
白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #3 それでも、生きていく
あらすじ
娘の成長とともに、ゆなは少しずつ社会へ戻る準備を始める。そして再び、小さな精神科病院で白衣に袖を通した。再発への不安を抱えながらも、患者たちと向き合う中で、「経験した苦しみ」が誰かに寄り添う力へと変わっていく。主治医・佐伯先生との診察の時間は、変わらず心の支えだった。コロナ禍の混乱、患者との出会い、家族や愛犬との日々――ささやかな幸せを重ねながら、ゆなは「生きていてよかった」と思える場所へたどり着いていく。憧れの映画女優ニコール・キッドマンの存在に支えられながら、自分自身を少しずつ取り戻していく、再生と希望の物語。
作者 yuna slowly bloom
第一部はこちら 白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #1 壊れていく日々、白衣への憧れ|yuna
第2部はこちら 白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #2 母になるということ|yuna
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑯ 戻ってきた場所
娘が少しずつ手を離れ、自分の時間を持てるようになった頃。
私は、ゆっくりと「社会へ戻る準備」を始めていた。
焦らなくていい。
無理をしなくていい。
そう自分に言い聞かせながら、少しずつ外の世界へ足を向けていった。
そんな中で、私は再び、小さな精神科で白衣に袖を通すことになった。
最初は怖かった。
長いブランク。
再発への不安。
また壊れてしまうかもしれない恐怖。
それでも、
白衣を着た瞬間、胸の奥で静かに思った。
——私は、戻ってきたんだ。
同じ病気を抱える方と向き合うこともあった。
かつての自分と重なる姿に胸が痛む瞬間もあったけれど、
“経験があるからこそ分かる気持ち”があって、
そっと寄り添える温かさもあった。
その時間は、私自身の再生でもあった。
忙しい日々の中でも、主治医との外来受診の診察だけは、昔と変わらない心の支え、仕事以外の私自身の再生の時間だった。調子のいい日も、悪い日も、佐伯先生は決して私を「急がせる」ことはなかった。必ず映画の話もしていた。
私の言葉が途切れても、妄想が混じっても、
ただ静かに、そこに居続けてくれた。
映画の話を交えながら、「現実を受け止めること」「焦らず進むこと」——その二つを、私は少しずつ学んでいった。薬の副作用で体重が80キロまで増え、鏡を見るのがつらい時期もあった。けれど、そんなときこそ佐伯先生は、決して私を責めず、ただ静かに受け止めてくれた。
「あなたは、あなたのままでいい。」
その言葉は、今も胸の奥で、静かに息づいている。
今は別の病院に通い、別の、信頼している主治医にかかっているけれど、あの佐伯先生のおかげで、今の私がいる。
妄想の世界から、現実へ。
先生は、壊れかけていた私の手を、静かに引き戻してくれた人。
もし、もう一度会えるなら、私はこう伝えたい。
「先生。今の私、元気に働けています。本当に、ありがとうございました。」
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑰ 誰かを支えるという事
再び白衣を着る生活にも、少しずつ慣れていった頃。
私は、患者さんと向き合う時間の中で、もう一度「看護の意味」を学び直していた。
そこには、窃盗癖のあるおばあちゃんがいた。
他の職員が何度注意しても、行動はなかなか変わらなかった。
私は、彼女を「問題行動のある人」としてではなく、
ひとりの人間として向き合うことにした。
やがて、彼女は私の顔を見ると、笑ってくれるようになった。
私と一緒に他科を受診したとき、彼女はとても嬉しそうで、
その日は何も盗まなかった。
そして、「これからも他科受診は、ゆなさんと行きたい」と、
何度も師長に懇願してくれていた。
「ゆなちゃん、今日も来てくれたの?」
——その笑顔と声が、私の心をやわらかく包んでくれた。
私の看護は、間違っていなかったのだと思えた。
その後、コロナの波が押し寄せ、病院にもクラスターが発生した。
患者さんも職員も疲れ果て、「もう逃げ出したい」と思った夜もあった。
それでも私は、フェイスシールドとマスクの下で笑いながら、一人ひとりの患者さんの手を拭いた。
恐怖と不安の中でも、人と人との温もりだけは、確かにそこにあった。
今、あの頃を振り返るたびに思う。
——あのとき、絶望して、すべてを終わらせなくてよかった。
かつて、絶望して前を向けなかった日々があった。
それでも私は、生きることを選んだ。その選択の先に、今の私がいる
。皆に支えられながら患者様を支えて。
そして、今は心から言える。生きていて本当によかった。
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑱ 人生は、悪いことばかりじゃない
今、私は、過去のすべてに、ゆっくりと感謝できるようになった。
長い闘病の年月は、決して楽ではなかったけれど、
振り返れば、そのひとつひとつが、今の私を支える土台になっている。
娘は「ママの病気を治したい」と、
薬剤師を志して勉強に励んでいる。
小さな背中で懸命に未来を切り開いていく姿を見るたび、
あの日々を生き抜いてよかった、と心の底から思う。
初めて家族になったコーギーは、お空へ帰ってしまった
。けれど、その温もりは、今でも忘れられない。あの子がいてくれたから、私はもう一度、笑うことができた。
今は、ポメラニアンとダックスのハーフの、小さな男の子が家にいる。
くるんとした瞳、白くてふわふわな毛、小さな足音、寄り添って眠る体温——そのすべてに、私は毎日、救われている。
気づけば、毎日は穏やかで、ささやかな幸せが、いくつも積み重なっている。大きな奇跡じゃなくていい。
こうして生きていること、そのものが、すでに贈り物なのだと感じる。
だから——もし今、あなたがつらい場所にいて、前を向けない日があったとしても、大丈夫。
光は、必ず、あなたの歩く道を照らしはじめる。
それは、小さな光かもしれない。
回復には、時間がかかることもある。
それでも——どうか、あきらめずにいてほしい。
あなたが歩く、その一歩一歩は、きっと未来へと、つながっていく。
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑲ エンディング
人生は、悪いことばかりじゃない。
そう思えるようになるまでに、私はずいぶん遠回りをした。
長く暗いトンネルの中を歩いているように感じる日もあった。
それでも、いつか必ず――光に包まれる日が来る。
今は、そう信じられる。
「看護」とは、人の心に触れる仕事だ。
そして同時に、自分自身の心とも向き合う仕事でもある。
患者さんの痛み、弱さ、涙。そのすべてに触れながら、人は誰かを支えることで、自分もまた支えられていく。
私はそのことを、患者としても、看護師としても、学んできた。
苦しみの中にも、かすかな光はある。それは、誰かの笑顔かもしれない。
そっとかけられた言葉かもしれない。
あるいは、もう一度生きてみようと思えた、ほんの小さな勇気かもしれない。私はこの人生で、その光を見つける力を、少しずつ学んできた。
今も、医療の現場で懸命に生きるすべての人たちを、心から尊敬している。どれほど忙しくても、疲れていても、
誰かのために手を差し伸べ続けるその姿は、いつも私の希望だ。
そして――医療を志す学生たちへ。迷う日があっても、涙する日があっても大丈夫。どうか、自分の歩幅を信じて、歩き続けてほしい。
あなたが選んだ道には、確かに意味がある。その未来を、私は心から信じている。
私は症状として、再燃して興奮すると憧れの女優さんの名前が必ず出てしまう。
ある日、興奮した私は、主治医に詰め寄るように言った。
「先生、ニコール・キッドマンとナオミ・ワッツだったら、私はどっち?」
突拍子もない質問に、先生は少し驚いた顔をして、それから、ふっと微笑んだ。
「ナオミ・ワッツ、かな。」
後になって知った。ニコールとナオミは長年の親友で、撮影の合間にも、人生の嵐の中でも、どちらかが沈んだときには、もう一方がそっと寄り添っていたという。ゴシップ誌の片隅に載っていた小さな記事。けれどなぜか、その言葉は、今も胸の奥で静かに光り続けている。
――誰かが、そばにいてくれる。
それだけで、人はもう一度、立ち上がれるのかもしれない。
私にも、支えてくれる大切な人たちがいる。
弱ったとき、言葉にならない想いを抱えたとき、そっと手を差し伸べてくれた人たち。その存在があったから、私は歩き出す力を取り戻すことができた。
昔、「お花のノート」には、ただ憧ればかりを書きとめていた。いつかニコールのように、凛として、強く、優しく、美しく生きたい――と。
今は、そのページの続きを、ゆっくりと、自分の手で書き始めている。
白衣を再び着る日まで――
あの日、私は何度も立ち止まりながら、ここまで歩いてきた。
そして今もまた、
私は自分の人生を、ゆっくりと描き続けている。
静かに、確かに、未来へ向かって。
この物語を、最後まで読んでくださったあなたへ。
あなたの人生にも、あたたかな光が降り注ぎますように。
心からの祈りとともに。
作者プロフィール
yuna_slowly_bloom
本書は、著者自身の実体験をもとに構成していますが、
登場する人物・施設・出来事の一部には、創作を含んでいます。
読者の方が安心して読み進められるよう、
医療・看護に関する表現には十分配慮しています。
心の病を抱えるすべての人に、
この物語が、ほんの少しでも希望の光となりますように。
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑳ あとがき
退職してしばらく経ったころ、
私はまた映画を観るようになりました。
お気に入りは『ムーラン・ルージュ』。
きらめくドレスをまとい、スクリーンの中で微笑むニコール・キッドマン。
その美しくも儚く、そして強い姿が、
どれほど私を励ましてくれたかわかりません。彼女の存在は、あの頃の私が失ってしまった光を、そっと思い出させてくれました。
白衣を脱いでからしばらく、鏡を見るのが怖かった時期があります。
体重が増え、留年もし、自分を責める気持ちばかりが募っていました。
それでも映画を観るたび、心のどこかで小さな芽が動き始めたのです。
――「もう一度、光のほうへ歩いてみたい。」
そんな声が、自分の内側からかすかに聞こえてきました。
ほんの少しメイクを変えてみたり、髪を整えてみたり。そんな小さな変化だけでも、鏡の中の私は、前より少しだけ優しい表情をしていました。
「誰かに褒められるため」ではなく、
「自分のために美しくありたい」と思えたとき、涙がにじみました。
私はずっと、ニコール・キッドマンのような体型に憧れてきました。体重が増えやすいとされる薬を20代から飲み続けていたため、ダイエットは長い戦いでした。
それでも、ニコールの映画やCHANEL N°5のCMを繰り返し観ながら、「このままでもいい。けれど、少しずつでも変わってみたい」と思い続けました。
体重が80キロあった頃も、30キロ痩せた今も、髪を乾かしながら彼女の映像を観ていると、その瞬間だけは、私もスクリーンの中の彼女になれた気がしました。ピンクのドレスをまとって軽やかに走る姿に、自分を重ねながら。
体調が悪い頃、私は何度も、不思議な夢を見ていました。
そこは、保護室とは正反対の世界でした。
やわらかな光が降りそそぎ、
花が揺れ、空気まで透き通っているような場所。
私は痩せていて、きれいなドレスを着ていました。
その場所の中心で、ニコールが静かに微笑みながら、手を差し伸べ
英語でこう言うのです。
“It's okay.”
——大丈夫よ。
その声に、私は何度も救われました。
今思えば、あれは「生きて帰っておいで」と、
自分自身に向けた願いだったのかもしれません。
ダイエットには4年かかりましたが、30キロ痩せて、ほんの少しだけ自信が戻りました。
けれどそれ以上に、「体重があっても、夢を見ていい」
そう思えたことが、私をここまで連れてきてくれたのだと思います。
美しさは、誰かのためではなく、自分のために。
香りは、記憶をやさしく呼び覚ます。だから私は、ずっと憧れていたCHANELのカウンターで香水を買いました。
40代になって初めて訪れた場所でした。自分へのご褒美に選んだその香りは、誰に見せるわけでもありません。ただ、毎日そっと身にまとうだけ。それだけで、心が少しずつ落ち着いていく気がするのです。
ある日、私は主治医に尋ねました。「先生、ニコール・キッドマンとナオミ・ワッツ、私はどっちですか?」
少し笑いながら、先生は答えました。「ナオミ・ワッツだね。」
その言葉の意味は、後になってわかりました。ニコールとナオミは長年の親友で、辛いときには互いに励まし合い、支え合いながら生きてきたこと。
誰かより輝くことではなく、誰かと並んで歩くこと。
その姿に、私は自分の回復のかたちを重ねていたのだと思います。
回復とは、誰かの光になることではなく、
誰かと並んで歩くことなのだと。
あの頃、白衣を着ていた私も――
今、こうして立ち止まりながら前を向いている私も、
どちらも同じように、優しく、懸命に生きていたのだと思います。
これからも、私は少しずつ動き出していくのでしょう。
白衣を再び着る日まで。
私は、これからも“もう一度動き出す自分”を、
静かに信じていたいと思います。
もしもこの小説をを読んでくださったあなたが、
「もう一度やり直してみよう」と思えたなら
――この物語が、その背中をそっと押す存在になれたなら、
これ以上の喜びはありません。
壊れても、散っても、その欠片ひとつひとつが、
やがて新しい花をつくっていく。
どうか、あなたの心にも、ほんの小さな春が、そっと芽吹きますように。
作者 yuna slowly bloom より
再び白衣を着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
㉑巻末付録 登場人物、舞台設定
巻末付録
― 登場人物・舞台設定(すべて仮名)―
本書に登場する名称は、すべてプライバシー保護のため仮名としています。実在の人物・団体・施設とは一切関係ありません。心の揺らぎ、起こった現象は事実に基づき書かれています。
登場人物
■ ゆな(著者)
精神科の看護師。かつて自身も統合失調症を患い入院を経験する。回復後、同じ病を抱える患者さまの看護に携わるようになる。スクリーンで光を放つニコール・キッドマンに憧れ、その強さとしなやかさに“生きる力”を重ねている。
■ 夫
物静かで思いやりのある人物。病と向き合うゆなを支えながら、共に生きる日々を歩む。
■ 母
太陽のように明るく、周囲をあたたかく照らす存在。事務職。ゆなが落ち込むときも、変わらぬ笑顔で励まし続けてきた。
舞台
■ 桜苑大学(おうえんだいがく)
ゆなが看護学を学んだ大学。穏やかな教授陣と、春の桜並木が印象に残る。
■ 星が丘病院(ほしがおかびょういん)
ゆなが入院生活を送った精神科病院。保護室で見上げた白い天井の記憶が、物語の原点となる。
■ 水ノ森病院(みずのもりびょういん)
看護師として初めて勤務した病院。人の心に触れることの難しさと尊さを学ぶ。
■ 桜野病院(さくらのびょういん)
回復後に勤務する精神科病院。患者と看護師、二つの視点から“心の再生”を見つめる場所。
あとがきに寄せて ― 教授陣プロフィール(仮名)
■ 桜庭(さくらば)教授 ― 精神科看護学
厳しくも温かいまなざしで実習中の私を導いてくださった精神看護学教授。体調を崩した実習の際、涙目の私をそっと見守ってくださった姿は、今も心の支えとなっている。学生としての私を“特別扱いせず”に見守ってくださったその姿勢が、私の看護観の礎となった。
■ 東雲(しののめ)教授 ― 心理学
穏やかで、常に多くを教えてくださった心理学の教授。体調を崩した際、他の仕事の電話を切って対応してくださったことを忘れない。“自分を責める思考”から“自分を理解する思考”へ——心のリハビリを支えてくださった恩師。
■ 立花(たちばな)教授 ― 精神看護学
年賀状のやり取りが続き、結婚式にもご出席いただいた。患者さんと話す姿がいつも楽しそうで、女性としても看護師としても尊敬するロールモデル。優しさと芯の強さを併せ持つ姿は、今も私の目標である。
■ 森岡学部長 ― 内科医
東雲教授とともに支えてくださった内科医の教授。卒業論文を東雲教授のもとで執筆することを快く認めてくださった。勉強が大好きで、少し“がり勉”だったゆなを温かく見守ってくださった。
■ 主治医・佐伯(さえき)先生 ― 精神科医
最も長く寄り添ってくださった先生。保護室にいた頃から誰よりも先に「もう一度、白衣を着られる日が来る」と信じてくださった。初診時の厳しい言葉も、今では忘れられない大切な記憶である。映画の話を通じて行った“心のリハビリ”は、回復への大きな一歩となった。
本作品は、上記の先生方をモデルにしたフィクションを含みます。実在の個人・団体とは関係ありません。それでも、私を支えてくださったすべての医療従事者、教授陣、そして親愛なる家族に、心からの感謝を込めて。

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