
知識の鈍器ことソムリエ教本
ワインエキスパートに挑戦した時の話をしよう。
私が、ワインと恋に落ちた話は、お時間がある時にでも流し読みしていただけると嬉しい。↓
これは、あの頃の純粋な私が、社会の荒波に飲まれ、良い感じにすさんできた時の話だ。
自分でいうと角が立ちそうだが、私は温厚で内省的な性格をしていると思う。
ワイン以外の趣味は、音楽と芸術鑑賞を多少嗜む程度で、他にこれといって特別なものはない。
そんな知的な私だが、ある時、ふとワインのことを突き詰めたいという気持ちになった。
ちなみに私が、超絶ださいスワリングイキリストだった時を見たい方はこちらにリンクを張ってある。(今も本質は変わっていない)
それまでワイン好きとして、10年近くかけて数多くのワインを飲んできたが、何かその印というか、自分がワインと向き合っている証のようなものが欲しくなったのだ。
そこで目に留まったのが、ワインエキスパートという資格だった。
ソムリエと比べると、だいぶ見劣りする名称だが、実はけっこう難しい。
というのも、ソムリエの要件には実務経験が必要で、私のような愛好家ふぜいでは、ソムリエとは名乗らせてくれないらしい。
ただ、知識を問われる一次試験では、ソムリエと同じ教本を使い、同等レベルの知識を求められるうえ、二次試験でちゃんとテイスティングもする。
違うのは、三次試験のサービスに関する実技の有無で、一愛好家が取れる資格としては十分に価値のある資格だ。
そうと決まったら、話は早い。
私は一般社団法人 日本ソムリエ協会(JSA)のホームページをクリックし、試験の情報を集めることにした。
すると、早くも一つ目の壁が立ちはだかっていた。
受験料が高い。
高級ワインが飲めるくらい高い。
おまけに、試験に受かった場合、別途、登録料がかかるという。
登録料だけでもフレンチレストランで妻とランチできるくらい高い。
とにかく高い。
正直、ただでさえワインに金をかけている自覚があるのに、うちの財務大臣に予算を請求するのはさすがに気が引ける。
それでも、金色の葡萄のバッジが欲しい。
そんな、知性のかけらもないことを頭の中で巡らせた結果、ワインのためにこつこつ運用してきた隠し財産を使って受験することに相成ったのである。
受験登録をする時、クレジットカードの番号を入力することになるのだが、一瞬だけ躊躇してしまう。
「ただの道楽のために受験する意味はあるのか?」
だが、私は迷わない。
なんせ、金色の葡萄のバッジが欲しいのだ。

押してしまった。
この瞬間から、私のプライドと高くついた酒代を賭けた戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。
私は、まだ、この時、
自分のワインの知識を過信していたんだと思う。
ワインショップで、シニアソムリエを相手にしてもほとんどわからない言葉はなかった。
ただ、私が勝手に師と仰ぐその紳士は言っていた。
「自分の時の試験なんか簡単なものですよ、直前対策の問題がほぼ出るような感じでしたから」
そして、こうも言っていた。
「最近の受験者はかわいそうです。範囲も広いし、すごく細かく出題されるようですからね」
数日経って、我が家に届いたのは、週刊ジャンプほど分厚く、工具箱のように重いソムリエ教本だった。
数ページ開くと、目次のあとに各章が続く。
最初の章はワイン概論だったと思うが、ワイン概論が一番しんどい。
華やかな産地の物語に入る前に、まずワインという液体そのものを分解して見せられる章だからだ。
私は、パラパラとページをめくった後、ソファーに教本を投げた。
比喩ではなく、本当に投げた。
私はワインが大好きだ。
ただ、後にも先にも、ワインのことでこんなにも残念な気持ちになったことはない。
本当に細かい文字でびっしりと、情報が詰まっている。
まるで活字の宝石箱のようだった。
活字が好きな人にはたまらないお宝だろう。
ただ、私はジャンプ派なので、活字を愛でる趣味はない。
しばらく考えた後、投げつけた教本をそっと拾い、本棚の隅に隠した。
ソムリエ教本はインテリアとして本棚に彩りを加えることになったが、実用書の隣に置くとなおさら目立つ。
まるで早く勉強しなさいよと言わんばかりに圧力をかけてくる。
しかも、こんな時に限って、普段は私の本棚を見ることのない財務大臣がソムリエ教本の存在に気づいてしまった。
細かく監査が入る前に、観念し、ワインエキスパートのことを白状したところ、すごく好意的に受け止めてくれたようだ。
「頑張ってね!」
私の絶望感をよそに、楽しそうに教本をぺらぺらとめくっていく妻。
少しでも受験料をカンパしてくれればいいのだが、どうやらその気は全くなさそうだ。
ただ、目の前に立ちはだかる大きな壁を前に、立ち尽くすしかなかった私だが、その楽しむ姿勢に少しだけ勇気をもらえた気がした。
私は独学での挑戦だったため、妻も一緒に勉強してくれるのは本当に心強い。
それから、夫婦二人三脚のワインエキスパート挑戦が始まった。
私は教本と参考書を開き、ワインの知識を会得していく。
そして彼女はテイスティングの練習の時だけ手伝い、フルーティーというコメントを残す。
その隣で私はワインの色調を確かめ、液体の濃度を確かめ、香りを書いて特徴を書きだす。
次に彼女は、ワインを一口含み、美味しいという。
最初は教本を開くのが本当に億劫だった。
ただ、参考書や、ネットにある先人たちの声に後押しされ、次第に知識が蓄積されていくと、ワインについて新たなものさしを得たような気がした。
ワインは暗記として頭に詰め込もうとすると、脳が反発して拒絶反応を起こす。
なんせ、覚える知識が膨大で、覚えても覚えてもきりがない。
ソムリエ教本は、ワインのことを書いているようで、内容は人類がワインと出会ってからの歴史が現在までどのように繋がっているかを網羅的に記したロードマップのようなものだ。
その中には難しい制度や品種の名前、産地の名前などが記されているが、一つ一つに意味があり、歴史と繋がっている感覚が分かると、苦痛なら苦痛なりに納得して頭に入れることができる。
結局私は完全独学、半年の勉強でワインエキスパートの資格を取得した。
使ったものは参考書2冊と勉強法をまとめたブログだけだった。
それをすごいと褒めてほしいわけではない。
ただ、ワインへの熱さえ、失わなければどのような形でも、勉強は続けることができるし、知識は伴っていくということを伝えたい。
私は、手に届いた認定書と金色の葡萄のバッジをしばらく眺めた。
遂に金色の葡萄のバッジを手に入れたのだ。
どこにつけていくわけではないが、自分の努力が形として残るのは嬉しい。
妻もそれを喜んでくれた。
何に使うのかはわからないが、認定書の金色のバッジを並べて写真を撮っている。
私は、その輝きがフレンチレストランのランチ代の犠牲のうえに成り立っているという事実を伝えられなかった。
今回、勉強してみて痛いほどよくわかったことがある。
それは、認定資格はワイン道の通過地点だということだ。
ソムリエやワインエキスパートの試験は、ワインの知識を体系的に得るためには十分に意味のある資格なのは間違いない。しかし、これをゴールとしてはいけないなと感じた。
むしろ、感覚としては、やっと入り口に立てたのかなという感じがした。
もし、資格試験に挑戦する人がいるならば、時間がかかっても楽しんでほしいと思う。もちろん、年をまたげばさらに金がかかる。
ただ、ワインを体系的に学ぶ機会は、よっぽどモチベーションがある時以外は案外難しい。
そして、忙しい日常の中では、結構腹をくくらないとその機会は訪れない。
私の知識の過信から始まった資格取得プロジェクトは見事に実をつけた。
だが、ここからが本番だ。その果実をどのように加工し、醸していくかは、これからの私にかかっている。
ワインを面白がる。
そのことを忘れなければ、いつかあなただけの最高のワインが出来上がるかもしれない。