
白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #2 母になるということ
白衣を再び着る日まで
―ニコールキッドマンに憧れてー
あらすじ
精神疾患を抱えながら精神科看護師として再び白衣を着た私は、患者として過ごした過去を胸に、支える側として懸命に働いていた。結婚という幸せを手にする一方、担当患者の自死をきっかけに再び心を崩し、退職。その後、コーギーとの穏やかな時間や、父との複雑な記憶と向き合いながら、自分の人生を少しずつ取り戻していく。やがて不安を抱えながらも母になる決断をし、出産後は病気の再燃によって「母になれない苦しみ」に直面する。それでも映画とニコール・キッドマンへの憧れは、壊れそうな心を何度も現実へ引き戻してくれた。喪失と再生を繰り返しながら、“それでも生きたい”と願い続けた、一人の女性の記録。
第1部はこちら→白衣を再び着る日まで ― ニコール・キッドマンに憧れて ― #1 壊れていく日々、白衣への憧れ|yuna

白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑨ 再び白衣を着る日
立花先生の紹介で、単科の精神科病院、
水ノ森病院への就職が決まった。
再び、学校のナース服ではない、
“本物の白衣”を着る日が来た。
けれど私は、嬉しさより先に、強い恐怖を感じていた。
——本当に、私なんかが白衣を着ていいのだろうか。
保護室に入院していた自分。
薬で三十キロ太り、鏡を見ることさえ怖くなっていた自分。
そんな私が、再び看護師として働こうとしている。
真新しい白衣に袖を通す朝、
私は鏡の前でしばらく動けなかった。
嬉しいはずなのに、怖かった。
また壊れてしまったらどうしよう。
患者さんの前で症状が出たらどうしよう。
夜勤中に倒れたらどうしよう。
そんな不安が、胸の奥で何度も渦を巻いていた。
けれど、病院へ向かうと、面接もなく、
看護部長は明るい笑顔で私を迎えてくれた。
その温かさは、これまでのすべてをそっと包み込み、
「ここからまた始めていいんだよ」
そう言ってくれているようだった。
新しい職場の現場は、決して楽なものではなかった。
患者さんの名前を覚えること。
毎日のルーティン。
採血、点滴、処置、記録。
学生時代に学んだ知識は、確かに基礎になっていた。
けれど、勉強と臨床は、まったく別物だった。
私は病気のせいか、覚えも遅く、
手際も悪い気がして、いつも焦っていた。
みんなが簡単にできることが、自分だけうまくできない気がした。
だから、人一倍努力した。
仕事が終わると、家でノートにまとめ直し、
手順を何度も書き出して覚えた。
薬を飲みながら働く毎日。
強い眠気と戦いながらの勤務だった。
それでも私は、必死だった。
日勤と夜勤を繰り返す生活は過酷だった。
夜勤は十六時間。
静かな病棟を巡回しながら、
ふと、保護室にいた頃の自分を思い出す夜もあった。
——私は今、“看られる側”ではなく、“支える側”にいる。
その事実が、不思議だった。
夫と主治医以外、誰にも病気のことは話していなかった。
「もし知られたらどうしよう」
そんな怖さも、心のどこかにずっとあった。
それでも今度は、私が誰かを支えられることが、嬉しかった。
患者さん一人ひとりと向き合う時間は真剣そのものだった。
不安そうに眠れない患者さん。
涙を流す患者さん。
退院を目指して頑張る患者さん。
その姿を見るたび、私は「昔の自分」を思い出していた。
だからこそ、ただの業務では終わらなかった。
一人ひとりの言葉が、胸に残った。
「ありがとう」
その一言をもらうたび、胸の奥がじんわり熱くなった。
かつて患者だった私が、今は“支える側”に立っている。
その事実は、どんな勲章よりも誇らしく、嬉しかった。
忙しい毎日だった。
失敗して落ち込む日もあった。
泣きながら帰宅した夜もあった。
それでも、白衣の袖を通すたび、
私は少しずつ、“自分を取り戻している”気がしていた。
白衣は、もう憧れだけの存在ではなかった。
苦しさも、責任も、怖さも知った上で、
それでも着たいと思えた、大切な仕事着だった。
これが、かつて保護室で泣いていた私が、
再び白衣を着て、確かに生きていた日々の記録である。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑩ 結婚、そして喪失
忙しい日々の中で、彼はいつの間にか、私の生活そのものになっていた。
学生時代から、ずっと隣で支えてくれていた人。
調子が悪い日も、泣いてしまう日も、
病気のことを、一度も否定しなかった。
「大丈夫だよ」
その言葉に、私は何度救われただろう。
やがて、結婚の日が訪れた。
旦那さんとは、五年の交際を経ての結婚だった。
純白のドレスをまとい、鏡の前に立ったとき、私は涙があふれた。
お色直しでは、ニコールに憧れて選んだ、
お花がついていて花弁が舞うようピンクのドレスを着た。
その瞬間、保護室で夢見ていた“ピンクのドレスの世界”を思い出した。
夢ではなく、本当にこんな幸せな日が来るなんて、
あの頃の私は思っていなかった。
父のいない私は、母と二人でバージンロードを歩いた。
母は歩き出す前から泣いていて、
私も涙をこらえきれなかった。
ゆっくりと歩いたその時間は、人生そのものみたいだった。
精神看護学の立花先生と桜庭先生。
桜庭先生は、スピーチのあと、アカペラで「乾杯」を歌ってくれた。
仕事を抜けられず、東京から二次会に駆けつけてくれた東雲先生。
水ノ森病院の優しかった看護部長。
仲の良かった先輩や、今でも仲の良い同期。
看護学生時代の留年仲間。
精神保健福祉士の友人たち。
あの日、私を囲む笑顔の輪は、今も鮮明に心に残っている。
教会を出たあと、みんなでバルーンリリースをした。
夕方には花火が上がり、
参列者と一緒にケーキを食べて笑い合った。
祖父母は高齢で式には出席できず、
老人ホームから音声メッセージを送ってくれていた。
流れてきた祖父母の涙声に、会場中が静まり返った。
参列者も、スタッフさんも、みんな泣いていた。
私も、涙を止めることができなかった。
最後に、母への手紙を読んだ。
途中で涙があふれ、声が震えた。
そして私は、赤ちゃんの頃の自分と同じ体重のクマのぬいぐるみを
、母へ手渡した。
「ありがとう」と伝えたかったのは、本当は私の方だった。
お金がなくても育ててくれたこと。
病気になっても、誰ひとり見捨てなかったこと。
今の私があるのは、みんなが支えてくれたからだった。
あの結婚式は、今でも
「本当にいい結婚式だったね」
と言ってもらえる、大切な思い出になっている。
結婚式は、本当に幸せだった。
「生きていて良かった」
私も、絶望していた昔が嘘のように、
心から、そう思えた瞬間だった。
けれど、結婚後の生活は忙しかった。
仕事を終えて帰宅し、夕飯を作り、洗濯をする。
休む暇もなく、疲れてソファで眠ってしまう夜もあった。
それでも、その忙しさは夢みたいに幸せだった。
「おかえり」
「ただいま」
そんな当たり前の言葉が、私にはかけがえのないものだった。
けれど、ある日——
担当していた患者さんが、突然、自ら命を絶った。
信じられなかった。
ナースステーションで報せを聞いた瞬間、
視界がにじみ、呼吸が浅くなった。
私は、その場で泣いた。
先輩は、
「それだけ寄り添って、一生懸命看ていた証だよ」
と声をかけてくれた。
担当のドクターも、何も言わず、静かにそばにいてくれた。
患者さんの旦那様は、私を責めるどころか、
「よく診ていただいて、ありがとうございました」
と頭を下げてくださった。
それでも、心は追いつかなかった。
「私が、もっと早く気づいていたら——」
その思いが、何度も何度も頭をよぎった。
その夜から、私は眠れなくなった。
病院の廊下を歩くたび、
患者さんの笑い声が、幻のように聞こえた。
心の奥に、静かに穴が空いていく感覚。
結婚という大きな環境の変化も、
再発の引き金になりうることを、
私は学生時代、精神看護学で学んでいた。
けれど、調子のよかった私は、
その事実を、どこかで忘れていた。
熱心に看ていた患者さんの自殺。
嬉しいはずの結婚生活。
知らないうちに無理を重ね、
私は少しずつ、自分を見失っていった。
そして、体調は悪化し、
やがて私は、新卒から勤めていた病院を退職した。
仕事を失った日常は、ぽっかり穴が開いたようだった。
そんな私の隣で、夫は静かに言った。
「大丈夫。ゆなは、ゆなだよ。」
その一言で、張りつめていた何かが、ふっとほどけた。
誰かの命を救えなかった私を。
何もできなくなった私を。
彼は、“そのままの私”として受け入れてくれた。
そのことには、今でも心から感謝している。
けれどこのときの私は、
この出来事が、これから先の人生で何度も立ち止まり、
自分自身と向き合うきっかけになることを、
まだ知らなかった。
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⑪ コーギーと過ごした12年
退職後、私は一匹のコーギーを迎えた。
ふわふわの毛並みと、まっすぐな瞳。
その小さな命は、沈んでいた私の心に、
静かな光をともしてくれた。
散歩のたびに風の匂いを感じ、季節の移ろいを知った。
同じ道を歩き、同じ朝を迎える日々が、
少しずつ私の呼吸を整えていった。
言葉はなくても、ただ寄り添ってくれる存在。
泣いているときも、そっと隣に座ってくれた。
その温もりに、私は何度も救われた。
仕事を辞め、自分にはもう何も残っていないように感じていた頃。
それでも、その子は何も聞かず、何も責めず、
ただ私の帰りを待っていてくれた。
無理に笑わなくてもいい。
何もできなくてもいい。
ただ生きている——それだけで十分なんだと、教えてくれた。
コーギーと過ごした12年間は、
私にとって“再生の時間”だった。
止まっていた時間が、
ゆっくりと動き出していくのを感じていた。
つらくて眠れない夜。
涙が止まらない日。
そんな時も、その子は静かに私のそばにいてくれた。
小さな命に、私は生かされていたのだと思う。
そして十二歳の春、彼は静かに天国へ旅立った。
その日、私は声をあげて泣いた。
もう一度だけ会いたい。
もう一度だけ、頭を撫でたい。
今でも、ふとした瞬間に、
無性に会いたくなることがある。
それでも、もう姿は見えなくても、
心の中にはいつもあの子がいる。
あのまっすぐな瞳が教えてくれた“生きる力”は、
今も私の中で息づいている。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑫ 届いた封筒と見覚えのない名前
ある日、ポストの中に、一通の封筒が入っていた。
差出人の名前を見た瞬間、心臓が、わずかに強く打った。
けれど、その名前に、すぐには結びつかない。
見覚えがあるようで、ない。
記憶の奥に引っかかるのに、輪郭だけがぼやけている。
白い、少しだけ古びた封筒。
手に取ると、紙の感触がやけに生々しくて、指先に残った。
——どうして、今になって。
胸の奥に、言葉にならないざわめきが広がっていった。
父の記憶は、驚くほど少ない。
幼い頃、ぬいぐるみをくれた
——それが、ほとんど唯一の温かい記憶だった。
母に苦労をかけ、家に安心をもたらすこともなかった。
父親らしい役割を果たした記憶は、私の中には見当たらない。
父が亡くなったと聞いたのは、私がまだ娘を授かる前のことだった。
人づてに、「死の縁で、ゆなに会いたいと言っていた」と聞かされた。
その言葉に、私は怒りで体が震えた。
生きている間、何一つ向き合ってこなかった人が、
最期になって「会いたい」と言う——。
母にどれほど借金で迷惑をかけてきたのかを思い出すと、
あまりにも身勝手に思えた。
そんなある日——今度は、市役所からだった。
茶色い封筒。見慣れた役所の文字。
そこに書かれていた名前は、私にとって見覚えのないものだった。
——婿養子に来た父の名前を、私は知らなかった。
封筒の中には、見慣れない言葉が並んでいた。
「生活保護」「債務」「返済義務」
——すべて、父に関するものだった。
離婚は成立しているものの、戸籍上は娘にあたる私に、
借金の返済義務が及ぶ可能性があるという通知だった。
私は親戚の司法書士に相談し、相続放棄の手続きを取った。
書類に並ぶ、知らない父の名前。
その隣に書かれた、自分の名前。
——逃げたくても、切り離せない血だった。
離婚していても、私は確かに「父の娘」だった。
その事実を突きつけられたとき、胸が詰まり、体調を崩した。
怒った母は、市役所へ抗議の電話をかけた。
これまで一人で背負ってきた苦労が
その声の奥に、はっきりと滲んでいた。
父が残したものは、愛情でも、教えでもなかった。
向き合わざるを得ない現実と、割り切れない感情だった。
それでも——私は、この「父」という存在と向き合った。
憎しみも、怒りも、失望も、すべて抱えたままでいい。
無理に赦さなくてもいい。
ただ、私の人生は、父とは違う場所へ、確かに続いている。
夫が言った。
「父親はひどい人だったかもしれないよ、ゆな。
でも、お義母さんを見てごらん。
一人で借金を返して、ずっと働いて、ゆなを大学まで行かせた人だ。
ゆなは、その強さを受け継いでると思えばいい」
その言葉に、私の心は、少しだけ軽くなった。
心が完全に癒えたわけではない。
それでも、私の時間は、静かに前へ進み始めていた。
——そのすべてを抱えたままでも、
私は、父ではなく、私の人生を生きていく。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑬ 母になるという決断
父のことに区切りをつけてから、しばらく経ったころ。
私は、再び自分の人生を前に進めようとしていた。
水ノ森病院を退職し、コーギーと暮らし始め、
体調も、少しずつ落ち着いてきていた。
夫は子どもを望んでいて、
私自身も、いつか母になりたいと思っていた。
けれど——
遺伝性の病気があることは、ずっと心に引っかかっていた。
周囲には、その不安から妊娠を諦めた夫婦もいた。
それでも私は、
「この人との子どもが欲しい」
その気持ちを、どうしても手放すことができなかった。
主治医の佐伯先生に相談しながら、
体調を見つつ、薬を少しずつ減らしていった。
妊娠が分かったら、すぐに眠剤を中止する——
それは、先生と私の間で決めていた約束だった。
夫の協力もあり、不妊治療のクリニックにも通った。
子宮筋腫があり、妊娠は決して簡単ではなかった。
それでも——
8年という時間を経て、
33歳のとき、待望の第一子を授かった。
嬉しくて、すぐに夫と母に連絡した。
その足で佐伯先生にも電話をかけ、
「今日から眠剤をやめます」と伝えた。
不思議なことに、妊娠中の体調はとても安定していた。
眠剤はまったく必要なく、自然と眠ることができた。
「生まれたら忙しくなるから、今のうちにできることを」
友人のそんな言葉に背中を押されて、
夫と二人、ゆっくりとランチをしたり、
ベビー用品をのぞいたりした。
名前もまだ決まっていない
小さな命のことを思いながら過ごす時間は、
驚くほど穏やかで、やさしかった。
妊娠38週。
子宮筋腫の影響もあり、総合病院で予定帝王切開となった。
——だが、出産後。
私は再び、体調を崩した。
妊娠中の安定が嘘のように、
心も体も、音を立てて崩れていった。
それでも——
初乳があげられなくても、
母乳が出なくても、
病気を抱えていても、
私は、確かに母になった。
けれど——
「母になる」ということは、
私が思っていたよりも、ずっと過酷で、
そして、ずっと孤独な始まりだった。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑭ 母になったのに抱けなかった
妊娠中は、とても体調が安定していた。
けれど出産後、心も体も、一気に崩れてしまった。
私は、すぐに「母」にはなれなかった。
昼間、私は一人では赤ちゃんに会えなかった。
病気があるため、自由に接することができない——
それが、病院の判断だった。
会うには、必ず夫の付き添いが必要だった。
新生児の安全を最優先に考えての対応だったのだと思う。
それでも、かつて看護師として働いていた私にとって、
その現実は、あまりにも残酷だった。
夜になると、私は授乳室にも入ることができなかった。
昼間、娘にミルクをあげて、
逃げるように病室へ戻る毎日。
白いカーテンの向こうでは、
母乳をあげ、赤ちゃんを抱き、
小さな声で笑い合っているお母さんたちがいた。
赤ちゃんの泣き声と、やわらかな話し声。
私はその場に入ることもできず、
ただ、立ち尽くしていた。
——こんな私に、母親になる資格なんてあるのだろうか。
体調の悪化から、理由も分からないまま
筋肉注射を打たれた。
一人になると、涙が溢れた。
悪いことをしたわけじゃないのに。
統合失調症というだけで、
自分の赤ちゃんにも、自由に会えないの?
再燃していた私が抱えたのは、
「赤ちゃんを奪われてしまう」という恐怖だった。
理屈ではなかった。
母としての本能が、必死に、わが子にしがみついていた。
看護師さんに何かを相談したら、
児童相談所に連絡されてしまうのではないか。
そんな恐怖が、頭から離れなかった。
今思えば、それも妄想だったのだと思う。
それでも当時の私には、現実そのものだった。
頼りの夫に、私はメールを送った。
それでも、相談することすら、怖かった。
昼間、赤ちゃんに会えないかとお願いしても、
返ってくるのは、「だめです」という言葉だけだった。
今思えば、病院側も新生児の安全を考えての
判断だったのだと思う。
けれど当時の私は、
「母でいる資格がない」と言われているようで、
それが何より、つらかった。
それでも——
夫が面会に来てくれると、
そのときだけ、娘に会うことができた。
カートに娘を乗せて、
家族三人で過ごした、短い時間。
今思い返しても、
あのひとときは、宝物のように温かい。
あの時間が、
「私は母になったんだ」と、
確かに教えてくれた気がする。
白衣を再び着る日まで―ニコールキッドマンに憧れてー
⑮ ニコールに恋して
Falling in Love with Nicole
病気とともに生きる中で、
あの暗い時間の中で、私を支えてくれたのは映画だった。
体調が不安定になると、
現実と幻想の境界が、ゆっくりとあいまいになっていく。
そんなとき、決まって思い浮かぶ人がいた。
症状が強くなり、興奮状態に近づくと、
ふと浮かぶ名前。
ニコール・キッドマン。
それは、ただの憧れではなかった。
苦しいとき、何度も現れて、
私を現実へ引き戻してくれる存在だった。
いつしか私は、
心の中で、自分がニコールであるかのように
感じることさえあった。
入院中、保護室の無機質な空間の中で、
私はニコールのポスターを壁に貼っていた。
限られた世界の中で、
その一枚だけが、外とつながる窓だった。
診察では、映画の話をすることが、
いつしか先生との小さな習慣になっていた。
「最近、何の映画を観た?」
その一言から始まる時間が、
私を現実へとつなぎとめる、静かなリズムだった。
ある日、私は先生に聞いた。
「先生、ニコール・キッドマンとナオミ・ワッツ、私はどっち?」
少しの沈黙のあと、先生は笑って言った。
「ナオミ・ワッツだね。」
――なんで。
こんなにニコールが好きって言っているのに。
そう思いながらも、
その言葉に、どこか救われていたのかもしれない。
先生はデヴィッド・リンチの映画が好きだった。
そして、こう言った。
「妄想の世界と共存しても、生きていくことはできるんだよ。」
その言葉が、胸の奥に静かに沁みていった。
映画を観る時間は、
現実から逃げるためのものではなかった。
それは、もう一度生きたいと願う、
私の小さな祈りだった。
「幸せの隠れ場所」を観れば、
サンドラ・ブロックのように、知的でやさしく。
「つぐない」を観れば、
キーラ・ナイトレイのように、凛として美しく。
「ブラック・スワン」を観れば、
ナタリー・ポートマンの強さに、心を奪われた。
そして、誰よりも、ニコールのように。
美しく、儚く、そして強く。
「ムーラン・ルージュ」やシャネルNo.5のCMを、
何度も何度も繰り返し観た。
その時間だけは、
現実の自分の姿も、
体重が80キロまで増えてしまった事実も、忘れて、
私はニコールになっていた。
ピンクのドレスをまとい、
ニューヨークの街を走る自分を思い描く。
お風呂上がり、髪を乾かしながら過ごすその時間は、
いつしか心を立て直すための時間になっていた。
そのときだけは、
私は「病気の自分」ではなかった。
ただ、美しく在りたいと願う、
ひとりの人間だった。
映画と、先生と、そして「好き」という感情。
それは、私を現実へとつなぎとめる、
細くて、でも確かな糸だった。
壊れても、また咲ける。
スクリーンの中でニコールが微笑むたび、
私は何度でも、もう一度生きようと思えた。
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