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八雲立つ歌の真実:三人四回の剣臣擁立と九人の女王|ホツマツタヱを暗号文として読む #21

    前回は、日本最古の和歌とされる歌の冒頭にある「八雲立つ」と、その続きに琴の奏法を装って記される「八雲打ち」の正体に迫りました。
    その結果、「八雲」とは、九州王権連合を構成する王族のうち、三大王連立制の天君・鏡臣・剣臣の嫡系以外の諸王族から女王が擁立されることを指す隠語であることが明らかになりました。

    これでようやく「八雲立つ歌」本体の解読の準備が整いました。

    今回はいよいよ、残る「妻籠め」の正体も含め、日本最古の和歌とされる「八雲立つ歌」の暗号を読み解いていくことにします。

    「八重垣」が三度繰り返される理由

    まず、「八雲立つ歌」を引用しておきましょう。

    八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ

    (9-32)

    この歌の最大のポイントは、剣臣の隠語である「八重垣」が三度繰り返されていることでしょう。

    三度の剣臣擁立

    前回考察した通り、八雲打ち、すなわち、ハヤコと「六弦琴=六人の湯津の女王」の擁立局面での剣臣擁立は、女王タケコによるオオナムチの擁立のほかに、タナコによるタケミカツチの擁立企図がありました。

    しかも、タケミカツチの擁立企図は一度だけでなく、二度ありました。
    タケミカツチの事績について述べた次の一節の「二剣」は、そのことを知らせているとみなせます。

    八咫やたの人らの 万よろ引きの 岩をも投げて ウツロヰも 拉ひしげば賜う 二剣

    (16-79)

    「八咫の人」とは国譲り神話で「八歳経るまで帰らねば(10-8)」と記される天君アメワカヒコ、「万引き」の「万(よろ)」は中国地方西部、「引き」は「退き」で、中国地方の西山陰響灘沿岸に渡来し、九州に移ったオオトシ、「岩」は筑後平野から日田玖珠地方に向かう「磐割(夜明地峡)」の入口(福岡県朝倉市)にいたイフキトヌシ、「ウツロヰ」は諫早地峡のことで、その地に追放されたタカヒコネのことです。

    この一節には、タケミカツチの対抗相手として、アメワカヒコ、オオトシ、イフキトヌシ、タカヒコネの四人の人物が登場しています。
    そして、その四人は、「アメワカヒコらのオオトシ」、「そのオオトシのイフキトヌシ、そしてタカヒコネも」という構成になっています。

    後者は、タナコ擁立時の対抗相手である三大王連立を構成する三人です。
    そのことから考えれば、前者の「アメワカヒコら」の「ら」が示すのは、アメワカヒコとオオトシと連立を組んでいたオオナムチのことであると考えられます。

    したがって、この一節には、この二つの連立を「拉ぐ」ことができていれば、タケミカツチは「二剣」を賜っていたはずだ、と記されていることになります。

    つまり、アサカ姫によるアメワカヒコの天君擁立企図とは、タカ姫によるタケミカツチの剣臣擁立企図と表裏一体だったと考えられるのです。

    そのように考えると、このハヤコと六弦琴の局面では、オオトシと二度のタケミカツチの計三回の剣臣擁立があったことを、八雲立つ歌で「八重垣」を三度繰り返すことで伝えようとしているとみなせるのです。

    三人の「剣臣」

    八雲立つ歌において「八重垣」が三度繰り返される理由は、それだけではなさそうです。

    タケミカツチの二度目の剣臣擁立時の対抗相手の連立は、「二剣」の一節が示すように、オオトシ、イフキトヌシ、タカヒコネでした。

    この時、オオトシはすでに鏡臣に即位しており、タカヒコネは殺害された双子の兄アメワカヒコの後継として天君に即位しました。そこへ、イフキトヌシが連立に加わったのです。

    連立の大王位で空いているのは剣臣でしたが、旧鏡臣傍系のイフキトヌシには、剣臣を名乗る正統性がありません。一方、オオトシは剣臣オオナムチの娘を娶っており、オオナムチから剣臣の地位を継承したとみなすことができます。
    そこで、イフキトヌシは鏡臣に即位し、王位の組み替えによって、オオトシが剣臣に即位し直したと考えられるのです。

    そのように考えると、ハヤコと六弦琴の局面において剣臣に擁立された人物は、オオナムチとタケミカツチの二人に、オオトシを加えた、合計三人ということになります。

    すなわち、八雲立つ歌で三度繰り返される「八重垣」は、女王の即位による直接的な剣臣擁立が「三回」あったことだけでなく、女王の即位を伴わない間接的な剣臣擁立を含めれば、擁立された人物は「三人」となることをも知らせていると考えられるのです。

    八雲立つ歌は「八重垣」を三度繰り返すことで、オオナムチ、オオトシ、タケミカツチの「三人による四回の剣臣擁立」があったことを示している、と結論づけることができるでしょう。

    そして、「八重垣」の三度反復は、表面上は三つの剣臣局面を示しながら、その内部にはタケミカツチの二度の擁立企図が折り込まれている、ということになります。

    その八重垣わ:注釈を必要とする諸事情

    あらためて八雲立つ歌を引用しておきます。

    八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ

    (9-32)

    前回見たように、「八雲立つ」には、セオリツ姫とアサカ姫の「二人による五回の擁立」が重ねられていました。さらにこれに、「八重垣造る」によって、オオナムチ、オオトシ、タケミカツチの「三人による四回の剣臣擁立」が重ね合わされているとすれば、おそらく「妻籠め」には、「ハヤコと六弦琴」の七人の妻たちの事績が重ねられている、ということになるでしょう。

    最後に残る要素は、「その八重垣わ」です。

    八雲立つ歌の最後の音は、後世の記紀の解釈では「その八重垣を」と読むのが定説になっています。
    実際、古事記では「袁(を)」と表記されています。
    日本書紀では「廻(ゑ)」と表記されますが、古事記の「を」を参照した上で、この「ゑ」を「を」と読み替えることが通説となっているようです。

    しかし、ホツマツタヱでは、四つの写本のうち三つで「やゑかきわ」となっています。
    この「わ」を係助詞の「は」と同じものととらえれば、述語を省略した中断文として解釈することになります。

    この末尾の「わ」は、この歌の暗号文としての性格を決定づける重要なポイントといえるでしょう。
    「その八重垣は…」で終わることによって、その先に注釈があることを示唆する形をとっていることになるからです。

    実際、ここまで見てきたように、三人による四回の「剣臣擁立」は、すべて「注釈」が必要となるような事情を抱えるものでした。
    「その八重垣は…」の続きには、その諸事情が省略されていると考えることができるのです。

    重層暗号としての八雲立つ歌

    これで、この歌が、「八雲立つ」による住吉側の二人の女王の擁立、「妻籠め」による七人の女王の結婚、「八重垣造る」による三人の剣臣の擁立、そして「その八重垣わ」による注釈、という構成になっていることが明確になりました。

    そこで、「八重垣造る」にあたる「三人による四回の剣臣擁立」を核にして整理すると、次のようになります。
    「妻籠めに」の太字は、剣臣を擁立しようとした女王、女王名の間の「/」は時期が異なることを、「・」は同じ年の擁立であることを示します。

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    八雲立つ歌の重層暗号

    この表を見ればわかるように、八雲立つ歌は、「三人による四回の剣臣擁立」をめぐる史実を四層に重ね合わせた重層暗号なのです。

    注釈の追記

    なお、ここで、「その八重垣は」という中断文に続く述語の形にこだわらなければ、注釈に当然記されるべき事情をいくつか追記しておきましょう。

    オオナムチの剣臣即位に関わる三人の妻たちは、その即位によって出雲・宗像とオオナムチの三大王連立を成立させました。追記するとすれば、ハヤコとタキコはそれぞれ天君ソサノヲ、鏡臣カグヤマツミを即位させた、ということでしょう。

    タケミカツチの層については、「妻籠めに」には「八雲立つ」と同じ住吉側から擁立が企図された女王候補が入るため、やや解釈が難解です。
    結局、タカ姫とタナコの住吉側からの女王擁立は実現せず、その二人は逆に出雲側から女王に擁立されることとなりました。
    したがって、注釈には「タケミカツチの剣臣即位は実現せず」とするだけでなく、タカ姫はアメワカヒコを天君に、タナコはイフキトヌシを鏡臣に即位させた、と追記すべきところです。

    また、タナコと同時に擁立されたオクラ姫は、殺害されたアメワカヒコの双子の弟タカヒコネを天君に即位させました。このオクラ姫とタナコの女王即位は、出雲とイフキトヌシの連立を成立させるもので、その結果、鏡臣だったオオトシを王位の組み替えによって剣臣へと即位させることとなったのです。これらのことも、本来注釈に加えるべき重要な内容といえるでしょう。

    妻籠め:連立内に囲われた女王たち

    さて、最後に残るのは、七人の妻たちがなぜ「妻籠めに」と記されるのか、という問題です。

    ハヤコ・タケコ・タキコの場合

    一般的には「妻籠め」とは、「八重垣で囲われた家に妻を住まわせる」という意味に解釈されます。

    しかし、九州王権連合の女王制においては、女王と男王がいっしょに住むことは原則ありません。
    女王は「壺」や「玉津宮」と呼ばれる女王専用の居所に住んでおり、三大王族の男王は女王の居所近くに移動して仮の居所を作って結婚します。そして、子作り・子育て期間(千五百日)を終えると、男王は生まれた男子を連れて自らの居所に帰り、生まれた女子は女王の居所に残って、次代女王候補となるのです。

    当初、女王の居所は「方壺(けたつぼ、北九州市)」にありました。しかし、宗像の女系子孫は、宗像の追放処分によって男系王族とともに移った有明海北西岸・相模(佐賀県小城市)の「沖壺」にいました。

    「ハヤコ/タケコ・タキコ」の即位による出雲・宗像の連立成立時には、この三人の女王たちは宗像の男系王族のもとにいたのです。
    このように、三大王連立がその構成王族のもとに女王を囲った状態にあることを「妻籠め」としたのでしょう。

    タケコとタキコが国内追放となった宗像の男系王族と同じ居所にいたことは、三つ子の女子の姫名を装って次の一節に記されています。

    姫人成りて 沖津島 相模江の島 厳島 身から流離う

    (7-55)

    「身から流離う」の「身」は、女王の血統の出自である男系王族のこと、「流離う」は国内追放を意味します。
    そして、タケコの名として記される「沖津島」は「沖壺」のこと、タキコの名として記される「相模江の島」は、沖壺のある場所であると考えられます。
    ちなみに、現在の地名の「佐賀」は「相模」の、「小城」は「沖」の痕跡とみなせます。また、後世に神奈川県にその地名が写された「江の島」は、その地形から小城市内の牛尾山に比定できます。

    なお、タナコの名として記される「厳島」も同じ場所を示していますが、このことについては後述します。

    ヤスタマの場合

    ヤスタマはオオナムチの先妻との娘です。
    九州王権連合では、男王の元服時に女王候補との結婚が予定されていなかった場合、元服と同時に女王位継承権のない女子と結婚するのが通例でした。
    その通例に従って、国外追放地で現地の女子との間に生まれたのがヤスタマでした。

    女王位継承権のない無名女子の娘であるヤスタマには、本来女王位継承権がありませんでした。しかし、オオトシの突然の渡来によって、急遽女王に擁立されたのです。

    女王位継承権をもたないヤスタマはもともと女王の居所には住んでいませんでした。
    しかし、オオナムチの管理下にあったという意味では「妻籠め」と言えなくもないでしょう。

    ただし、ヤスタマの「妻籠め」には別解もありそうです。これについては後で述べます。

    タカ姫の場合

    三大王連立がその構成王族のもとに女王を囲った状態にあることを「妻籠め」というのだとしたら、「タカ姫」が住吉側から擁立される際に「妻籠め」とされることは、重大な意味を持ちます。
    なぜなら、それは、住吉が連立内に宗像の女系子孫である女王候補を囲っている、ということを意味し、住吉が宗像と連合を組もうとしていたことを示唆するからです。

    宗像と住吉はずっと対立し続けてきましたが、オオトシの渡来をきっかけに宗像が出雲の三大王連立から排除されたことで、宗像と住吉が接近する余地が生まれたものと考えられます。

    結果的には、タカ姫はアメワカヒコと予定通り結婚し、その直後に殺害されることになるのですが、住吉側が女王擁立にあたって宗像側の協力が得られると考えていたのは間違いなさそうです。

    オクラ姫・タナコの場合

    「オクラ姫・タナコ」の局面では、二人の女王の「妻籠め」の主体が異なります。
    オクラ姫を囲っていたのは出雲側ですが、タナコを最初に擁立しようとしたのはタケミカツチですから、囲っていたのは住吉側ということになるのです。

    同じ宗像の女系子孫でありながら、二人の居所が異なることになったのは、前回指摘したように、アメワカヒコ殺害後に女王の居所が美濃(佐賀県嬉野市)に移されたためです。

    タカ姫は、宗像の女系子孫であると同時に、正統女王の出自であるカンミムスビの後継者オオナムチの娘でした。そのため、アメワカヒコ殺害を機に、女王の居所を宗像から切り離し、オオナムチの管理下に移したものと考えられるのです。

    それに対して、三つ子の中子であるタナコは、未婚ではありましたが、女王位継承権がないとみなされて、そのまま宗像のもとに残ったのでしょう。

    タナコが宗像のもとで女王に即位したことは、次の一節に記されています。

    御供をんともに 行きて筑紫の 宇佐に住む 母も宇佐にて 神となる 厳島宮

    (28-68)

    「御供に 行きて」とは、宗像の男系子孫とともに追放された、という意味で、筑紫は有明海沿岸、宇佐は宗像の拠点を示す名です。つまりは、相模江の島(佐賀県小城市)のことです。
    そして、「神となる」は即位の隠語ですから、タナコは男系子孫とともに追放された地で女王に即位したことが、ここに示されているのです。
    なお、「厳島(いつくしま)」の「いつく」とは「居着く」で、その地にずっといた、という意味だと考えられます。

    ヤスタマの妻籠めの別解:「妻米」

    すでに指摘したように、ヤスタマの「妻籠め」には別解がありそうです。

    というのも、ヤスタマは、「ツキヨミによるウケモチ殺害」として知られる説話の中で、「米(よね)の飯(いい)(15-25)」として登場するからです。

    「飯(いい)」は「御食(みけ)」と同義で女王の隠語です。
    そして、「米(よね)」とは、イナタ姫の「稲(いな)」と同義で、国外追放地を指すものと考えられます。
    さらに、表層では「籠め/込め」と読ませる「米(こめ)」も、この「米(よね)」と同義である可能性があるのです。

    つまり、「妻籠め」を「妻米」と読ませることで、ヤスタマが国外追放地で生まれた女子であり、ウケモチ殺害の説話に登場する「米の飯」と同一人物であることを知らせようとしているともみなせるのです。

    イトウ神:ヤスタマとタナコの共通点

    ハヤコと六弦琴の七人のうち、女王即位時に女王の居所にいなかったのは、ヤスタマとタナコです。

    ハヤコ、タケコ、タキコ、タカ姫は宗像の追放地・沖壺(佐賀県小城市)で、オクラ姫は女王の居所を移した美濃(佐賀県嬉野市)で即位しました。
    それに対して、ヤスタマは国外追放地である鵜川(山口県下関市豊浦町宇賀うか)で、タナコは女王の居所が美濃に移された後の沖壺で即位しました。

    この二人に共通して現れるのが「イトウ」です。
    タナコの即位地を知らせる28-68の続きには、次のようにあります。

    御供に 行きて筑紫の 宇佐に住む 母も宇佐にて 神となる 厳島宮 イトウ神 善きを知る名ぞ 大蛇おろちなる 恥に自ら 流離いて イトウを知れば オオナムチ 一姫を娶る 子のシマツ 三姫みつひめ祀る 外が浜 イトウヤスカタ 神の御食みけ 食はむウトウあり

    (28-68)

    「(オオナムチの)子のシマツ」とは、オオナムチの娘オクラ姫の夫となったタカヒコネのことです。
    「祀る」とは連合関係を結ぶことの隠語であり、タカヒコネがイフキトヌシと連立を組むにあたってタナコが擁立されたことを「三姫祀る」と記したと考えられます。
    「三姫」は三つ子全体を指す場合もありますが、ここでは三つ子の三番目、しかも姉妹順ではなく、即位順としての三番目で、タナコのことを指していると考えることになります。

    「外が浜」とは「九州外の沿岸部」の意で、ヤスタマが即位した鵜川のことでしょう。ヤスカタはヤスタマのことで、そのヤスタマもまた「イトウ神」であることが示されているのです。

    「善きを知る名」とされる「イトウ」には、「愛ふ」という漢字をあてる説があります。
    しかし、北九州市小倉北区にある「到津(いとうづ)」という地名に着目すれば、「到る」という意味として「到う」という漢字をあてることもできそうです。

    「善きを知る」とは、女王位継承権がないとみなされて、女王に即位する予定がなかったにもかかわらず、事情が変わって即位したことを指しているのでしょう。その上で、「イトウ」を「到う」と考えると、女王に即位した後に、女王の居所に移ったことを表しているとみなせるのです。

    これで、ヤスタマとタナコが「六弦琴」、すなわち「六人の湯津(温泉地)の女王」に含まれることも説明できます。

    二人とも、女王の居所以外の場所で即位しましたが、その後、女王として温泉地にある女王の居所「美濃」に移ったのでしょう。だから、ヤスタマもタナコも「湯津の女王」なのです。

    なお、引用の最後の「ウトウ」は、ヤスタマに対抗して住吉側から擁立されたアサカ姫のことでしょう。「ウトウ」は「疎う」で、即位後に女王の居所に迎え入れられた「イトウ(到う)」に対して、アサカ姫が後の即位後も女王の居所に住むことはなかったことを示しているものと考えられます。

    「日本最古の和歌」という「神話」

    最後に、この八雲立つ歌が日本最古の和歌とされることの意味について考えておきたいと思います。

    そもそも記紀に記された「八雲立つ歌」を日本最古の和歌と位置づけたのは、古今和歌集の仮名序でした。
    その古今和歌集も、古事記同様、暗号継承者による補完的暗号書であると考えられます。
    その編纂者たちは、重層暗号としてのこの歌の意義を十分に理解していたのでしょう。
    だからこそ、仮名序で「和歌の起源」に位置づけることで、他の有名な神話にも勝るとも劣らない重要な暗号が、この三十一音(五七五七七)の歌に隠されていることを、後世の人々に知らせようとしたのではないでしょうか。
    そして、その目論見は見事に当たり、「八雲立つ歌」を「日本最古の和歌」と位置づける「神話」は、現代まで引き継がれました。

    さらに、この「八雲立つ歌」を、あえて「妻籠み」「八重垣を」と読ませるように表記した古事記もまた、「こみ」では「米」の解釈が失われること、「を」では「は」がもつ「注釈付き」という意味が成り立たないことを踏まえて、あえて改変したのではないかとも考えられるのです。

    おわりに

    さて、これで「八雲立つ歌」については、その周辺部も含めて、その暗号の解読をほぼ終えたと考えていいでしょう。

    第18回以降、その実像が謎に包まれたオオナムチについて、「出雲八重垣」という称号や、その「出雲八重垣」を含む「八雲立つ歌」を手がかりに考察してきました。

    まず、「出雲八重垣」という称号は「ソサノヲの剣臣」という意味でした。
    そして今回、その称号を含む「八雲立つ歌」は、オオナムチに加えて、オオトシとタケミカツチという三人の人物の事績を重ねた重層暗号であることが明らかになりました。

    その「八雲立つ歌」の続きには次のようにあります。

    ついに奇くし妙たえ 現れて 八重垣打ちの 琴歌ぞ 生む子の諱 クシキネは 殊に優しく 治むれば 流れを汲める 諸が名も ヤシマシノミの オオナムチ

    (9-34)

    このオオナムチのもう一つの称号である「ヤシマシノミ」は、古事記では「八島士奴美」と表記されます。

    ここまでの一連の考察で、「八雲」や「奴=八つ子」が、三大王連立を構成する三つの王族以外の「八つの諸王族」を示す隠語であることが示されてきました。
    この「八島」も、「八雲」や「八つ子」と同じ発想にもとづく隠語なのだとしたら――。

    次回からは、「ヤシマシノミ」の正体を突き止めるために、まずは、「八つの諸王族」の真実に迫っていくことにします。


     
     
    ホツマツタヱを暗号文として読む立場から、隠語・数字・系譜・地理を手がかりに、神話の表層の奥にある深層構造の復元を進めています。

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