
【確率論的座標系の再点検】「ロジスティック方程式の暗黒面」について。
以下の投稿の最後に「ロジスティック方程式」の名前が登場しました。
実は「最初の人工知能アルゴリズム(当時の呼称はニューロン・コンピューティング)」単純パーセプトロンのアルゴリズムはロジスティック回帰のアルゴリズムと等価で、その大源流がこれなのです。
こうした発展は「適正値に向かって収束する」ロジスティック方程式の明るい側面にのみ注目する事で達成されました。しかし実はロジスティク方程式自体は「適正値を見失って暴走する」暗黒面をも内包しているのです。
マルサスの法則からロジスティック方程式へ
そもそもの大源流はマルサスの法則の登場。「人口は等比級数的に増加するが、それを支える食料の生産高は等差級数的にしか増加しない」とするこの考え方は本当に世界を混乱させました。

その成立はフランス革命戦争やナポレオン戦争のあった19世紀初頭前後。
早速「(主に貧民が)戦争や飢餓や飢餓によって適度に間引かれ続けなければ人類の文明はたちまち崩壊する」「それを防ぐ為に死亡率dを引き上げる/下げさせないのは正義」と茶化したサド侯爵(Marquis de Sade,1740年~1814年)は残りの生涯を精神病院で全うする羽目に陥る。
要するにNSDAPの「最後に生き残るべきは我々アーリア人である」理念も大日本帝国の大東亜共栄圏構想もこの考え方からの派生。
こうした数理的パニック状態をようやく鎮圧したのが「生物の数は環境収容力に向けて収束する」としたロジスティック方程式の登場だった訳です。

ここで単純化の為に環境収容力K=1、内的自然増加率r=1の場合について考えてみます。
ChatGPTにの各状態をグラフに描かせた結果が以下となります。


「通常はの場合は意味を持たない」とされていますが、リーマン球面に射映するとまた別の意味合いが急浮上してくるという次第。そしてまさしくこれこそが冒頭で触れた「ロジスティック方程式の暗黒面」…

①の場合…可換範囲上限未満から出発し、適正値に近づくほど勾配がどんどん減少し収束。
②の場合…可換範囲下限未満から出発。適正値の半分に近づくほど勾配が増加し、以降は減少に転じる。適正値で収束。
③の場合…から出発するも(ただしdは可算数)なので適正値には全く近づかない。一方、勾配がどんどん減少するの場合の逆関数なので勾配自体はに向けてどんどん増加していく。
このうち③の場合こそが、ここでいう「ロジスティック方程式の暗黒面」となる訳です。
「ロジスティック方程式の暗黒面」の実例?
古典的例としてグノーシス主義(Gnosticism,全盛期2世紀~3世紀)が挙げられます。宗教団体としての再生産性に欠けるが故に自壊が始まり、元マニ教徒だったヒッポのアウグスティヌス(354年~434年)が仏教における在野信徒と出家の関係を修道院システムの形で取り入れたキリスト教に最終的には駆逐されてしまいました。
⚫︎グノーシス主義の特徴
徹底した二元論
霊的世界(善)と物質世界(悪)を完全に分離。物質世界は堕落した存在とみなす。
救済は“知”(グノーシス)による
信仰や行為ではなく、「神秘的な内的知識」によって魂は物質世界から解放される。
偽の創造神(デミウルゴス)批判
現世の神(旧約の神など)は真の神ではなく、無知で傲慢な下位存在とする。
個人的な内的探求の重視
制度宗教を拒み、個人の内面的な悟りや直感を重視する神秘的志向。
選民意識
“知る者(グノーシスを得た者)”のみが救われるという閉鎖的・選別的傾向。
⚫︎グノーシス主義の限界
物質否定の極端さ
現実世界や肉体を否定しすぎるため、社会的・倫理的実践を軽視する傾向がある。
排他的・エリート的性格
「選ばれた者のみが真理を知る」という思想は、多くの人を救済から排除しうる。
普遍性・共有性の欠如
内的・直感的な“知”は客観的基準を持ちづらく、共同体としての宗教の維持が困難。
神の善性への疑問
創造主を否定することは、宗教的信仰(特にユダヤ・キリスト教)と根本的に対立する。
現実逃避的になりやすい
この世界を完全に否定することで、現実的な問題への関与を回避する傾向がある。
メラニー・クラインの対象関係論において対象恒常性の欠如が脊髄反射的暴力性をエスカレートさせていく展開も、概ねこの考え方の導入により説明出来そうです。

実例としては、ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンあたり。
そして復古王制時代ドイツにおける思想的停滞を嘆いた若きマルクスによる詩的預言「やがて封建主義的誘惑からも資本主義的誘惑からも自由な新人類プロレタリアートが旧人類を淘汰し尽くすだろう(そうでもない限りドイツは変われない)」に端を発し、際限なき内部闘争への倦怠感から生まれた、究極的には「小作人も、労働者も、地主や資本家と等しく価値がない」と考える「マルクス主義」すなわち共産主義体制における民主集中制原理。
この様な思考様式がカール・マンハイム「保守主義的思考」で提示された「進歩主義(微分によって抽出された問題解決次元に傾注する解析学的思考様式)の対抗馬として台頭してきた保守主義的発想」と結びつくと、途端に危険な破壊性を帯びる展開に。
こうしてちょっと探しただけで幾らでも実例が見つかるのが「ロジスティク方程式の暗黒面」の偏在性の恐ろしさ。では人類はその脅威にどうやっつて備えたらいいのでしょう? それについてはまた続報…
【追記】「0近傍の泡沫事象」概念の導入
上で提示したこの表のまとまりがなんとも悪く感じるので更なる掘り下げを試みました。

まず「0近傍の泡沫事象」に注目。例えば区間[-1,1]について、以下の投稿で紹介した「59も61も大体60と考えるのが60進法の制度的極限」なる考え方に基づく「1/60未満」がここでいう「0近傍の泡沫事象」となります。
数理的には「観測可能半径がゼロに近づき、ジンバルロック的次元喪失が始まる」領域。「平面上で観測可能なギリギリ」というのがミソで、これはある種の微分が通った状態、すなわち「三次元直交座標系の二次元直交座標系への写像における水平面上での回転」として観測されるという事。

メラニー・クラインの対照関係論的には「統合失調症次元における「脊髄反射的破壊衝動と盲目的万能感」、双極性障害次元における「躁状態と鬱状態」の峻別が難しい境界的状態が始まる」領域。

実数部が不定の「複素数概念を導入した対数関数」の領域。

この領域では、数例には落とし込めないコンピューター的バグ「0以下の数字を扱えない整数型データの0から強引に1を引くとそのデータが表現可能な最大数化けてしまう」が起こり得ます。そして通常なら∞±可算数d=∞なので現れない「N=∞とした場合のN進数」がその一瞬だけ成立するのです。

この考え方を盛り込んだ上での「ロジスティック方程式のリーマン球面への射影」の全体像を再構築するとこうなります。

①の場合…可換範囲上限未満から出発し、適正値に近づくほど勾配がどんどん減少していき最終的に収束。
②の場合…可換範囲下限未満から出発。適正値の半分に近づくほど勾配が増加し、以降は減少に転じる。適正値に収束。
③の場合…「桁落ち」の結果から出発するも(ただしdは可算数)なので適正値との距離は全く変わらない。一方、適正値に近付くほど勾配がどんどん減少していくの場合の逆関数なので勾配自体はどんどん増加していく。
ここまで考え方が進んだところで以下続報…