
白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #1 壊れていく日々、白衣への憧れ
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてーあらすじ
私は、精神科の看護師であり、同時に統合失調症の患者でもあった――。
幼少期の貧困、ギャンブル依存の父、泣きながら働く母。看護師を夢見て進学した大学で、私は統合失調症を発症し、保護室へ入院する。鉄格子の窓、緑の壁、失われていく自信。その中で私を支えたのは、音楽と、ニコール・キッドマンへの憧れだった。絶望の中でも「もう一度白衣を着きたい」と願い続けた一人の女性が、病と向き合いながら再生していく実話ベースの物語。母の愛、恩師との出会い、そして“生き直す力”を描く。

【目次】
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー①プロローグ 現実から逃げるように私は映画に恋をした
私は、精神科の看護師だった。
そして同時に、統合失調症の患者でもあった。
けれど、その事実を知る人はいない。
白衣の下に隠したまま、私は働いていた。
白い光の下で、何度も自分を見失い、
それでも少しずつ、自分を取り戻してきた。
誰にも言えず、息をひそめて過ごした日々。
静かな病室で、夜明けを待ち続けた時間。
それでも
もう一度、白衣を着る日が来るなんて。
あの頃の私には、想像すらできなかった。
CMやスクリーンの中でひときわ輝き、
ピンクのドレスをひるがえして駆けていく
ニコール・キッドマンの姿に、私はいつも心を奪われていた。
その美しさも、脆さも、凛とした強さも。
どこか自分には持ちえない「自由」の象徴のようで、
私は何度も、画面の向こうに救われていた。
これは、いくつもの季節を越えて、
病と向き合ってきた一人の女性が、
再び白衣をまとうまでの、物語。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー② 手ぬぐいの産着
外が暗くなっても、私は家に入ろうとしなかった。
幼少期、頬をなでる風が冷たい日でも、
ウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、
まだ来ない母の車を、何度も見つめていた。
——ただ、早く会いたかった。
「ゆな、ただいま!すぐにご飯にするね。」
その一言を聞くために、私はずっと待っていた。
母は、いつも笑っていた。まるで太陽みたいな人だった。
けれど本当は、誰にも見えないところで、何度も泣いていた。
私が新生児の頃、お金がなくて、母は私の産着を手ぬぐいで縫った。
「産着、可愛いのを買ってあげられなくてごめんね」
そう言いながら、持っている中で一番きれいな手ぬぐいを選び、
畳の部屋で、針を動かしていた。
ぽろぽろと涙がこぼれ、そのしずくが、布に静かに滲んでいった。
父はギャンブラーだった。
家にお金を入れない人だった。
借金を返すのは、いつも真面目な事務員の母だった。
通勤の車の中で、母は何度も涙をぬぐい、
震える手でハンドルを握っていた。
信号待ちの交差点で、
父親と母親に手を引かれた子どもが、笑いながら歩いていた。
その光景を見つめたまま、
また母の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「ゆなには、もうあんな思いさせてあげられない」
小さくつぶやいたその声は、誰にも届かないまま、車の中に消えていった。
(こんな顔、ゆなに見せられない)
母は気持ちを奮い立て、ハンドルを握りしめ家へ向かった。
やがて両親は離婚し、私は母の実家で暮らすことになった。
祖父、祖母、母、そして私。
貧しいながらも、笑い声の絶えない小さな家だった。
田舎の静かな空気の中で、私は優しい祖父母に囲まれ、
母の温もりに包まれて育っていった。
ある日の夕飯時、母が嬉しそうに出してくれた料理がある。
私は「今日はさくらご飯ね。わあ、嬉しい!」と喜んだ。
さくらご飯。
しょうゆでほんのり色をつけた、素朴な炊き込みご飯のような料理だった。
いつもパンの耳を食べていた私にとって、それはごちそうだった。
湯気の立つ茶碗を抱えながら食べる時間が、私は大好きだった。
また離婚して、祖父母と暮らすようになった時、
ある日、祖母が作ってくれた茶色い揚げ物を見て、幼い私は尋ねた。
「おばあちゃん、これ、なんていう食べ物?とてもおいしいね」
祖母は、一瞬だけ言葉を失った。
「……唐揚げだよ」
その声は少し震えていた。
私はただ、初めて見て食べる料理に目を輝かせていただけだった。
けれど祖母は、心の中で思っていたのだろう。
(この子、唐揚げも知らないくらい、我慢してきたんだね)
祖母は目を潤ませながら、私のお皿にそっと唐揚げを足した。
「たくさんお食べ」
その言葉が嬉しくて、私は夢中で頬張った。
お金がないことを知ったのは、ずっと後のことだった。
けれど、母が時々、隠れて泣いていたことを、私は知っていた。
そして、借金取りは、どこまでも追いかけてきた。
ある夜、家の外から激しく扉を叩く音が響いた。
「いるんだろ!出てこい!」
怒鳴り声に、家の空気が凍りついた。
いつも穏やかな祖父が、珍しく大声を張り上げた。
「もうやめてくれ!」
母は何度も頭を下げながら、震える声で言った。
「お金なら返しますから……お願いします……」
私は祖母に「隠れていなさい」と言われ、
押し入れの陰で小さくなっていた。
息を潜めながら、ただ震えていた。
怒鳴り声。祖父の声。母の泣きそうな声。
幼い私には、そのすべてが怖かった。
寒い日でも、私はいつも外で、母の車を待っていた。
そして、私はいつも腕の中に、小さなウサギのぬいぐるみを抱えていた。
それは、母が布の切れ端で、つぎはぎにして作ってくれたものだった。
ぼろぼろでも、私にとっては宝物だった。
手ぬぐいの産着に込められていたのは、母の精一杯の愛情だった。
貧しさの中でも、私を想い、守ろうとしてくれたそのぬくもりは、
今も変わらず、私の心の奥に残っている。
けれど、
私の人生には、もうひとつ、向き合わなければならない存在があった。
それが、「父」という存在だ。
ほとんど記憶にないはずのその人との、たったひとつの記憶。
それは、不思議なほどあたたかく、そして少しだけ切ないものだった。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー③ くまのぬいぐるみ
たった一度だけ、父のぬくもりを感じた記憶がある。
ある日、まだダイヤル式の黒電話に、私あての電話がかかってきた。
受話器を取った母が、涙目で言った。
「ゆな、サンタさんからよ」
小さな私は、疑うこともなく電話に出た。
「クリスマスには、何が欲しい?」
その声は、少しぎこちなかった。
けれど、どこか優しさがにじんでいた。
私は答えた。
「大きなくまのぬいぐるみがほしいの」
そして、クリスマスの夜。
玄関の前には、大きなくまのぬいぐるみが置かれていた。
それを渡してくれたのは――父だった。
それが、ほとんど唯一の、父の記憶である。
父親らしいことは、なにひとつしてもらったことはない。
「お父さん」と呼んだこともない。名前も、知らない。
成人してから母に聞いたところ、養育費も、一円も払われなかったそうだ。
それでも、あの夜のくまのぬいぐるみだけは、
私の記憶の中で、あたたかさを残している。
そしてまた私は、長い時間を経て、「父」という存在と、あらためて向き合うことになる。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー④ 思春期の光と影
孤独を、笑顔で隠すことを覚えた。
誰にも気づかれないように、私は「いい子」を演じていた。
でも本当は、心の中で、静かに壊れていっていた。
勉強と部活に逃げるように毎日を過ごし、
心の中に少しずつ、ひびが入っていくのを、見て見ぬふりをしていた。
それでも――誰かの役に立ちたい。
その思いだけは、胸の奥で、消えずに灯っていた。だから、この頃から、ボランティアに参加するようになった。色々な施設や病院に出向き、ハンディキャップを抱えた人たちと接した。
優しい時間で、私はボランティアが好きだった。
母はシングルマザーだった。お金が厳しいことも、私はちゃんと分かっていた。それでも、一日でも早く母を支えたい。ただ、それだけの気持ちで、看護師という夢を意識し始めた。
母は、「普段から恥ずかしい思いだけはさせたくない」と言って、
デパートで服を買ってくれた。自分の服は、何年も買わないままで。
ある日、学校からお裁縫セット購入のお手紙が届いた。
母は内容を一通り読むと、迷いなく言った。
「一番高い、デラックス版にしなさい」
私は「いいよ。みんなと同じで」と答えたけれど、母は首を横に振った。私にだけは、“いいもの”を持たせたかったのだと思う。その理由を、当時の私は、まだ深く分かっていなかった。
胸がいっぱいになるほど、うれしかった。守られていると、感じた。
でも同時に、胸の奥に、言葉にならない痛みもあった。
母にも、楽をしてほしかった。
母自身の人生も、大切にしてほしかった。
だから私は、中学生の頃から、母にもらったお小遣いを、気づかれないように、そっと母の財布に戻していた。母は、きっと気づいていたと思う。
でも、何も言わなかった。
のちに通帳を渡されたとき、あの時のお小遣いが、すべて私のために残されていたことを知った。
いつも同じ服を着て仕事に行き、帰れば休む間もなく家事をこなす母。
その背中を見て、私は自然と、家事を手伝うようになった。
お金を戻していたのは、母にも、自分の服を買って、
ほんの少しでも、心が休まる時間を持ってほしかったからだ。
高校は、母に喜んでもらえるよう、必死に頑張り、進学校へ進んだ。
決して裕福ではなかったのに、母は、予備校に通うことも当たり前のように受け入れてくれた。そのお金が、どれほど重かったのか。当時の私は、まだ知らなかった。
予備校で、同じように看護を志す友人ができた。
帰り道、夢を語り合いながら歩いた夜。
頬に触れた夜風の冷たさを、今でも、はっきり覚えている。
夏休みも、友人と自習室にこもり、何時間も机に向かった。
それが病気になる前、一番輝いていたころの私の記憶。
疲れた顔で友人と笑い合った、あの時間は、母がつくってくれた、
かけがえのない時間だった。
看護を志す仲間が出来て、予備校で勉強するのはとても楽しかった。
あの頃の私は、まだ知らなかった。
この先、自分の人生が、大きく揺らぐことになるなんて。
それでも確かに、あの時間は本物だった。
母がくれた、かけがえのない光だった。
——そしてその光を抱えたまま、私はあの日、母に電話をかける。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー ⑤ 母に電話した日 ― 夢に手が届いた日
「人を支えたい」――それが、私の最初の夢だった。
高校では普通科に進み、その夢を胸に、必死で勉強した。
成績は、三百名中三番。内
申点も良く、憧れていた桜苑大学の推薦をもらえた。
実は夏休み、近くの医学部付属の看護学部や短期看護学部も、
友人と見学に行っていた。けれど、桜並木の続く、あの綺麗なキャンパスを見た瞬間、私の心は、桜苑大学に決まっていた。
推薦がもらえたときは、本当にうれしかった。
試験は、面接と小論文。
けれど――緊張しいの私は、面接でうまく話せず、不合格だった。
頭が真っ白になり、しばらく何も考えられなかった。
悔しさと情けなさで、胸がいっぱいだった。
友達が気にしないで、とすぐに励ましのメッセージをくれた。
それでも、時間が経つにつれて、ある感情が、静かに湧き上がってきた。
どうしても、ここに行きたい。一般入試で、必ず合格してみせる。
そこからは、文字どおり必死だった。睡眠時間は、二時間ほど。
毎日、英文を読み続け、得意だった英語で、センター試験の得点を少しでも伸ばそうとした。大晦日も、予備校に通い、仲間と机を並べて勉強した。
センター試験の結果は、桜苑大学の合格ラインに、届いていた。次は、二次試験。面接と、小論文。
不思議なことに、今度は落ち着いていた。面接では、言葉が自然に出てきた。小論文も、予備校で何度も練習していたおかげで、迷わず、書き切ることができた。
合格発表は、掲示板に張り出される方式だった。私は受験票を握りしめ、ひとり、新幹線に乗って、結果を見に行った。
結果は――桜苑大学 看護学部 合格。
その場で、すぐに母に電話をした。
「お母さん、合格したよ!」
電話の向こうで、母は、声を詰まらせて泣いていた。
心配で、その日は仕事が手につかなかったらしい。
その声を聞いたとき、胸の奥が、いっぱいになった。
私は、看護師という夢に、少しだけ手が届いた気がした。
それと同時に、頑張れば、人は前に進める。
そんな確かな自信が、初めて、私の中に生まれた。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー⑥ 白衣のまま泣いた日
四月。桜並木のある、きれいなキャンパス。
入学式の日、初めて着たスーツに身を包み、
母と一緒に、桜苑大学の前で入学式の写真を撮った。
胸の高鳴りが、どうしても抑えられなかった。
先輩たちがサークルを薦めてくれて、大学はとでもにぎやかだった。
大学生活は、まるで夢のようだった。
同じ志を持つ仲間たち。
気の合う友達。
講義に追われながらも、白衣を着る日を思い描いて、笑い合っていた。
忙しくも、充実した日々。
私はようやく、ここまで来たのだと思っていた。
けれど、ある日を境に、世界の色が、少しずつ変わり始めた。
病院実習が始まった三年生の頃だった。
実習に、夜まで続くレポート。
土日も、空いた時間はバイトに追われていた。
眠れない夜が増え、友達の笑い声が、遠くに聞こえるようになった。まるで、自分だけが透明になっていくような感覚。
それでも私は、笑っていた。「大丈夫」と。
強くなきゃ、看護師にはなれないと思っていた。
弱さを見せるのが、怖かった。
けれど、心は、静かに崩れ始めていた。
——そして、あの日。
精神科実習中の夜。眠れず、興奮したまま、
私は学校のナース服を着て、夜中に、実習先の精神科病院へ向かった。
連れて行ってくれたのは、当時お付き合いしていた恋人。
今の夫であり、誰よりも深く、私を理解しようとしてくれた人だ。
病院では、様子のおかしい私を、
看護師さんたちが、静かに見守ってくれていた。
朝。
仲間たちが実習をしている時間、私は別室で、四つん這いになって、
泣き叫んでいた。
いつも物静かな立花先生が、珍しく、涙をこらえながら言った。
「しっかりしなさい!」
落ち着かずに歩き回る桜庭先生。
その目には、悲しそうに涙が浮かんでいた。
誰一人として、私を責める人はいなかった。
その日、「統合失調症の発症かもしれない」と告げられ、
そのまま、星が丘病院へ運ばれた。
星が丘病院の担当医の佐伯先生は、普段はとてもクールな人だった。
けれど、学校のナース服姿のままの私を見て、声を荒らげた。
「僕、こういうの許せない!」
それが、その先生が声を上げた、最初で最後の瞬間だった。
本当は穏やかで、映画が好きな、とても心優しい先生だった。
その後、実家近くの星が丘病院へ移り、
私は三か月間、保護室で過ごすことになる。
この頃の記憶は、断片的だ。
部屋には机がなく、鉄格子があり、
中の様子は、すべて見えた。
トイレにはドアもなく、音も、気配も、そのまま部屋につながっていた。
プライバシーなど、ないに等しい空間だった。
それが保護室というものだった。
精神科看護では習っていた。
でも自分が入らなければならないなんて思ってもいなかった。
もう看護師になれないのかな、涙があふれた。
床に這いつくばって食べるご飯。
それでも、生きるためには、それしかなかった。
私は、生きることを選んだ。
そこにいたのは、「看護学生」ではなく、
ただ、生き延びようとする「患者の私」だった。
保護室の、鉄格子越しの窓から見える、小さな空。
それは、とても遠くに感じられた。
それでも。
朝になると、必ず聞こえてきた。
「ゆなちゃーん、おはよう!」
看護師さんたちの、その明るい声が、
あの時の私にとって、確かに“光”だった。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー⑦ 歌とニコールがつないだ命
保護室の小さな窓から見える外の世界は、
思っていたよりも、ずっと遠くに感じられた。
——この先、もう一度、あの大学へ戻れるのだろうか。
そして、看護師として働けるのだろうか。
唯一の心の支えは、MDウォークマンと、
無機質な緑の壁に貼ったニコール・キッドマンのポスターだった。
保護室に持ち込むことを許された、
たったひとつの“自由”と、心の支え。
毎日のように聴いていたのは、浜崎あゆみの「Who...」や、
アルバム『A Song for ××』。
つらいとき、そばにいてくれる存在や、
理由もわからず流れる涙に寄り添うようなその歌を、
私は、精神を保つために、何度も小さく口ずさんでいた。
看護師さんなのか、同じ保護室の患者さんなのか、
誰の声かは分からない。
それでも、
「また歌って」と、どこからか声が聞こえることがあった。
現実から少しでも離れるために歌い、
母には、大好きなニコールのポスターを持ってきてもらった。
無機質な緑の壁にそれを貼ることで、
なんとか心の均衡を保っていた。
ポスターの中のニコールは、やさしく微笑んでいた。
冷たい保護室の中で、その笑顔だけが別の世界の光みたいに見えた。
つらくなると、私は何度もその壁を見つめた。
薬でぼんやりした頭のまま、
鉄格子の向こうではなく、ニコールの笑顔だけを見ていた。
いつか、あんなふうに綺麗なピンクのドレスを着てみたい。
自由に外を歩いて、笑ってみたい。
そんな小さな憧れを、私は心の奥で抱いていた。
無機質な緑の壁の中にある、唯一の“色”だった。
唯一、「外の世界」を感じさせてくれる存在だった。
苦しくて涙が止まらない夜も、あった。
でも、薬でぼんやりする頭の中で、
時々、不思議な夢を見ることがあった。
そこは、保護室とはまるで正反対の世界だった。
やわらかな光が降りそそぎ、
白い花が風に揺れている。
空気は透き通るほど綺麗で、
鉄格子も、緑の壁も、閉ざされた扉も存在しない。
私は痩せていて、
淡いピンク色のドレスを着ていた。
まるで映画のワンシーンみたいに、
風が静かにドレスを揺らしていた。
その場所に、女神様みたいに美しいニコールが立っていた。
やさしく微笑みながら、
まっすぐ私を見つめていた。
そして、静かな声で言うのだ。
——It’s okay. You can do this.
——Someday, I know you’ll make it out of here.
日本語にすると、
「大丈夫。あなたならやれる。
いつか、きっとここから出られるわ」
——そんなふうに聞こえた気がした。
それが夢だったのか、妄想だったのか、
今でも分からない。
けれど、あの頃の私には、
確かに必要な光だった。
ニコールが助けに来てくれる——
そんな夢のような妄想を見て、ふと我に返ることもあった。
それでも、ニコールの微笑みは、
私の中では“生きる希望”そのものだった。
毎日見つめ続け、少しずつ勇気をもらっていた。
当時、付き合っていた彼——今の旦那さんが、倉木麻衣の
『Perfect Crime』をMDにして差し入れてくれた。
入院中のやり取りは、文通だった。
手紙と一緒に届けられたそのアルバムを、
私は何度も繰り返し聴いた。
冒頭に流れてきた
“何を信じて生きて行けばいいの?”
というフレーズが、
妙に、今の自分に重なった。
その感情に引き寄せられるように、
涙が止まらなくなった。
保護室の中で、私は泣きながら、小さな声で歌った。
歌を聴くこと、歌うことは、保護室の中で
現実から逃げる行為のようでいて、
同時に、私にとっては、
かろうじてつながっている“生きるための糸”でもあった。
お薬を飲んで眠るだけの生活。
普通の病院とはまるで違う、緑の壁。
鉄格子と、扉のないトイレ。
心が折れそうになる日も、何度もあった。
——ここにいる私は、本当に“人間”なのだろうか。
そんな感覚に、ふと飲み込まれそうになることがあった。
そんなある朝。
午前中、外来診察の予定だった主治医が、
思いがけず先に病棟に立ち寄ってくれた。
看護師さんは
「今日は午後の診察になるはず」と言っていたのに。
朝、外来前に来てくれた先生は、
鉄格子の向こうに立ち、静かに言った。
「体調はどう?」
先に心配してきてくれた。
——それだけで、胸の奥が、ふっと温かく光った。
ほんの些細なこと。
気にかけてもらえていると感じられたことが、
たまらなく嬉しかった。
その瞬間だけ、外の世界が、少し近く感じられた。
入院は三か月間。
私は、保護室で過ごした。
まだ退院は早いという判断だったが、
ちょうど看護実習生が来る時期と重なり、
「看られる側ではなく、見る側になりたい」
という私の気持ちを汲んで、
主治医の計らいで、早めの退院が決まった。
大学は一年、休学。留年も決まった。
それでも、あの時間は、決して無駄ではなかった。
心の、リハビリの時間だった。
保護室という無機質な空間の中で、
涙と、音楽と、憧れのニコールのポスターに支えられた日々。
あれは、今の私をつくる、
“最初の再生の時間”だったのだと思う。
あの部屋で聴いた音と光だけは、
今も確かに、消えずに残っている。
元気になった今も、
あのピンクのドレス姿のニコールのポスターは、部屋に飾ってある。
保護室で私を支えてくれた、大切な宝物だ。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー⑧ 捨て猫と私
退院後、祖父がリハビリを兼ねて、湖のある公園へ連れて行ってくれた。
そこには、たくさんの捨て猫がいた。
寒さに震える小さな命を見て、私はどこか自分を重ねていた。
誰にも気づかれず、それでも生きようとしている姿が、
あの頃の私と重なって見えた。
看護師として現場に出ていく友人たちは、眩しいほどに輝いて見えた。
「私は落ちこぼれ。薬で太って、醜くなった。」
留年し、薬の副作用で三十キロも太ってしまった私は、自分の存在意義を見出せず、いつしかそう思い込んでいた。
それまでは成績も良い方だったし、病気になる前は痩せていて、
どんな服でも着こなせた。
だからこそ、自分が変わってしまったことが、
どうしても受け入れられなかった。
私は昔から、おしゃれをすることが大好きだった。
雑誌を眺めたり、好きな服を選んだりする時間が、何より楽しかった。
けれど、太ってしまった私は、着られる服がほとんどなくなってしまった。
好きだったブランドの服も入らない。
鏡の前に立つたび、別人のような自分が映る。
鏡を見ることさえ、怖くなっていった。
外出前に服を何度も着替えては、ため息をつく。
「どうして、こんな体になってしまったんだろう」
そんなふうに、自分を責め続けていた。
看護師として現場へ進んでいく友人たち。
細くて可愛い服を着こなし、未来へ進んでいく同級生たち。
その姿が眩しいほど、私は自分を惨めに感じた。
でも、薬を飲み、通院を続けると、佐伯先生から復学の許可が出た。
復学すると、同じように留年した友人ができた。
私たちは同志のように、勉学に猛烈に励んだ。
保健師と看護師、二日連続の国家試験は大変だったが、
無事、合格することができた。
それでも——あの湖で見た、小さな命の震えを、私は忘れていない。
四年制大学に五年を要したけれど、
私はついに、保健師・看護師の資格を取得し、卒業することができた。
卒業の記念に、友人と二人で京都を訪れた。
今でも仲良くしている友人との、つかの間の楽しいひとときだった。
思い返せば、卒業論文を「先生のところで書きたい」と伝えたとき、
すぐに「いいよ」と返してくれた恩師がいる。
心理学の東雲先生だ。
体調の悪いときには、仕事の緊急の電話を切ってまで、
興奮していた私の話を聞き、慰めてくれた。
学部長の森岡先生も、いつも温かく見守ってくれた。
ガリ勉だった私をとても褒め、
まるごと受け止めてくれる、とても優しい学部長だった。
そして、精神看護学の桜庭先生と立花先生。
二人とも私の病状悪化に対応し、
陰で入院できる病院はないか奔走してくれていたそうだ。
だからこそ、今の私がある。
今でもお付き合いがあり、のちに結婚式にも出席してくれた、
かけがえのない恩人だ。
私は立ち止まっても、決して置き去りにされなかった。
恩師たちは、私を「変わらない存在」として、ずっと支えてくれていた。
「人は一人では生きられない」
看護学の基礎として学んだその言葉は、
今も、静かに胸の奥に残っている。
退院後は、リハビリの一環として、
精神保健福祉士の専門学校にも通った。
勉強は決して楽ではなかったけれど、
私はやっぱり勉強が好きだった。
そこでまた新しい仲間と出会い、
世界は少しずつ、やわらかく色を取り戻していった。
留年したあの時、絶望に苛まれていた私。
湖畔の風に揺れる、枯れ葉の音。
足もとをすり抜ける、小さな猫の体温。
あの頃の私は、まだ弱かった。
でも、確かに、生きようとしていた。
湖の水面のように、揺れながら。
それでも私は、確かに前へ進んでいた。
白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― 第1部 壊れていく日々、白衣への憧れ 終了
統合失調症を発症し、保護室に入院した看護学生だった私。
それでももう一度、白衣を着ることを諦めなかった――。
ニコール・キッドマンへの憧れと、音楽だけを支えに生き延びた日々。
母との記憶、病気、絶望、そして再生までを書いた実話ベースの物語です。
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