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マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛 第2回 第二郚 䞖界は螊っおいる

    マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛
    ――八番テヌブルず六番テヌブルの物語――

    第2回
    第二郚 䞖界は螊っおいる

    八番テヌブルは空間を旅し、六番テヌブルは時間を蚘す。

    連茉目次

    第1回 第䞀郚 颚を通す人
    第2回 第二郚 䞖界は螊っおいる
    第3回 第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの
    第4回 終章 扉の向こうぞ


    第二郚 䞖界は螊っおいる

    第四章 それは蚘憶のようだった

    八番テヌブルの奥で、名のない扉が、ゆっくりず息を吞った。
    そう感じた瞬間、圌女は思わず畳に手を぀いた。

    さっきたで、そこはい぀もの座敷だった。
    けれど、その畳の感觊が、ほんの少し倉わった。
    指先に觊れおいるのは、柔らかな畳の目のはずだった。
    なのに、どこか也いおいる。

    ざらりずしたものが、爪の䞋に觊れた。

    砂。

    そう思ったずき、圌女は顔を䞊げた。

    店の照明が遠くなっおいた。
    倩井の灯りは、消えたわけではない。
    けれど、茪郭ががやけ、光がほどけるように広がっおいく。
    銙蟛料の匂いは、ただ残っおいる。

    でもその奥に、別の匂いが混じっおいた。

    「怖がらなくおいいよ」

    ミラの声がした。圌女は、声のほうを芋た。
    癜い象のミラは、もう店の眮物の倧きさではなかった。
    けれど、巚倧でもない。

    圌女が怖がらずに隣を歩けるくらいの倧きさで、少し先に立っおいた。
    癜い背䞭が、店の灯りを受けおいるようにも、遠い倪陜の光を受けおいるようにも芋えた。

    「䜕が起きおるの」

    圌女は蚀った。声は出た。それが少しだけ安心だった。

    「扉が開いただけだよ」

    ミラが答えた。

    「扉」

    圌女は足元を芋た。そこは、もう畳ではなかった。
    也いた石の䞊に、自分の足が立っおいた。
    慌おお振り返る。

    八番テヌブルは、そこにあるようにも芋えた。
    ないようにも芋えた。
    座敷の瞁だったはずの線が、い぀の間にか石畳の継ぎ目のようになっおいる。

    店の壁だった堎所は、遠くの空の色にほどけおいた。
    カりンタヌも、レゞも、厚房の入口も、はっきり芋えない。
    ただ、銙蟛料の匂いだけが、圌女をただマハラニレストランに぀なぎ止めおいた。

    「倢なの」

    「倢ず蚀えば、倢に近い」

    セヌゞの声がした。

    圌女が芋䞊げるず、近くの柱の䞊に、朚圫りのふくろうがいた。
    いや、朚圫りのたたなのか、矜を持぀生き物なのか、よくわからない。
    光の圓たり方によっお、朚の目が矜根の暡様にも芋えた。

    「でも、ただの倢ではない」

    「たた、わかりにくいこずを蚀う」

    「わかりやすい蚀葉は、早すぎるず人を閉じ蟌めるからね」

    返事をする前に、目の前の景色が倉わっおいった。

    目の前に、壁があった。
    桃色の壁。

    やわらかい桃色ではない。
    日に焌け、砂を吞い、長い時間をくぐっおきた桃色だった。

    その壁は、明るいのに静かだった。掟手なのに、浮぀いおいない。
    通りを行く人がいる。垃の色が颚に揺れおいる。
    どこかで、聞いたこずのない蚀葉が飛び亀っおいる。

    圌女は立ち尜くした。知らない堎所だった。もちろん、来たこずなどない。
    なのに、胞の奥が先に反応しおいた。忘れおいたものに、ふいに指先が觊れたような感芚。
    ずっず昔にこの颚を知っおいたような感芚。

    圌女は、ゆっくり息を吞った。也いた空気が胞に入る。
    その䞭に、砂ず倪陜ず、人の暮らしの匂いがあった。

    「ここはどこ」

    「ゞャむプヌル」

    ミラが答えた。

    「ゞャむプヌル」

    蚀葉を繰り返しおも、意味はすぐには入っおこない。

    「桃色の郜ずも呌ばれる堎所だよ」

    セヌゞが蚀った。

    「桃色の郜  」

    圌女はもう䞀床、壁を芋た。たしかに、街は桃色だった。

    「どうしお、私がここにいるの」

    「芋せるためだよ」

    ミラは、少し前を歩きながら蚀った。

    「あなたが、䜕を迎える人なのかを」

    「ただわからなくおいい」

    セヌゞが蚀った。

    「わからないたた歩くのも、旅の䞀郚だ」

    「私は旅をしたいなんお蚀っおない」

    「そうだね」

    ミラは笑ったようだった。

    「でも、ずっず旅の途䞭だったんだよ。あなたは」

    「たたそういうこずを蚀う」

    「本圓のこずほど、最初はそう聞こえる」

    セヌゞが静かに蚀った。

    圌女は少しむっずした。
    圌女が立ち止たるず、ミラも立ち止たる。
    セヌゞは柱から柱ぞ、あるいは屋根の圱ぞ、い぀の間にか堎所を移しおいる。

    街の通りには、人がいた。女性たちの垃が颚に揺れる。男たちが声を亀わす。
    子どもが走る。知らないはずなのに、胞の奥が静かになっおいく。
    異囜の街に攟り出された心现さよりも、䜕かを思い出しそうなもどかしさがある。

    「ここに来たこず、ないはずなんだけど」

    圌女は小さく蚀った。

    「来たこずがあるかどうかだけが、蚘憶ではない」

    セヌゞが答えた。

    「どういう意味」

    「身䜓が芚えおいるものもある。圹割が芚えおいるものもある。あなたより前に、あなたの䞭ぞ流れおきたものもある」

    「私より前」

    「今は、そこたででいい」

    「ずるい」

    「党郚を䞀床に枡すず、人は自分の蚀葉を倱う」

    セヌゞの声は静かだった。

    すぐに答えを枡すず、人は自分で考える力を䜿わなくなる。
    圌女自身、子どもたちにそうしおきた。

    「自分で考えなさいよ」

    そう蚀っおきた。

    それを今、自分が返されおいるようで、少し面癜くなかった。

    通りの先に、倧きな門が芋えた。
    その門の奥に、さらに壁が続いおいる。
    壁には、窓がいく぀もあった。

    圌女は、その窓を芋たずき、足を止めた。
    理由はわからない。けれど、胞の奥がたた動いた。
    あの日、店のモニタヌを芋たずきに感じた、あの小さな違和感に䌌おいた。
    ミラの向きが、ほんの少し倉わっお芋えたずきの感芚。

    「マハラゞャ」

    セヌゞが蚀った。

    「え」

    「王をそう呌ぶこずがある」

    「王様」

    「そう。そしお、その隣にいる女性を、マハラニず呌ぶこずがある」

    圌女はミラを芋た。

    「マハラニ」

    その蚀葉は、聞き慣れないはずだった。
    けれど、口の䞭で転がすず、䞍思議な重みがあった。

    「王劃っおこず」

    「それも、ひず぀の意味」

    セヌゞは蚀った。

    「けれど、蚀葉はひず぀の箱に収たらない」

    「堎所によっお、時代によっお、人によっお、別の光を持぀」

    「じゃあ、ここでは䜕なの」

    「迎える堎所を持぀人」

    ミラが蚀った。

    「私には関係ないでしょ」

    「そう思うのは自由だよ」

    セヌゞが蚀った。

    「でも、関係があるかどうかは、ただあなたが決めるこずではない」

    「私のこずなのに」

    「あなたのこずだからこそ、ただ芋えおいない郚分がある」

    圌女は蚀い返そうずした。
    けれど、その前に颚が吹いた。

    䞀瞬だけ、音が遠くなった。
    通りを歩く人の声も、垃のはためく音も、ミラの足音も、党郚が少し遠ざかった。

    圌女は、壁の向こうにある䜕かを芋おいた。
    䜕か倧きなもの。

    「ここだったんだね」

    ミラが、誰に蚀うでもなく぀ぶやいた。

    圌女は振り返った。

    「䜕が」

    ミラは答えなかった。

    代わりに、セヌゞが近くの柱の䞊で矜をすがめた。

    「名は、堎所よりあずに来る」

    「たた、わかりにくいこずを蚀う」

    圌女がそう蚀うず、セヌゞは少しだけ笑ったように芋えた。

    「わかるのが早すぎるず、旅にならないからね」

    「旅っお、私は垰れるの」

    「垰れるよ」

    ミラが答えた。

    「あなたには、垰る堎所がある。だから、遠くぞ行ける」

    その蚀葉に、圌女は少し黙った。

    垰る堎所。

    颚がもう䞀床吹いた。
    桃色の壁の向こうで、誰かの声がした。

    圌女は、その声を知らない。
    蚀葉もわからない。
    けれど、胞の奥だけが、少し先に返事をしおいた。


    第五章 迎える郜

    桃色の壁の向こうぞ、圌女は歩き出した。

    「どうしお、この街は桃色なの」

    圌女は、壁を芋䞊げながら蚀った。
    答えがほしかったずいうより、声に出さずにはいられなかった。

    圌女は、色にこだわる人だった。
    店の色をオレンゞに決めたのも圌女だった。
    そしお、圌女自身が奜きな色は、ピンクだった。

    ただし、どこでも同じ色を遞ぶわけではない。
    その堎所に合う色がある。人を迎える色がある。
    圌女は、そういうこずを感芚で知っおいた。

    街は、ばらばらな建物の集たりではなかった。
    通りも、門も、窓も、壁も、同じ色の息をしおいるように芋えた。
    ひず぀ひず぀の家や店や建物が、それぞれ別の圢を持ちながら、街党䜓ずしおはひず぀の顔を持っおいる。
    その顔は、こちらを拒んでいなかった。

    「迎えるためだよ」

    ミラが蚀った。

    「迎える」

    圌女は聞き返した。

    「この色は、誰かを怖がらせないための顔でもある」

    セヌゞが、屋根の圱から蚀った。

    「顔」

    「人は、堎所に入る前に、その堎所が自分を受け入れおくれるかどうかを感じる」

    「壁の色。入口の広さ。光の入り方。声の調子。匂い。そこにいる人の目。そういうものが、その堎所の顔になる」

    圌女は、黙っお桃色の壁を芋た。
    たしかに、初めお来た堎所なのに、ここには近づくこずをためらわせない䜕かがあった。
    堂々ずしおいる。
    けれど、芋せびらかしおはいない。

    「あなたも、ずっず芋おきたはずだよ」

    ミラが蚀った。

    「䜕を」

    「初めお店に入る人の顔」

    その蚀葉で、圌女はマハラニレストランの入口を思い出した。

    扉の前で、䞀瞬だけ立ち止たる人がいる。
    むンド料理は蟛いのではないか。
    同じ「いらっしゃいたせ」でも、盞手によっお、眮き方が違う。

    迎えるずは、ただ声をかけるこずではない。

    「怖がらせないこずも、力なんだよ」

    ミラが蚀った。

    「私はそんな立掟なこず、しおない」

    圌女は蚀った。

    やがお、通りの先に倧きな建物が芋えおきた。
    壁は同じ桃色をたずっおいる。
    けれど、そこには倚くの窓があった。小さな窓。现い窓。食りの぀いた窓。

    その数に、圌女は思わず足を止めた。

    「窓が倚い」

    「そうだね」

    「倖を芋るため」

    「それもある」

    「でも、それだけではない」

    圌女は窓を芋䞊げた。
    倖の光が入り、内偎の気配は守られおいる。
    芋るこずはできる。けれど、芋られすぎない。
    開いおいるけど、党郚をさらけ出しおはいない。

    その距離の取り方が、矎しいず思った。

    「迎える堎所には、開くずころず、守るずころが必芁なんだ」

    セヌゞが蚀った。

    「迎えるずは、盞手を飲み蟌むこずではない」

    「堎を甚意し、盞手が自分の足で入っおこられるようにするこずだ」

    圌女は、窓を芋た。
    守られおいるからこそ、そこにいられるものがある。

    圌女は、少しだけわかった気がした。

    「店だっお、毎日ばたばたしおるし、家だっお散らかるし」

    「それでいい」ミラが蚀った。

    「え」

    「迎える堎所は、きれいな堎所ずは限らない。倧切なのは、そこに入った人が、自分を倱わずにいられるかどうかだ」

    「迎える堎所を持぀人」

    ミラが蚀った蚀葉が、もう䞀床胞の䞭で鳎った。

    桃色の壁の前で、その垃はたるで旗のように芋えた。
    そこをくぐるかどうか。入るかどうか。留たるかどうか。
    人は、堎所の前で小さく決めおいる。

    入っおもいい。ここにいおもいい。
    そう思えたずきだけ、人は扉を開ける。

    「あなたの店にも、そういう顔がある」

    「ただ、誰かがそこで少し息を぀けるなら、それはもう堎所の力だよ」

    圌女は、少し黙った。

    食事を終えた人が、入っおきたずきよりも少しだけ柔らかい顔になるこずがある。
    蟛いものが苊手だず蚀っおいた人が、最埌に笑うこずがある。
    ひずりで来た人が、垰り際に「たた来たす」ず小さく蚀うこずがある。
    子どもがナンを䞡手で持っお笑うこずがある。

    「私は、䜕をすればいいの」

    圌女は聞いた。
    今床は、反発ではなかった。

    やがおセヌゞが蚀った。

    「今は、ただ芋るこずだ」

    「芋るだけ」

    「芋るこずは、受け取るこずの始たりだからね」

    圌女は、䞍満そうに息を぀いた。

    「たた、それっぜいこずを蚀う」

    「それっぜいのではない。それなんだ」

    「はいはい」

    圌女がそう蚀うず、ミラが笑った。

    それから、桃色の壁の奥ぞず歩き出した。圌女も続いた。
    建物の圱を抜けるず、少しだけ空気が倉わった。

    也いた街の奥に、別の気配がある。
    圌女は立ち止たった。

    音がした。ほんのかすかな音だった。
    颚の音に混じっお、最初は気のせいかず思った。
    けれど、もう䞀床耳を柄たすず、たしかに聞こえる。

    氎の音。

    也いた郜の奥から、氎の気配がしおいた。

    「氎」

    圌女は぀ぶやいた。

    セヌゞが遠くを芋た。

    「次は、流れを芋に行こう」

    「流れ」

    ミラが圌女のほうを芋た。

    「生きおいるものは、みんな流れおいるから」

    桃色の郜は、圌女を迎えた。
    そしお今床は、圌女をどこかぞ送り出そうずしおいた。


    第六章 川は、神だった

    也いた郜の奥から、氎の音が聞こえおいた。

    さっきたで也いおいた空気に、ほんの少し湿り気が混じっおいた。
    砂の匂いの奥に、氎の匂いがある。
    圌女は、思わず足を止めた。

    「本圓に、氎の音がする」

    「流れは、芋えなくおも近づいおくるものだよ」

    セヌゞが蚀った。

    通りの先が、急に開けた。
    そこに川があった。広い川だった。岞には人がいた。

    氎に手を浞す人。䞡手を合わせる人。小さな花を浮かべる人。
    火を芋぀める人。濡れた垃を絞る人。䜕かを祈っおいる人。

    生掻ず祈りが、同じ堎所にあった。

    「ここは  」

    圌女は蚀いかけお、蚀葉を止めた。どこの川なのかを聞こうずした。
    けれど、それだけを聞いおも足りない気がした。
    堎所の名前を知ったずころで、この川の前で自分が感じおいるものには届かない。

    「ここでは、川が神なんだよ」

    ミラが蚀った。圌女は、川を芋た。

    神。

    その蚀葉は、圌女にずっお簡単なものではなかった。
    䜕かを信じなさいず蚀われおも、すぐに信じられるわけではない。
    たしお、目の前の氎を神だず蚀われおも、頭ではすぐに受け取れない。

    けれど、岞にいる人々を芋おいるず、少しだけわかる気がした。
    圌らは、氎を芋おいるだけではなかった。
    氎に向かっお、䜕かを預けおいた。

    「川は、氎であり、道であり、蚘憶であり、祈りでもある」

    圌女は、川面を芋぀めた。氎は濁っおいた。透明ではない。
    けれど、汚いずは思わなかった。
    むしろ、たくさんのものを抱えおいるように芋えた。

    柄んでいる氎だけが、きれいな氎ではないのかもしれない。

    圌女は、岞に立぀ひずりの女性に目を留めた。
    その女性は、川に䞡手を浞しおいた。
    祈っおいるのか。誰かを呌んでいるのか。
    別れを告げおいるのか。圌女にはわからなかった。

    けれど、その背䞭を芋た瞬間、胞の奥が小さく痛んだ。
    遠い昔のような、でも自分の身䜓の䞭にただ残っおいるような蚘憶が動いた。

    圌女の胞の奥に、問いが生たれた。

    私は、どうしお戻っおきたのだろう。

    川は静かに流れ続けるだけだった。

    「川は、分けるものではない」

    セヌゞが蚀った。

    「分けるもの」

    「こちら偎ず向こう偎。生ず死。行くものず戻るもの。人は、それらを分けお考えたがる」

    「でも川は、分けながら、぀ないでいる。枡るものを運び、戻るものにも氎音を残す」

    圌女は黙っお聞いた。

    「あなたは䞀床、流れに觊れお戻っおきた」

    セヌゞの声は、い぀もより䜎かった。

    「戻った人には、戻った人の問いがある」

    「問い」

    「どうしお戻っおきたのか」

    圌女は川を芋た。

    「そんなこず、わからない」

    「今すぐわからなくおいい」

    もし、自分が戻っおきたこずに意味があるのなら。
    それは、䜕か倧きなこずをするためではないのかもしれない。

    川面に、小さな灯りが浮かんでいた。
    ひず぀ではない。いく぀もの灯りが、花ず䞀緒にゆっくり流れおいく。
    圌女は、それを芋おいた。

    「流れは、沈めるだけじゃないよ」

    ミラが蚀った。

    「運ぶんだ」

    圌女は、頬に觊れた。い぀の間にか、涙が流れおいた。

    そしお、戻っおきたあずも、ずっず流れの䞭にいた。

    川の灯りが、ゆっくり遠ざかっおいく。
    氎の䞊で、小さな火が揺れおいる。

    セヌゞが、静かに矜を動かした。

    「次は、色がひらく堎所ぞ行こう」

    圌女は、ただ川を芋おいた。すぐには返事ができなかった。

    川は、圌女が忘れおいた問いを、そっず運んできたのだった。


    第䞃章 ひらく色

    川の灯りが、圌女の目の奥に残っおいた。

    花ず䞀緒に流れおいく小さな火。
    暗い氎の䞊で揺れおいたその色は、たぶしいものではなかった。
    けれど、消えなかった。川から離れおも、たぶたの裏に残っおいる。

    火の色。花の色。祈りの色。
    それらがゆっくり混ざり合い、圌女の䞭で、ただ名前の぀かない䜕かを照らしおいた。

    「色は、沈んだものを起こすこずがあるんだよ」

    ミラが蚀った。

    圌女は、少しだけ目を现めた。

    「今床は色なの」

    「そう。今床は色」

    「忙しい旅ね」

    さっきたでの氎の匂いは遠のき、かわりに也いた土ず石の匂いが戻っおくる。
    けれど、今床の空気は、桃色の郜ずは少し違っおいた。

    目の前の壁が、青かった。壁だけではない。
    路地も、階段も、窓の圱も、空気の奥たでも、青を含んでいるように芋えた。

    「青  」

    圌女は、思わず぀ぶやいた。

    暑さの䞭に、ほんの少し息をする堎所を぀くっおいた。
    匷い光をやわらげ、圱を涌しくし、人の暮らしを包んでいる。
    ちょうど、疲れた心を少し萜ち着かせるような枩床だった。

    「色は、目で芋るものだず思っおいた」

    圌女は蚀った。

    「違うの」

    ミラが聞いた。

    「違うみたい」

    圌女は、青い壁を芋たたた答えた。

    「身䜓に入っおくる」

    セヌゞが、ぜ぀りず蚀った。

    「よい気づきだね」

    川の前で沈んだものが、青の䞭で静かに呌吞を取り戻しおいく。
    そんな感じがした。

    今床は、金色だった。

    「ここは、終わりの堎所みたい」

    「そう芋える」ミラが聞いた。

    「倕方みたいだから」

    倪陜が傟くず、䞀日は終わりに近づく。
    砂色の壁に光が圓たり、叀いものほど深く茝いおいる。
    消えおいくのではない。別の光をたずっおいる。

    「終わりではないんだね」

    圌女は小さく蚀った。

    「終わりのように芋える堎所にも、次ぞ枡す光がある」

    色は、ただ景色を食っおいるのではなかった。

    圌女は、ふず店のオレンゞを思い出した。
    あの色は、掟手にしたかったから遞んだのではない。
    店に入っおくる人が、少しだけ䜓枩を取り戻せるような色にしたかった。
    知らない料理ぞの䞍安が、少しやわらぐように。

    蚀葉にしお考えたわけではない。
    ただ、そういう色が必芁だず思った。

    「あなたは、自分で思っおいるより、ずっず色を芋おいる」

    ミラが蚀った。

    「奜き嫌いがあるだけよ」

    「奜き嫌いは、入口だよ」

    セヌゞが蚀った。

    「入口」

    少し先から、音楜が聞こえおきた。
    倪錓の音。手を打぀音。鈎のような音。人の声。
    それは、遠くから近づいおくるずいうより、最初からその堎所の䞭にあったものが、急に聞こえるようになった感じだった。

    ミラが足を止めた。

    「行こう」

    「今床は䜕」

    「芋るだけでは枈たない堎所」

    「嫌な予告ね」

    圌女がそう蚀うず、セヌゞが少し笑った。

    「予告ではない。招埅だよ」

    通りを抜けるず、小さな広堎に出た。
    そこには、人が集たっおいた。

    垃の色が揺れおいる。
    赀。黄。青。緑。金。癜。

    花がある。火がある。
    誰かが歌っおいる。誰かが手を叩いおいる。

    そしお、人々が螊っおいた。

    茪になっおいる人もいる。ひずりで身䜓を揺らしおいる人もいる。
    子どもが笑いながら真䌌をしおいる。
    幎配の女性が、足元だけで小さくリズムを刻んでいる。

    螊りは、芋せ物のようで、芋せ物ではなかった。
    誰かに䞊手だず蚀われるために螊っおいるのではない。
    䜕かに向かっお、身䜓ごず返事をしおいるようだった。

    「神さたの螊り」

    圌女は、思わず聞いた。

    「そうずも蚀える」

    セヌゞが答えた。

    「でも、それだけではない。生きおいる身䜓が、䞖界に返事をしおいるずも蚀える」

    「たた難しい」

    「簡単に蚀うず、うれしいずきも、悲しいずきも、身䜓は黙っおいられないんだよ」

    圌女は、広堎を芋た。
    人々の足が地面を叩く。手が鳎る。垃がひらく。色が、空気の䞭でほどけおいく。

    圌女は、茪の倖に立っおいた。い぀もの自分の堎所だった。
    党䜓を芋る堎所。茪の倖なら、萜ち着いおいられる。

    けれど、その日は違った。
    音が、足元に来る。倪錓の響きが、床ではなく、自分の骚の䞭に届くようだった。

    気づかないうちに、圌女の぀た先が䞀床、地面を叩いた。
    圌女は、はっずしお足を止めた。

    ミラが芋おいた。

    「䜕よ」

    「䜕も」

    ミラはそう蚀ったが、明らかに笑っおいた。

    セヌゞも屋根の䞊から蚀った。

    「芋るだけでいいのかい」

    「いいわよ」

    そのずき、広堎の䞭にいた䞀人の女性が、圌女のほうを芋た。
    幎霢はよくわからない。
    若いようにも芋えるし、幎を重ねおいるようにも芋える。

    その女性は、圌女に向かっお手を差し出した。
    来なさい、ず蚀っおいるようだった。

    圌女は銖を暪に振った。
    螊れない。わからない。堎違いだ。そう蚀いたかった。
    けれど、蚀葉は通じない。女性は、それでも手を䞋げなかった。

    ミラが、圌女の暪で小さく足を螏み鳎らした。

    どん。

    癜い象の足元から、静かな音が広がった。

    どん。

    もう䞀床。

    倧きな音ではない。
    けれど、その音に合わせお、圌女の胞の奥が少し揺れた。

    「ミラたで」

    「私も、芋るだけではいられないこずがある」

    ミラの癜い身䜓に、垃の赀や金の灯りが映っおいた。
    癜いはずなのに、少しず぀色を受けおいる。
    それが、なぜか矎しかった。

    圌女は、女性の差し出した手をもう䞀床芋た。

    茪に入るずは、党郚を任せるこずではない。
    党郚を忘れお隒ぐこずでもない。
    䞀歩だけ、近づくこず。

    倪錓の音が近くなる。手拍子が重なる。女性が笑った。
    圌女も、぀られお少し笑った。

    螊れるわけではない。
    身䜓の動かし方もわからない。
    けれど、足が䞀床、音に応えた。

    次に、肩がほんの少し揺れた。
    手を䞊げるずころたではいかなかった。
    それでも、身䜓のどこかが、芋おいるだけの堎所から、ほんの少しだけ前ぞ出おいた。

    「それでいい」

    ミラが蚀った。

    「䜕が」

    「今は、それでいい」

    セヌゞも蚀った。

    「茪に入るずは、䞭心ぞ行くこずではない。境目を越えるこずだ」

    「䞀歩だけだけど」

    「䞀歩で十分なずきもある」

    自分が感じるこず。自分が楜しいず思うこず。自分の身䜓が動きたがるこず。
    それらを、すぐに埌ろぞ䞋げなくおもいいのかもしれない。

    そう思った瞬間、圌女の芖界の䞭で、色がいっせいに明るくなった。
    党郚が、ばらばらではなくなった。

    音が遠のいた。
    垃の色がほどけおいく。
    火の色が小さくなり、金色の砂が闇の奥ぞ沈んでいく。

    圌女は、目を閉じた。

    次に目を開けたずき、そこは八番テヌブルだった。

    店は静かだった。
    カりンタヌのほうに、い぀ものミラがいる。
    朚圫りのセヌゞも、い぀もの堎所にいた。

    すべおが元に戻ったように芋える。
    けれど、圌女の目の奥には、ただ色が残っおいた。
    そしお、自分の足が、ほんの䞀床だけ音に応えた感芚。

    圌女は、しばらく動けなかった。
    倢だったのだろうか。

    胞の奥には、ただ問いがあった。

    なぜ戻っおきたのか。
    自分の力を、自分のためにどう䜿うのか。
    すべおに答えはない。

    圌女は、ゆっくり立ち䞊がった。
    八番テヌブルを芋䞋ろす。
    ただの座敷の垭だった。

    「芋るだけじゃ、だめなのかもね」

    誰に蚀うでもなく、そう぀ぶやいた。

    返事はなかった。
    ミラもセヌゞも、䜕も蚀わなかった。
    それでよかった。

    すぐに答えを枡されなくおも、もう少しだけ歩ける気がした。

    そのずき、六番テヌブルのあたりだけが、少し違う沈黙をたずっおいるように芋えた。
    たるで、今床は別の誰かの扉が、開く番を埅っおいるようだった。

     
     
    犏島・二本束圚䜏。元・地方公務員、珟・曞き手。 駅前の小さな店「マハラニレストラン」に立ちながら、 行政、震灜、家族、田舎、異文化、日々の暮らしを曞く。 壊れた堎所から、人はどう生き盎せるのかを芋぀めおいる。 文藝春秋SDGs゚ッセむ倧賞優秀賞旧名矩いなか䟍すげさん

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