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ワイン沼からこんにちは。

    ワインはすごく誤解されている飲み物だと思う。
    とはいえ、この“呪い”を解くことはそう簡単ではない。
    かくいう私も、お酒を飲める年齢になってからしばらくワインを誤解していた口だ。そう、どこか鼻につく飲み物として、ワインを飲む偉そうな人を小馬鹿にしていたのだ。

    私の記憶にある最初のワインは、おそらく紙パックに入っていたような気がする。そもそも飲みすぎてその日の記憶が曖昧なので、私の初体験は残念ながら今となっては思い出せない。

    ただ、おそらく、ひどいやつだったんだと思う。
    というより、飲み方がひどかっただけなのかもしれないが、初めて飲んだワインは全く印象になく、少なくとも、ワインを飲んだという正式カウントにすらしていない。

    ぼんやりと、ワインのことを意識し始めたのは、大学4年生くらいだっただろうか。
    きっかけは、彼女がワインを飲む人だったこと。ただそれだけだ。
    私は、きっとイキりたかったんだと、思う。文字にするのも恥ずかしいが、ワイングラスをくるくる回す、スワリングの練習もしたことがある。

    要するに、私がワインのことを知りたくなった動機は、散々鼻で笑いながらも、どこかで小難しいことを言いながら“ワインのことを語れるカッコいいオレ”に対する歪んだ憧れと幻想が入り混じった、不純極まりないものだったのである。

    そんな元スワリングイキリストの私が、今では
    「ワインを暮らしの中にそっと」
    などと言っているのだから滑稽だ。

    ただ、それは紛れもない本心で、いつからか上手にスワリングする方法よりも、ワインがどんなものなのかというところに関心が移っていった。

    ワインが好きな人はうんちくを語りたがる傾向があるというのは、残念ながら、それはそのとおりだ。気をつけてはいるが、漏れ出している自信がある。
    それをかつての私のように、ポジティブに捉えてくれる人もいるだろうが、基本的には鼻につくと思われても仕方がない。

    切ないもので、ワイン沼にずっぽりとはまってしまえば、雑学や知識をいくら聞いても聞きたりないと思う反面、それがワインに出会う人々を遠ざけ、どこかワインを遠くにいる存在にしてしまっている感が否めないなと思ってしまう。

    ただ、私は声を大にして言いたい。
    「ワインって普通に飲み物として美味しくないですか?」

    人類がワインと思われるものに出会ったとされるのは、約8000年前と言われている。が、私にとってはどうでもいい。
    いや、さすがにどうでもよくはないんだが、そういった知識を重視しなくてもワインは十分に飲み物としてよくできている。

    「いやいや、ビールのほうが美味しいでしょ」
    「日本人の心を忘れては困る、やっぱりここは日本酒だ」

    人によって、好みが分かれるのは当然だ。異論反論はもちろん受け付ける。
    だが、居酒屋やレストランでメニューを見る時、ほんの少しだけワインのことも思い出してほしい。
    そして、できれば敬遠せずに飲んでみてほしい。
    ある程度、ドリンクのリストにこだわりがある飲食店であれば、ワインもその料理と合うものがチョイスされている可能性が高い。

    ワインを飲んだうえで、それでもなお苦手な人もいるだろう。
    私はその人たちにはこう言いたい。
    お願いします。もう一度飲んでみてください。
    できれば、値段の違いがあるものを三種類ぐらい。

    実践的なことで言うと、コンビニのワイン。スーパーなどの量販店のワイン。ワインショップやインポーターが輸入する背景がわかるワインの三種類がいいかもしれない。

    値段が違うと言っても、高いものを飲んでほしいというわけではない。
    品種が同じでも味が全然違ったり、値段のわりに美味しかったり、全然美味しくなかったりする。
    値段だけではない。合わせる料理によっても、その味わいは一様ではない変化をする。これに関しては、正解などなく、いくら傾向をつかみ取っても、答えは合わせた本人にしかわからない。

    そしてワインは、何にでも合わせられる万能な酒ではない。
    むしろ、生魚と渋みの強い赤ワインや、辛口白ワインにチョコレートなど、とんでもない逆マリアージュも存在する。
    だが、それは他の酒ではなかなか味わうことのない、味覚同士のバトルロワイヤルで、一周まわってそれを体験したうえで、面白がってほしいとすら思う。

    きっと私がこのぬかるみから抜け出せないのは、その摩訶不思議で奇想天外な性質が心底楽しいと思えるからだ。

    もちろん、毎回違うというのは大きなデメリットであることも承知している。

    合理的に考えれば、いつでも美味しいビールを、飲みたいときに飲んだ方がいいと思うかもしれない。ワインは、期待値で見れば“損”をする可能性が高い飲み物だ。

    ただ、その“損”はかなり二面性がある。
    私のようなワインに憑りつかれた人間が言うと途端に信頼度が下がるのだが、その“損”は“経験”と言い換えることができる。

    そして、その“経験”を積めば積むほど、ワインの期待値は格段に上昇する。そのうえ“経験”自体が楽しくなってくると自然と教養が身についてくる。
    教養というといやらしいので“問う力”と言い換えておこう。

    ワインを知ろうとするとき、根本にあるのは、自分の中にある“なぜ?”を解消することにある。

    一本のワインボトルの中には、大げさではなく、長い歴史や、文化、葡萄が育った地理や気候、そして人の営みが詰まっている。

    それがめんどくさいと言われれば、ぐうの音もでない。

    だが、嗜好品の類は基本的にめんどくさい。酒をはじめ、珈琲、紅茶、菓子、挙げはじめたらきりがない。
    さらに、消費するものに限らなければ、車、時計、カメラ、革小物なども、突き詰めていくと、嗜好品と言えるし、強引に言えば推し活でさえも、ある種の嗜好行動と言える。

    嗜好品は必需品ではない。だが、余白の少ない現代では、そうした「なくてもいいもの」こそが、人の摩耗をゆるめてくれるのではないかと思う。

    残念ながら私は、もう手遅れだ。
    恐らく、この沼から抜け出すことはできないし、抜け出すつもりも毛頭ない。
    だが、もし、良い沼と、悪い沼があるのだとしたら、きっとワインは良い沼だと思う。

    もちろん、金もかかるし、何か形になって残るものでもない。写真に残しても、他人には伝わらないし、思い出を語ると、場合によっては鼻につくうんちくに変わる。
    だが、思い入れのあるワインは、いつまでたっても心を離さないし、衝撃的なワインに出会えば、生涯忘れることはなく、さらに深い感動を得ようとすることであろう。

    私は、沼の道先案内人だ。
    いや、実際は案内人というほど立派なものではない。せいぜい、足を取られながら「こっちも意外と悪くないですよ」と振り返っているただのおじさんである。

    だが、勧めるからには、自分も進んでぬかるみに足を突っ込んでいく。
    といっても、もはや腰のあたりまで沈んで身動きが取れないのだが。
    それでも案外、この沼は悪くない。

    とりあえずは片足、いや、つま先だけでもつけてみてはいかがだろうか。

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    J.S.A.ワインエキスパート ワインエッセイストを自称していたら、気づけば童話も作っていた。 大人の飲み物を嗜みながら、子どもの読み物を書いている人🍷 ワイン、食、暮らし、哲学のエッセイとコラム。 ときどき童話と小説。 なんでも面白がって文章にしています。 瀬戸内で何か企み中。

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