
【SF小説】シシュポスの岩船 第3章 【宇宙マーモット小説】
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第3章:岩のロケット
「地球は青かった」という言葉が、その詩的な情緒を失い、ただ事実を表す言葉に変わってから、どれ程の時が経っただろうか。
ガラス越しに見下ろす地球は、どこまでも当たり前に青く佇んでいた。
俺の視界の半分を覆う巨大な青は、緻密だが乱雑な白を纏って、俺の足元を後方へと流れていく。海上に浮かぶ雲は、まるで子供が青い大皿の上に砂糖をばら撒いて、その小さな手でぐちゃぐちゃにかき回したかのように、無意味で、乱暴で、無垢だった。
俺はこの眺めが嫌いだ。宇宙に上下はないが、この巨大な青は強烈なまでに下を意識させる。秒速7.9キロメートルで飛ぶ俺が地球に落下することはないが、それでも、いつかこの青に落ちてしまいそうで、気が滅入るのだ。
「そろそろ見えるぞ」
隣でスコットが言った。横目で見るとスコットは髪の少ない頭を手で掻きながら、自分の前に並ぶモニターの表示を注視している。
「5キロ先」
スコットはモニターを見つめたまま、ガラスの向こうを指さした。俺はその指が示す先を見る。青い地球の表面が流れていく以外は、何も見えない。しかし、しばらく凝視していると、キラッと太陽光を反射する鋭い輝きが見えた。
「回ってるな」
俺はそう言いながら、目の前のコンソールに備え付けられた光学照準器の遮光パッドを両眼に当てる。照準器がレーダーに連動して動き、視界内に標的を捉える。標的がキラキラと光を反射しながら回転しているのが見える。
俺は手動で照準を微調整し、ズーム倍率を上げる。標的の詳細な姿がモニターに映し出される。
標的は古い型の人工衛星だ。全体がひしゃげており、2つある太陽光パネルの1つは根元から折れ曲がっている。ぐるぐると高速で回転しており、太陽の光を反射して壊れたおもちゃのように無秩序に輝いている。
スコットがRCS(姿勢制御システム)をオンにする。ゴウッとスラスターの噴射音と共に前へつんのめるように力が働き、俺はコンソールに手をついて体を支えた。
俺はテザーハープーンを起動し、発射準備を整える。テザーハープーンは、この船の船首に取り付けられた銛だ。銛の後ろにはテザー、つまり長い紐がついていて、船の胴体に繋がっている。今から標的の人工衛星にこの銛を突き刺し、テザーで捕まえる。この宇宙で最も馬鹿げた行為だ。
何故人工衛星を捕まえるかというと、衛星軌道を掃除するためだ。スペースデブリの問題は、今の宇宙開発で最も深刻な問題の1つと言っていい。衛星軌道上のゴミを片付けるため、公団は巨額の費用を投じて対応に当たっている。そこに群がるろくでなしが、俺たちのような軌道清掃員だ。
公団や大企業のようにレーザーアブレーションを使った大規模な清掃をするわけではなく、一つ一つデブリを回収しては、リサイクル業者に売り捌く。ゴミとは言っても、金属や燃料など資源は、地上にあるのと軌道上にあるのでは価値が何十倍も違う。大気圏に叩き落として燃やすのではなく、回収して売ることでそれなりに実入りがある。
そして、軌道上のゴミを集めるための最もスマートでエレガントな方法が、このテザーハープーンというわけだ。ゴミに銛を突き刺して、紐で巻き上げる。実にシンプルで馬鹿げた方法だ。
船首の発射台が動き、レーダーに連動して大まかな狙いを定める。俺の仕事は、さらに狙いを慎重に定めて、最適なポイントに銛を撃ち込むことだ。
人工衛星デブリは急速に近づき、すぐに肉眼でも存在を認識できる大きさになった。RCSがスラスターを微調整して、船とデブリの相対速度をゼロに近づけていく。
俺は再び光学照準器の遮光パッドに顔を押し付ける。パッドのスポンジがところどころ欠けていて微妙にフィットしないのが腹立たしい。
「射程まであと少し」
俺はトリガーに指をかける。素人なら相対速度が完全にゼロになってから狙いをつけるべきだが、俺は相対速度を計算に入れて狙いを定める。
「燃料タンクに当てるなよ」
スコットが言う。
古い人工衛星には、毒性のあるヒドラジン燃料が使われている。銛でタンクを撃ち抜いて燃料が漏れ出すと、かなり厄介なことになる。だが、もちろんそんなヘマはしない。
デブリが射程に入った。スコットが一時的にRCSを切って船を等速運動させる。俺は頭の中でデブリとの相対速度とデブリの回転運動、これから発射する銛の軌道を思い描き、銛が安定して突き刺さりそうな場所を探る。
ここだ。俺は引き金を引く。
ゴンッ。金属がぶつかり合う音と共に、船体に衝撃が走る。
シュルルルと高速で金属が擦れる音がして、すぐにドスンと鈍い衝撃があった。
「ヒット!」
俺の視界では人工衛星の横っ腹に銛が突き立ち、その銛に引きずられたテザーが勢いのままに進んでいく。
俺はすぐさまウインチの巻き上げを開始する。同時に、スコットが操縦桿を操作して船の向きを変える。ピッチ方向に急激なGがかかり、俺はコックピットの床に押し付けられそうになるが、手で座席を押して体を支える。俺はシートベルトを外して体を反転させると、座席の背もたれを蹴って船内を跳んで移動し、船体の腹にある窓に辿り着き、手すりを掴む。それとほぼ同時にRCSのスラスターが火を吹き、体が宙に引っ張られるが、手すりにしがみついて耐える。
スコットの荒っぽい方向転換により、今船は人工衛星デブリに腹を向けた状態になった。俺が窓から覗き込むと、船の腹から伸びたテザーがくねりながら伸び、その先の人工衛星へと繋がっている。ウインチによる巻き取りでテザーは徐々にピンと張られていく。
テザーが伸び切った瞬間、ガコンと船体に衝撃が走り、俺は手すりを掴んで耐える。すぐにテザーが緩み出す。テザーが伸び切った反動で、デブリがこちらに向かってきているのだ。このままテザーが緩めば回転するデブリに絡まって、取り返しがつかないカオス状態になる。
そうならないように、スコットがすぐにスラスターを吹かし、船をデブリから遠ざける。再びテザーがピンと張られた状態になる。そのまま船は腹から伸びたテザーで人工衛星を引きずりながら、徐々にロール方向に回転していく。遠心力でデブリを外側に引っ張ることで、テザーが緩まないようにしているのだ。俺は窓から人工衛星とテザーの様子を観察しているが、スコットからは見えない位置だ。彼は操縦桿から伝わる感覚だけで、テザーに一定の張力が掛かるようにスラスターの推力を調節しながら、船とデブリを回転させていく。
やがて、船の動きは規則正しい回転運動になった。もし地上からこの船と人工衛星の姿を見ることができたなら、ハンマー投げのように紐の先の重りを振り回しながら高速で空を駆けていく様子が見れるだろう。お互いに回転しながら徐々に距離を詰めていく様子は、何かのダンスのように見えるかもしれない。
最大速度でテザーを巻き上げるウインチの音がゴウンゴウンと船内に響き渡っている。窓から見える人工衛星が近づいて来た。その背景では、船の回転に合わせて、地球の青い表面と真っ黒な宇宙空間の闇が交互に入れ替わる。
人工衛星が近づくに連れて、角運動量保存の法則により回転速度は急激に上がる。そして、回転速度が上がればデブリに働く遠心力も増す。張力が大きくなり過ぎれば、刺さった銛が抜けてデブリが彼方に吹き飛んで行ってしまう。そうならないよう、スコットは回転を抑える方向にスラスターを吹かせ、俺はウインチの回転速度を調整する。
テザーに引っ張られた船体がギチギチと軋む音を立てる。窓にはひしゃげた人工衛星がでかでかと見えるようになってきた。本当はもっと速度を落とした方がいいが、効率を求める俺たちは、銛が引っこ抜けず船が壊れないギリギリの速度で、デブリを巻き上げていく。
ついに、窓一面に人工衛星の側面が見えるようになった。
ガコーン!激しい金属同士の衝突音と共に、船が大きく揺れ、船体が横に流れる。巻き上げ完了だ。
一歩間違えば、船ごと俺たちがデブリになってもおかしくない作業だったが、慣れたものだった。スコットがスラスターを吹かせて船の回転を緩やかに止める。
「よし」
スコットがコックピットを離れ、エアロックへ向かう。俺もウインチをロックすると、エアロックへ向かった。エアロックに入ると、スコットと、もう一人の船員であるレナードがいた。
「さすがだな」
レナードはニヤリと口元を歪めて言った。
「面倒なのはこれからだ」
俺はエアロックの壁から宇宙服を取り外しながら答える。これから先は、EVA(船外作業)だ。船の腹にへばりついたデブリを動かないように固定し、安全に運べるようにする。地味だが体力を使う作業だ。その上、宇宙空間には微細なデブリが高速で飛翔している。ある程度の安全対策はされているが、それでも運が悪ければ宇宙服ごと撃ち抜かれて死ぬ。
「あんたとスコットはいいコンビだ。俺も見習いたいね」
レナードは宇宙服のズボンに足を通しながら、ニヤついた顔で言った。彼は最近この船の一員になったばかりで、まだよく知らないが、正直あまり仲良くなれる気はしなかった。とは言え、付き合いの長いスコットにも、別段心を許しているという訳ではない。今の俺には、心を許せる相手がいなかった。
俺は無言のまま、宇宙服の袖に手を通す。脱いだばかりの室内作業着の胸元から携帯写真入れを取り出し、宇宙服の胸元に仕舞おうとしたところで、手が滑った。
写真入れは胸にぶつかり、跳ね返る。慌てて掴み直そうとした手が、かえって勢いをつけてしまう。写真入れはくるくると宙を舞って飛んでいく。
俺は壁を蹴って写真入れを取りに行こうとしたが、その時には既にレナードの手が写真入れを捕まえていた。
「恋人か?」
レナードは写真入れの中の写真を見て言う。いつものニヤニヤ笑いつきだ。
「元、恋人だ。返してくれ」
俺はレナードに向かって手を伸ばす。
「別れても引きずってるのか?」
「死んだんだ」
レナードは一瞬、面食らったような顔をしたが、すぐにニヤついた顔に戻った。
「ありがちな話だな」
そう言うと、写真入れをこちらに投げてよこした。だが狙いが悪く、写真入れは俺から逸れて横に飛んでいく。フリスビーのように回転しながら飛ぶ写真入れを、今度は俺の横にいたスコットが捕まえた。
スコットは俺に近づき、写真入れをそっと手渡した。
「なあ、タクミ」
スコットが抑えた声で話しかける。
「そろそろ前へ進むべきなんじゃないか」
「何がだ」
俺が聞くと、スコットは髪の薄い頭を手で掻く。
「お前にはエンジニアとしての知識と技術がある。こんなところにいるべきじゃない」
俺は目頭を押さえて俯く。スコットが覗き込んでくる。
「フローラのこと、今も大切に思っているのは悪いことじゃない。だがヤケになってこんな仕事を続けていても」
「お前に言われてもな」
俺はスコットの話を遮り、彼の胸を手で軽く押す。どこにも掴まっていなかったスコットは、押された勢いのまま後ろに遠ざかっていく。
俺は写真入れに目を落とす。写真の中では、白衣を着たブロンドの長い髪の女性が微笑んでいる。まだ元気だった頃のフローラだ。病は、ある日を境に突然現れ、そして急激に悪化していった。
俺の意識は、病室の記憶に飛んでいた。白い部屋、白いベッド、白い入院着に身を包んだ、痩せ細った体。ニット帽のような医療用帽子の下には、ブロンドの長い髪はない。ガラスと酸素マスクの向こうで、か細い声が俺の名を呼ぶ。
「宇宙に行って」
マイクを通し、スピーカーから聞こえてくるフローラの声はざらついていた。
「あなたが宇宙でエンジニアとして活躍するなら、私は側にいられる」
彼女の声が震える。
「あなたは私が守る」
配線がむき出しのスピーカーから、声が響く。
「あなたは私が守る」
クロエは毅然として言った。
「どうやって⋯⋯」
俺は思わず口走る。デーメーテールは7サイクル後に地上を攻撃するつもりだ。俺に母船へ帰還しろと言ったが、そもそも帰還するための船は用意されていない。
「転送するの。あなたの人格を」
クロエは淡々と告げる。
「降下船の装備品の中に、メディカルボットがあるはず。まずはそれを起動して。そうしたら、この通信をメディカルボットに繋ぐの。私がメディカルボットを操作する。あなたの脳をスキャンして、この回線を通じてデータを送る。そうすれば、あなたはこの船に帰って来られる」
俺は開いた口が塞がらなかった。
「俺の脳に電極を刺して、脳をスキャンする⋯⋯?」
「そう」
クロエは即答する。
「な、何を言ってるんだ。メディカルボットにそんな高度な手術はできない。それに俺の人格を再現できるほどのデータをこの音声回線で送る?一体どれだけの時間がかかると思ってるんだ?」
「大丈夫。全てのデータが揃わなかったとしても、私が補完して再構成する。あなたのことはよく知ってるから」
口の中が乾燥していく。ただでさえ薄い大気がさらに薄くなった気がした。
「クロエ、それは俺じゃない。俺を真似ただけのデータだ。本物の俺は、頭を開かれて死ぬか、デーメーテールに焼かれて死ぬことになる」
「肉体が死んでしまうのなら、魂だけでも生き残りたいと思わない?」
俺は頭を働かせて反論をしようとするが、うまく言葉が出てこない。
クロエの声は、フローラにそっくりだった。クロエはAIだ。フローラではない。だが彼女の声は、遠い昔に聞けなくなったフローラの声だった。まるで今まで眠っていた蕾が一斉に花を開いたように、彼女の声を聞く度に俺の中に埋もれていた感情が目を覚ます。その花弁が優しく撫でるのと同時に、俺の心臓に刺さった棘が、ズキズキと痛みを伴って食い込む。
「ねえ、タクミ」
また、花が1つ開く。
「お願い。帰ってきて」
俺は目を閉じて俯く。帰ってきてくれ。俺は何度フローラにそう願っただろう。
だが、俺は歯を食いしばって目を開けた。俯いた俺の目の前には、冬眠状態となって丸まったエースの姿があった。そうだ。マーモットたちがいる。
「俺は、攻撃を止めたい」
俺はクロエに向かって言う。
「⋯⋯それなら、なおさらよ」
クロエが言う。
「今のあなたの立場では、デーメーテールの決定を覆せない。でも、あなたが船内にいたら話は別。メインブリッジの人間の意思決定は何より優先されるの」
「肉体が無くてもか?」
「ええ、きっと」
本当だろうか。俺の脳を元に作ったAIは、人間として扱ってもらえるのだろうか。
「あなたを物理的にヴァンガードまで届ける方法がない以上、これが攻撃を止める唯一の方法よ」
クロエが追い打ちをかけるように言う。俺は唇を噛む。
「方法ならあるぞ!」
突然、大きな声が聞こえた。ダウンリンクの入口に垂れ下がっていた銀の膜が、勢いよく跳ね上げられる。膜を押しのけて、大きな体が入ってくる。
「スタウト?」
「おう、兄貴!待たせたな!」
スタウトは俺に片手を上げて言った。スタウトの巨体の後ろから、ぞろぞろと何頭ものマーモットが塔に入ってくる。
その1頭に見覚えがある。ガタイの良い上半身と、髭のように白くなった口元の毛。マーモット技術者集団の長、フォージだ。
「どういうことだ?」
俺は困惑して聞く。
「タクミさん、俺たちがあんたを宇宙まで送り届けてやる」
フォージが自分の二の腕を叩きながら言った。
「そうすりゃ、デーメーテールとか言うAIに言うこと聞かせられるんだろ?」
「そうだが、どうやって⋯⋯」
「言っただろう、タクミさん。俺たちは現地にある素材を使って、どんなものだって作る。それがISRUだ」
ISRU──現地資源利用。宇宙開拓における資源を地球から全て打ち上げるのではなく、宇宙船で到着した現地にある資源を利用して建材や消費資源を生産する宇宙開拓の考え方だ。以前話した時の様子からすると、フォージたちはこのISRUを自らの使命と捉えているようだ。
「まさか、ロケットを作るのか?」
「その通りだ!」
フォージは胸を張って言う。
「どうやって?降下船の金属は君たちのコロニーで使い尽くしてしまったんだろ?」
俺は単純な疑問をぶつける。
「金属じゃない。焼結レゴリスだ」
スタウトが人差し指を立てて言う。
「このダウンリンクと同じ。砂を焼いて作るんだ!」
俺は目を白黒させる。なんて言った?砂を焼いてロケットを作る?
混乱する俺に、スタウトは顔を近づけた。
「しかも、もうできてる」
「は?」
俺の間抜けな声に、スピーカーのノイズが重なった。
「タクミ、マーモットの話を聞かないで」
クロエが冷え切った声を放つ。
「ISRUでロケットを製造して打ち上げるなんて、聞いたことがない。非現実的すぎる」
「クロエ、だったか?」
フォージが腕組みをしながらタブレットの残骸に向かって言う。
「タクミさんが生身で母船まで帰れれば、あんたの望みも果たせて、攻撃も止められるかもしれないんだろ?完璧じゃないか。それに⋯⋯」
フォージはニヤリと笑った。
「非現実的かどうかは、試作品を見てから考えてくれ」
「試作品?どこにあるの?」
クロエは試すように聞いた。
「俺の工房だ。皆で来てほしい」
フォージがそう言うと、ノーブルが割って入った。
「お待ちください。クロエとはこのダウンリンクを通して交信しているのですよ。工房までお連れすることはできません」
「いや⋯⋯」
俺は口を挟む。
「タブレットの内蔵バッテリーはケーブルを外しても2〜30時間は持つ。通信はこのダウンリンクのアンテナ設備を介して行っているが、数キロ圏内なら無線で接続していられるはずだ。この通信を維持してもらえるなら、ケーブルから外してタブレットを持ち運んでも問題ない」
「そうなのですか」
ノーブルは驚いた声を出した。マーモットたちはタブレット端末の扱いをまるで知らないようだ。だからこそ、迂闊に触れられない神聖なものとして、大事に祀って来たのだろう。
「そうだろう?クロエ」
「ええ。でも通信は一旦切らせて」
「何故だ?」
「もうすぐ恒星蝕の時間だから」
何のことか俺が聞き返す前に、ノーブルが手で口を押さえて答える。
「そうか、赤き蝕の間は通信できないのですね。私としたことが、考慮できておりませんでした」
「何のことだ?」
俺はやっと質問する。
「あれのことだよ」
スタウトが指を真上に向けて答える。上を見上げると、遮光ガラスのような色付きガラスからダウンリンクに差し込む光が、微かに赤みを帯びていた。
「恒星アウズンブラが、ガス惑星ユミルの背後に隠れる時間のことです」
ノーブルも俺と同じように頭上を見上げている。
「ユミルの周囲が赤いリング状に輝いて照らすので、私どもは赤き蝕と呼んでいます。今はまだ恒星が出ていますが、もうしばらく経って恒星が完全に隠れると、地上が真っ赤に染まります。その間は、外に出てはいけません」
「なぜ出てはいけない?⋯⋯ああ、サブストームか」
俺はピンと来たが、クロエが更に補足する。
「そう。ユミルから恒星と反対側に磁気圏尾部が伸びていて、その領域内ではサブストームと呼ばれる現象が発生する。激しい磁場の乱れや放射線に晒されることになる」
俺は頷く。サブストームは磁気嵐と似ているが、異なる現象だ。とは言え、放射線に晒されれば死ぬという点では、どちらも同じだ。
「恒星がユミルの背後に隠れている間は、サブストームを警戒して地中に潜っておいた方がいいわけか」
「そうね。ヴァンガードも恒星蝕の間は待機モードに入る。だから、この通信は一旦切らせてもらう」
クロエがそう告げる。俺は慌てて引き止める。
「待ってくれ。また通信を繋ぎ直すのに緊急信号を送らなきゃいけないのか?もう電気ショックは嫌だぞ⋯⋯」
「電気ショック?」
「いや、それはこっちの話だ。とにかく、俺たちでなんとか解決策を探したい。そのためには通信が必要だ」
クロエはしばらく沈黙する。考えているようだ。
「恒星蝕が終わったら、こちらから連絡する。地上に出て、タブレットを使える状態にしておいて」
「分かった。ありがとう、クロエ」
俺は安堵の息を吐き出す。クロエとまだ話ができると言うことが、俺の心を落ち着かせた。
「タクミ」
クロエの声に、俺は息を止める。彼女の声は優しかったが、なぜか俺は怖気を覚えた。
「あなたの幸福が全て。獣たちの言葉に惑わされないで」
クロエとの通信を終えた俺たちは、ダウンリンクを出た。ユミルの巨大な影のすぐ隣で、恒星アウズンブラが輝いている。アウズンブラに近いユミルの外周は赤く輝いていて、その赤い光が夕焼けのように地表全体を照らしていた。
この衛星エーテルガルドの1日は、惑星反射光による明るい夜から、恒星の光のある明るい昼へ、そして正午近くなると恒星蝕によって赤い光に包まれ、また明るい昼、そして明るい夜へと移り変わっていく。これが64時間サイクルで繰り返されるのだ。
俺たちは、ダウンリンクから少し離れたところにある入口から、地下に潜った。磁気嵐から避難した時の狭い穴倉とは違い、そこは広く整備された地下通路だった。幅5メートル程の通路は鈍く黒光りする焼結レゴリスのレンガで補強され、ところどころにヒカリタケの明かりが灯っている。
その地下通路を、俺とマーモットたちがぞろぞろと並んで歩いていた。
「こんな立派な地下道があったなんてな」
俺は硬い燻製茸を噛みちぎりながら言った。朝から何も食べずに作業していた俺のために、スタウトが持ってきてくれた食べ物だ。噛むと濃厚で香ばしい味がするが、とにかく硬い。顎がおかしくなりそうだ。
「赤き蝕やフクロウの目が開いている間、移動ができないと不便ですから」
ノーブルが俺の横を歩きながら言う。俺は靴の底のように硬い茸を何度も歯で噛んだ。
「それならマトリアークに会いに行く時、なんでわざわざ外を歩いたんだ?地下道を通れば、あんなに寒い思いせずに済んだのに」
ノーブルが片手で眼鏡の位置を直す。
「この通路は私どもの生命線ですので。あの時点では、あなたが私どもの味方をしてくださるとも限りませんでしたから」
「なるほどね」
悪びれもしないノーブルを一瞥して、俺は硬すぎる茸との格闘に戻った。
俺は左の小脇に抱えたものを、落とさないように抱え直す。金色の膜でぐるぐる巻きにされた薄い板だ。クロエとの通信が切れた後、タブレットからケーブルを引っこ抜いて持ってきたのだ。俺がこじ開けた外装ケースは一応元に戻したが、密閉はできなかったので多層断熱材を巻き付けて応急処置とした。今はまだ恒星蝕の最中なので、念のための防護策でもある。
「そういえば、エースは大丈夫なのか?」
口の中を茸でもごもごさせながら聞く。
「エースさんは医療センターに移送中です。冬眠から目覚めさせる方法は確立されていますから、すぐに問題なく目覚めるはずです」
「それは良かった」
俺は最後の茸の塊を飲み込む。スタウトから水筒を受け取って水を飲む。水筒と入れ替わりで、スタウトが木の枝のような棒を差し出してきた。
「クランチ、いるか?」
この棒は以前、マトリアークの元へ案内してくれたオネストが齧っていたものと同じだ。この星に木は生えていないから木ではないのだろうが、どう見ても人間が齧るのには硬すぎる。
「いや、いいよ。ありがとう」
「そうか」
スタウトは棒の先を口にくわえると、ガリガリと音を立てて噛み始めた。
「美味いのか?」
「歯ごたえがある。歯がちょうどよく削れて気持ちいいんだ」
マーモットは確か、一生歯が伸び続ける生き物だ。だから、歯ごたえのあるもので意図的に歯を削ることを好むのだろう。人間の歯は伸びないから削ったりしないのだと言うと、スタウトは目をまん丸にして驚いていた。
俺は少し笑いながら口元を触る。歯は伸びない代わりに、髭が伸びてきていた。どうやって髭を剃ろうかとぼんやり考えたが、今はそれどころではないことを思い出した。
マーモットの通路はくねくねと曲がりながら進む。当面は案内無しでは歩けそうにない。
「ここだ」
スタウトが得意げに案内した先に、フォージの工房はあった。そこは、巨大な地下空間だった。
今まで見たどの施設より大きい。潰れた半球形のドームのような部屋に工作機械と思わしき設備とたくさんのマーモットがいて、その向こうにまた同様のドーム型の部屋が繋がり、さらにその向こうにも続いている。
工作機械は黒い岩のような質感で、馴染みのある金属の機械と比べると全体的に少し太った印象を受ける。これらも玄武岩レゴリスから作られたものだと一目で分かる。
そして目を引くのが、それぞれの工作機械の上にある明るい輝きだ。部屋全体をぼんやりと照らす緑の光とは違い、工作機械の上に灯った明かりは黄色みがかった白で眩しく輝いている。電球だ!この工房は電気の明かりに満ちている。
そして、室内は湿った熱気と喧騒に包まれていた。何か硬い物同士を打ち合わせるような音や、高速で削るような音が響いている。
「ここが俺たちの工房だ」
フォージが胸を張って言った。
「すごいな」
俺は素直に感心の言葉を口にした。
「そして、あれがロケットの試作品だ」
フォージの指す先、工房のど真ん中に黒く細長い円柱が横たわっていた。直径は1メートル程度、長さは10メートルくらいあるだろうか。
近づいて見てみる。黒く艶のない石のような表面。まるで、太古の巨木の化石が横たわっているかのようだ。
「これが、砂を固めて作ったロケットか」
俺がそう言うと、フォージが腕を組んで前に出た。
「そうだ。だが、ただの焼結レゴリスじゃない。溶かしたレゴリスを繊維状に引き伸ばして、混ぜ込んである。鋼鉄並みに頑丈だ」
フォージが太い腕でロケットを強く叩くと、低い鐘のような音がゴーンと響く。
「バサルトファイバー強化セラミック、BFRCですね」
ノーブルが頷く。フォージは再び腕を組む。
「しかも、継ぎ目もない。完璧な1本の筒だ」
俺は近づいてロケットの外殻に触れる。ひんやりとしていて石のような触り心地だが、凹凸は少なく滑らかだ。触っただけでは分からないが、かなり頑丈そうではある。
「だが、推進剤はどうする?」
「それも考えてある」
フォージは手で顎髭のような白い毛を撫でる。自信満々な顔つきだ。
「酸化剤には、硝酸カリウムを使う」
「そんなものも作ってるのか」
俺は驚いた。この工房といい、マーモットコロニーは思っていたより高度な技術を運用している。
「硝酸カリウムは栽培センターの肥料と、発破用の火薬の製造に使用しています」
ノーブルが解説してくれた。そこにスタウトが大きな体を割り込ませる。
「便所のブツを使って作るんだぜ」
マーモットのトイレを思い出す。菌の粉をかけて固めると言っていたが、肥料や火薬作りに利用していたのか。
「推進剤には、コケアメを使う」
「コケアメ?」
俺が聞くと、すぐにノーブルが助け舟を出す。
「地表の地衣類を加工して作るデンプンや多糖類の食品です」
「俺は好きじゃない」
スタウトが嫌そうな顔をした。
「糖類⋯⋯つまりロケットキャンディーか」
糖を燃料とするのは一般的とまでは言えないが、実績のある推進剤だ。普段から生産している材料なら大量に集めるのに時間もかからない。そういう点では理にかなっている。が⋯⋯
「ロケットキャンディーは比推力が低い。周回軌道速度には届かないだろう。それに、固体燃料ロケットは推力制御ができない。どうやって軌道投入するんだ?そもそも、ジンバルはあるのか?」
フォージは見る見る眉根を寄せていく。いや、実際には毛に覆われた顔に眉はないのだが、とにかくそういう表情をした。
黙ってしまったフォージの代わりに、スタウトが声を出す。
「もっと燃料を増やしたらいい!宇宙まで届いたら重力はないから、後は追加のブースターか何かで母船に近づいたらいい」
スタウトの間違いだらけの理解に、俺は頭を抱えたくなる。なんとか正気を保って向き直る。
「いいか、スタウト。母船は空の一点に浮いてるわけじゃない。時速何万キロという速度でこの星の周りを回ってるんだ。そのくらいの速さで移動して初めて、地上に落下せずに飛んでいられるんだ。このロケットをまっすぐ真上に打ち上げたところで──そもそもこれじゃまっすぐ打ち上がらないが、仮にまっすぐ打ち上げても、そのまま落下するだけだ」
スタウトはポカンとした顔で俺を見ていた。フォージは腕を組んで下を向いている。
「それじゃ、このロケットじゃ宇宙には行けないのか?」
「ああ⋯⋯これじゃただのパイプ爆弾か、良くて打ち上げ花火だ」
俺は努めて冷静に評価を下した。スタウトもフォージと同じく下を向いてしまう。
「タクミさん」
ノーブルが口を開いた。
「あなたなら、母船まで届くロケットを作れませんか?」
俺はノーブルを見る。まっすぐに見つめ返してくる真っ黒な瞳は、冗談を言っている風ではない。
「いや⋯⋯無理だ」
俺は首を振る。
「ヴァンガードが高度何キロメートルを周回しているか分からないが、少なくとも推進剤にはメタロックス──つまり液体メタンと液体酸素が必要だ。そんなもの用意できない」
「メタン?」
スタウトが顔を上げる。
「メタンなら、あるぞ」
スタウトは急に目を輝かせた。
「便所のブツでメタンも作ってるんだ。コロニーの電力はメタンでまかなってる」
「酸素には降下艇の酸素生成装置が使えるはずです」
ノーブルが続けて言う。
「降下艇に少量ですが液体推進剤が残っています。そして、その冷却機構も生きたままです。流用すれば、大量のメタンと酸素を冷却して液化させられるのでなないでしょうか」
「いや、しかしな⋯⋯」
俺がたじろぐと、それまで黙って下を見ていたフォージが、ふんと大きな鼻息を吐いて俺を見た。
「タクミさん、俺はロケット工学についてはさっぱり分かってない。だが、ISRUで作れるものは命をかけて何でも作る。あんたがロケットの設計をしてくれるなら、必ずその通りのものを作り上げてみせる!」
俺は横たわるロケットを見る。確かに、推進機構はまるでなっていないが、ロケットの外殻としては見事な出来栄えだ。しかも、俺がタブレットに冷凍睡眠ポッドを繋いでいた6時間あまりで、これを作り上げた。とてつもない技術だ。
俺はどうだ?俺はエンジニアだ。だがロケットを作ったことなどない。
フォージのロケットに触れる。黒く冷たい感触。懐かしい、接着剤の臭いがした気がした。
昔、ソユーズのプラモデルを作っていた時のことを思い出す。接着剤の臭いに包まれながら、大昔のロケットを組み立てる時間が好きだった。
フローラが笑っていた。
「真剣な顔⋯⋯本当にものづくりが好きなのね」
俺が作業をしている机には、プラモデル作りの道具と共に、大学で使う宇宙工学の教科書やノートが積まれている。その一つに、フローラはそっと手を置く。
「あなたはいつか、宇宙で活躍するエンジニアになる」
「だと良いけど」
俺はぶっきらぼうに答える。彼女は首を振る。
「絶対なる。そして、多くの人を助ける」
俺は手の中のロケットをじっと見つめていた。
「タクミさん」
フォージの声がした。
俺の目の前には巨大なロケットがあった。ノーブルと、スタウトと、フォージの瞳もあった。
目を瞑り、下を向いて長く長く息を吐く。息が完全に底を尽きた時、俺は目を開けてマーモットたちを見た。
息を吸う。言うことは決まっていた。
「俺がロケットを作る」
第3章:岩のロケット 完
続き