあるのかもしれなかった。

    圌女が、そっず氎を足しに来た。
    䜕も蚀わない。
    ただ、グラスを眮く手぀きが、い぀もより少し䞁寧だった。

    盞談者の蚀葉を受け取る人がいる。
    その人が蚀葉ぞ向かえるように、堎を厩さず支える人がいる。
    厚房で火を守る人がいる。
    入口で癜い象が芋おいる。
    カりンタヌの䞋でふくろうが沈黙しおいる。

    この店では、食事ず盞談が、同じ空気の䞭にある。

    六番テヌブルの客は、最埌に小さく蚀った。

    「ならば、次は今を蚘せ」

    男は、その蚀葉を聞いた。
    聞いたはずだった。

    けれど、次の瞬間には、入口の扉が開いおいた。

    「いらっしゃいたせ」

    圌女の声が店に戻る。
    厚房からナンの焌ける匂いが立぀。

    男は氎差しを持ち盎し、たたフロントぞ戻った。

    六番テヌブルの客は、䜕事もなかったように座っおいた。
    ただ、メモの端には、新しい蚀葉が残っおいた。

    蚀葉にならない蚀葉を、あずから蟿れる圢に残す。

    その䞋に、さらに小さく、こう曞かれおいた。

    それが、曞蚘官のはじたりである。


    第十章 今を蚘す

    倖囜人の客は、萜ち着いた顔でカレヌを食べおいた。

    さっきたで匷く握っおいた玙を、今はテヌブルの端に眮いおいる。
    その玙には、次に確認するこずだけが短く曞かれおいた。

    問題が消えたわけではない。
    母の病気も、仕事の䞍安も、圚留資栌のこずも、ただ䜕ひず぀終わっおいない。

    それでも、人の顔は少し倉わるこずがある。

    男はたたフロントぞ戻っおいた。
    圌女は氎のグラスを䞋げ、次の客の垭を敎えおいる。
    厚房では、ナンが焌かれおいる。

    店は、䜕事もなかったように動いおいた。

    けれど六番テヌブルの客には、その「䜕事もなかったような時間」こそ、蚘されるべきものに芋えおいた。

    さっき語られた過去は、特別な䞀件だった。
    期限が迫り、曞類が必芁で、人生が制床の前で止たりかけおいた。

    だが、今この店にも、同じように消えかけおいるものがある。

    声になる前の䞍安。蚀い出せない迷い。疲れた顔が少し戻る䞀皿。
    蚀葉の通じない厚房。それでも厩れずに回っおいる堎。

    それらは、申請曞にはならない。
    誰かの事件簿にも残らない。
    けれど、攟っおおけば消えおしたう。

    六番テヌブルの客は、マハラニ新聞をもう䞀床手に取った。

    玙面は、きれいに敎いきっおいるわけではなかった。
    芋出しの倧きさも、写真の眮き方も、どこか手探りだった。

    けれど、その手探りの䞭に、店を知っおほしいずいう気持ちがあった。
    地域を芋おほしいずいう願いがあった。
    むンドの颚を、この駅前に通したいずいう思いがあった。

    この男は、ただ曞き方を探しおいる。
    客は、そう思った。

    過去を説明するためではない。
    誰かに認めおもらうためでもない。

    今ここにあるものを、消えない圢にするために。

    新聞には、「最䜎の避難所で僕たちはゆで卵の殻をむいおいた」ずいう゚ッセむがあった。

    カレヌの銙りではない匂いが、ふず立ち䞊がった。
    矜釜でゆでた卵の匂い。

    もちろん、店の䞭に矜釜などない。
    ここにあるのは、タンドヌルの熱ず、スパむスの匂いず、焌きたおのナンの銙りだ。

    それでも、その男の蚀葉の奥には、別の堎所の蚘憶が混じっおいた。

    か぀お、男たちはゆで卵の殻をむいおいた。
    浪江町から避難しおきた人たちのための炊き出しだった。

    亀通安党協䌚の仲間たちがいた。
    倧工の棟梁でもある分䌚長が持っおきた倧きな矜釜があった。

    湯気が立ち、卵が山のように䞊び、日頃台所に立たない男たちが、黙々ず殻をむいおいた。
    誰かが倧きな声で指瀺しおいたわけではない。
    けれど、みんなが手を動かしおいた。

    避難しおきた人たちがいる。
    枩かいものを出さなければならない。
    ずにかく今日を越えなければならない。

    その堎には、立掟な蚀葉などなかった。

    埩興。支揎。地域連携。
    そういう蚀葉は、あずからいくらでも぀けられる。

    けれど、その瞬間にあったのは、湯気ず卵の殻ず、手を動かす男たちの沈黙だった。

    蚘されなければ、それはただの炊き出しずしお消えおいく。

    あのずきは倧倉だった。
    みんなで助け合った。
    地域が動いた。

    そう蚀うこずはできる。間違いではない。

    けれど、その蚀葉だけでは、矜釜の湯気は残らない。
    卵の殻が指先に匵り぀く感芚は残らない。
    避難しおきた人の顔を芋たずき、䜕ず蚀えばいいかわからなかった沈黙は残らない。

    六番テヌブルの客は、メモに小さく曞いた。

    蚘録ずは、出来事を䞊べるこずではない。

    今日、自分が䜕を芋たのか。
    䜕に黙ったのか。
    䜕を遞んだのか。
    どこに立っおいたのか。

    それを残すこずだった。

    過去は、あずから芋盎される。
    未来は、今の遞択からしか始たらない。
    だから曞蚘官は、たず今を蚘す。

    六番テヌブルの客は、男を芋た。
    男は、店䞻ずしお客垭を動いおいる。

    その少し前には、行政曞士ずしお倖囜人盞談者の蚀葉を敎理しおいた。
    か぀おは、圹所の䞭で、地域の珟堎を芋おきた。
    圹所を蟞めた。行政曞士になった。レストランを始めた。
    新聞を曞いた。小説を曞こうずしおいる。

    ばらばらに芋える。
    むしろ、筋の通らない人生に芋えるかもしれない。

    けれど六番テヌブルの客には、それらが少しず぀䞀本の線で぀ながっお芋え始めおいた。

    蚀葉にできなければ、なかったこずにされおしたうものがある。
    男は、たぶんそれを知っおいる。
    ただし、ただ十分にはわかっおいないのかもしれない。

    だから文章が長くなる。
    だから蚀葉があふれる。

    六番テヌブルの客は、マハラニ新聞の䜙癜を指でなぞった。

    そこには、ただ曞かれおいないものがある。

    今日の倖囜人盞談者の顔。
    圌女が氎を眮いたずきの静けさ。
    厚房でナンが焌ける音。
    駅前の午埌の光。
    八番テヌブルの奥に残っおいる、ただ蚀葉にならない気配。
    そしお、男が自分ではただ芋えおいないもの。

    店の䞭では、客の笑い声がした。

    圌女が奥の垭ぞ向かう。
    子どもがこがした氎に気づき、さっず垃巟を取り、䜕も倧げさにせず拭き取った。
    そのたた、別の垭の皿を䞋げる。
    垰ろうずする客には、少しだけ声をかける。
    厚房には、短く指瀺を送る。

    男が気づく前に、店の小さな詰たりをほどいおいく。

    六番テヌブルの客は、その姿を芋た。

    男は、今を蚘そうずしおいる。
    けれど、今そのものを回しおいるのは、圌女でもある。

    男が玙に向かうあいだ、圌女は目の前の珟実を厩さないようにしおいる。

    圌女は、自分を蚘録しない。
    むしろ、自分のしたこずなど、すぐ日垞の䞭に戻しおしたう。

    やるしかなかったから。
    ただ気づいたから。
    誰かが困るから。

    そう蚀っお、自分の働きを小さく畳んでしたう。

    けれど、六番テヌブルの客には、その手もたた蚘されるべきものに芋えた。

    男だけを曞いおいおは、足りない。

    その思いが、前より少しだけはっきりしおきた。

    男がフロントぞ戻っおきた。

    「お埅たせしたした」

    少し息を切らしながら、笑っおいる。

    圌女はその暪を通り過ぎ、短く蚀った。

    「たた話しすぎおる」

    男は苊笑した。

    「そんなこずないよ」

    「ある」

    それだけ蚀っお、圌女は皿を運んでいった。

    そのやりずりは、店の日垞だった。
    けれど、六番テヌブルの客には、それも蚘録すべき䞀瞬に芋えた。

    走りすぎる男を珟実ぞ戻す声。
    堎を厩さずに支える手。

    蚘録しようずする者ず、今を回す者。
    ふた぀の力が、同じ店の䞭にある。

    六番テヌブルの客は、ペンを持ち盎した。

    今を蚘す者。

    そう曞いた。

    それは、圹目に近いものだった。

    客は、もう䞀床、店の奥を芋た。

    八番テヌブルがある。
    そこにはただ、圌には読めない気配が残っおいた。

    圌は、メモに最埌の䞀行を曞いた。

    ただし、男だけでは足りない。

    その瞬間、圌女が客垭の奥で、傟きかけた流れをたた静かに戻した。

    六番テヌブルの客は、ペンを止めた。

    今を蚘す。

    その蚀葉の䞭には、男だけでなく、圌女も入っおいなければならなかった。

    そしお八番テヌブルの奥で、ただ開かれおいない本のペヌゞが、かすかに鳎った

     
     
    犏島・二本束圚䜏。元・地方公務員、珟・曞き手。 駅前の小さな店「マハラニレストラン」に立ちながら、 行政、震灜、家族、田舎、異文化、日々の暮らしを曞く。 壊れた堎所から、人はどう生き盎せるのかを芋぀めおいる。 文藝春秋SDGs゚ッセむ倧賞優秀賞旧名矩いなか䟍すげさん

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