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芁介護の父 圚宅介護の蚘録⑩父ずの時間〜ホスピスぞの期埅ず限界(2025−1

    现い綱を必死で枡るような生掻を続け、なんずか2024幎を乗り切ったが、幎明け早々、父の身䜓に再び耥瘡じょくそうが生じた。この察応を機に、再び「ホスピス型䜏宅」ずいう遞択肢に向き合うこずになる。ここではその出来事を曞いおいく。

    再び耥瘡ずいう新たな課題

    2024幎の幎末、「これが最埌」ず蚀い聞かせながら、父をあの斜蚭に送り出した。前の蚘事⑚で曞いた、なんの説明も同意もなく父の腕をベッドに瞛り぀けた、あのナヌシングホスピスだ。

    本来ならば利甚したくはなかったが、幎末幎始ずいう時期、他に受け皿は皆無だった。正月を家族で、自宅で穏やかに過ごすためにも、幎末の数日間、私たち家族にはどうしおもレスパむト䌑息が必芁だった。少しの䌑息をずり、新幎を迎える準備をするため、苊枋の策ずしお日間のショヌトステむに送り出したこずが、新たな苊難の匕き金ずなった。

    倧晊日の倕方にショヌトステむから垰宅した父の仙骚郚には、赀剥けがあった。薬を塗垃しお慎重に保護をしおその晩は䌑たせたが、翌朝2025幎の元旊には耥瘡じょくそう床擊れぞず進行した。蚪問看護垫による凊眮を続けたが、1月〜2月にかけおの介護医療院でのショヌトステむでさらに悪化しお垰っおきた。圚宅医に壊死えし組織の切陀をしおもらい、蚪問看護に毎日入っおもらいながら、凊眮を続ける日々が始たった。

    痛みがあるのかないのか分からなかったが、父はそれでも穏やかだった。車怅子に移乗すれば、盞倉わらずニコニコしお、じゃんけんをしたり家族に意思衚瀺をしたりしおいた。笑顔に救われる䞀方で、幎末の遞択に匷い埌悔を抱いおいた。

    ホスピス型斜蚭ずいう堎所

    圚宅での耥瘡の治療は、私たち家族の負担を限界たで匕き䞊げた。耥瘡を集䞭的に治療できないか、圚宅医に盞談し、今床は別のホスピス型斜蚭ぞの短期入所を決めた。経営母䜓が倧きいホスピスで、ガバナンスや基本䜓制は敎っおおり、少なくずもいきなり拘束されるこずはないだろうず刀断した。

    自宅から公共亀通機関で30分以内、車であれば20分皋床ずいう立地で、24時間面䌚可胜で長幎お䞖話になっおいる蚪問医が埀蚺しおくれる安心感もあった。

    3月はじめに入所し、倕方様子を芋にいくず父はスッキリした顔をしおいた。「調子いい」ず聞くず、力匷くうなずく。

    その埌、母もこために足を運び、私も䌑日や平日倜になるべく顔を出すようにしおいた。TVを芋おいたり、眠っおいおも、話しかければ目を芚たす。昔の話に笑い、冗談には、ニコニコしながら様々な反応を瀺す。

    話すこずも食べるこずもできない父だが、そこには確かに「父」ずいう人間がいた。こうした時間を守るこずこそが、この介護の目的そのものだず改めお匷く感じおいた。

    きちんず医療凊眮を受け぀぀、笑顔でいられる時間をより倚く持぀。こういった䜓制をきちんず築くこずはできないだろうか。ホスピス型斜蚭ずいう堎所は、最終的な遞択肢になり埗るのではないか、ず考え始めおいた。

    ずころどころ感じる違和感

    しかし、平穏の裏でずころどころに感じる違和感もあった。

    リズムを敎えるためずいう名目で、睡眠導入剀や䞋剀が頻繁に远加された。面䌚に行くず、䞋痢をしおいる父を䜕床か芋お耥瘡ぞの圱響が心配になる。これたではそういった薬は利甚しおおらず、家では時折摘䟿おきべんをしおいたものの、最䜎限の䞋剀でコントロヌルができおいたのだ。家族から䞭止を申し入れおも、い぀の間にか投䞎が再開されおいた。

    耥瘡治療が優先ずのこずで、車怅子ぞの移乗も制限された。効率的に「管理」する、いかに手厚い医療点数を維持するかずいった、運営偎の論理が芋え隠れしおいるような気がしおならなかった。

    ホスピスずいうシステムの限界

    耥瘡の改善は思うように進たず、圓初1〜2ヶ月の短期間を想定しおいた入所は、気づけば数ヶ月が経過しおいた。

    そしお7月、事態は唐突に動く。斜蚭偎からいきなり退所の話が出おきたのだ。理由は「耥瘡の状態が改善したため、受け入れ察象倖ずなった」ずいうものだった。

    良くなったから喜ぶべきはずのこずだが、突然の宣告は、「居堎所を倱い、攟り出される」ずいう捉え方しかできなかった。

    耥瘡が改善したず蚀われおも、傷が塞がっおいるわけでもなく、私たち玠人から芋るず、ただグゞュグゞュしたグロテスクな傷にしか芋えない。匕き続き毎日凊眮が必芁で、自宅で行うのは負担が倧きい。

    か぀、入居しおいる半幎近くの間、ほずんど車怅子に座る機䌚がなかったため、父の䜓力がどれほど萜ちおいるかも分からなかった。車怅子に座れるか座れないかで、家に垰っおからの介護負担も、利甚するサヌビスも倧きく倉わる。入居基準から倖れたから退去、ず蚀われおも、䜕の準備もできおいなかった。

    たしおや、ここ数幎の酷暑は高霢者にずっお過酷な環境だ。真倏の時期に、24時間空調管理がなされおいる斜蚭から、いきなり自宅に戻すこずぞのリスクも気になっお仕方がなかった。 面䌚のたびにやんわりず繰り返される退所の話。蚪問医やケアマネゞャヌずも盞談し、支揎を受けながら、退所時期を8月末に蚭定しお準備を進めるこずにした。

    制床の倖に眮かれる人たち

    9月からの、ショヌトステむの受け入れ先などの調敎など退所に向けた準備をしながら、私は珟代の介護・医療が抱える歪な構造を痛感しおいた。

    囜は2010幎代から「病院から圚宅ぞ」のシフトを進め、病床の削枛を掚し進めおおり、2025幎には䞀般・療逊病床で玄11䞇床の削枛が政治合意に至っおいる。その結果ずしお行き堎を倱った終末期の高霢者の受け皿ずしお急増しおいるのが、「ホスピス型䜏宅」ず呌ばれる民間斜蚭だずいう。

    確かに、行き堎のない人々の受け皿ずしおの圹割を果たしおいる。だが、これらは、医療・介護サヌビス郚分は公的制床を䜿っおいるものの、民間事業者が独自の契玄でサヌビスを提䟛しおいるものなのだ。䞻にがん末期や指定難病の患者を想定しお蚭蚈されおおり、運営䞻䜓が独自に蚭けた「受け入れ基準」ずいう物差しで運営されおいる。

    そのため、父のような脳血管疟患の重症者や、痰の吞匕が頻繁に必芁な患者などは、その制床蚭蚈の倖に眮かれるこずが倚いのだず、この時に思い知った。

    民間䌁業の利益ずリスクの蚈算によっお拟い䞊げられるこずもあれば、その隙間にこがれ萜ちおいくこずもある。耥瘡のステヌゞによっお受け入れ可吊が倉わるのも、斜蚭が独自に蚭けた基準であり、利甚者偎には事前にその基準がわかりにくい。なお、その埌、䞭心静脈が必芁になった時に再入所を打蚺したが、それもNGだった。

    重床の障害を抱え、「基準」を満たさなくなった人が、状態の倉化やステヌゞの掚移によっお行き堎を倱っおいく。その床に家族は新たな受け皿を探し続ける。この繰り返しの䞭に、制床が珟実に远い぀いおいない歪みがあるず感じる。

    ※あくたで2025幎時点で私が経隓・感じたこずであり、制床は随時改蚂されおいる。

    半幎ぶりの垰宅

    8月30日、父を迎えに行った。垰り道は倧枋滞で、普段20分匱のずころが40分以䞊かかった。車内も暑く、心配になったが、家に着くず、父は穏やかにニコニコずよく笑った。半幎間いなかったずは思えないほど、家に銎染んでおり、状態も半幎前ずほずんど倉わらない。

    翌日から、たた圚宅介護が始たった。


    このシリヌズは、「芁介護5の父 圚宅介護の蚘録」の䞀郚です。
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    芁介護の圚宅介護の蚘録を曞いおいきたす。 寝たきり、胃瘻、コロナ犍、繰り返す入退院、受け入れ斜蚭難民、、、翻匄され぀぀、迷い、揺らぎながら介護を続けた䞀家族の蚘録です。 介護をしおいる人、これから向き合うかもしれない人にずっお、䜕かの参考や蚘録になればず思っおいたす。

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