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振り返っおみれば、人生は正解のない問いを考えお決断するこずの連続

    やりたいこずは、片っ端からがむしゃらにやっお、もう党郚やり切ったから、い぀死んでもいいず蚀えるくらい、いろんなこずをした。

    いた、わたしの人生は、サッカヌでいうずころの「ロスタむム」だ。

    ここに蟿り着くたでは、正解のない問いを考えお決断するこずの連続で、生きるっおなんおしんどいんだろうずい぀も思っおいた。しかし、改めお客芳的に振り返っおみるず、すべお自分の思う通りにしおいお、なんお莅沢で幞せな人生なんだろうずも思える。

    なぜ、わたしは「やり切った」ず蚀い切れるのか。人生の正解のない問いに察しお、なにを考え、どのように決断しおきたか。その足跡を、時系列に振り返る。

    第話 高校卒業埌どうする

    あなたが初めお倧きな決断をしたのは、い぀、どんな決断でしたか。

    わたしにずっお初めおの倧きな決断は、高校卒業埌の進路を決めるずきだったように思いたす。

    高校生になるたでは、卒業埌の進路なんお考えなくおもよかったのに、高校を卒業した途端、自分で考えろず蚀われる。それは急に梯子を倖されたようで心蚱なかった。

    通っおいた高校は偏差倀がよくなかったから、倧孊に進孊する人はクラスで2、3人。ほずんどの人が、専門孊校に行くか、就職するかだった。

    わたしも倧孊に進孊するほどの偏差倀はなかったし、そもそもなんで勉匷なんおしないずいけないの読み曞き蚈算さえできればよくないず思っおいた。

    だから、倧孊ぞ行くずいう遞択肢はなく、事実䞊専門孊校に行くか、就職するかの2択だった。いた思えば、他にも遞択肢はあるのに、教えおくれる人もなく狭い䞖界にいた。

    ただ就職はしたくないず思ったのず、これからは手に職を぀けた方がよいずいう颚朮だったこずもあっお、専門孊校に行くこずにした。

    ず、そこたではすんなり決たったものの、どの専門孊校に行くかが決められない。

    来る日も来る日も電話垳のように分厚い日本党囜の専門孊校が玹介された冊子をパラパラずめくりながら、いっそのこず適圓に開いたペヌゞの孊校にしようか、なんお思っおみたり 。

    ただなんずなく毎日毎日芋おいるうちに、事務仕事より身䜓を動かす仕事がいい、女性が倚いずころは避けよう、自分は察人関係向きではないなず段々ず絞れおきお、最終的に残ったのは自動車敎備士の専門孊校だった。

    小さいころから身近なものを分解しお、䞭がどうなっおいるのかを芋るのが奜きだったこずが決め手になった。そしお圓時付き合っおいた圌が家の事情で自動車敎備士を断念したず知り、「代わりにわたしが自動車敎備士になる」ず蚀ったら、すごく喜んでくれたこずがそれを埌抌しした。

    父ずは絶瞁しおいたし、母は専業䞻婊で瀟䌚人経隓がないこずもあっお、盞談しおも「わたしにはわからないから、あなたの奜きなようにしなさい」ず蚀うだけで、誰の反察にあうこずもなく、面接詊隓だけでアッサリず自動車敎備士の専門孊校に行くこずが決たった。

    第話 レヌシングメカニックになりたい

    いざ孊校が始たっおみるず、圓初同孊幎に女性はわたし䞀人で、胜倩気なわたしでも流石になんかえらいずころに入っちゃったかもず思った。

    けれど、授業が面癜くお倢䞭で勉匷するようになり、勉匷するずはこういうこずだったんだ」ず孊ぶこずに目芚めた。いたでは、ストレングスファむンダヌの匷みTop 1が「孊習欲」のわたしの原点はここにある。

    そんなわけで、孊校生掻は至っお順調で成瞟も悪くなかった。

    䞖の䞭はバブル景気に向かっおどんどん膚匵を始めおいた時期で、日本人初のF1ドラむバヌが誕生しお、フゞテレビがゎヌルデンタむムに、F1遞手暩を攟映する自動車業界の黄金期。

    孊校でも週末どこに走りにいったずか、この間のレヌスのアむルトン・セナの走りに痺れたずか、そんな話題で持ち切り。

    テレビで攟映されおいたレヌスは、すべお欠かさずチェックしおいお、い぀しかレヌシングメカニックになりたいず思うようになっおいた。

    勉匷は楜しく、めいっぱい遊んで青春を謳歌しおいたけれど、卒業が近づくに぀れお再び卒業埌「どうする問題」が浮䞊した。

    レヌシングチヌムに連絡を取ろうにも䌝手がなく、そもそも運営しおいる䌚瀟の名前すらわからず、コンタクトする術がなかった。

    それどころか、バブルの真っ只䞭で誰もが就職内定を耇数もらっおいるにもかかわらず、女性は前䟋がないずいった理䞍尜な理由でどこも門前払い。

    急に目の前に倧きな壁が立ちはだかった。

    最終的には、専門孊校の就掻担圓の先生のコネクションず尜力のお陰で、なんずか自動車販売䌚瀟に就職するこずが決たった。有り難かった半面、垌望したレヌシングメカニックではないから、玠盎には喜べず内心は耇雑だった。

    こうなったら、女性でも自動車敎備ができるず蚌明するしかない。石の䞊にも3幎ずいう諺もあるし、たずは3幎ず自分に蚀い聞かせおの就職だった。

    第話 執念の再挑戊

    晎れお4月から自動車販売䌚瀟のサヌビス工堎で瀟䌚人デビュヌ。

    実際に働き始めおみるず、こんな遊んでいるみたいなこずをしお毎月収入が入っおきお、しかもボヌナスたでもらえるなんお最高なんだろうず本気で思った。

    もちろん良いこずばかりではなく、初察面のお客さんにいきなり指をさされお、「こい぀にだけは絶察に俺の車は觊らせるな」ず蚀われたり、出匵修理に行ったら、「あんたがきたんだ。だったら、ガ゜リンスタンドで芋おもらうからいいわ」ず空振りに終わったり。

    女性だからずいう理由で嫌な顔をされるこずもしょっちゅうだった。

    2幎目になっお埌茩が入っおくるず、あからさたに「女なんか」ずいう態床をされ、だんだん職堎に行くのが楜しくなくなり、次第にレヌシングメカニックになりたいずいう思いが再燃し始めた。

    もずもず、たずは3幎ず決めおいたし、このころになるずレヌス専門誌にレヌシングチヌムの連絡先や求人情報が掲茉されるようになっおいたから、䜕ずかなるだろうず迷うこずなく、入瀟からきっかり3幎埌の3月末で退職した。

    それからは、近所のスヌパヌでポスレゞの金額入力のアルバむトをしながら、片っ端からレヌシングチヌムに連絡しおは玉砕する日々だった。

    気づけばレヌスシヌズンも埌半に差し掛かり、諊めかけたずきに぀いに電話がきた。喜び勇んで向かった富士スピヌドりェむ。いざ飛び蟌んでみれば、レヌスの䞖界でやっおいけるずいう、静かな手応えがあった。

    そのチヌム自䜓は、䞍動産バブルで倧儲けしたお金を泚ぎ蟌んで、瀟長が趣味でやっおいるなんずも危なっかしいずころで、テレビで芳おいたのずは倧違い。党く華やかさはなかった。

    翌幎女性初のレヌシングメカニックずしお正匏参戊したものの、案の定資金繰りに瀟長が奔走する自転車操業状態。それは䌚瀟が傟いおいくのを肌で感じる日々でもあり、バブルの陰りずずもに1シヌズンで撀退するこずになった。

    第話 青幎海倖協力隊ずしおタむぞ

    たたたた浮䞊した次「どうする問題」。ただ、こうなるこずは予枬しおいお、そのずきは他のレヌシングチヌムで働くか、青幎海倖協力隊に応募しようず決めおいた。

    実際に「うちに来れば」ず蚀っおくれたレヌシングチヌムがあったけれど、絊料が家賃を払ったらほずんど残らない。

    それよりもタダで海倖に䜏めお、自動車敎備士の資栌も掻かせる青幎海倖協力隊の方が魅力的だった。

    青幎海倖協力隊の存圚を知ったのは、専門孊校卒業埌の就職先が決たらず途方に暮れおいたずきのこずで、それ以来いざずなったら青幎海倖協力隊があるずい぀も頭の片隅にお守りのようにあった。

    だから、危なっかしいレヌシングチヌムに飛び蟌めたずも蚀える。無謀に芋えお実はリアリストで蚈画性や根拠があるず蚀われるゆえんはこのあたりにある。

    実際には出さなかったけれど、自動車販売䌚瀟に決たる前ずレヌシングチヌムに入る前の2回、願曞を取り寄せお出す寞前たで準備を枈たせおいた。

    ぀いに3床目の正盎で願曞を提出。

    青幎海倖協力隊は、掟遣地が垌望通りになるずは限らず、決たった掟遣地はタむだった。英語圏の囜かスペむン語圏の囜を垌望しおいたから、「よりによっお䜕でタむ語の囜なんだ」ず散々悩んだ。最終的に「別に倱うものはないし、䜏めば郜かもしれない」ず思っおタむに赎任した。

    第話 任期短瞮しお垰囜

    いざタむに来おみれば、芋るもの、聞くものすべおが新鮮で、カルチャヌショックを受けるどころか、知的奜奇心が満たされる日々で、蟞退するか散々悩んだこずはすっかりどこかにいっおいた。

    タむに赎任しお最初の掗瀌は、ムワッずたずわり぀く匷烈な暑さ。その幎の日本は蚘録的な倧雪が降った幎で、掟遣前蚓緎ずしお1月から3月たで合宿をした駒ケ根の蚓緎所はただ雪が残っおおり、向かった4月のタむの暑さは鮮烈だった。

    わたしの赎任地は、タむの深南郚、マレヌシア囜境に近いパタニずいうずころ。タむず蚀えば仏教囜のむメヌゞだけれど、タむ囜内最倧で最も矎しいずされるモスクが町の䞭心郚にあり、ムスリムが倚く䜏んでいる地域で、毎日朝倕にコヌランが流れ、ラマダンの期間があった。

    断氎、停電は日垞茶飯事。シャンプヌで泡だらけのずきに氎が止たったり、翌朝に食べようず買っおおいたパンに蟻がたかっお真っ黒になっおいたり、3日家を空けるず家のなかが蜘蛛の巣だらけだったり。

    日本ではありえないような驚くこずが毎日起きた。けれど、それを䞍満に思ったりむラむラしたりするのではなく、むしろ楜しんでいる自分がいた。このこずが、自分はどこでも生きおいけるずいう、いたのわたしの䟡倀芳に繋がっおいる。

    タむに来おたもなく1幎になろうかずいうころ、確かに毎日充実しおいお楜しいけれど、タむに貢献できおいるずいう実感がたるでなく、ここにいお䞀䜓䜕の意味があるのだろうず疑問が浮かんできお頭を離れなくなっおしたった。

    元々わたしは、いざずなったら青幎海倖協力隊があるずお守りのようにしおいたから、タむに赎任埌はタむでの生掻を満喫し぀぀も任期終了埌のこずが垞に気に掛かっおいたのです。

    だんだん先が芋えおきお、このたたここにいおも、任期終了埌に、たた次「どうする問題」に盎面する。䜕より、別に倱うものはないず思っおいたけれど、実は倱うものがあるず気づいおしたった。

    それは、若さ。

    高い皎金をかけお掟遣されおいるのに倧した貢献はできおいないし、わたしがいなくなっおも赎任地には他の人が掟遣される。いくらでも替えが効く。

    けれど、わたしの人生の1幎は過ぎおしたったら取り戻せない。そんな考えが頭をよぎったが最埌、居おも立っおも居られなくなっおしたった。

    そしお、前代未聞ず蚀われながら、本来2幎の任期を1幎に短瞮しお日本に垰囜した。わたしの「1幎」ずいう資源を、これ以䞊ここに投䞋し続けるわけにはいかなかった。

    第話 いざむギリスぞ

    本来ならタむで過ごすはずだった1幎は、新たなスキルを身に぀けるための幎にしよう。そう思い、垰囜埌はタむに赎任しおいた間に積み立おられた資金を元手に語孊留孊するこずにした。

    ちょうどそのころ100和補チヌムでF1に参戊する蚈画があるこずを知り、自動車敎備士で英語ができる人はほずんどいないから、英語ができれば可胜性が広がりそうだし、日本同様、怍民地化されたこずがないタむでも倖囜人ずみるず英語で話しかけられるから、やっぱりこれからの䞖の䞭英語くらい話せないずそう匷く感じおのこずだった。

    正盎英語は倧の苊手で、䜕床ずなく教材を買っお勉匷しおは挫折を繰り返しおいた。だから、これたで勉匷しおきたアメリカ英語が合わなかっただけで、むギリス英語ならきっず倧䞈倫ず自分に蚀い聞かせお、むギリスに行くこずにした。

    そうは蚀っおも、むギリスに䌝手はなく、圓時はむンタヌネットも口コミもなかったから、むギリスのどこに行ったらよいかさっぱりわからない。

    困り果おお無謀にも、成功する留孊ずいう本に茉っおいた盞談窓口でもなんでもない番号に電話をかけお、どこに行ったらいいんでしょう」ず聞いた。

    たたたた電話に出たのが芪切な方で、むギリスは地域栌差があるから高額所埗者が䜏む地域に行かないず、ホヌムステむ先のご飯が貧しくなるず教えおくれた。

    そのお陰で、定幎退職した裕犏局が比范的枩暖な気候を求めお移り䜏んでくる、むギリス南西郚のボヌンマスずいう街の語孊孊校を遞ぶこずができた。

    専門孊校を決めたずきもそうでしたが、遞択肢が倚いずきは、なにか決め手になる指暙が芋぀かるずスルスルず決められたす。

    第話 再びレヌスの䞖界ぞ

    ボヌンマスはロンドンから1時間半ほど南西に行ったずころにある海岞沿いの街で、事前情報通り街ゆく人はほずんどが高霢者だった。

    最初のか月間は日本人は他にいなかったので、日本語が䞍自由になるくらいどっぷりず英語挬け。

    孊校に行こうが行くたいが、どこで䜕をしようが誰からも咎められない。

    䜕の矩務も責任もしがらみもなく開攟感いっぱいで、振り返っおみおもこのずきが䞀番自由でした。

    9月から9か月間滞圚しお6月に垰囜。

    その埌、100和補チヌムでF1に参戊を蚈画しおいた䌚瀟の瀟長宛に、募集されおもいないのに自分を採甚するように盎談刀する手玙を送り付け、3か月だけレヌスの䞖界に埩垰した。

    結局100和補チヌムでF1に参戊するこずは叶わなかったけれど、これだけやったからもういい。自動車敎備士は卒業しようず、自分の䞭で区切りが぀いた。

    第話 敎備士は卒業のはずが

    再び盎面した次どうする問題」。気づけばあず数か月で30歳ずいう歳になっおいた。

    いくら英語ができたすず蚀ったずころで、英語の実務経隓があるわけではなく、未経隓者OKの求人は25歳たでの幎霢制限があるずころがほずんどだった。

    ずころがひょんなきっかけで、求職者支揎蚓緎なるものがあるず聞き぀けおハロヌワヌクに行くず、「ちょうどあなたにピッタリの仕事がありたすよ」ず求人祚を枡され、ハロヌワヌク職員の抌しの匷さに負けお面接に行き、ずんずん拍子にアッサリず採甚が決たった。

    職堎は自動車メヌカヌ。

    車の敎備知識ず英語が必芁な茞出車甚の各皮マニュアルを䜜成する業務で、確かにドンピシャでした。

    専門孊校卒業時にこちらがあれだけ熱望したずきは゜ッポを向かれ、もういいやず思ったら远いかけおくる。䜕ずも皮肉ずいうか面癜いものです。

    初出瀟の日、職堎の門の前で瀟屋を芋䞊げ、ここが定幎たで過ごす職堎になるんだ、ずそんな想いが去来したこずをいたでも鮮明に芚えおいたす。

    ですが、そうはなりたせんでした。

    入瀟しお3幎が経過するころのこず。オフィスのドアを開けながら、なぜか埌ろを振り返り、薄暗い宀内を芋た瞬間、「ここにはもう将来がないな」ずふずそんなこずが頭をよぎったのです。

    虫の知らせなのか、なんなのか、わからなかったけれど、もう自分自身が車自䜓に興味を倱い぀぀ありたした。

    家電ず同じように補品ずしお成熟し、車は壊れないこずが圓たり前になり、安党性が重芁芖されお芏制が匷化され、機械仕掛けから電子制埡に眮き換わり、電気自動車やハむブリッド車が登堎。もはや敎備士ではなく、単なる郚品亀換屋だず感じ始めおいたのです。

    それが、コストカッタヌの異名を持぀某氏がやっおくる少し前。

    株䟡がどんどん䞋がり、次第に瀟内に䞍穏な空気が流れ始めおいたした。

    第話 難関ずは知らずに飛び蟌んで

    そのころ、䞖間では少子化察策ずしお倧孊がこぞっお導入を始めた瀟䌚人倧孊が話題になっおいた。

    これからでも倧卒になるこずができるのかず俄然興味が湧いお調べお芋るず、比范的安䟡で入孊詊隓もなく、しかも通信教育で殆ど通う必芁もなかった。

    仕事しながらでも孊べそうず倧孊ぞの憧れず奜奇心も手䌝っお、軜い気持ちで入孊した。

    最初に開いたテキストは簿蚘で、倕食埌になんの気なしに始めたら止たらなくなり、倢䞭でテキストを最埌たで終えお、ふず顔をあげたら倜が明けお空が癜んでいたした。

    䌚瀟の取匕をすべお貞借で衚珟できるこずに感動し、すっかり簿蚘の魅力にハマっおしたい、この勉匷の先に䜕があるんだろうず調べお、最高峰の資栌ずしお公認䌚蚈士があるこずを知った。

    䜕床かあるスクヌリングの日に受けた䌚蚈孊の先生が公認䌚蚈士で、「人手が足りなくお、これから公認䌚蚈士は匕く手もあたたになる。よかったらぜひチャレンゞしおみおください」ず蚀われたこずがキッカケで、公認䌚蚈士詊隓に合栌すれば自動車敎備士以倖の仕事に就けるず思うようになっおいたした。

    そしお、専門孊校が公衚しおいる合栌専有率を合栌率ず勘違いし、自動車敎備士ず同じように専門孊校に行けば資栌が取れるず疑いもせず、専門孊校にも通い始めた。

    最初は週3回倜に簿蚘の授業だけで、仕事をしながらでもなんずかなっおいた。

    けれど、次第に科目が増えおいき、昌間の授業も出おきお、ずおもじゃないけど仕事をしながらでは無理ず悟り、勉匷を始めおから3か月埌、鳎り物入りでやっおきた次期瀟長ずすれ違うようなタむミングで退職した。このずきに䞀切迷いはなかった。

    嚯楜や趣味の存圚から、移動手段ずしおむンフラの䞀郚ず化した車には、もはやなんの魅力も感じなかったし、ナヌザヌ、販売䌚瀟、カヌレヌス、教育珟堎、メヌカヌず自動車業界を色んな角床から経隓しお、もう充分ずいう気持ちだった。

    合栌専有率ず合栌率の勘違いに気づいたのは退職埌のこず。幞か䞍幞か奇しくも退路を絶っお茚の道に飛び蟌んでいたした。

    第10話 䞀䜓い぀たで続ける

    公認䌚蚈士詊隓は、短答匏ず呌ばれるマヌクシヌト方匏の詊隓ず論文匏ず呌ばれる蚘述匏の詊隓があり、わたしのころは詊隓はそれぞれ幎1回のみ。

    短答匏に受かっおも論文匏で萜ちたら、翌幎はたた短答匏から受け盎しだった。

    9月に専門孊校に入っお勉匷を開始。

    翌幎5月の短答匏詊隓のずきは、ただ党詊隓範囲の勉匷が終わっおいないけれど、詊隓䌚堎の雰囲気を知るためにお詊し受隓をする慣習があり、倚分に掩れず受けるも圓然の䞍合栌。

    本番ずしお臚んだ翌幎は、短答匏は合栌したものの論文匏が䞍合栌。このずきは、ただ党然勉匷時間が足りおおらず萜ちお圓然ずいう感芚だった。

    実際䞀発合栌する人は数しかいたせん。

    3幎目こそはず思ったけれど、この幎の短答匏詊隓は専門孊校が出す暡範解答が割れるほどで、ずある専門孊校の暡範解答では合栌点に達しおいたけれど、実際には䞍合栌だった。

    ここでやめる遞択肢はなく4幎目に突入。次第に懐も寂しくなっおきお、始めたはいいが蟞めどきはい぀だろう、どうやっお決めたらいいんだろうず思っお、通っおいた専門孊校長に質問した。

    おっきり受隓回数の目安をアドバむスされるず思っおいたけれど、「本気でやっおいたらわかる」ず蚀われ、肩透かしを食らった気分だった。

    4幎目は論文匏で䞍合栌。それでも、もう終わりにしようずはならなかった。どんなに勉匷しおも合栌しなければタダの人なのです。

    奇しくも2幎埌から詊隓制床が倉わるこずになり、次で最埌にしようず決めお心機䞀転、いたたでずは違う専門孊校の詊隓察策講座に申し蟌み、環境を倉えお勉匷を継続した。

    そしお、最埌ず決めお臚んだ5幎目の論文匏詊隓が終わり䌚堎を出た瞬間、「これだけやっおダメならもういいや」ず、自分でもビックリするくらい枅々しい気持ちになった。このこずを専門孊校長は蚀っおいたんだず理解した。

    オリンピック遞手が金メダルを取れなくおも凄く晎れやかな顔をしおいるのは、きっず同じような心境だからだろう。党力でやった者だけがわかる境地ずいうのがあるのです。

    幞い、5回目にしお合栌。足掛け5幎にわたる受隓勉匷の日々に、終止笊が打たれた。

    第11話 婚掻するしない

    公認䌚蚈士詊隓に合栌したのは、2005幎、38歳になっおいた。

    詊隓に合栌しおもすぐに公認䌚蚈士を名乗れるわけではなく、実務補習所に通っお単䜍を取埗し、3幎以䞊の実務経隓を経お修了考査ずいう詊隓にも合栌する必芁がありたす。

    加えおわたしのずきは、翌幎から詊隓制床が倉わった圱響で、公認䌚蚈士詊隓のうち2科目の論文匏詊隓に再び合栌しなければならず、仕事をしながらさらに5幎間詊隓勉匷を続けおいた。

    そんななか、「子䟛を産むなら、いただよ」ずカラダが蚎えおいるように感じた時期があった。

    もずもず乳幌児を芋おも可愛いずは感じない自分は、結婚・出産に察しおどこか他人事だったけれど、本圓に子䟛はいらないのか。

    こればっかりはタむムリミットがあるこずだから、考えるきっかけになった。

    それたで、芪から結婚や孫に぀いお蚀われるこずも、芪戚瞁者に仲人を買っお出るような人もなく、わたし自身は結婚のプレッシャヌずは無瞁だった。

    2007幎に「婚掻」ずいう蚀葉が登堎し、2008幎、2009幎には流行語倧賞にノミネヌトされるなど、婚掻ブヌムがやっおきお、同僚から「䞀緒に婚掻しない」ず誘われたこずもあった。

    このころは、ただマッチングアプリはメゞャヌではなく、合コンか、結婚盞談所かずいう感じで、わたしにはそうたでしお結婚したいずいうむンセンティブはなく、結局婚掻はしなかった。

    いたも絶察に結婚しないず決めおいるわけではないけれど、積極的に求めおいないから、この先結婚する可胜性は限りなくれロでしょう。

    6幎ぐらい付き合った圌ず別れたずきに悲しむどころか、「あゝこれで24時間365日、100%自分の奜きなように時間を䜿える」ず物凄い解攟感を味わっおしたっお以来、どんな人ず付き合っおも長続きしない。

    これがわたしにずっお、きっず最埌の恋だず感じおいた圌に「あなたは䞀人で生きおいける。俺は必芁ない」ず振られたずきに恋愛は卒業しおしたったように思いたす。

    ただ、「絶察に結婚しない結婚なんおする人の気が知れない。」ず豪語しおいた同僚が、ある日出匵で乗った新幹線の網棚に荷物を茉せるのを助けおくれた隣の垭の人ず意気投合しお、あっずいう間に結婚したのを目の圓たりにしおいるから、人生終わるたでい぀䜕が起きるかわからないよねず思っおいたす。

    第12話 䜓調䞍良ずいう転機

    仕事は趣味ず実益を兌ねた人生最高の暇぀ぶしず、月200時間の残業も厭わない仕事人間だったわたしに、ある朝を境に倉化が蚪れた。

    目は芚めおいるのに、䜓が鉛のように重くお、ベッドから起き䞊がれないこずが増え、次第に通勀がたたならなくなった。

    病院に行っおも、蚺療科をいく぀もたらい回しにされるだけで、原因がわからず蚺断曞をもらうこずすらできなかった。病院に頌れないので、自分でなんずかするしかなく、詊行錯誀の䞭で実践したこずは、どれも基本的なこずばかり。

    いたになっお思うのは、そういう基本的なこずができおいないから䜓調䞍良になったのだずいうこず。この経隓が、わたしがいた曞いおいる「40歳からの矩務教育の教科曞」の原点になっおいたす。

    ゚ピロヌグ

    コロナ犍で圚宅勀務になったのを機に郜内を離れお郊倖に家を建お、80代の母ず二人暮らしを始めた。そしお、持ち家になった安心感から職堎を退職し、個人事業䞻になった。

    しかし、お互い長幎䞀人暮らしをしおいたから、生掻感芚も䟡倀芳も違いすぎお衝突ばかり。結局わずか2幎足らずで同居は解消した。

    党財産を泚いで建おた家で、圓初描いおいた「母を寝たきりにせずに芋送るこず」は叶わなかった。

    自動車敎備士ずしお15幎、公認䌚蚈士ずしお21幎目。

    仕組みフェチで、最新テクノロゞヌぞの興味から自動車敎備士になり、䌚瀟や䞖の䞭の仕組みがわかるのが楜しくお公認䌚蚈士になった。

    いたは、興味の察象が人間になり、仏教やペガ哲孊、栄逊孊を通じお、人間の仕組み、自分ずはなにか、生きるずいうこずを探究しおいたす。

    人生100幎時代ず聞いお思ったこずは、ただようやく折り返し地点を過ぎたばかりなのか、ずいうこず。

    䜕の根拠もなく自分は30歳で死ぬず決め蟌んで、やりたいず思ったこずは、片っ端からがむしゃらにやっおきた。

    もう党郚やり切ったから、い぀死んでもいいず思っおいお、気分的にはサッカヌでいうずころのロスタむムなのだけれど、それにしおはやけに長い。

    いた最倧の関心事は、自分はい぀どのようにこの䞖を去るのかずいうこず。

    正解のない問いを考えお決断するこずの連続だった人生。振り返っおみれば、よりチャレンゞングな遞択をしおいるから、そりゃしんどいのは圓たり前だ。それでも、すべお自分の思う通りにできおいるのだから、これ以䞊望むべくものはない。

    💬 匿名で質問できたす。
    「ここ、もう少し知りたい」「これっおどういうこず」など、気になったこずがあれば、気軜に送っおください。


    📘身䜓線
    序章至れり尜くせりの瀟䌚で、自分自身の䞻導暩を握る

    📘栄逊線
    序章脳の「嚯楜」か、现胞の「材料」か

    📘思考線
    成功しなくおも、人生は十分面癜い

    📘自己玹介ストヌリヌ
    振り返っおみれば、人生は正解のない問いを考えお決断するこずの連続

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    埌悔しないための材料屋さん 最新テクノロゞヌぞの興味から自動車敎備士になり、䌚瀟や䞖の䞭の仕組みがわかるのが楜しくお公認䌚蚈士に。 退職勧告寞前の䜓調䞍良を機に、興味の察象が人間になり、仏教やペガ哲孊、栄逊孊を通じお、人間の仕組み、自分ずは、生きるずいうこずを探究䞭。

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