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マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛 第4回 終章 扉の向こうぞ

    マハラニ候補生ず曞蚘官枅兵衛
    ――八番テヌブルず六番テヌブルの物語――

    第4回
    終章 扉の向こうぞ

    八番テヌブルは空間を旅し、六番テヌブルは時間を蚘す。

    連茉目次

    第1回 第䞀郚 颚を通す人
    第2回 第二郚 䞖界は螊っおいる
    第3回 第䞉郚 曞蚘官が芋おいたもの
    第4回 終章 扉の向こうぞ


    第十䞀章 八番テヌブルの読曞䌚

    閉店埌の店は、昌間よりも少し広く感じる。

    さっきたで客の声があった堎所に、怅子を匕く音だけが残っおいる。
    テヌブルの䞊には、拭き取ったばかりの氎の跡が、薄く光っおいた。
    厚房の火は萜ち、タンドヌルの熱だけが、奥のほうにただ少し残っおいる。

    圌女は、最埌のテヌブルを拭き終えるず、小さく息を぀いた。

    今日は忙しかった。客も倚かった。盞談もあった。
    倫はたた、䜕かを曞こうずしおいた。
    倖囜人の客は、少し萜ち着いた顔で垰っおいった。

    すべおが終わったわけではない。
    けれど、今日ずいう䞀日は、なんずか閉じた。

    圌女は、八番テヌブルの座敷に腰を䞋ろした。
    ほんの少しだけ䌑む぀もりだった。

    圌女は、県鏡を抌し䞊げた。そのずきだった。

    レンズの端で、小さな光がたたたいた。
    癜い象の印。

    圌女は、思わず動きを止めた。

    「  たた」

    声に出したあずで、自分でも少し呆れた。

    驚いおいないわけではない。
    けれど、初めおではない。

    あの桃色の郜。川の流れ。青い街。祭りの色。螊りの茪。
    芋たはずのない景色が、身䜓のどこかにただ残っおいる。

    レンズの端に、今床はふくろうの圱が浮かんだ。
    その䞋に、短い文字が出る。

    Read.

    圌女は眉を寄せた。

    「読む」

    次の文字が浮かぶ。

    Listen.

    「聞く」

    さらに、その䞋に文字が続く。

    Speak.

    Remember.

    そしお最埌に、日本語の文字が浮かんだ。

    読曞䌚。

    圌女は、県鏡を倖しかけお、やめた。

    「読曞䌚にしおは、倧げさすぎない」

    そのずき、店の奥から、やわらかい声がした。

    「今日は、本が集たる堎所だよ」

    癜い象のミラだった。

    倧きさは、店の眮物のたたではない。
    けれど、旅のずきほど倧きくもない。
    八番テヌブルの暪に、ちょうど座敷をのぞき蟌めるくらいの倧きさで立っおいた。

    「本が集たる堎所」

    「そう」

    「普通の読曞䌚」

    今床は、朚のように萜ち着いた声がした。

    「普通の読曞䌚も、ちゃんず開けば普通ではない」

    セヌゞだった。

    朚圫りのふくろうの姿のたた、座敷の柱の圱に止たっおいる。

    圌女は、少しだけ目を现めた。

    「たた、わかるような、わからないようなこずを蚀う」

    「わからないたた入るから、扉になる」

    「だから、それがわからないの」

    ミラが小さく笑った。

    「行けばわかるよ」

    「行くっお、どこに」

    レンズの端で、癜い象の印がもう䞀床たたたいた。

    八番テヌブルの畳の目が、少しだけ波打ったように芋えた。
    圌女は思わず手を぀いた。

    畳の感觊はある。
    けれど、その奥に、玙のペヌゞをめくるような、也いた音が混じっおいた。

    ぱらり。

    どこかで本が開いた。
    店の照明が、少しず぀遠くなる。

    壁が消えるのではない。
    厚房も、レゞも、入口も、そこにある。
    けれど、それらの茪郭の奥に、別の景色が重なっおいく。

    桃色の壁。现かな窓。倩井の高い広間。磚かれた床。垃の色。本の匂い。
    銙蟛料ずは違う、叀い玙ず砂ず花のような匂い。

    「ちょっず埅っお」

    圌女は立ち䞊がろうずした。

    「私、ただ垰る準備もしおないし」

    「倧䞈倫」

    ミラが蚀った。

    「ここから行くから」

    「だから、それが倧䞈倫じゃないのよ」

    セヌゞが静かに蚀った。

    「あなたは、前にも行ったこずがある」

    圌女は、動きを止めた。

    前にも。
    それは、むンドの旅のこずを蚀っおいるのだろうか。

    そう思った瞬間、もっず叀い蚘憶が胞の奥で動いた。

    身䜓から離れお、知らないはずの堎所ぞ入り、誰かの身䜓を通っお、こちら偎ぞ戻っおきた。

    圌女は、ゆっくり息を吞った。

    「  そうか」

    ミラが、静かに圌女を芋おいた。
    セヌゞも、䜕も蚀わなかった。

    「これは、初めおじゃないのね」

    圌女が蚀うず、セヌゞが答えた。

    「初めおではない。けれど、同じでもない」

    「違いは」

    「今床は、戻るためではない」

    ミラが蚀った。

    「芋るためだよ」

    畳の目が、ペヌゞの線のようにほどけた。
    圌女は、八番テヌブルの奥ぞ、䞀歩螏み出した。

    その瞬間、店の床が消えた。
    いや、消えたのではない。

    店の床ず、どこか遠い宮殿の床が、ぎたりず重なった。

    圌女は、広い郚屋に立っおいた。
    そこは図曞通のようだった。

    でも、図曞通ずいうには、窓が倚すぎた。
    宮殿ホテルのロビヌのようでもあった。
    けれど、ホテルずいうには、そこにいる人たちが静かすぎた。

    壁は、かすかに桃色を垯びおいる。
    颚の宮殿のような现かな窓から、也いた光が入っおいる。
    床には、青、赀、金、癜、緑の垃が敷かれおいた。

    䞭倮には円卓がある。

    人々が座っおいた。
    幎老いた人。若い人。子ども。芋たこずのあるような服の人。
    芋たこずのないような衣装の人。囜も時代も違うように芋える。

    それぞれが、本を持っおいた。

    けれど、その本は普通の本ではなかった。
    誰かがペヌゞを開くず、文字だけではなく、匂いが立ち䞊がる。
    氎の音がする。泣き声がする。誰かの手が芋える。

    圌女は、思わず䞀歩䞋がった。

    「これ、本なの」

    「本でもある」

    セヌゞが答えた。

    「蚘憶でもある。人生でもある。ただ蚀葉になっおいないものでもある」

    「読曞䌚じゃないの」

    ミラが答えた。

    「読曞䌚だよ」

    「どこが」

    「本を読みに来る人は倚い。でも、ほんずうは、誰かの人生ぞ少し旅をしに来おいる」

    圌女は、円卓を芋た。

    䞀人の女性が本を開いおいた。
    ペヌゞには、文字があった。
    けれど、その文字の奥に、掗濯物を干す手が芋えた。
    小さな子どもの寝息が聞こえた。
    倜䞭に䞀人で泣いた気配があった。
    朝になれば䜕事もなかったように台所に立぀背䞭が芋えた。

    別の男が、本を開く。
    そこには、曞類の束があった。䜕床も抌された刀子。圹所の窓口。
    蚀いたいこずを飲み蟌んだ人の口元。垰り道の背䞭。

    たた別の子どもが、本を開く。
    そこには、ただ蚀葉にならない倢があった。

    圌女は、しばらく䜕も蚀えなかった。

    本を読むずは、文字を远うこずだず思っおいた。
    けれど、ここでは違った。

    人の䞭に入るこずだった。
    知らなかった人生の内偎を、少しだけ歩かせおもらうこずだった。

    「読むっお、こういうこずなの」

    圌女が小さく蚀うず、セヌゞがうなずいた。

    「読むずは、盞手の䞭ぞ入るこずだ」

    「怖いわね」

    「だから、瀌儀がいる」

    ミラが蚀った。

    「勝手に決め぀けない。党郚わかったふりをしない。読たせおもらっおいるず知るこず」

    圌女は、少しだけ笑った。

    「それ、あの人にも聞かせたいわね」

    「あの人」

    ミラが聞いた。

    「すぐ、長く曞く人」

    セヌゞの目が、少し现くなったように芋えた。

    「圌も、読もうずしおいる」

    「読めおるの」

    「ただ途䞭だ」

    「でしょうね」

    圌女がそう蚀うず、ミラが楜しそうに錻先を揺らした。

    そのずき、円卓の䞊に、䞀冊の本が眮かれた。
    誰が眮いたのかはわからない。

    衚玙には、䜕も曞かれおいない。
    癜い垃のような衚玙だった。

    圌女は、嫌な予感がした。

    「これ、私のじゃないよね」

    ミラは答えない。
    セヌゞも答えない。

    「ねえ」

    癜い本が、ひずりでに開いた。

    最初のペヌゞに、子どものころの景色が浮かんだ。
    圌女は、ひずりの女の子ずよくボヌル遊びをしおいた。
    けれど、その子の姿は、母には芋えおいなかった。
    芋えおいたのは、圌女だけだった。

    「懐かしい」

    次のペヌゞには、同玚生たちず裁刀ごっこをしおいる自分がいた。

    圌女は、本を閉じようずした。
    けれど、本は閉じなかった。

    ペヌゞの奥に、癜い光が芋えた。
    高校生のころの自分。

    「これも、読むの」

    「あなた自身の本だ」

    セヌゞが蚀った。

    「私は、もう知っおる」

    「知っおいるこずず、読めおいるこずは違う」

    その蚀葉に、圌女は少しだけ腹を立おかけた。
    けれど、蚀い返せなかった。

    たしかに、あの出来事を、圌女は自分の䞭で閉じおいた。
    生きお戻った。
    でも、本の䞭の自分は、ただ戻る途䞭にいた。

    母の声に匕っ匵られ、身䜓ぞ飛び蟌む瞬間のたた、どこかに残っおいた。

    圌女は、そっずペヌゞに觊れた。
    冷たくはなかった。
    玙なのに、少し枩かかった。

    「私は、どうしお戻っおきたの」

    誰に聞いたのかわからない。

    どうしお戻っおきたのか。
    䜕を芋たのか。
    これから䜕に䜿うのか。
    自分の䞭にある、境目を越える力を、䜕に向けるのか。

    セヌゞが蚀った。

    「あなたは䞀床、誰かの身䜓を通っお声を届けた」

    圌女は顔を䞊げた。

    「医者の先生のこず」

    「そうだ」

    「勝手に入ったっおこず」

    「そうずも蚀える」

    「それ、だいぶたずくない」

    ミラが少し笑った。

    「そのずきは、戻るためだった」

    セヌゞが続けた。

    「人の䞭ぞ入るずは、支配するこずではない。奪うこずでもない」

    「じゃあ、䜕なの」

    「壊さないように聞くこずだ」

    「読曞みたいに」

    「そうだ」

    圌女は、癜い本を芋た。

    難しいこずは、ただ党郚わからない。
    けれど、ひず぀だけわかった。

    人の䞭ぞ入るには、瀌儀がいる。

    それは、あの人にも必芁なこずだず思った。

    圌女は、思わず笑った。

    「あの人なら、ここで長く語るわね」

    「だから、あなたが先に芋おいる」

    セヌゞが蚀った。

    「なんで私が」

    「圌は時間を蚘そうずしおいる」

    ミラが蚀った。

    「あなたは、空間を越えお芋おいる」

    圌女は黙った。

    倫は、過去を远いかける。
    出来事を調べる。
    事実を䞊べる。
    蚀葉にする。

    圌女は、堎所に入る。
    空気を感じる。
    人の距離を枬る。

    違うこずをしおいるようで、もしかするず、同じものを別の方向から芋おいるのかもしれない。

    円卓の䞊の本が、もう䞀床ペヌゞをめくった。

    ぱらり。

    そこに、倫の姿が芋えた。
    フロントに立っおいる。少し汗をかいおいる。
    䌝祚を持っおいる。䜕かを説明しすぎおいる。
    でも、目の奥は真剣だった。

    その姿の向こうに、別の景色が重なった。

    桃色の街。宮殿ホテル。広いロビヌ。人を迎えるフロントマン。
    その人がいるだけで、空気が萜ち着く堎所。

    圌女は、息をのんだ。

    「これ  」

    ミラが静かに蚀った。

    「圌も芋おいる」

    「い぀」

    「あなたがただ、知らないころ」

    セヌゞが蚀った。

    「同じ堎所は、違う人に違う顔を芋せる」

    圌女は、倫の姿を芋぀めた。

    あの人にも、芋せたい。

    その思いは、突然ではなかった。
    胞の奥で、ずっず小さく埅っおいたものが、ようやく蚀葉になったようだった。

    ゞャむプヌルの桃色の壁。川の流れ。青い街の静けさ。そしおこの読曞䌚。
    人が本を読むのではなく、人生を読む堎所。
    蚀葉にならなかったものが、誰かに読たれるのを埅っおいる堎所。

    あの人なら、きっず曞こうずする。

    たた、話しすぎおいるず蚀われるだろう。
    でも、それでも曞くだろう。

    圌女は、癜い本を閉じた。
    今床は、本は玠盎に閉じた。

    レンズの端に、文字が浮かんだ。

    Next.

    圌女は、思わず蚀った。

    「次っお、䜕よ」

    ミラが楜しそうに錻先を䞊げた。

    「今床は、芋せる番だよ」

    「誰に」

    セヌゞが静かに蚀った。

    「あの男に」

    その瞬間、円卓の人々の本が䞀斉に閉じた。

    ぱたん。

    その音が、店の䞭の䜕かに重なった。

    圌女は、八番テヌブルに戻っおいた。
    店の灯りは、い぀もの明るさだった。

    テヌブルの䞊には、読みかけの本も、宮殿の円卓も、桃色の窓もない。
    厚房の奥には、消えかけた熱があるだけだ。

    けれど、県鏡の端には、癜い象の印がただ残っおいた。
    その暪に、小さな文字が浮かんでいる。

    Next.

    「次っお、ほんずに䜕よ」

    圌女がそう぀ぶやいたずき、店の入口のほうで物音がした。
    倫が、ただ片づけながら、䜕かの玙を持っおいる。

    マハラニ新聞だろうか。
    メモだろうか。
    それずも、たた䜕かを曞こうずしおいるのか。

    圌女は、フロントのほうを芋た。

    今床は、あの人にも芋せたい。

    そう思った瞬間、八番テヌブルの奥で、ペヌゞをめくるような音がした。

    今床は、ひずりで読む本ではなかった。


    第十二章 同じ八番テヌブルだったんだね

    圌女は、八番テヌブルに座っおいた。

    店の灯りは、い぀もの明るさに戻っおいる。
    テヌブルの䞊には、読みかけの本も、宮殿の円卓も、桃色の窓もない。
    厚房の奥には、消えかけた熱が残っおいるだけだった。

    けれど、県鏡の端には、ただ小さな癜い象の印が残っおいた。
    その暪に、うっすらず文字が浮かんでいる。

    Next.

    圌女は、県鏡を倖そうずしお、やめた。

    「次っお、ほんずに䜕よ」

    そう぀ぶやいたずき、フロントの方で玙のこすれる音がした。

    倫が、レゞの暪で䜕かを片づけおいた。
    マハラニ新聞なのか、䌝祚なのか、曞きかけのメモなのか。
    圌の手元には、い぀も䜕か玙がある。

    圌女は、その姿を芋た。
    さっき読曞䌚で芋た倫ず、今そこにいる倫が、少しだけ重なっお芋えた。

    フロントに立぀人。
    曞こうずする人。
    䜕かを残そうずしお、い぀も少し蚀葉が倚くなる人。

    倫が顔を䞊げた。

    「どうしたの」

    「䜕が」

    「いや、どこか行っおきたような顔しおる」

    圌女は、少し黙った。

    行っおきた。
    たしかに、行っおきたのかもしれない。

    けれど、どこぞ行ったのかず聞かれるず、うたく蚀えない。

    読曞䌚。

    でも、ただの読曞䌚ではない。
    宮殿のようで、図曞通のようで、ホテルのロビヌのようで。
    そこでは、人の人生が本になっおいた。
    そしお、自分の本もあった。

    そんなこずを、いきなり蚀っお䌝わるだろうか。

    圌女は、少しだけ息を吐いた。

    「行っおきたのかもね」

    倫は手を止めた。

    「たた」

    「たた、っお䜕よ」

    「いや、前にもそんな顔しおたから」

    圌女は、倫を芋た。

    「前っお、い぀」

    「八番テヌブルで、がうっずしおたずき」

    圌女は、思わず八番テヌブルの瞁に手を眮いた。

    「  芚えおるんだ」

    「芚えおるよ。あのあず、なんか目が違った」

    「目」

    「うん。店にいるのに、どこか遠くを芋おきたような目」

    圌女は、少し困ったように笑った。

    「本圓に、遠くを芋おきたのかも」

    倫は、すぐに吊定しなかった。

    「どこ」

    圌女は、テヌブルの䞊を芋た。

    そこには䜕もない。
    でも、ただペヌゞをめくる音が残っおいた。

    「読曞䌚」

    「読曞䌚」

    「たぶんね」

    「たぶん」

    「本が集たる堎所だった。でも、ただ本を読む堎所じゃなかった」

    倫は、片づけおいた玙を眮いた。

    「どういうこず」

    「人の人生が、本みたいになっおた」

    そう蚀っおから、圌女は自分でも倉な説明だず思った。
    けれど、倫は笑わなかった。

    「人生が、本」

    「そう。ペヌゞを開くず、文字だけじゃなくお、匂いずか、声ずか、手ずか、そういうのが芋えるの」

    「手」

    「掗濯物を干す手ずか、曞類に刀子を抌す手ずか、子どもの倢ずか」

    倫は、黙っお聞いおいた。

    圌女は続けた。

    「私の本もあった」

    倫の顔が、少し倉わった。

    「䜕が曞いおあったの」

    「叀いアパヌトのこず。店のこず。子どもたちのこず。あなたが圹所を蟞めた日のこず。むンドカレヌ店を始めるっお蚀い出した日のこず」

    倫は、少しだけ目を䌏せた。

    「それは  あたり読みたくないかもしれないな」

    「私だっお読みたくなかったわよ」

    そう蚀っおから、圌女は少し笑った。

    「でも、読たされた」

    「誰に」

    「ミラずセヌゞ」

    倫は、八番テヌブルの奥を芋た。

    「たた出たんだ」

    「うん。今床は読曞䌚に連れおいかれた」

    「すごいな」

    「すごいっおいうか、迷惑っおいうか」

    「でも、芋たんでしょ」

    圌女は、うなずいた。

    「芋た」

    そしお、少し声を萜ずした。

    「昔、死にかけたずきのこずも芋た」

    倫の衚情が、静かになった。

    圌女は、その話をあたりしない。
    ずはいえ、深く聞いおよい話なのか、倫にもわからなかった。

    圌女は、県鏡の端に残る癜い象の印を芋ながら蚀った。

    「あのずき、私は自由にどこにでも行けた。気が぀いたら病院で、光の挏れおいる郚屋があったから、なんだろう  っお、そしたら病院の先生がいお。そしたら、すぅヌっず自然に先生の身䜓に入ったの」

    「そしたら、目の前に電話機があったの。でも、そのずき私が知っおいた電話番号なんお、自分の家の番号くらいしかなかった」

    倫は、黙っおいた。

    「それで先生が、お母さんに『今すぐ起こしおください』っお蚀ったの。その瞬間、ひゅるるるるヌっお、身䜓ぞ匕き戻される感じがした」

    「戻った」

    「うん。飛び蟌むみたいに」

    店の䞭が、少し静かになった。

    圌女は続けた。

    「そしたら、急に身䜓が痛くなっお  なんか、戻んなくお良かったず思った」

    倫は、ゆっくり蚀った。

    「それも曞いおあったの」

    「読たない。自分のこずは、読たなくたっおわかるもの」

    「読む」

    「そう」

    倫は、深く息を吞った。

    「それ、すごいな」

    「あなたが蚀いそうなこずでしょ」

    「たぶん蚀うね」

    倫は、八番テヌブルを芋たたた聞いた。

    「それ、ここから行ったの」

    「うん」

    「八番テヌブルで」

    「うん。ここに座っおたら、県鏡に文字が出お、癜い象の印が出お、それで  」

    倫は、そこで手を止めた。

    「八番で」

    圌女は、倫の反応に気づいた。

    「䜕」

    倫は、少しゆっくり八番テヌブルに近づいた。

    「俺も、前に八番で芋たこずがある」

    「䜕を」

    「ゞャむプヌル」

    その蚀葉を聞いた瞬間、圌女の県鏡の端で癜い象の印が、ほんの少し匷く光った。

    「ゞャむプヌル」

    「うん。桃色の町。ピンクシティずも呌ばれおる」

    「それ、私が芋たずころかもしれない」

    「桃色の壁」

    「うん」

    「窓が倚い建物」

    「芋た」

    「也いた颚」

    「それも」

    二人は、しばらく黙った。
    同じものを、別々に芋おいた。

    しかも、同じ八番テヌブルで。

    圌女が小さく蚀った。

    「同じ八番テヌブルだったんだね」

    その蚀葉が萜ちた瞬間、店の奥の空気が少し倉わった。
    八番テヌブルの畳の目が、ほんの少しだけ桃色を垯びたように芋えた。

    倫は、テヌブルに手を眮いた。

    「俺が芋たのは、宮殿ホテルだった」

    「ホテル」

    「この店、マハラニレストランでしょ。あなたが名付けた」

    「うん」

    「だから、マハラニのこずを調べおいたんだ。そしたら、マハラゞャやマハラニの䞖界を今に残しおいる宮殿ホテルがあるず知っお」

    「それで」

    「倢か䜕かで、そのロビヌみたいな堎所を芋た」

    圌女は静かに聞いおいた。

    「そこにフロントマンがいた。背筋が䌞びおいお、声が萜ち着いおいお、その人がいるだけで、空気が倉わるの」

    倫は、少し照れたように笑った。

    「それで思ったんだ。ああいうふうに、なりたいっお」

    「あなたが」

    「䌌合わない」

    「䌌合うかどうかは別ずしお、蚀いそうではある」

    「ひどいな」

    「でも、わかる」

    圌女は、八番テヌブルを芋た。

    「私はね、迎える堎所っお䜕かを芋た気がする」

    「迎える堎所」

    「入口で迷っおる人が、入っおもいいず思える堎所」

    倫は、うなずいた。

    「それ、店にも必芁だね」

    「必芁っおいうか、毎日やっおるでしょ」

    「俺が」

    「あなたは、やろうずしおる。でも、時々やりすぎる」

    「やっぱり」

    「話しすぎる」

    「はい」

    「説明しすぎる」

    「はい」

    「でも、迎えたいんでしょ」

    「うん」

    倫は、八番テヌブルの前に立ったたた、静かに蚀った。

    「僕はね、ここから物語を䜜りたいず思ったんだ」

    「物語」

    「うん。ここは食事の堎だけど、なにかここには物語があるようにしたいず思った」

    圌女は、黙っお聞いおいた。

    「私は、女性が入りやすい店にしたいずは思っおた。だから店の色をオレンゞにしたの。女性が䞀人でもゆっくりできるお店」

    圌女は、黙っお聞いおいた。

    「小さな宮殿みたいな堎所にしたかった」

    「立掟な宮殿じゃなくお、誰かが䞀息぀ける堎所」

    圌女は、八番テヌブルを芋た。

    「もしかしお、名前のほうが先に知っおたのかもね」

    倫は、聞き返した。

    「䜕を」

    「この店が、䜕になるのか」

    マハラニ。

    その名前は、この店の未来を知っおいたのかもしれなかった。

    倫は、八番テヌブルに目を萜ずした。

    「名前っお、あずから远い぀いおくるこずがあるんだな」

    圌女は蚀った。

    「あなたの堎合、だいたいあずからでしょ」

    「それは  吊定できない」

    圌女は、ふっず笑った。

    そのずき、八番テヌブルの奥で、小さくペヌゞをめくるような音がした。

    ぱらり。

    圌女は県鏡を抌し䞊げた。
    倫も、その音に気づいたようだった。

    「今、䜕か鳎った」

    「聞こえた」

    「うん」

    圌女は、少しだけ嬉しそうな顔をした。

    「じゃあ、少し芋えおきたのかもね」

    「䜕が」

    「私が芋おるもの」

    倫は、八番テヌブルの前に座った。

    「芋たい」

    その蚀葉は、ほずんど反射のように出た。

    圌女は、倫を芋た。

    「本圓に」

    「芋たい」

    「怖いかもしれないよ」

    「怖いものは、もういろいろ芋おきた」

    「それはそうね」

    圌女は座り盎した。

    二人は、八番テヌブルをはさんで向かい合った。
    閉店埌の店に、二人だけの時間が萜ちおきた。

    けれど、完党な二人だけではなかった。
    右偎の窓越しに、癜い象のミラが芋える。
    カりンタヌの䞋には、朚圫りのセヌゞがいる。
    そしお少し離れた六番テヌブルの䞊には、誰が眮いたのかわからないメモが残っおいた。

    倫は、そのメモに目をやった。

    「これ、誰のだろう」

    圌女も芋た。

    六番テヌブルのメモが、颚もないのに少しだけ揺れた。

    倫が立ち䞊がり、近づいた。

    そこには、短い蚀葉が曞かれおいた。

    倫は、声に出しお読んだ。
    圌女は、八番テヌブルからその蚀葉を聞いた。

    「空間を旅する者  」

    倫が続けた。

    「時間を蚘す者」

    二人は、同時に黙った。

    倫は、少し䜎い声で蚀った。

    「俺は、過去を蚘録しようずしおいたのかもしれない」

    「でも、過去だけじゃないんでしょ」

    「どういうこず」

    「芋たものを、これからどうするか。それを考えるために、蚘録するんじゃないの」

    「事実は、責めるためだけに芋るものじゃない」

    「うん」

    「ちゃんず芋たら、未来を倉える材料になる」

    圌女はうなずいた。

    「あなた、そういうこずを曞きたいんでしょ」

    倫は、少し驚いたように圌女を芋た。

    「なんでわかるの」

    「読曞䌚に行っおきたから」

    「䟿利だな」

    「䟿利じゃない。疲れる」

    二人は、たた少し笑った。

    倫は、六番テヌブルのメモを芋぀めた。

    「空間を旅する者」

    「時間を蚘す者」

    二人は、自然にその蚀葉を分け合った。

    その瞬間、八番テヌブルの奥で、癜い象の印がたたたいた。
    六番テヌブルの䞊では、メモの端が少しだけ持ち䞊がった。

    たるで、二぀のテヌブルのあいだに、芋えない颚が通ったようだった。

    圌女の県鏡の端に、文字が浮かんだ。

    Open.

    倫の持っおいたペンの先が、玙に觊れた。
    圌が曞いたわけではない。
    けれど、癜い玙の䞊に、薄い文字が浮かび䞊がった。

    二人がそろった。

    倫は、その文字を芋お、声を倱った。
    圌女は、静かに息をのんだ。

    「これ、あなたが曞いたの」

    「いや」

    「じゃあ、誰」

    倫は、六番テヌブルのほうを芋た。
    そこには誰もいない。

    けれど、怅子だけが、少し匕かれおいた。
    たるで、さっきたで誰かが座っおいたように。

    朚圫りのセヌゞの圱が、ほんの少し六番テヌブルの方ぞ䌞びおいた。

    倫は、小さく蚀った。

    「いるんだな」

    「誰が」

    「蚘録する人」

    圌女は、八番テヌブルの奥を芋た。

    ミラの癜い背䞭が、ふっず光ったように芋えた。

    倫は、八番テヌブルぞ戻っおきた。
    そしお、圌女の向かいに座った。

    「じゃあ、今床は䞀緒に芋る」

    圌女が蚀った。

    倫は、ペンを握ったたた答えた。

    「芋るだけじゃなくお、曞くよ」

    「長くならないようにね」

    「努力する」

    「努力じゃなくお、短く」

    倫は笑った。

    「そこは、ただ蚓緎䞭」

    「でしょうね」

    二人が笑った。

    その笑い声の向こうで、誰かが静かにペヌゞをめくった。

    ぱらり。

    店の倖では、二本束駅前の倜が、い぀ものように静かに深たっおいく。

    けれど、八番テヌブルず六番テヌブルのあいだには、もうひず぀の道がひらき始めおいた。

    ただ、誰もその先を知らない。
    でも、二人はもう知っおいた。

    ここで終わりではない。

    二人はようやく、同じ入口に立ったのだった。


    終章 扉の向こうぞ

    店の灯りが、少し萜ち着いおいた。
    い぀もの倜だった。

    厚房の音も止たり、通りの車の音だけが、遠くで现く続いおいる。

    圌女は、八番テヌブルに手を眮いた。
    さっきたでず同じ垭だった。
    けれど、同じではなかった。

    䜕が倉わったのかは、自分でもうたく蚀えなかった。
    ただ、ここに立぀理由が、少しだけ倉わった気がした。

    「垰ろうか」

    圌女が蚀った。

    倫は、すぐには返事をしなかった。

    「どうしたの」

    「いや  」

    少しだけ銖をかしげる。

    「誰か、いたような気がしお」

    そのずきだった。

    六番テヌブルに、い぀もの男が座っおいた。

    男は蚀った。

    「八番に、ひず぀」

    六番テヌブルに指を眮いた。

    「六番に、ひず぀」

    「䜕がですか」

    「入口だ」

    「あなたは」

    「枅兵衛」

    少し間があった。

    「名を枡すには、ただ早い」

    次の瞬間、六番テヌブルには誰もいなかった。

    圌女は、八番テヌブルを芋た。
    倫は、六番テヌブルを芋た。

    癜い象のミラは、窓の倖で静かに店の方を向いおいた。
    朚圫りのセヌゞは、䜕も蚀わなかった。

    それでよかった。

    すぐに答えを枡されなくおも、物語は進む。

    八番テヌブルの奥で、ペヌゞをめくるような音がした。

    ぱらり。

     
     
    犏島・二本束圚䜏。元・地方公務員、珟・曞き手。 駅前の小さな店「マハラニレストラン」に立ちながら、 行政、震灜、家族、田舎、異文化、日々の暮らしを曞く。 壊れた堎所から、人はどう生き盎せるのかを芋぀めおいる。 文藝春秋SDGs゚ッセむ倧賞優秀賞旧名矩いなか䟍すげさん

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