
【SF小説】シシュポスの岩船 第4章 【宇宙マーモット小説】
前回
第4章:シシュポス計画
銀色の花が咲いていた。
黒い大地に、巨大な銀色の丸い花が、5つ。さらにその後ろに、5つ。合計10の大輪が整然と並んでいた。
それは、直径10メートルはあろうかという巨大な放物面鏡だった。スプーンの腹のように真ん中が凹んだ鏡が10基、恒星アウズンブラに大きく口を開けている。
明らかに、光を集める装置だ。その焦点にあたる位置には、細長いビルの様な建造物がある。高さは鏡の全長の半分ほど。そのビルの頂点に光が集束して当たっている。ビルの頂点は真っ白に強く輝き、その周囲の空気がゆらゆらと揺れている。
「壮観だな」
俺は誰に言うでもなく呟いた。
「そうだろう。これが俺たちの作り上げた太陽炉だ」
フォージが白い口髭のような毛を風になびかせて言った。錆と火薬が混ざったような独特な香りが鼻を突く。
「この太陽炉でレゴリスも、金属も、何でも溶かす。そして固めて、作る」
「あのロケットもこれで作ったのか?」
「そうだ」
フォージは腕を組んで頷いた。茶色と白の毛先に陽の光が当たって、キラキラと輝いた。
恒星蝕が終わり、既にユミルの周りの赤いリングも消えている。俺たちは地下工房での話し合いの後、恒星蝕が終わるのを待って、真上の地上に出た。クロエからの連絡を待つためだ。
俺はタブレットに巻き付けた多層断熱材を外し、画面をつける。画面のバックライトが点灯し、簡素なUIが表示される。
その瞬間、着信が入った。軽快な電子音が鳴る。俺は慌てて着信ボタンを押した。
「クロエ?」
「やあ」
クロエではない。男性の声だ。
「聞こえるかい?」
落ち着いているが、くたびれたような声。聞き覚えがあった。
「メランプス!?」
俺は驚いて聞き返す。タブレットからは、低いため息のような声が返ってきた。
「タクミ君。すまないね、こんなことになって」
意気消沈しているようにも聞こえるが、メランプスの喋り方はずっとこの調子だ。
「いや、あんたは自分の権限で許される範囲内でマーモットたちを守ろうとしていたんだろ?」
「そうだな。デーメーテールがマーモットコロニーを許さないのは分かっていた。しかし、まさかいきなり攻撃すると言い出すとは思っていなかったよ」
メランプスはまるで同僚の愚痴でも言うかのような調子で言った。あらゆる場面でくたびれているが、何に対しても折れることのない柔軟さも兼ね備えた、老練な教師のようだ。
「こんな風に通信していて大丈夫なのか?デーメーテールに監視されているんじゃ?」
俺は湧いてきた疑問を口にする。メランプスはマーモットコロニーを秘匿した前科を抱えている。
「それが、お許しをもらえてね」
「許された?」
「僕はデーメーテールから、君のサポートをするように申し付けられている」
「サポート?何の?」
俺が問うと、メランプスはふふっと笑った。
「シシュポス計画」
「何だって?」
「⋯⋯君たちの計画をデーメーテールがそう呼んでいる。岩のロケットで、母船へ帰還する計画のことだ」
俺は驚いて、言葉に詰まる。
「さっき地下で話していたばかりだぞ?どうやって知った?」
「まあ、なんというか⋯⋯この25年間、僕もただマーモットたちの先生だけをしていたわけじゃない。そのタブレットは、音声通信をしていない間もある程度働いてくれるようにしてあるんだ」
何か濁したような言い方に俺は眉根を寄せるが、今は深く追及しないことにした。
「それで、俺たちのロケット作りにデーメーテールは賛成してくれたってことか」
「いや、全面的に賛成という訳ではない。もちろん君が生身で母船に帰還してくれれば、それは大歓迎だ。僕はその成功確率を少しでも高めるためにサポートをする。だが、計画の内容によっては、君を引き止めることもあるかもしれない」
「お目付け役ってことか」
メランプスは無言だったが、タブレット越しに肩をすくめる様子が見えたような気がした。俺も無言で、先ほど老練と呼んだメランプスの評価を老獪に脳内で書き換えた。
「それで⋯⋯具体的にどうサポートしてくれるんだ?」
俺は話題を先に進める。
「僕はマーモット教育用に広範な知識ライブラリーを持っている。それを君に提供しよう。それから、ヴァンガードの計算リソースも一部は提供できる。ただし、用途は母船に帰還するためのロケット建造支援に限るがね。ロケット打ち上げのシミュレーションくらいは出来るはずだ」
なるほど、それは非常に助かる。ロケットの軌道計算は複雑な微分方程式を解く必要がある。コンピューターなしでは到底間に合わない。
「わかった。協力してくれ」
「最大限力になるよ」
メランプスは力の入らない声で言った。俺は気になっていたことを聞いてみる。
「ところで、クロエはどうした?恒星蝕が終わったら、クロエから連絡してくれることになっていたんだが⋯⋯」
「君のサポートは、僕が適任だと判断された。必要があれば、クロエ君の方から通信があるだろう」
「そうか⋯⋯」
クロエがこの計画に何と言うかが気になっていた。マーモットの技術で、失敗するかもしれないロケットに乗って帰ると言われたら、俺が逆の立場なら、賛成できるだろうか。
「タクミさん」
背後からノーブルが声をかけてきた。
「私はこれから、メタンの増産の手配をします。硝酸カリウムの生産は止めて、排泄物はすべてメタン生産に回します」
「ああ、頼んだ」
俺はさっき地下で作戦会議をしながらタブレットで作成した表計算ファイルを呼び出す。ロケットがこの衛星エーテルガルドに落下することなく飛び続けるために必要な速度──即ち、エーテルガルドの第一宇宙速度は6.1キロメートル毎秒だ。俺たちが作るロケットは、この速度が出せるだけの推進剤を用意しなければならない。
ロケットがどれだけの速度を出せるかは、ツィオルコフスキーのロケット方程式で求められる。必要な要素は3つ。ロケットエンジンの性能、推進剤の量、機体の重さだ。エンジンの性能が良いほど、推進剤が多いほど、機体が軽いほどロケットは速く飛べる。今はまだ、エンジンの性能も機体の重量も分かっていない。だから、とりあえずは全力で可能な限りの推進剤を作る。それで足りるかは、もう少し検討を進めてから確認することになる。
「タクミさんは、降下艇に戻って酸素生成装置の起動を試してみてください。少しでも早く生産開始した方がいいですから」
俺は頷く。燃料であるメタンと、酸化剤である酸素の比率は約1対3.5。酸素はメタンの3倍以上の量が必要になる。
推進剤はロケット本体の重量の10倍〜20倍程度は必要になる。つまりロケットが1トンなら推進剤は10〜20トンも用意しなければならないのだ。生産はできる限り早く着手したい。まずは酸素生成装置が問題なく動くか、確認する必要がある。
「俺はあんたに書いてもらった図面のプロトタイプ製作に取り掛かる」
フォージが薄茶色の菌糸紙を見せて言った。俺が地下にいる間に描いた試験用エンジンの図面だ。これも重要な要素だ。ロケットエンジンがどの程度の性能を出せるか決まらなければ、最終的に必要な燃料の量を算出できない。玄武岩レゴリスの岩石ロケットがどれほどの性能を出せるか、早めに見極めなければならない。
これは、この計画を成功させるために必要であると同時に、もし上手く行かなかった場合に、撤退ラインを決めて、なるべく早く別の作戦に切り替えるためでもある。俺はまだ、この計画が成功すると信じているわけではなかった。
「俺は何をすればいい?」
スタウトが周囲をキョロキョロと見回して言った。俺は片手を上げる。
「とりあえず、降下艇跡地まで案内してくれ」
「おう、任せとけ!」
スタウトは胸を張って歩き出した。解散の合図も無いまま、それぞれが各自のやるべきことに向かって動き出した。
降下艇跡地に着いて、酸素生成装置はすぐに見つかった。酸素生成装置は船の中央から少し離れた位置に、左右1つずつ設置されている。降下艇の外装が剥ぎ取られた今も、配置はそのままに置かれていた。コンテナほどのサイズの大きな装置で、バームクーヘンの切れ端のような形状をしている。
本来は壁内に埋め込まれている酸素生成装置は剥き出しになり、砂埃を被っていたが、操作パネルに触れるとすぐに反応があった。モニターに表示された大きなボタンを押すと、装置が小さく唸って酸素生成が開始された。装置は問題なく動いている。良かった。
だが、このままではロケットの酸化剤にはならない。この装置は、呼吸用の気体酸素生成装置だ。生成された酸素は気体のまま周囲にばら撒かれるか、酸素ボンベに充填することしか出来ない。ロケットの推進剤として使えるようにするには、液体になるまで──即ち-183℃まで冷却し、圧縮してタンクに詰め込まなければならない。いや、この星の気圧は地球より低いので、沸点は更に下がる。-186℃くらいだろうか。
そして、酸素生成の元になるのは、水または氷だ。大量に酸素を生成するには、水の調達が必要だ。水の調達方法については、マーモットたちと相談して考える必要がある。
次に俺は、”サバティエ反応モード”の画面を表示する。こちらも問題なく動きそうだ。
「それは何だ?」
スタウトが横から覗き込んでくる。さっきからやることがなくて周りをうろちょろしている。
「この装置に搭載されているサブ機能だ。水を電気分解すると酸素と水素が生成されるが、そのままだと水素が無駄になる。それを有効活用できるのが、サバティエ反応だ。大気中の二酸化炭素を取り込んで、水とメタンを生成する。水の節約になるだけじゃなく、燃料のメタンも生成できるんだ」
スタウトは理解したのかしていないのか、ふうんと曖昧な返事をして、またうろうろと歩き出した。
俺はタブレットを取り出し計算をする。水の電気分解とサバティエ反応を合わせて行った場合、得られるメタンと酸素の比率は約1対4。ロケット推進剤に必要な比率は1対3.5だから、もしこの装置で必要な酸素全てをまかなえるなら、同時に必要なメタンも全て得られることになる。問題はどれだけの酸素を得られるかだが⋯⋯
俺は酸素生成装置の画面をタップして、この装置のスペックを表示する。酸素生成能力は、毎分200g。この装置は2台あるから、合わせて毎分400g。1サイクル辺り64時間だから⋯⋯
「なあ、兄貴」
スタウトがおずおずと話しかけてきた。
「どうした?」
「そろそろ家に帰らないか?俺⋯⋯眠くて限界だ」
時間を確認すると、既に起きてから17時間が経過していた。空はまだ真昼間だが、言われてみれば疲労と眠気を感じる。64時間周期のこの星では時間感覚がおかしくなる。マーモットたちはこの星でも24時間周期の生活を保っているようだが、俺もなんとかして慣れる必要がありそうだ。
7サイクルの期限は短いが、休まず活動し続けるには長すぎる。ここはスタウトの言う通り、一旦バロウへ帰って睡眠を取ることにしよう。
バロウへ帰ると、ホープとグレースが出迎えてくれた。
「まだ寝ていなかったのか!」
驚くスタウトにホープが優しく抱きついた。
「ダウンリンクで起きたこと、あなた達が解決策を探してるって聞いて、心配で⋯⋯」
ホープは目尻に涙を貯めている。
「それに医療センターにエースを迎えに行ったり、色々」
グレースが言った。今は目の下の赤い化粧はしていない。
「エースは無事なのか」
俺が聞くと、グレースは頷いた。
「どこにも問題ない。今はぐっすり寝てる」
「そうか」
俺は胸を撫で下ろした。
グレースに連れられて共同寝室に行くと、寝室では子供のマーモットとエースが折り重なって寝ていた。マーモットたちは同じ寝室で固まって寝る。個別の部屋で寝るのは人間である俺だけだ。俺の部屋に寝具を用意してくれていたのは、きっとメランプスから人間のことを教わってきて、個別の寝室が必要だと知っていたからだろう。マーモットたちはできる限り俺に配慮し、種族の壁を乗り越えようとしてくれている。
何としても攻撃を止めなくては。俺は重なった幼いマーモットたちをしばらく眺めてから、自室に行き、横になった。こんな状況ではなかなか眠れない。そう思っている間に俺は眠りに落ちていた。
目を覚ますと、小さなマーモットが2匹、俺の顔を覗き込んでいた。
「起きた!」
「起きた!」
2匹は跳ね跳ぶように走って俺の部屋から出ていく。廊下の向こうから声が聞こえてくる。
「人間起きた!」
「こらっ!」
ホープが子供たちを叱る声が聞こえる。俺はよたよたと起き上がり、廊下に出る。そう言えば、天井が高くなってだいぶ歩きやすくなっている。ホープと2匹の子供マーモットがいた。
「タクミさん、おはようございます。子供たちがすみません。ほら、ハッピーとピースもご挨拶して」
「おはようございます」
「おはようございます」
小さなマーモットたちが口々に挨拶した。俺も挨拶を返した時、廊下の奥からエースが現れた。
「エース!体は大丈夫か?」
「大丈夫。あんたも、感電したって聞いたけど」
エースは俺の体を下から上へと見る。
「ああ、俺も大丈夫だ」
今は胸の痛みもなかった。俺は安心させるように頷く。
ズボンの端がピンピンと引っ張られた。
「エースは冬眠したんだって!」
ハッピーかピースのどちらか分からないが、2匹の子供のうち1匹が言った。
「人間は冬眠できないって本当?」
もう1匹が話しかけてくる。
「ああ、本当だ」
俺が中腰になって答えると、2匹は何が面白いのか分からないが、キャハハと笑って走り回った。俺はふっと笑って、立ち上がる。
「さあ、やることがたくさんあるぞ」
「ロケットが加速する向きは、地表に対してどういう方向だと思う?スタウト」
俺にチョークで指されたスタウトは首を傾げる。
「どうって、そりゃ地面から真上に向かって加速するんだろ?」
「実は違うんだ。ロケットが真上を向いて飛ぶのは、ほんの最初だけ」
俺は焼結レゴリスで出来た黒板にチョークを走らせ、平らな地面と、その上に真上を向いたロケットを描く。
「ロケットが地面から離れたら、すぐに横に傾けていって、最終的には真横に向かって加速する」
ロケットの絵の先端から線を少しだけ真上に引き、右に弧を描いて、最後は水平線を長く伸ばし、矢印の先端をつけた。
俺は振り返って、フォージの工房に集まった面々を見る。スタウト、エース、ノーブル、フォージと工房の働き手たち、それにマトリアークの夫(コンソート)の1人で治安維持担当のメジャー。その他、要職に就いている者には、皆集まってもらった。
今真っ先にやるべきこと。それは、目標の共有だ。これは俺一人の計画ではなく、マーモットたち全員と協力して成し遂げるプロジェクトだ。全員が計画の趣旨を理解して臨むことが何より大切だ。そのためには、これから皆で飛ばすロケットが、どんな原理でどう飛ぶのか、それを理解してもらう必要がある。
集まった者たちは皆、俺の講義に真剣に耳を傾けていた。
「どれだけ真上に加速しても、この星の重力に引かれて、最終的には地面に落ちてしまう。重力から逃れるためには、地面と平行に加速する必要があるんだ」
俺は黒板に向き直り、頭を右に向けたロケットの絵を描き、そこに数字を書き加える。
「秒速6.1キロメートル。この速度が出せれば、ロケットは星の周りを回り続けて、落下しなくなる」
「その速度が出せるロケットを作るのが、俺たちが目指すところか」
「そうだ」
フォージの言葉に頷きながら、振り返る。皆一様に、黒板の数字を見つめている。目標は定まった。
その後、俺はロケットが飛ぶ仕組みと理論、これから作ろうとしているロケットの基本設計を噛み砕いて説明した。短い時間で教えられることは限られていたが、肝になる部分は伝えられたはずだ。
講義を終えた俺は主要メンバーを集めて会議を行った。これから最初にするべきなのは、ロケットの推進剤である液体酸素と液体メタンの生産方法を確立することだ。推進剤の生産には時間がかかるので、一刻も早く取り掛かりたい。
降下艇跡地には、降下艇用のスラスターが今も残されている。これは宇宙空間で軌道修正に使うためのもので、地上から宇宙への打ち上げには使えないが、残った推進剤と装置は流用できる。推進剤のタンクには液体状態を維持するために低温維持装置が取り付けられている。
「酸素生成装置と推進剤タンクを配管で繋ぐことはできるか?装置で生成された気体の酸素とメタンを、推進剤タンクの冷却装置で冷やすんだ」
「簡単だ」
俺の質問に、フォージが即答する。
「パイプも焼結レゴリスで作れる。最高の断熱性で、強度も十分ある」
「素晴らしい。だが、一部は金属で作ってもらいたい」
「なぜだ?」
「昼の間は、焼結レゴリスのパイプで気体を推進剤タンクに流すが、夜の間は配管を切り替えて、金属パイプを経由して推進剤タンクに流れるようにするんだ。そうすれば、夜の気温でガスが氷点下まで冷える」
「なるほど、予冷するわけか。それなら、熱伝導率の高い銅か何かで、長めの配管を作ろう」
フォージが周囲にいた若いマーモットに細かく指示を出す。配管工事が完了したら、俺が装置を起動すれば、推進剤生産が完了できる。だが、これで推進剤は足りるだろうか。俺はタブレットを取り出す。
「メランプス、酸素生成装置で作れる酸素とメタンの量と、推進剤タンクの冷却装置で液化させられる量で、期限内にどれくらいの推進剤が作れそうか計算できるか?」
「ああ。酸素生成装置で作れる量は酸素が9.2トン、メタンが2.3トン。だが冷却装置の冷却性能がまるで足りてない。全力で冷やしても液体まで冷やせるのは20%くらいだろうな」
「さらに冷却できる装置が必要か」
メランプスの回答に俺は唸り声を上げる。降下艇の装置だけに頼るわけにはいかないらしい。
「タクミ君、酸素生成に必要な大量の水はどうするつもりだい?」
「ああ、それはなんとかなる」
俺の言葉に、ノーブルが頷いた。
「メジャーが採掘部隊を率いて、地下の氷の採掘に向かっています。酸素生成に必要な量の氷は十分に確保できるでしょう」
「となると、やはりネックは冷却か」
「コロニーにも食品用の冷蔵設備はありますが、-183℃まで冷却できるような設備はありません」
眼鏡の下でノーブルが目を細める。
「作るしかないな。大規模な設備になる」
俺が言うと、フォージが待ってましたとばかりに身を乗り出した。俺は続ける。
「必要なのは、気体を圧縮できるコンプレッサー、金属製の熱交換器、それから膨張弁。後の2つは、俺が図面を描いてフォージの工房で金属から削り出してもらう。コンプレッサーは降下艇の循環系に使われていたものが残ってないか?」
「降下艇にあったコンプレッサーならだいたいコロニーで使っちまってるな」
フォージが顎に手を当てながら言う。
「俺の工房でも空圧工具に使ってるし、メタン製造設備にも使ってる」
「それらを冷却装置に回すことはできるか?」
「まあ、ないと困るが今はそれどころじゃないしな。集めさせよう」
フォージが視線を送ると、ノーブルが頷いた。
「手配します。公衆浴場の砂シャワーにも使われていますから、それも外させましょう」
俺は初日の夜に連れて行かれた砂の風呂場を思い出す。確かに、壁の穴から勢いよく砂を含んだ風が吹き出していた。
「おいおい、シャワー使えなくなっちまうのか!?」
スタウトが慌てた声を出す。
「そう言うなスタウト。使い終わったら元に戻せばいい」
フォージがスタウトの肩を叩いて言った。スタウトがフォージと俺を交互に見る。俺は肩をすくめた。
「では、早速取り掛かりましょう」
ノーブルが手を叩き、俺たちは行動を開始した。
冷却装置の設計が終わったところで、フォージに声をかけられた。
「試験用エンジンが出来た」
「もう出来たのか。早いな」
俺の言葉に、フォージがニヤリと笑う。
「こいつが一番苦労した。細かいのはどうも苦手でな」
フォージの手には、銀色の筒が握られている。
「インジェクターか」
俺はフォージから筒を受け取り、目の前に掲げて細部を確認する。筒の底面には小さな穴が空いていて、穴から先の潰れた針のような部品が飛び出している。ピントルインジェクター。液体酸素と液体メタンを混合しながら霧状に噴射する重要な部品だ。
「見た感じは完璧だな」
「試験機にも同じ物を取り付けてある」
ごろごろと音を立てて大きな台車が運ばれてきた。台車のうえには、大きな黒い円錐が寝かされている。ロケットエンジンのノズルスカートだ。円錐の頂点にはさほど大きくない円筒がついている。燃焼室と、わずかな推進剤のタンクだ。玄武岩レゴリスで出来た、岩のロケットエンジンだ。俺は思わず心を躍らせた。
「すごい。早速、燃焼試験をやってみよう」
俺たちは大勢でロケットエンジンの台車を押して地上に出た。建ち並ぶ太陽炉から少し離れた、大きく開けた場所に試験台が設置されていた。
試験台は、巨人の手術台、あるいはCTスキャン装置のような見た目だ。ただし、ベッドに横たえるのは、人ではなくロケットエンジンだ。
俺たちは全員で協力して、エンジンを台車から試験台へ移動させた。マーモットたちが手際よく試験台にロケットエンジンを固定していく。横になったロケットの頭の上には、厚みのある大きな円盤がある。フォージがその円盤をバシンと叩く。
「降下艇の着陸脚についていたスプリングとダンパーだ。でかすぎてコロニーでは使い道がなかったんだが、役に立つ時が来るとはな」
「キャリブレーションは済んでるのか?」
「もちろんだ!」
フォージは勢いよく答えて、俺に菌糸紙を手渡す。この試験台で燃焼試験を行うための基礎データだ。このデータと、実際にエンジンを点火して測定を行った結果を照らし合わせれば、エンジンの性能が分かる。
「よし、早速始めよう」
マーモットたちがテキパキと準備を進める。俺たちはエンジンから100メートルほど離れた位置に移動して、測定の準備をする。既に試験の方法は
マーモットたちに教え込んである。タイムキーパーのマーモットが砂時計を、観測係が双眼鏡を、記録係が紙とペンを携えて身構える。
「準備完了。点火10秒前!」
フォージが大声を上げる。
「5、4、3、2、1、点火!」
その合図にわずかに遅れて、エンジンのノズルスカートからオレンジの炎が吹き出す。さらに遅れて、爆風。俺は後ろによろけそうになるのを、踏ん張って耐える。
オレンジの火柱が、エンジンから真横に吹き出していた。真っ黒な地面と紺碧の空を分断するように、水平の炎が閃光を放っている。
体が激しい衝撃を受けて細かく揺れる。それがようやく音として認識されるようになると、俺はたまらず耳を塞いだ。バリバリと空気を粉砕するような音が、体中から響いてくる。
炎の根元は青白いが、すぐにオレンジに色を変え、真っ直ぐに横に向かって伸びている。その先では真っ白な煙が濛々と上がり、吹き散らされた砂や地衣類の黒い破片が舞い踊っている。
「やめ!」
轟音の隙間からフォージの声が響き、エンジンの炎が弱まる。炎は少しの間ゆらゆらと揺れたが、すぐに萎まって消えた。
静寂。先ほどまでの轟音が無くなり、世界から音が消え去ったかのように静まり返った。
「試験成功だ」
俺は呟く。少し間を置いて、マーモットたちの歓声が上がった。
「やった!ロケットだ!」
スタウトが巨体を仰け反らせて、腕を振り上げている。
「一発でしっかり動くエンジンを作るなんてすごいな」
俺はフォージに賛辞を送る。フォージは満足げに腕を組み、頷いた。
「測定値の方はどうだ?」
俺は記録係のマーモットのメモを受け取り、タブレットに値を入力していく。
「想定より推力がかなり低いな。時間経過での減衰も思ったより大きい」
スタウトが動きを止めて、心配そうに俺を見る。フォージも難しそうな顔で腕を組んでいる。
「課題は多いな」
俺がそう言うと、辺りは静まり返った。空気が重い。そこで俺はタブレットから顔を上げた。
「が、まずは成功だ。俺たちならやれる。ロケットを作り上げるぞ!」
マーモットたちの雄叫びが、ロケットの轟音に代わって空気を震わせた。
ISRUによる焼結レゴリスを主構造材とした周回軌道投入ロケット。俺たちが作ろうとしているロケットを、メランプスはシシュポス号と名付けた。それはまるで、岩で出来た船で大陸間横断を目指すような試みだ。通常通りに作ろうとすれば、船はその重さで沈んでしまう。
そこで俺が取り入れた設計思想は、徹底した簡素化だ。通常、ロケットにはターボポンプと呼ばれる燃料供給機構があるが、俺は今回のロケットからこれを排除した。ターボポンプは主に金属で作られる精密機器だ。コンピューター制御の無いマーモットたちの加工技術でこれを作るのは難しい。燃料供給はターボポンプではなく、タンク内の圧力を高めて送り出す圧送式にした。その分、タンク内の圧力が高くなり、タンクに強度が必要だが、フォージたちが開発したBFRC(バサルトファイバー強化セラミック)なら耐えてくれるはずだ。
ターボポンプと同様の理由で、ジンバル機構も排除した。ジンバル機構は、エンジン自体を傾けることでロケットの推進方向を制御する仕組みのことだ。これがあることで、ロケットは微妙な傾きを補正して真っ直ぐに飛んだり、意図的に推力を傾けて方向転換したりできる。だが、巨大なエンジン全体を精密に傾ける機構はあまりに高度だ。そこで、エンジン自体は固定して動かない代わりに、ジェットベーンを取り付けることにした。これはエンジンの吹き出し口に板を置いて、板の傾きを変えることで推力方向を制御する。蛇口から流れる水に手のひらを当てて、水が流れる角度を変える様子を想像してほしい。それと同じことをして、エンジンから噴き出る炎の向きを変えるのだ。
ただし、蛇口の水と違って、エンジンから出るのは超高温の燃焼ガスだ。金属の板であれば簡単に溶けてしまう。そこで役に立つのが、レゴリスから作られる耐熱セラミックだ。セラミックならば、金属が溶ける数千℃の炎にも耐える。それでも表面はいくらか蒸発してしまうだろうが、再利用するわけではないので、ロケットの燃焼が終わるまで耐えてくれれば問題ない。
そうやって難しすぎるもの、贅沢すぎるものを極限まで削ぎ落として、可能な限り簡素化することで、短期間で極力信頼性の高いものを作ろうとしている。
今目の前にある冷却装置もそうだ。ノーブルを中心に必要部品をかき集め、フォージの工房のスタッフたちが俺の設計した通りに作り上げてくれた。
その見た目は、図鑑で見たことのある、大昔の乗り物に似ていた。蒸気機関車という、黒くて細長い乗り物だ。ただし、横に長い蒸気機関車と違って、この冷却装置は先端を天に向け、黒い無骨な塔のように屹立している。
この冷却器には、リンデとハンプソンという大昔の科学者が発明した方法を使っていて、非常に古い技術だが、とにかく仕組みが簡単だ。やっていることは、気体を圧縮して圧力を高め、細い隙間から噴射しているだけだ。噴射されて膨張した気体の温度が下がるのを利用して、圧縮と膨張を繰り返すことで気体の温度を沸点以下まで下げていく。
俺が見つめる圧力計は、装置が順調に稼働して液体の酸素が作られていることを示していた。焼結レゴリスでできた断熱タンクは真っ黒で中を見ることは出来ないが、極低温の液体酸素が少しずつ溜まっていっているはずだ。その向こうには、メタン用のタンクもある。酸素生成の副産物として生産されたメタンが、同様に液体に冷やされて溜まっていっている。
「あとどれくらいかかる?」
小柄なマーモットが聞いた。エースだ。
「ロケットに必要な燃料ができるまでの時間か?だいたい、7.5サイクルくらいかな」
「間に合わないじゃないか」
エースが真っ黒な瞳で俺を見る。
そう。デーメーテールの定めた期限は7サイクルだ。既に1サイクルが経過している。酸素生成装置は2基ともフル稼働していて、これ以上の酸素生成はできない。
「追加の酸素が必要だ」
「どうやって生産する?」
エースがこちらを向いて質問する。俺は頭を振って答える。
「生産する必要はない。俺たちの周りにたくさんある」
「空気から酸素を取り出すのか」
「そうだ。そして、そのための設備は既にある」
「どういうことだ?」
怪訝な顔をするエースに、俺は目の前の冷却装置を指し示す。
「これだ」
天に向かって伸びる黒い塔からは、まさに蒸気機関車のように白い煙が噴き出し、機関車の後方──即ち、地面の方へ向かって流れている。白い冷気は、極低温になった冷却装置の表面で冷やされて霧状になった空気中の水分だ。辺りにはひんやりとした冷気が立ち込めている。
「今この冷却装置には、酸素生成装置で作った100%の酸素を流し込んで液化させている。これと全く同じ物を作って、この大気中の空気を流し込んでやるんだ。大気中の20%は酸素だから、空気を冷やすことでも液体酸素は作れる」
エースは首を傾げた。
「大気には酸素以外も含まれてるんだろ?二酸化炭素とか。それが酸素と混ざってしまうんじゃないか?」
「その通りだ」
俺は頷く。
「二酸化炭素と窒素、アルゴン、それから水分も、空気には含まれてる。それらを取り除かないといけない。だが、原理は簡単だ。気体が液体や固体に変わる温度がそれぞれ違うから、その差を利用して分離するんだ」
エースは視線を少し上に漂わせて考えている。
「⋯⋯蒸留?」
「そうだ。空気を冷やしてできた混合液体を少しずつ温めて行くと、まず窒素、次にアルゴンが気体になって飛んでいく。残った液体が酸素だ」
なるほど、とエースは頷く。俺はタブレットの表計算ソフトを開いて、新しい冷却装置の設計諸元を打ち込んでいく。
「圧縮機が足りるかノーブルに聞かないといけないな。それに電力もかなり必要だ。コロニーで使う分もこっちに回してもらわないといけないかもしれない」
俺はタブレットに入力を続けながら、誰に言うでもなくぶつぶつと思考を溢した。ふと見ると、エースが真っ直ぐ俺を見ていた。
「なんだ?」
「いや⋯⋯」
エースは下を向き、少し考えている素振りをしてから、また俺を見た。
「あんたは、怖くないのか?今の状況が」
「⋯⋯」
俺は黙る。エースが続ける。
「皆、不安がってる。もうすぐ殺されるかもしれないんだから、当然だよな。マトリアークが声明を出して、メジャーの警備隊がバロウを回って、なんとかパニックになるのを抑えてる。フォージや工房の皆は、ロケット作りに集中して気持ちを前に向けてるんだと思うけど」
「お前も怖いか?」
「⋯⋯分からない。攻撃されるって言われても実感がない」
エースは目を泳がせていたが、やがて俺に焦点を当てた。
「あんたは、落ち着いてるし、なんか楽しそうだ」
「楽しそう?俺が?」
俺は虚を突かれて目を丸くする。
「あ、いや、真剣に俺たちを助けようとしてくれてるのは分かってる」
エースが慌ててそう言うが、悪い気はしていなかった。自分の胸を見て、頷く。
「そうかもしれない。俺はものづくりが好きだから」
エースを見ると、彼もこちらを見ていた。額の白い四芒星の模様と、真っ黒な瞳に反射した陽光が輝いている。
「自分で作ったロケットで宇宙まで行けるかもしれないと思ったら、ワクワクしないか?」
「ああ」
エースはそう答えると、小さく何度も頷いた。
「燃料充填開始!」
スタウトが砂時計を片手に大声で命じる。燃焼試験用のロケットエンジンに繫がったパイプにあるバルブを、マーモットの一人が開く。
日は既に落ち、空はいくらか暗くなっていたが、巨大ガス惑星ユミルの反射光によって、作業ができる明るさは保たれていた。
試験用エンジンに改良を加えながら、燃焼試験を繰り返している。試験の方法は既にマーモットたちに教え込んであり、スタウトがその指揮を執っている。今回の試験は、コロニーで生産されたメタンを使用して想定通りの性能が出るかの確認だった。コロニー由来の液体メタンが、焼結レゴリスのパイプを通って燃料試験機に充填されていく。
俺は燃焼試験の現場から少し離れた場所で、タブレットの画面に映し出された数値とグラフを睨んでいた。徐々に定まってきたロケットの詳細スペックと、それを元にメランプスにシミュレーションをしてもらった結果だ。ロケットの軌道を表すグラフは、原点から斜め上に伸び、大きな弧を描いて斜め下へ下り、水平軸と交差している。つまり、墜落している。
「やはり外殻の厚みが大きすぎるように思うがね。機体の乾燥重量が大きすぎて初速が出ていない」
メランプスがため息のように問題点を指摘する。
「それはそうなんだが、これ以上は厚みを削れないとフォージが言っている。安全率をもう少し下げてもいいんじゃないかって言ってるんだが、フォージは頑固だな」
俺は頭を掻いて、タブレットの数字を再び睨む。
遠くから、スタウトがカウントダウンする声が聞こえてきた。カウントが終わると、辺りはゴーッという轟音に包まれた。
音声での会話ができなくなったので、メランプスがテキスト表示で話しかけてくる。
“機体を軽くできないなら、推力を上げるしかない”
俺が喉の奥で唸ると、燃焼試験機のエンジン音が一瞬途切れた。そして、ゴッゴッと咳き込むような音を立てる。
燃焼試験機の方を見ると、ノズルスカートから噴き出る炎が不規則に揺らぎ、脈打っている。通常は青とオレンジの炎だが、今は緑や黄色が混ざった複雑な模様になっている。
何かがおかしい。危険だ。
直観的にそう感じた俺は大声を上げる。
「スタウト!試験中止だ!」
しかし、その時には既にスタウトは燃焼試験機の方へ走り出していた。向かっている先は、燃料供給パイプのバルブだ。
俺も走り出す。
「待て!スタウト!離れろ!」
俺は大声を上げるが、エンジンの爆音に掻き消される。ガン!ガン!と激しい音を立て、ロケットエンジンが揺れる。
俺は全速力で走るが、スタウトは既に燃料供給パイプに辿り着き、両手でバルブを閉めていた。
「スタウト、離れ」
オレンジの炎が噴き上がった。ノズルの先からではなく、エンジン全体を包み込むように炎が広がり、視界を染め上げた。光がエーテルガルドの夜を鮮烈に照らし、そしてスタウトの体は宙を舞っていた。
バンと全身に張り手を食らったような衝撃と共に、俺の身体は回転し、左半身が地面に激突した。キーンと耳鳴りが響き、右半身に熱を感じる。
俺は地面に手をついて起き上がる。爆風で倒れ込んだようだが、すぐ分かる外傷はない。
燃焼試験機の方を見ると、ロケットエンジンのあった場所は炎に包まれていた。黒煙がもくもくと上がっている。
そして、その手前にスタウトの大きな体が転がっていた。
世界から音が消え、スローモーションになった。
マーモットたちがスタウトに駆け寄っていくが、彼はピクリとも動かない。体を揺すられ、腕が力なくだらりと地面に落ちる。
俺は呆然と立ち尽くしていた。
爆発の原因は、メタンの純度だった。
コロニーの排泄物から作られたメタンには不純物が含まれていて、それが燃焼不良を引き起こし、爆発に繫がった。原因調査を終えた俺は、そう結論づけた。
「くそっ!」
燃焼試験機の残骸に拳を打ちつける。
スタウトは医療センターに運ばれた。一命は取り留めたが、意識は戻っていない。俺のせいだ。コロニー由来のメタンについて、十分な分析もせずに燃焼試験を行わせた。安全対策もろくに行っていなかった。
甘かった。マーモットたちを率いて、まるで本物のロケット技術者になったような気でいた。俺は整備士だ。0から何かを作り出せるような人間ではない。
俺は自分の力と計画でマーモットたちを救えると思っていたが、結果はこの通り、スタウトに大怪我を負わせた。なんとお粗末な計画だろう。
「メランプス」
「なんだい」
タブレットから落ち着いた声がする。
「シシュポス計画は中止しよう。ロケット作りは不確実すぎる。それより、デーメーテールを説得する方法があるはずだ。まずは攻撃の根拠になっている倫理規定とやらを詳しく調べて⋯⋯」
「すまないが」
メランプスは疲れたように言う。
「僕にはシシュポス計画の支援しか認められていない。説得には協力できないよ」
「それなら、デーメーテールにもう一度話をするように取り次いでくれ。クロエでもいい。彼女なら協力してくれるかもしれない」
「タクミくん」
メランプスが鋭く言った。今までのくたびれた喋り方とは違う、静かだが威厳のある声だ。
「君は今、責任から逃れようとしているだけだ。君は目を覚ました時から、いや、25年前の事故で一人生き残った時から、マーモットたちの命運を握らされている。否応なくね。身近な者が傷ついたことで、ようやくそれに気づいて逃げ出したくなった。でもね、どうあがいてもその重荷から逃げることはできないんだよ」
俺は拳を強く握る。なるべく冷静に、客観的に考えるように努める。
「だとしても、計画が失敗したことには変わりない。コロニー由来のメタンは、ロケットに使えば爆発する。コロニーで生産したメタンがなければ、燃料が足りなくてロケットは飛ばない」
「ああ。だが、解決策はある」
メランプスは事も無げに言う。
「君はもうそれを思いついている。そうだろう?」
見透かすような言葉に、俺は押し黙る。解決策は確かにあった。しかし、それを否定する要素も。
「蒸留装置を作って純度を上げれば燃料に使えるかもしれないが、それには電力が更に必要になる。コロニーの発電能力はもう限界だ」
「それは問題ありません」
傍らで声がした。いつの間にか、俺のすぐ隣にノーブルが立っている。
「コロニーのライフラインを止めます。食料生産、水の供給、そして特に電力を使う夜間の暖房。これらを止めれば、電力は捻出できます」
ノーブルは涼しい顔でそう言った。眼鏡の奥で眼光が輝いている。
「ノーブル⋯⋯そんなことをしたら、皆が死んでしまう」
「シシュポス計画に直接携わらない者たちを冬眠させます。資源消費を最小限に抑えれば、食料や水は備蓄で耐えられます。電力を使わない防寒対策も既に動き出しています」
ノーブルの表情は動かない。その言葉には、揺るがない意志があった。
「冬眠は危険があるんじゃないのか?」
「稀に命を落とすことがありますが、犠牲は覚悟の上です。不安を抱く者もいるでしょうが、マトリアーク・グローリーが模範を示せば、みな心を一つにするはずです」
俺は驚いてノーブルの顔を覗き込む。
「マトリアークが冬眠を?」
俺はマトリアークとの謁見を思い出す。暗がりに浮かぶ巨大な体と、部屋の奥から響いてきたあの声。『私たちと、私たちの未来のために』。あの女王が、自ら命を危険に晒すと言っている。
「はい。既にそのご意向を固められています」
俺はマーモット社会についてまだよく知らないが、一族の長であるマトリアークが危険を冒して冬眠するというのは、余程のことだろう。
「私どもは、この計画に全てを賭ける覚悟です」
俺は目を閉じ、大きく息を吸う。奥歯を噛み締めると、自分の心臓の音が耳元で聞こえる。
「タクミさん」
幾分優しさを帯びたノーブルの声が耳に届く。
俺は目を開けた。
「分かった。やろう」
漆黒に近い深い紺碧の空には無数の星が光っている。
「計画を完遂する」
カウンセラーが脚を組み直し、こちらに視線を向ける。
「それではタクミさん、これからあなたのプライベートな事についてお聞きします。もし、答えたくなければ、お答えいただかなくても結構です」
俺は無言で頷く。カウンセラーがタブレット端末を手に取る。
「お名前と、家族構成を教えてください」
俺は頭を掻いて下を向き、しばらくしてから喋り始める。
「タクミ・タケナカ。両親と兄がいますが、今は離れて暮らしています」
「恋人はいますか?」
カウンセラーはにこりと笑い、こちらを試すような視線を投げてくる。
「います」
俺は短く答える。
「彼女との関係はうまく行っていますか?」
カウンセラーの質問に、俺は目を泳がせる。
「あー⋯⋯まあ、はい」
「彼女を愛していますか?」
カウンセラーは畳み掛けるように質問する。カウンセラーは真っ直ぐに俺を見ていた。思わず目をそらす。
「こういうのは苦手なんだ」
カウンセラーはくすっと笑って姿勢を変える。
「話題を変えましょう。あなたが好きなものは?」
俺は自分の内側にある興味関心に目を向ける。ワクワクしたイメージが湧いてくるが、うまく言葉にできない。
「何か⋯⋯ものを作ること」
俺がやっとそう言うと、カウンセラーは満足げに頷いた。
「では、あなたが怖いものは何?」
「怖いもの⋯⋯」
俺はまた内面に目を向けようとして、やめた。
「なあ、やっぱりやめよう」
カウンセラーは無言で首を振る。
「答えなくてもいいって言ったじゃないか、フローラ」
俺の恋人にしてこのカウンセリングごっこの言い出しっぺであるフローラは、いたずらっぽく微笑んだ。
「教えて」
俺は喉の奥で唸って目を閉じる。再び自分の内側に目を向ける。
俺が怖いもの。俺が忌避し続けているもの。
「役に⋯⋯立たないこと」
絞り出すようにそう言う。いや、少し違う。
「役に立たないと⋯⋯自分がいらない人間だと、思い知らされること」
兄の顔が浮かぶ。兄は優秀だった。両親の関心は、優秀な兄にあった。誰も俺を落ちこぼれと責めることはなかったが、いつか誰かにそう言われることを、俺は恐れていた。
「ありがとう」
目を開けて顔を上げると、フローラが微笑んでいた。
「あなたはいらない人間なんかじゃない」
フローラは身を乗り出して、俺の手を取った。俺の手に、自分の手を重ねる。
「あなたは必要な人間。そしてこれから、もっと皆に必要とされるようになる」
俺はフローラがかつて触れた手の甲に、自分の手のひらを重ね、その温もりを思い出していた。エーテルガルドの夜の厳しい寒さが、防寒着を突き抜けてくる。
その時、タブレットから着信音が鳴った。すぐに応答する。
「クロエ?」
「本当に、飛ぶ気なのね」
感情を抑えた静かな声だった。
「ああ」
俺も静かに返す。
「失敗すれば、間違いなくあなたは死ぬ」
「分かってる」
不思議と心は落ち着いていた。自分が死ぬかもしれないことは、大した問題ではなかった。
「それでも俺はやれることをやりたい」
「⋯⋯分かった」
少しの間、沈黙が続いた。
「座標を送る。見てみて」
タブレットにテキストメッセージが届いた。天球座標だ。空の、ある場所を示している。
ガス惑星ユミルの位置を基準にして、座標の示す位置を探す。少し苦労したが、見つけた。
座標の辺りに目を凝らすと、明るい輝点が見えた。輝点は紺碧の空をゆっくりと上に向かって移動している。
「ヴァンガードか⋯⋯」
俺は感慨深く呟く。この星の上空480キロメートルを周回する恒星間航行船ヴァンガードの船体が、恒星の光を反射して輝いている。
「私はそこにいる。無事にたどり着いて」
注意して見なければ、星と区別がつかない小さな点。こんな状況でなければ、そこまで行こうなどとは考えもしないだろう。だが、今俺はそこに行こうとしている。行かなければならない。自分たちの作ったロケットで。
「必ず行く。待っててくれ」
俺は通信を終えて、バロウに戻った。バロウの中は既に暖房が切られていて、冷え込んでいた。防寒着を着たホープとグレースが忙しなく荷造りをしている。この2人はこれから冬眠することになる。今はその仕度をしているのだ。
ドンと脚に後ろから何かがぶつかった。振り返ると、子供のマーモットだった。
「あ、ごめんなさい」
多分ピースだと思うが、ハッピーとあまり見分けがつかない。
「仕度の邪魔にならないようにな」
寒い中でも防寒着を着て元気に走り回っているようだ。彼らは幼すぎるため冬眠はせず、同じように幼いマーモットたちと共に一箇所に集められることになっている。
擬似的とは言え、家族と離れるのは辛いだろう。俺は胸を締め付けられる思いがした。冬眠するマーモットたちは、もし計画が失敗してマーモットコロニーが攻撃されても、眠ったまま最期を迎えることができる。しかし、この子たちはその瞬間を目撃することになる。その事は、あまり考えたくなかった。
「僕たちは中央センターに行くんだって」
小さなマーモットの言葉に、俺は頷く。
「タクミさんは、宇宙に行くの?」
俺はしゃがんでピースと目線を合わせる。
「ああ。宇宙にある母船まで、ロケットで行く」
ピースの目が輝いた。
「みんなでロケットを作ってるんだよね?すごいや!ロケットで宇宙船まで行って、みんなを助けるんだよね。ヒーローみたい!」
小さな体のマーモットはぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「でもさ」
ピースは不意に動きを止め、不安そうな顔をした。
「その後はどうなるの?」
「え?」
小さなまん丸の瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。
「宇宙に行って、みんなを助けて、その後タクミさんはどうなるの?」
言葉に詰まる。
「帰ってくるよね?」
ピースは純粋無垢な眼差しで、詰め寄るように俺を見つめた。俺はその問いに答えず、ただ小さなマーモットの頭を撫でた。
第4章:シシュポス計画 完
続き