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成功しなくても、人生は十分面白い

    人は、自分の意思で生まれてくるわけではない。気づいたときには人生は始まっている。

    人間にとって最も幸せなときは、母親の胎内にいるときなのではないだろうか。常に快適な温度に保たれ、必要な栄養は自動的に供給される。重力すら感じない。

    それが、生まれた瞬間から、自力で呼吸し、栄養を取り込まなければならなくなる。

    産声。

    あれは、「生まれてきてしまった」という嘆きではなかろうか。

    ∗ ∗ ∗

    第0話|それでも人生は始まる

    親ガチャとは、よく言ったものだ。けれど、だからなんだというのだ。

    ロールプレイングゲーム(RPG)を立ち上げると、最初に与えられた設定がある。

    何の装備もない。地図もない。これからなにが起きるのかもわからない。その初期設定を気に入らないと文句を言うだろうか。

    とりあえず、あちこち動き回ってみるんじゃないだろうか。そうじゃないと1ミリもゲームは進まない。画面はずっと止まったままだ。

    人生も同じじゃないだろうか。

    確かにロールプレイングゲームとは違って、人生の初期設定は誰一人として同じではない。

    裕福な家庭に生まれるか、貧乏な家庭に生まれるか。愛情深いか、無関心か。生まれてくる時代も、場所も、家も、能力も、人間関係も自分では選べない。

    けれど、コントローラーを握ることはできる。

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    わたしはずっと、生まれてくる時代と場所を間違えたと思っていた。

    いつの頃からそう思うようになったか、正確には覚えていない。けれど、記憶を辿っていくと、幼少期の風景に辿り着く。

    母は、欲しいものを買ってはくれなかった。別に貧乏だったわけではない。生活に困るような家ではなかった。

    けれど、服を買いに行っても、わたしの希望が通ることはなかった。弟にお下がりできるようにと、母が選ぶのはいつも紺色の服だった。

    「こっちがいい」

    そう言って駄々をこねても、母は紺色の服を手に取りさっさと会計を済ませて店を出ていく。

    店に取り残されて泣き叫んでも、戻ってくることはない。お店の人に心配されるから、諦めて母を追いかけるしかなかった。

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    押入れに閉じこもったこともある。

    ふて腐れて、そのまま寝てしまった。けれど、母が探しに来ることはなかった。翌朝、お腹が空きすぎて自分から出ていった。

    そのうち、泣くこと自体が無駄だと悟った。泣いたところで、状況は変わらない。むしろ、いつ泣き止もうかと困るだけだ。

    だから、何があっても平気なふりをするようになった。

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    幼稚園で、凧上げをする日があった。

    何日もかけて作った凧を持って、みんなが列に並び始める。いよいよ公園へ向かうという時だった。

    「あなたは行けません」

    先生に呼び戻された。そして「他のクラスの子を引っ掻いたでしょう」「試しに先生の腕を引っ掻いてみなさい」と言う。

    わたしには、わけがわからなかった。仕方がないから、言われた通りに爪を立てる。何も起こらない。すると先生は言った。

    「正直に謝ったら、凧上げに行かせてあげます」

    わたしは謝らなかった。謝る理由がなかったからだ。

    柱の陰から、二つの目がこちらを睨んでいた。凧上げには行けなかった。

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    別の日。帰り支度の時間に、ロッカーのあたりで騒ぎが起きた。ミートボールが落ちているという。

    イシイのミートボールだった。テカテカとソースが輝いていて、見るからに美味しそうだった。いつも羨望の眼差しで見つめていたものだ。

    すると、誰かが言った。

    「この子がやった」

    先生まで加わった。

    「あなたが片付けるまで、みんな帰れません」

    なぜ、自分が犯人にされるのか分からなかった。でも、そういうことは、もう珍しいことではなくなっていた。

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    そのうち、自分の中に、もう一人の自分が現れるようになった。

    つらいことがあって、膝を抱えて座り込む。すると、もう一人の自分が、それを少し離れた場所から見ている。

    「ああ、またやられちゃったね」と。

    つらいのは、もう一人の自分。わたしは、それを観察していた。

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    初めて「人生ゲーム」をやったとき、不思議な感覚があった。人生って、ゲームみたいなものなのかもしれない。そう思った。

    自分で初期設定を変えることはできない。理不尽なイベントが起きる。時々大きく状況が変わる。

    自分のコマは、どこまでもルールに沿って進んでいく。その感覚が、妙に現実と重なった。

    だから、後になってロールプレイングゲーム(RPG)をやったとき、「まるで、自分の人生そのものだ」と思った。

    次第に、現実でつらいことが起きると、頭の中では戦闘シーンの音楽が流れるようになった。

    ラスボス登場。さて、どう攻略する?

    つらいこと、理不尽なことが起きるたびに、自分の経験値が貯まっていくような感覚になった。

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    人生は平等ではない。無理ゲーみたいな初期設定の人もいる。それでも人生は始まる。だからこそ、どんな人生でも誰にも渡してはいけないものがある。

    それは、自分の人生のコントローラーをどう操作するかだ。


    第1話|永遠など存在しない

    幼い頃から、本を読んでいた。

    童話を読みながら、主人公と自分を重ねた。シンデレラも、白雪姫も、不遇な境遇に耐えていた。しかし物語は、そこで終わらない。

    自分もいまは耐えるときなのだ。そう理解した。

    休憩時間は図書室へ行った。教室にいるのが気まずかったからだ。家でも、新聞やチラシを隅から隅まで見た。活字を見ていると落ち着いた。

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    小学生になって、偉人の伝記を読み漁った。

    モーツァルトは、人類史に残る旋律を作りながら、借金に追われ、病に倒れ、共同墓地に投げ込まれた。どれほど功績を残しても、最期が幸せである保証はない。

    童話のハッピーエンドは、嘘だった。それでも絶望はしなかった。

    止まない雨はない。明けない夜はない。人のうわさも75日。

    それは気休めの希望ではなく、世界の「法則」だ。状態は必ず変化する。それが救いになった。

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    ピカピカのランドセルを背負って初登校した帰り道、突然後ろから突き飛ばされた。家に着いてランドセルを見ると、ガムがべったりと貼り付いていた。

    給食の鯨肉の竜田揚げが流しに吐き出されていたときも、わたしがやったことにされた。

    班分けや二人組の時間が苦痛だった。だいたい余るからだ。

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    なぜなのか、自分ではわからなかった。それでも、不登校にはならなかった。

    あと何時間かしたら帰れる。あと何日かしたら休みになる。そうやって、やり過ごした。クラス替えをしたら変わるかもしれない。中学生になれば変わるかもしれない。ひたすら、次のステージになるのを待った。

    いまの状態が、永遠に続くとは思っていなかった。

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    わたしは、人の目を気にすることがなかった。いや、正確には違う。気にしても、意味がなかった。普通にしていても、最初から「異質な存在」として扱われたからだ。

    わたしはハイハイをしなかった。手が汚れるのが嫌だったらしい。身体が十分発達する前に歩き始めたせいで、幼稚園の頃にはすでに猫背だった。しかも、ほとんど喋らず、無表情。

    自分の姿を見るのが嫌だったわけではない。ただ、写りが悪いからと、写真を極端に避けていた。

    自分が他人にどう見えているのかを、うまく認識できていなかった。鏡の中の自分と、他人から見えている自分が、結びついていなかった。

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    いまなら分かる。人は、相手を見た瞬間に、敵か味方かを判断する。生き物としての生存本能だ。

    姿勢が悪いと、周囲から「自信がなさそうだ」「自分より劣っている」と判断される。そういう扱いを受けるから、さらに自信を失う。負のループだ。

    ループから抜け出すきっかけは、ずっと後になってからやってきた。ヨガを通じて姿勢が改善されると、すれ違いざまにぶつかられることがなくなった。姿勢一つで周囲からの扱いが変わった。

    自信がなくても、姿勢を正して歩幅を広げて歩く。それだけで、周囲からは自信がある人に見える。内側が変わらなくても、外側から変えることができる。

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    いまの苦しみを「永遠」とみるか、「通過点」とみるか。それだけで、人間の耐久力はまったく変わる。

    苦しいと、人はつい「この状態がずっと続く」と思ってしまう。それは事実ではない。

    永遠など存在しない。

    いまは、長い人生からみれば、ほんのひとときに過ぎない。次のステージが必ずある。

    ただし、ステージが自動的に変わるのは、学生時代までだ。社会人になったら必ずしもそうとは限らない。

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    人生のステージが切り替わるきっかけは、3つしかない。

    1. 最初から決まっているもの(クラス替え、進級、卒業、進学など)

    2. 突然やってくるもの(転校、病気、事故、リストラなど)

    3. 自分で選択するもの(転職、結婚、出産、新しいことを始めるなど)

    学生時代は、1が用意されていた。だから待っていてもステージが変わった。

    しかし、社会人になると、1は定年退職くらいだ。待っているだけでは、2のような望まない形しか起こらない。

    わたしは、そう悟って、転職が一般的ではない時代に、最初に就職した会社を3年で退職した。

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    大切なことは、どんな状況にあっても、いかにコントローラーを手放さないか、だ。嘆いたり思考停止していても状況は変わらない。いまの状況を見極め、その状況下で自分が最も納得できる選択をする。

    それが、人生のコントローラーを握り続けるということだ。


    第2話|Bプランを持て

    やりたいことがあるのに、動けない人がいる。

    失敗が怖い。お金がない。時間がない。準備が足りない。そうやって、人生が過ぎていく。

    動けない本当の理由は別のところにある。最悪の事態を想定していないからだ。

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    わたしは決断するとき、常に最悪の事態を想定する。最悪の事態になったとき、どうするか。それを先に決めておく。これがわたしのいうBプランだ。

    最初の会社を辞めるとき、辞表を出す前に秘書技能検定講座とワープロ教室を申し込み、スーパーのポスレジの金額入力のアルバイトを決めた。

    専門学校卒業後の就職先が決まらなかったときも、レーシングチームにエントリーしては玉砕していたときも、青年海外協力隊の願書を取り寄せて、出す寸前まで準備していた。

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    Bプランが決まっていれば、動ける。最悪の事態になっても、想定内だからだ。じゃあ、Bプランを発動させようとなるだけだ。

    Bプランは、決断するときばかりではない。常にこれから先に起きうる最悪の事態にアンテナを張っている。

    タイに赴任して1年になろうかというころ、任期満了までいたら年齢制限で次の仕事が見つかりにくくなる。そう気づき、任期を短縮して帰国した。

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    人生に絶対的な正解などない。誰かにアドバイスされても、腹落ちしなければその選択が正しいとは思えない。失敗するからやめとけと言われても、やってみなければわからないじゃないかと思う。

    だから失敗すると言われてもあえてやった。実際にやってみて、なるほどこういうわけでうまくいかないのかと、そのメカニズムを体感して腹落ちさせた。

    他人から見たら頑固ということになる。けれど、わたしは自分のことをめちゃくちゃ素直だと思っている。自分の気持ちをごまかさないからだ。

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    ただ、一度だけ、自分の気持ちを押し殺したことがある。

    とあるプロジェクト。それは絶対にうまくいかないことが、わたしには見えていた。説明した。何度も。けれど、通じなかった。

    「それがお前の仕事だ。いいからやれ」の一点張りだった。

    仕方なく、無意味だと思いながら目の前のタスクをこなした。案の定、プロジェクトは頓挫した。その代償として、片頭痛持ちになった。今もストレスがかかると発症する。

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    確実に言えることは、どうせやるなら嫌々やるのではなく、主体的にやった方がいい結果になるということ。無駄な経験など何一つないからだ。

    やらされている仕事と、やりたくてやっている仕事では、身体への影響がまるで違う。その証拠に遊んでいて過労死する人はまずいない。

    時々ブレーキがかからない人がいる。限界を超えても気づけずに、死ぬまで働けてしまうのはなぜか。身体のセンサーを無視し続けた結果、センサーそのものが失われるのではないか。

    コントローラーを手放すとは、おそらくそういうことだ。行動だけでなく、自分の気持ちまで手放すと、身体のセンサーにまで影響をきたす。

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    Bプランには、効用がもう一つある。

    どんなに想定しても完璧な想定などあり得ない。想定外の事態になることがある。けれど、「あれだけ考えたけど、さすがにこうなるとは想定できなかった。こればっかりは仕方がない」と納得できる。後悔にはならない。

    Bプランがあれば結果がどうであれ、自分で選択した結果という感覚が残る。それが納得につながる。

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    一度だけ、Bプランがなかったことがある。イギリスから帰国後、レーシングメカニックに復帰したものの、3か月で退職することになった。このときは次の手がなかった。

    絶望して、母に電話した。母はただ一言、静かに言った。

    「帰ってきなさい」

    その一言で、救われた。それ以来、母が絶対的な味方になった。

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    街で浮浪者を見ると、明日は我が身かもしれないという感覚が常にあった。

    だから「いざとなったら帰る場所がある」というのは、単なる安心感ではなかった。リアルな最悪の事態に対する、具体的なBプランだ。

    帰る場所があることが、さらにどんな挑戦も可能にした。

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    勇気があるから動けるのではない。Bプランがあるから動ける。

    その選択をしたときに想定される最悪の事態を考えられるだけ考える。そうなったときに具体的にどうするかまで決めておく。

    想定内のことは起きても慌てたりしない。たとえ想定外のことが起きたとしても後悔にはならない。

    これが、人生のコントローラーを握り続ける術だ。


    第3話|みんな違っていい

    集団の中で、いつも浮いていた。テレビをほとんど見せてもらえなかったから、話題についていけなかった。

    買ってもらえないから、可愛い文房具を見せ合いっこすることも、シール交換の輪に入ることもできなかった。

    放課後に駄菓子屋に寄っても、お小遣いがないから買えなかった。

    それだけではなかった。

    女子トークが苦手だった。何が楽しいのか自分にはわからなかった。キンキンとうるさくて、耳障りとまで思っていた。

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    寂しくはなかった。ただ、所在なかった。仲良しグループを作ってワイワイやっている傍らで、ポツンと一人。ただそれが居心地悪かった。

    だから校庭に出て、雲を眺めた。図書室で本を読んだ。意味もなくトイレに行った。一人でいること自体は、苦ではなかった。

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    好きなテレビ番組があった。刑事コロンボだ。最初から犯人がわかっている。面白いのは犯人当てではない。コロンボがどうやってそれを見抜くか、その過程だ。

    推理小説は、先に結末を読んだ。誰が犯人かを先に確認してから、そこに至る過程を追った。周囲には理解されなかった。けれど、わたしにとっては、それが自然だった。

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    ディズニーランドに行ったとき、「ミッキーマウスとミニーマウスの着ぐるみを着た人が踊っている」と言ってドン引きされた。

    みんなはミッキーとして見ていた。わたしは人が着ぐるみを着ていると見ていた。どちらが正しいではない。ただ、見ているものが違った。

    わたしは人そのものより、その人が何をしたか、どう行動したかを見る。映画を見ても、その役柄に惹かれるのであって、俳優のファンになることはなかった。

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    周囲が「人」や「いまこの瞬間」を楽しんでいるときに、わたしは「なぜそうなっているのか」という構造を見ていた。見ているレイヤーが違った。

    思えば、子供のころから家に帰るとモノを分解していた。シャーペン、ボールペン、目覚まし時計、ラジオ。中を覗いて仕組みを確かめる。分解したことがばれて怒られないように、そっと元に戻す。自分だけが知っている秘密のようでワクワクした。

    モノだけではなかった。人生そのものも、ずっと構造で見ていた。変わり者だったのではない。見方が違っただけだ。

    当時は、そうは思えなかった。否定されるたびに凹んだ。自分はどこかおかしいのだと思っていた。

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    タイに住んだことで、自分の物差しを疑うことを覚えた。自分の当たり前が、他の人の当たり前ではない。

    「ここではこういう考え方をするんだ」「この人はそういう見方をするんだ」

    理解できなくても、相手の価値観を否定しない。この人の見ている世界では、それが当たり前なんだと受け止める。違いをそのまま受け止めるようになると、イライラしなくなった。

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    あるとき、ひとつの言葉に出会った。

    「人間は『愚かさ』において平等」

    この言葉に出会ったことで、自分はおかしくないと思えるようになった。

    誰一人として完璧な人間はいない。愚かだからこそ、ときとして間違いを犯してしまう。よほどの事情がない限り、わざと間違いを犯す人はいない。

    みな、その時の事情で精一杯生きている。自分だっていつ間違いを犯すかもわからない。

    そして、自分が経験したことしか、実感を伴って理解することはできない。痛みも、されたら嫌なことも、経験してみないとわからない。

    だから、本当の意味で痛みを経験したことがない人は、平気で人を傷つけることができてしまう。

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    次第に、相手の行動の「裏側にある事情」にまで、自然と思いを巡らせるようになった。

    それまでは、誰かがイライラしていると、自分が何か気に触ることをしたのではないかと委縮していた。

    けれど、実際は相手に余裕がなかっただけで、自分とは無関係なことの方が多い。その人の事情にまで思いを巡らすことで、自分を否定しないで済むようになった。

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    そうは言っても、突発的に感情が揺さぶられることはある。怒りも悲しみも人間には必要な感情だ。無理に抑え込むものではない。

    大切なことは、いち早く怒っている自分、悲しんでいる自分に気づいて、呼吸を使って落ち着かせること。

    息を細く長く吐く。

    そして、そっと距離を置き、なにが気に入らないのか、なにが悲しいのかと問いかける。自分の感情を受け止めたら、他のことに意識を向ける。

    感情は頭でなんとかしようとするより、身体のメカニズムを使ったほうが、はるかにコントロールしやすい。

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    結局、他の人とは分かり合えない。ずっとそう思っていた。

    神経言語プログラミング(NLP)を学んで、自分がそう思っている限り、状況が変わることはないと頭で理解した。

    腹落ちしたのは、ポジティブ心理学をベースにしたコミュニティだった。メンバー数人で1年間、毎日その日にあった良いことを共有した。

    何を言っても否定されない。良いところを見つけてもらえる。他のメンバーが通常だったら見せない感情を見せてくれた。

    完全に分かり合えなくても、安心安全な場は作れる。それを体感した。

    人に感じよく接する。自分がされて嫌なことはしない。相手が不快になることは言わない。言い訳をしない。そう心掛けていると、自分のありようが変わる。自分のありようが変わると、身の回りもそういう人たちになっていく。

    身の回りに人格を否定する人がいなくなると、少しずつ自分が信じられるようになる。まだ完全にそう思えているわけではない。これは仮説だ。

    ただ確実に言えることがある。大事なことは、人格を否定する人からは距離を置くことだ。

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    この世には一人として同じ人間はいない。たとえ同性の一卵性の双子だとしても、身近な人には見分けがつくくらいの違いがある。

    そもそも違って当たり前、相手のことは分からなくて当たり前、誰もが自分が一番大切な自分の論理で生きている。

    だから、誰かの言いなりになったり、誰かに合わせてコントローラーを手放さなくていい。


    第4話|父の中に自分を見た

    父は、暴力を振るいながら、ニヤニヤとほくそ笑んで喜んでいるような人だった。気に入らないことがあると、バタンとドアを閉めて出ていく。嫌悪しかなかった。

    小学2年生のとき、父に酷い暴力を振るわれた。部屋に貼り紙をして、その日を境に絶縁した。

    「もう二度と父とは思わない」

    それ以降、ほぼ口をきかなかった。

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    徹底的に顔を合わせないようにした。起きる時間、食事の時間、洗面所や風呂を使う時間。

    鉢合わせしそうになったら自分の部屋に戻る。トイレを我慢したり、歯を磨かずに寝ることはしょっちゅうだった。

    高校生以降は、彼の家に入り浸って、早朝や深夜にしか家には帰らなかった。

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    あるとき、クラスメイトが嫌がることをして、楽しんでいる自分がいた。

    そんな人間を軽蔑してきた。なのに、自分がやっていることに気づいて驚愕した。自分も嫌悪していたはずの側の人間だった。

    父方の祖父を見たとき、なるほどと思った。この親の元に育ったから、こういう人間になったのかと。人格は連鎖する。

    彼氏ができて、どんなに優しくても、いずれはこうなるのかと思って、冷めてしまうこともあった。年を重ねれば親に似ていくものだ。見た目も、性格も。血は争えない。

    けれど衝動があることと、実行することは別物だ。気づいた以上、止めなければと思った。

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    もともと子供がかわいいと思えない自分の中に加害性をみた。望んで産んだ親ですら、虐待してしまう事件が後を絶たない。自分がそうならないという保証はどこにもない。まして「なんで産んだの」などと責められても、責任が取れない。

    わたしは、このDNAを葬ると決めた。

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    父が他界したとき、やっといなくなった。そう思って、ホッとした。解放された瞬間だった。

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    初期設定は選べない。

    どんな親の元に生まれるか、どんな環境で育つか、誰にも選べない。親の影響は、望む望まないにかかわらず受ける。

    ただ、衝動と実行は別だ。連鎖に気づくかどうかで、選択が変わる。

    親がどうであれ、自分の人生に納得して生きることはできる。コントローラーは、自分のものだ。


    第5話|常識は更新される

    縄文時代と現代は、まるで別の世界だ。チャップリンの映画は白黒で、音声もなかった。それが今では当たり前のようにカラーで音声がある。

    歴史を見れば明らかだ。今の常識も、永遠ではない。

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    自動車整備士の専門学校を卒業したとき、女性は前例がないという理由でなかなか採用が決まらなかった。

    「こいつにだけは絶対俺の車を触らせるな」と客に指をさされた。後輩は「女なんかに教えてもらいたくない」という態度だった。

    数年後、「ガテン系」という言葉が生まれた。肉体労働をする女性が「ガテン系女子」として脚光を浴びるようになった。

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    転職が一般的ではない時代に、会社を退職した。未経験者OKの求人は25歳までの年齢制限があった。転職市場そのものが、まだ脆弱だった。

    今や転職は当たり前だ。

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    安全性が重要視されて規制が強化され、機械仕掛けから電子制御に置き換わり、整備士ではなく、単なる部品交換屋になった。もはや将来がないと感じた。

    その後、若者の車離れ、電気自動車への移行、カーシェアリングの普及。自動車業界は様変わりした。

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    成功する前は、冷ややかに見ていた人間が、後から群がる。これが世の常だ。

    最近になって、奇異の目で見られ、否定されるだけだったわたしの経歴に興味を示す人が増えてきた。

    人の目を気にすることは意味がない。他人は色々言うだけで責任は取らない。何があっても最終的に結果を引き受けることになるのは自分だ。

    周囲がどうであれ、Bプランを用意して動く。自分でとことん考えて、納得するまでやれば、後悔することはない。周囲は手のひらを返す。

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    長生きすることはいいことだろうか。

    できることが増えていく「成長」のフェーズが終わり、いつしか、できないことが増えていく「衰退」のフェーズが始まる。

    栄養状態が良くなり長生きできるようになった現代において、最期まで自分の足で歩き、介護不要で人生を全うすることは、かつてないほど難易度の高い命題だ。

    若くして世界のトップスターのまま亡くなったジェームス・ディーンのように衰えていく自分を知らずに絶頂期で逝く。その方がよっぽどよく思える。

    人生の満足度は、この世に存在する期間の長さではないのではないか。いかに最後まで自分をコントロール下に置くか。

    祖父は、毎年恒例の1月2日の親戚の集まりで新年の挨拶を済ませたその夜、広間に布団を敷いて眠りにつき、翌朝冷たくなった姿で発見された。苦しまず、周りを巻き込まず、自らの役割を終えて静かに幕を引いた。

    絶頂期で逝けないなら、祖父のように逝きたい。最期まで自分の足で歩き、介護不要で人生を全うしたい。

    それが、「40歳からの義務教育の教科書」を書く原点だ。

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    女性が自動車整備士になることも、転職も、かつては異端だった。いまは珍しいことではない。

    「長生き=幸福」は、揺らぎ始めている。

    大切なことは、自分の気持ちに素直に従うこと。常識に合わせてコントローラーを手放さないことだ。


    第6話|成功しても人生は終わらない

    青年海外協力隊に派遣される前に意気込みを聞かれて、「帰国後にどんな自分になっているか楽しみです」と答えてあきれられた。どんな経験もわたしにとっては通過点だった。

    人は、「努力すれば報われる」という前提で人生を始める。

    だから苦しくなる。

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    もっと成功すれば。もっと評価されれば。もっとお金があれば。もっと有名になれば。

    ずっと鼻先に人参をぶら下げられて走り続けているようなものだ。それでは、いくら成功しても一時の快楽でしかない。

    どんなにお金や地位や名誉を手に入れても、そこで「幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。」とはならない。人生は続く。

    生きている以上、ずっと何かし続ける必要がある。一瞬で何もかも失うこともある。成功者と言われていた人が、寂しい晩年を送ることもある。

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    成功は悪ではない。巨万の富を築いたからこそできることもある。名声を手に入れたからこそ見える景色もある。

    問題は、「何のために成功したいのか」「成功した後に何がしたいのか」がないまま、成功すること自体が目的になっていることだ。

    有名になりたい。では、有名になって何がしたいのか。影響力を持ちたい。では、影響力を持って何がしたいのか。どんどん深掘りしていった先に、何が出てくるか。

    そこまで考えないまま、年収。肩書き。世間体。親の期待。他人との比較。SNSの反応。フォロワー数。いつのまにか、それらに反応して動く「操作される側」になっている。

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    「お金」や「地位」や「名誉」は、生きるための手段や道具であって、手に入れること自体を人生の目的にすべきではない。なぜ手に入れたいのか、手に入れて何をしたいのかを明確にしなければ、延々と求め続けることになる。そして失うことが怖くなったり、虚無感にさいなまれたりしてしまうことも少なくない。

    オリンピックで金メダルを取る。国民栄誉賞を受賞する。とても誉れ高いことだ。けれどそれを目的にすることには危うさがつきまとう。少なくともいまの日本では、メダリストや受賞者に生涯の生活保障が与えられるような制度はない。

    にもかかわらず、その肩書きにふさわしい振る舞いを一生期待され続けることになる。ひとたびなにかあれば、不用意なバッシングを受け、不必要に蔑まれる。人々の注目を集めれば集めるほど、反対方向への振れ幅も大きくなる。

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    だから、わたしは深掘りしていったら、地位や名誉はなくてもいい、そんなにたくさんのお金を稼がなくていいという結論になった。

    もちろん、お金は必要だ。ないよりあるに越したことはない。けれど、数字を追いかけているうちに、数字に追いかけられるようになる。いくらあれば十分なのか、その問いを持たないまま稼ぎ続ける限り、終わりは来ない。

    自分が1か月暮らすのにかかる費用に、突発的な事態に詰まない程度の年間の余裕資金+αから逆算して、生涯におおよそいくら必要か試算した。いまは月の支出が収入を上回っていないか、総資金の残高が減少傾向になっていないか。それで事足りている。

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    タイに1年間、イギリスに9か月住んでいたことがある。

    タイに住むきっかけは青年海外協力隊として派遣されることが決まったことで、必要だったのは健康診断の受診料ぐらいのものだった。

    イギリスに語学留学したときの元手は、青年海外協力隊に派遣されていた間に積み立てられた資金だ。どちらも、もともとお金があったから住めたわけではない。

    発信する代わりにスポンサーになってもらって渡航費用を捻出したという人の体験談を読んだことがある。ワーキングホリデー、クラウドファンディングといった方法もある。

    いまはいい時代だ。元手ゼロで海外に行ったという体験談をいくらでも参考にできる。思考停止して諦める前にできることは山ほどある。

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    初めての大きな買い物は中古の原チャリだった。お年玉は貯金するものと教えられ、コツコツ貯めたお年玉で買った。初めてのバイトの時給は420円。初任給は手取り150,545円。社会人になったばかりのころ、自由に使えるお金があったわけではない。

    けれど、仕事が趣味と実益を兼ねていて、常に出ていく額よりも入ってくる額の方が多かったから、気づくとある程度まとまった金額になっていた。

    世間的成功と、人生への納得感は、必ずしも一致しない。

    少なくとも成功を目的にしている限り、コントローラーは自分の手には戻ってこない。


    第7話|人は何のために生きるのか

    人は何のために生きるのか。

    それは、よりよく死ぬためではなかろうか。

    人は必ず死ぬ。成功しても、失敗しても、善人でも、悪人でも、必ず終わりがくる。生まれた瞬間から死に向かっている。

    「成功したか」ではなく、「自分は、自分の人生を全うした」と思えるか。
    完璧な人生などない。そもそも人生の初期設定は不平等だ。

    ここを無視して、「全部あなたの努力不足です」と言い始めた瞬間、それは単なる自己責任論になる。

    そうではない。

    不条理がある。加害もある。環境格差もある。それでも、常に「自分で選択する余地」はある。

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    世間は問う。成功したか。長生きしたか。勝ったか。評価されたか。その物差しを使って決断する限り、誰かのシナリオの上で動くことになる。

    人生は、正解のない問いを考えて決断することの連続だ。やるか、やらないか。

    16歳になってすぐに原付の免許を取った。興味を持った仕事に片っ端から飛び込んだ。レーシングメカニックになった。海外に住んだ。公認会計士になった。自分の家を持った。

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    特別なことをしたわけではない。

    ただ、「どうせ無理」「失敗したら恥ずかしい」「今さら遅い」ではなく、このまま何もしないで「後悔しないか」と問い続けただけだ。

    しんどかった。理不尽なこともあった。思い通りにならないこともあった。

    それでも、改めて振り返ってみると、結局、全部自分の思う通りにしていた。やりたいことは全部やっていた。だからこそ、これでよかったんだと心の底から納得している。

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    よりよく死ぬためには、よりよく生きることだ。

    一時の快楽に溺れ、体に悪いとわかっていながら、好きなものを好きなだけ食べて飲んで開き直る。その瞬間は満たされるかもしれない。

    しかし、その積み重ねの先にいる自分は、いまの自分が選んでいる。死ぬときに後悔しないかは、毎日どのような選択をしたかで決まる。

    外に判断基準を求めない。世間の常識も、人の目も関係ない。自分の判断基準を持つ。それは何をしたら自分が喜ぶか。死ぬときに後悔しないか。その問いだけだ。

    ただし、好き勝手してよいということではない。人間は、人の間でしか生きられない。自分だけが納得する人生を全うすることはできない。互いができる限り納得できる形を探る。それが、人間社会で生きるということだ。

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    よりよく生きることに画一的な答えはない。

    人は誰一人として同じ人はいない。自分以外の人がいるからこそ役割が生まれる。それぞれに何かしら役割があるから、この世に存在している。

    その役割を追求し続け、実践し続けること。感謝の心を忘れないこと。自分の周りによい循環が巡っていると感じられること。それが、よりよく生きるということではなかろうか。

    その役割をやり切ったと思えたとき、人は納得して死の瞬間を迎えられるのではないか。

    やらないことも、選択だ。他人の物差しで生きるとき、人生は自分のものではなくなる。

    人生のコントローラーを握るとは、握っているかどうかを問い続けることだ。


    第8話|動かなければ役割は見えてこない

    やりたいことがない、役割がわからない、何をしたいかわからないから動けないというのは、

    1. まだやりたいことに出会っていない

    2. すでにやりたいことに接触しているが、それがやりたいことだと思っていない、もしくは気づけていない

    3. やりたいことじゃないと決めつけている、もしくは思い込んでいる

    4. やりたいことはあるけど、自分にはできないと思っている、もしくはやり方がわからない

    おそらくこの4つのどれかだ。

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    子供のころ、「大きくなったら何になりたいか」と聞かれて、周りは「お嫁さん」「お花屋さん」「ケーキ屋さん」と口ぐちに答えていた。けれど、わたしの中にはあったのは、そのどれでもないという違和感だけだった。

    高校卒業後の進路を決めるときですら、わたしはまだその問いに対する答えを持ち合わせていなかった。

    ようやくその問いに答えられるようになったのは、テレビでレースを見てレーシングメカニックという職業があると知ったときだ。

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    厄介なことに、人は脳内データベースが空っぽの状態で生まれてくる。育つ過程で見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、味わったもの、触れたもの、感じたものしか、脳内には蓄積されていかない。

    青年海外協力隊というものがあることを知ったのは、卒業した高校に推薦状をもらいに行ったからだし、公認会計士という職業があることを知ったのは、軽い気持ちで社会人大学に入学したから。動いた先で偶然得たものだ。

    普段関わりがない人と話す、普段行かない場所に行く、普段見ないものを見るなど、いつもとは異なる接触行動をしない限り、現状は変わらない。

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    青年海外協力隊の存在を知った後、いつも乗る電車やバスの青年海外協力隊の中吊り広告が急に目に付くようになった。

    赤い車を数えようと思った瞬間、急に赤い車が目に入るようになる。普段気にも留めていなかったことが、いったん気にしだすとたくさん目に入る。世の中で引き寄せと言われているものも原理は同じだ。

    役割、すなわち自分が何をしたいのか。何ができるのか。何が向いているのか。それは突如降ったように湧いてくるのではない。

    いつもの日常とは異なる接触行動の先にある。けれど、意識していなければ、接触していても気づけない。

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    他にやることがなくて立ち止まるくらいなら、やりたいことじゃないと決めつけたり、思い込んでいないでやってみることだ。

    レーシングメカニックになりたかったが、レーシングチームに連絡を取ろうにも伝手がなく、そもそも運営している会社の名前すらわからず、初めての就職先はレーシングチームではなかった。

    それでも実際に働き始めてみたら、こんな遊んでるみたいなことして毎月収入が入ってきて、しかもボーナスまでもらえる!なんて最高なんだろうって本気で思った。

    英語圏かスペイン語圏を希望していたのに決まった赴任先はタイだった。実際に行ってみたら、見るもの、聞くものすべてが新鮮で、カルチャーショックを受けるどころか知的好奇心が満たされ、辞退するか散々悩んだことはすっかり忘れていた。

    ⸝

    どんなにお勧めの料理が美味しいか説明されても、実際に食べてみなければどんな味なのか、わかることはない。

    実際にやったことのないことが、本当にやりたいことじゃないのかは、体験してみないとわからない。

    一度決めたなら、第一希望でなかったことは忘れて、選択したことを全力でやる。そうすれば無駄な経験になることなど何一つない。その先に新たな展開がある。

    机に向かってじっとしているより、やりたいことに出会う確率は確実に上がる。違うとわかってから方向修正すればいい。何事も経験したもの勝ちだ。

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    やりたいことがあっても、人の目が気になる。失敗が怖い。やり方が分からない。 多くの人がそこで止まってしまう。

    もしくは、延々と調べ始める。動画を見る。本を読む。SNSで情報収集する。ノウハウを探す。

    それでは、RPGで地図を眺めているだけだ。ゲームの画面は動かなければ変わらない。

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    情報収集は必要だ。一つの情報源だけを信じてもいけない。なるべく多く集め、比較し、現時点で最も信用できるものを選ぶ。ここを雑にすべきではない。

    重要なのは、「調べる」と「動く」を循環させることだ。動くことで、これまで知らなかった情報が入ってくる。

    家を建てる前は、土地価格、建築条件、断熱、気密、地盤、ローン、外構、ハウスメーカーの選び方、営業トークの見極め方、見積もりの読み方。何一つわからなかった。何が重要なのかすらわからないから、何をどう調べればいいのかもわからなかった。

    実際に土地を見て、担当営業と話して、見積もりを比較する。それだけでは足りなかった。契約後に担当営業が突然失踪した。全て最上位グレードの設備が入った見積もりと説明されていたのに、蓋を開けたら全部最低グレードの設備だった。上司の承認を得ない値引きまでされていた。

    経験して初めて「どこを見るべきか」がわかった。知識ではなく、解像度が上がった。

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    考えているだけでは、何をすればよいかわかるようにはならない。動こうとすることで初めてやることが見えてくる。

    情報が揃ってから動くのでも、完全に理解してから行動するのでも、安全が保証されてから実行するのでもない。

    接触してあたりを付け、実際にやってみようとした人間だけが、次に必要な理解へ辿り着き、不確実性の中で判断精度を向上させられる。

    動こうと腰を上げた瞬間に、コントローラーが自分の手に戻ってくる。


    第9話|やりたいと思った時点で、もう答えは出ている

    やりたいと思ったのにやらなかったことは、後悔として残り続ける。「あのときやっていたら、違う人生だったかもしれない」という幻想になる。

    逆に、とことんやれば後悔しない。もし後悔しているなら、まだやれる余地があったということだ。

    やりたいと思ったこと。気になって仕方ないこと。なぜか心に引っかかること。

    これらをやっていたら、成功したかもしれない。失敗したかもしれない。可能性だけが永遠に残り続ける。

    人は現実そのものより、確かめられなかった可能性に囚われる。

    「あのとき転職していたら」「あのとき起業していたら」「あのとき告白していたら」

    やらなかった以上、その答えは永遠に出ない。一方で、やったことは、結果はどうであれ事実として確定する。

    自分が納得するまでとことん向き合うことでしか、決着させることができないのだ。

    ⸝

    ところが、人生の重要な選択で結果が保証されたものなど存在しない。だから、人は失敗を恐れる。

    怖い。人の目が気になる。世間体が気になる。お金がない。時間がない。やり方がわからない。

    人は役割ややりたいことが見えても、今度はやらない理由を探し始める。
    けれど、思い出して欲しい。

    赤ちゃんのとき、転ばずに歩けるようになっただろうか。逆上がりが一発でできただろうか。失敗しながら覚える。本来、人間はそういう生き物だ。

    ⸝

    動く。失敗する。修正する。また動く。人間はこの繰り返しでしか学習できない。

    にもかかわらず、いつの間にか「最初から失敗してはいけない」と思い込み、動けなくなる。実際には逆だ。むしろ最初にうまくいきすぎる方が危険だ。

    階段を昇れば昇るほど落差は大きくなる。下手にビギナーズラックで上手くいったりすると、その経験が忘れられず、壁にぶつかったときに脆く崩れやすくなる。

    まずは小さく失敗すれば怪我は少ない。小さな失敗を乗り越えながら進めば自信になる。ピンチのときの対処法の経験値がどんどん貯まっていく。失敗から学べることは多い。

    失敗したことがない人は、本当の意味で人の痛みが理解できない。だから、人の失敗を嘲ることができてしまう。そんな人の目を気にする必要はない。人は失敗するから懐が深くなる。

    ⸝

    そもそも人は、何でもかんでも心の底からやりたいとは思わない。やりたいと思う時点で、心の底では「できる」と知っているのだ。自分には無理とわかっていることを、心の底からやりたいとは思わない。

    できるかもしれない。やる価値があるかもしれない。

    後付けの理由はいくらでも説明できる。けれど心の底からやりたいと思うことは理屈ではない。好きになるのに理屈がないのと同じだ。

    心の底からやりたいと思うこととは、なぜそれに惹かれたのかを説明できない。それでも、やりたいことだ。

    だから気になる。だから忘れられない。だから何年経っても思い出す。

    ⸝

    100%和製チームによるF1参戦計画に賭けて、イギリスに語学留学した。そして帰国後、募集されてもいないのに社長へ直談判の手紙を送り、レースの世界に戻った。

    そのわずか3ヶ月後に計画は頓挫した。端からみたら夢が叶わず失敗だ。それでも後悔はしなかった。これだけやったから、もういい。そう思えた。

    公認会計士を目指していたとき、辞めどきがわからなくて、専門学校長に聞いたことがある。てっきり受験回数の目安を教えてもらえると思っていた。

    けれど、返ってきた言葉は、「本気でやっていたらわかる」。肩透かしを喰らった気分だった。

    その後、最後と決めて臨んだ5年目の論文式試験を終え、会場を出た瞬間、その意味を理解した。

    まだ合格か不合格か結果が確定したわけではない。

    けれど「これだけやってダメなら、もういいや」とビックリするくらい清々しい気持ちになった。

    オリンピック選手が金メダルを取れなくても、もの凄く晴れやかな顔をしているのは、同じような心境だからだろう。

    全力でやった者だけがたどり着ける境地というのがある。

    人は失敗したから後悔するのではない。成功したから納得するのでもない。全力で向き合えば、結果がどうであれ納得して決着をつけることができるのだ。

    ⸝

    時間がない。これもよく聞く言葉だ。

    やることが多くて忙しい。いくら時間があっても足りない。その感覚は事実だ。

    乳幼児を抱えたシングルマザーやシングルファーザーもいる。老老介護をしている人もいる。長時間労働で毎日ヘトヘトになっている人もいる。

    実際、本当に手一杯な状況は存在する。

    けれど、心の底からやりたいと思ったことは簡単には消えない。気になり続ける。何年経っても思い出す。やらなければ答えは出ない。

    ⸝

    だから、いきなり大きく変える必要はない。

    やらなくていいことを探す。頻度を見直す。周りの力を借りられるなら借りる。

    歯を磨きながらでも、掃除をしながらでも、ご飯を食べながらでもいい。アイデアを練る。必要なことは何かに思いを巡らせてみる。小さく着手する。

    どんな状況下でも、「攻略しようとすれば」、次の一手はどこかにある。

    けれど、多くの人はそこで立ち止まる。

    ⸝

    時間がない。余裕がない。今は無理だ。そうやって毎日やるべきことだけをこなす。

    気づけばイライラしやすくなる。周りに優しくできなくなる。何のために生きているのかわからなくなる。

    心の底からやりたいことは、ただの趣味や贅沢ではない。自分自身を支えるために必要なものだ。

    だからこそ、その声を無視して向き合わないまま先延ばしにしていると、やりたい気持ちが行き場を失い、やがて心がすり減る。

    どうしても今すぐが難しいなら、いつ始めるかを決めて、少しずつ準備を進める。

    「いつか」「そのうち」では、ズルズルと時間だけが過ぎてしまう。ただ先延ばしにするのと、期限を決めるのではまるで違う。

    ⸝

    やりたいと思った時点で、もう答えは出ている。心の底からやりたいと思ったことはやらない限り、後悔なしに人生を終わらせることはできない。

    やると決断できないでいるとしたら、それはやらない理由を探しているだけだ。心の底からやりたいと思ったなら、コントローラーをやる方向に動かすしかない。


    第10話|予定外のことが起きるのが人生

    動いてみたら、思い通りにならなかった。そういう経験は誰にでもある。思い通りにならないとき、人は「失敗した」と感じる。しかし本当にそうだろうか。

    レーシングメカニックになりたかった。けれど最初は石の上にも三年と言い聞かせて、自動車販売会社に就職した。青年海外協力隊で英語圏かスペイン語圏を希望していた。けれど、赴任地はタイだった。

    どこを見ても、最初の計画通りではない。むしろ計画などなかった。高校卒業後ですら、自分が何をしたいのか明確ではなかった。ただ好奇心のままに動き続けた。

    ⸝

    整備士。販売会社。協力隊。会計士。家づくり。教科書執筆。どれも最初から目指していたわけではない。動いた先で出会い、動いた先で選んだものだ。

    ずっと「生きるってしんどい」としか思っていなかった。けれど、自己紹介ストーリーを書いて振り返ったとき、気づいた。全部自分で決めていた。全部繋がっていた。なんて贅沢で幸せな人生だったんだろうと。

    夢がなくてもいい。計画がなくてもいい。自分で選択し続ければ、振り返ったとき、それが納得の人生になっている。

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    成功に再現性がないように、巡り合わせやタイミングというものがある。そうなったらいいなぁと思いながら、そうなるように動く。やりたいことに固執しすぎない。

    無謀な挑戦をしろということでもない。RPGでもラスボスが強すぎたら、いったん草原に戻って経験値を積む。装備を見直す。仲間を変える。作戦を考える。

    一度負けたくらいで、このゲームは自分には向いていないとはならない。

    ところが人生になると、多くの人は一度うまくいかなかっただけで、自分には無理だったと結論を出してしまう。

    ⸝

    果たして、それでいいだろうか。目の前に壁が現れたということは、その壁を越えるために必要なものがまだ足りていないだけかもしれない。

    確かに時間は戻らない。やり直しはできない。しかし修正はできる。他のやり方を試せばいい。

    予定外のことが起きるたびに、わたしは「さて、どう攻略しようか」と考えてきた。

    公認会計士試験は受かるまでに5年も費やした。家づくりでは契約後に担当営業が突然姿を消した。

    どれも予定外だった。それでも諦めなかった。諦めなければ、次の手が見えてくる。

    ⸝

    振り返ると、むしろ予定通りだったことの方が少ない。考えてみれば当然だ。

    人生は自分一人で進むものではない。他人の都合もあれば、社会の変化もある。何年後に何が起きるかなど、最初からわかるはずがない。

    ただコントローラーを握り続けていたら、困難な状況になっても「どのみち最終的にはなんとかするんだろう」と思えるようになった。

    根拠のない楽観ではない。予定外のことが起きるたびに、自分で考え、悩み、選択してきた。すべて自分の思う通りにしていた。だから今回もきっと同じだろうと思える。

    そして、その先に新しい出会いがあり、新しい選択があり、その後の展開が生まれた。

    予定外のことが起きるのが人生だ。何も起きない人生なんて、延々とただひたすら一本道を進むだけで、敵が一つも現れないRPGのようなものだ。

    新しいステージに進む合図は、たいてい予定外の姿で現れる。そのとき、コントローラーをどう動かすかだ。


    第11話|コントローラーを握る

    人は、自分の意思で生まれてくるわけではない。

    気づいたときには、もう人生は始まっている。地図もなく、装備もなく、何が起きるかもわからない。時代も、場所も、親も、能力も、自分では選べない。

    それでも、コントローラーを握り続けることはできる。

    ⸝

    人生を振り返ると、つらいことだらけだったし、理不尽なことが度々起きた。社会人になってからも同じだ。

    何をしてもできて当然で、失敗すると徹底的に責められた。他の人なら「次から気をつけろよ」で終わるのに、自分は強く叱責される。不祥事を起こしたわけでもないのに、ボーナスをカットされたこともある。

    ずっと「なぜ自分だけ?」という感覚があったし、この世に歓迎されていない。生まれてくる時代と場所を間違えたと思っていた。

    だけど、そこで絶望したりはしなかった。むしろ「いまはそういうステージなんだ」と思っていた。

    ⸝

    感情がなかったわけじゃない。傷ついたし、怒りも湧いた。ただ、感情そのものに飲み込まれる前に「この出来事には、どういう意味があるんだろう」と考える。

    「被害者」にならなかったというより、「出来事」を物語に変換していた。そんな感覚が近い。

    この感覚はかなり自分を助けてくれた。

    「この世界は永遠に変わらない」と思っていたら、まったく違う人生になっていただろう。

    なにがあろうとも、「止まない雨はない」「人の噂も75日」と思えば耐えられた。だから、ゲームオーバーではなくセーブポイントを探した。

    ⸝

    やりたいと思った時点で、すでに答えは出ている。心の底からやりたいと思ったことは、やらない限り後悔せずに終われない。

    勇気があるからではない。Bプランがあるから動ける。最悪の事態を想定して、そうなったときの手を先に決めておく。それだけで、一歩が踏み出せる。

    そして動けば必ず何かが起きる。思い通りになるとは限らない。それでも、その都度、何度でも選び続けることだ。

    ∗ ∗ ∗

    不条理はなくならない。正解などない。思い通りにならないこともある。

    それでも選択だけはできる。選ばないことも選択だ。他人に委ねることも選択だ。コントローラーを握るとは、正解を選ぶことではない。

    人生のコントローラーを握るというのは、常に自分が最も納得できる選択をし続けることだ。

    あなたがいまどんな状況にいたとしても、選択することはできる。

    あなたも誰かが作ったシナリオの上で踊るのではなく、自分の人生のコントローラーを握ってみてはどうだろうか。

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    📘身体編
    序章|至れり尽くせりの社会で、自分自身の主導権を握る

    📘栄養編
    序章|脳の「娯楽」か、細胞の「材料」か

    📘思考編
    成功しなくても、人生は十分面白い

    📘自己紹介ストーリー
    振り返ってみれば、人生は正解のない問いを考えて決断することの連続

     
     
    後悔しないための材料屋さん 最新テクノロジーへの興味から自動車整備士になり、会社や世の中の仕組みがわかるのが楽しくて公認会計士に。 退職勧告寸前の体調不良を機に、興味の対象が人間になり、仏教やヨガ哲学、栄養学を通じて、人間の仕組み、自分とは、生きるということを探究中。

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