
『水曜どうでしょう』私たちはいつの間にか5人目の旅人になっていた|第44夜
前回の第43夜では、『水曜どうでしょう』が最初から旅番組ではなく、アーティストインタビューやコントなど、さまざまな企画を試しながら、自分たちらしい形を見つけていった過程について考えました。
旅は最初から決められた答えではなく、試行錯誤の末にたどり着いた一つの形だったのです。
では、その旅は、なぜ30年経った今でも何度も見返したくなるのでしょうか。第5章の最後となる今回は、「帰ってきたくなる場所」という視点から、『水曜どうでしょう』が長く愛され続ける理由を考えてみたいと思います。

(引用元:DVD「サイコロ3後編」より)
これまで第5章では、「雪面の飛び魚」の衣装から始まり、ヘリコプターでの惨劇、盛岡で完全に力尽きた大泉洋さん、嬉野雅道さんの撮影哲学、まだ全国区になる前の大泉さん、スタイリスト小松さん、そして旅番組になるまでの試行錯誤まで、一つひとつの出来事を取り上げてきました。
しかし、改めて振り返ってみると、不思議なことがあります。
私たちは「ヘリコプター」という乗り物が好きだから見返しているわけではありません。「盛岡」という街が好きだから見返しているわけでもありません。韓国だから、オーストラリアだから、ヨーロッパだからという理由でもありません。
どの企画を思い出しても、最後に頭の中へ浮かぶのは、そこで笑い、困り、怒り、疲れ切っている4人の姿です。
つまり、『水曜どうでしょう』で私たちが本当に見続けてきたのは、「旅」ではなく、「旅をしている4人」だったのではないでしょうか。
だから目的地が変わっても面白い。乗り物が変わっても面白い。企画が変わっても面白い。旅そのものよりも、その中で4人がどんな反応を見せるのかを楽しみにしていたのです。

(引用元:DVD「サイコロ3後編」より)
そして、もう一つ大きな理由があります。
私は、『水曜どうでしょう』を見ていると、テレビを見ている感覚ではなく、自分もその旅に参加しているような感覚になります。
普通の旅番組では、出演者が景色を紹介し、視聴者はそれを眺めます。画面の向こうにいる出演者と、画面のこちら側にいる視聴者。その距離は最後まで変わりません。
しかし、『水曜どうでしょう』は少し違います。
車の後部座席から見える景色。助手席越しに聞こえる会話。居酒屋の片隅で交わされる何気ない雑談。深夜バスで眠れずにぼんやりしている時間。カメラは、まるでその場にもう一人座っている人の視線で4人を映し続けます。
特にサイコロ3後編では、藤村D自身がカメラを回していました。だからこそ、大泉さんの表情へ思い切り寄り、疲れ切った顔も、ゆがんだ表情も、そのまま映し続けます。
普通の番組なら隠したくなる瞬間まで撮る。その映像が、私たちをさらに旅の中へ引き込んでいきました。
その結果、私たちは画面の外から4人を眺めているのではなく、まるで同じ車に乗り合わせた「5人目」のような気持ちになっていきます。
友達4人の旅行へ、一人だけ後から混ぜてもらったような感覚です。
誰かが笑えば、自分も笑う。誰かが疲れれば、「もう休ませてあげてほしい」と思う。大泉さんが文句を言えば、「また始まった」と笑ってしまう。
それは出演者と視聴者という関係ではありません。同じ旅を共有している仲間のような距離感なのです。

(引用元:DVD「サイコロ3後編」より)
だから私は、『水曜どうでしょう』は旅番組というより、「友達との旅を思い出す番組」になったのだと思っています。もちろん、私たちは4人の友達ではありません。本当にその場にいたわけでもありません。
それでも、何度も見返しているうちに、「ここをキャンプ地とする」「腹を割って話そう」「寝ー釣ーり」などの名場面を、自分もその場で聞いていたような気持ちになります。
初めて見る企画では、旅の結末が気になります。でも、二度目、三度目と見返す頃には、結末はもう知っています。
それでも再生ボタンを押してしまうのは、「この旅がどう終わるのか」を知りたいからではありません。もう一度、あの4人と旅をしたくなるからです。
『水曜どうでしょう』には、予定どおりに進む旅はほとんどありません。サイコロで行き先が変わる。ヘリコプターで酔う。深夜バスで眠れない。目的地へ着いても、食事ができない。
普通の旅番組なら失敗とされる出来事ばかりです。それでも面白いのは、失敗そのものではなく、それを受け止める4人の関係が変わらないからです。
誰かが困れば、誰かが笑う。誰かが怒れば、誰かが受け止める。そして翌日には、また何事もなかったように次の目的地へ向かっていく。
その自然なやり取りを見ているうちに、私たちも気づけばその輪の中へ入り込んでしまいます。だから『水曜どうでしょう』は、旅番組というジャンルを超えていきました。
旅先に憧れる番組ではなく、「この4人と一緒に旅をしたい」と思わせる番組になったのです。私は、この距離感こそが30年間愛され続ける一番の理由なのではないかと思っています。
友達の旅行写真は、知らない人が見ても面白くありません。でも、自分も一緒に行った旅行の写真なら、何年経っても笑えます。
『水曜どうでしょう』も、それとよく似ています。
何十回見ても笑えるのは、私たちの記憶の中で、あの旅が「見た旅」ではなく、「一緒に過ごした旅」に変わっているからではないでしょうか。
第5章では、サイコロ3後編を中心に、「雪面の飛び魚」の衣装、ヘリコプターでの惨劇、盛岡でのダウン、若き大泉洋さん、スタイリスト小松さん、そして旅番組が完成するまでの試行錯誤を読み解いてきました。
一つひとつは別々の出来事でしたが、最後に残ったのは、「またこの4人に会いたい」という気持ちでした。
それは出演者に会いたいという意味ではありません。あの4人が旅をしている時間に、もう一度戻りたいという気持ちです。『水曜どうでしょう』は、30年という時間をかけて、「帰ってきたくなる場所」になりました。
だから今日も、新しい企画を見るような気持ちでDVDを手に取り、何度も同じ旅へ帰ってきてしまうのです。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
次回、第45夜は「『水曜どうでしょう』宮崎リゾートは、なぜ旅人の心を変えたのか」について考えていきます。
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📌今回の内容を踏まえて、皆さんは……
A:『水曜どうでしょう』は、4人と一緒に旅をしている感覚になる
B:4人のやり取りを外から見て楽しむ番組だと思う
どちらに近いでしょうか。理由もあれば、ぜひコメントで教えてください。
(コメントには必ずご返信させていただきます。今後の『水曜どうでしょう』考察の参考にさせていただきます。)
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■運営者(ユウナ)について
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