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短編小説「マ祈りティ」

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    〈あらすじ〉
    世界がもっと輝いて見えるようになりたい。そのために、マイノリティになりたい。



     目を良くしたい。これまで見えなかった幸せやサプライズが見えるようになるだろうから。

     耳を良くしたい。言葉や音楽にきっともっと感動できるだろうから。

     嗅覚を良くしたい。鼻が利くと良い香りや危険により察知できるようになるから。

     味覚を良くしたい。美味しいものにもっと感動できるだろうから。

     触覚を良くしたい。蚊など些細なものにも気づけるようになるから。

     私は五感を良くしたい。世界がより輝いてみえるだろうから。

     なぜって、理由なんて日常のあちこちに転がっている。自然に癒される理由は分かるけど、いざ山奥や田舎に行こうとすると気が進まないし面倒臭い(何しろ都会っ子の私は虫が大の苦手)。裕福な紳士やレディが観に行きそうなオペラやオーケストラに自分も感動できるようになったら、見える世界がさらに豊かになるだろう。それに、年を重ねるにつれて五感が衰えていくというのなら、今のうちに五感を研ぎ澄ませておいた方が絶対に良い。

     「祈り手」は私に共感もドン引きもせず、私の素直な思いとしてちゃんと受け止めてくれた。冷淡さは感じない。これを優しさというのなら、私の思いは正しいということか。そういう他者の思いもくみ取れるような、聖人か哲学者みたいな人間になれたら。ただの一般市民に収まるのでは息苦しい。周囲に埋もれて目立たないようにひっそりと生き続けるなんて、そんなの絶対に嫌だ。私は泥を這って生きる模範的な人間にはなりたくない。

     「祈り手」はその全感覚のうちから、まず、私の視覚を研ぎ澄ます手術をした。魔術と言った方がいいかもしれない。それなりのお金はかかったが、これからの人生の質が向上するのなら安いものだ。高校生の懐は狭いが、これからの人生の幅は広くなるはずだ。

     その日は特に何も変化を感じなかったが、翌朝目が覚めたとき、私は朝日がやけに眩しいと思って初めて魔術の効果を実感した。スマホで時間を確認。月曜日の六時半。遅刻どころか目覚ましのアラームより早く起床した――眩しいせいか。私は寝起きの体で立ち上がり、部屋のカーテンを閉めた。いつもなら薄暗いと感じていたはずなのに、今はカーテンを閉めてようやく適切な明るさだと感じることができる。よし、いい兆候だぞ。

     母の作ってくれたサンドイッチを口に放り込んで、私は上向きな気分で外に出た。通学用かばんを振り回して一回転する。空に向かって叫びたい気分だが、この閑静な住宅街では不審者扱いされるので掌で口を押さえてから叫ぶ。朝なのに昼みたい。世界が輝いて見える。まさしく文字通り。

     青空は青いと思っていたが、実際には一言で「青」と片付けられないほど鮮やかだった。人が言う「青空色」の画像と実際の青空の画像を目の前に突き出されたとしても、今の私なら瞬時に本物の青空を言い当てられるだろう。それどころか、「今撮った空の写真、色が変ですよ。レンズが汚れてるんじゃないですか?」と自信を持って言える。

     学校に到着したとき、慣れているはずなのに、私は一瞬自分がどの下駄箱に行くべきなのか迷ってしまった。というのも、校舎の細かい部分まで目に入ってくるからだ。四階のベランダに干されている誰かの体操服や、窓から逃げ出そうともがくカーテン。体操服は右裾が濡れているのが一目で分かるし、カーテンのひだの数だけ影の濃さが違うのもすぐに分かる。目を移す。二階の二年三組の黒板の文字が綺麗に消しきれておらず、他の教室の黒板よりもわずかに白っぽい。それに――。

    「おっと」

     私は肩を後ろから押され、驚いて後ろを振り返った。

    「おはよう。よく見て歩けよ」

     どこかの知らない担任の先生に声を掛けられて、私は我に返る。私が学校に来たのは出席するためであって、校舎を絵画のように眺めることではない。‥‥‥って、あらまあ、綺麗なスーツだけどネクタイの上部にまつ毛が一本ついていますよ、先生。

     美術の授業で、私は魔術の効果を最大限に発揮した。自分でも驚くほど模写が上手くなっている。この日、机の上に置かれている鉛筆を鉛筆で模写するというよく分からない課題で、私は初めて先生に褒められた。

    「すごいじゃん、プロみたい」

     先生の一声を機に、周囲の生徒も私の描いた鉛筆を覗いてきた。彼らから漏れる感嘆の声を聞くたびに、私の心が満たされていく。このために私は「祈り手」に頼ったんだ。

    「もしかして練習した?」

    「してないよ~」

    「こんなに上手かったっけ? 才能あるんじゃない?」

    「ありがと」

     私は鉛筆を持ったまま微笑んだ。誰よりも黒鉛で汚れた指先が誇らしい。

    「いいですね。じゃ、これからは仮病で美術の授業を休み放題しなくて済みますかね」

    「いや、先生、それはちょっと、言っちゃ駄目ですよ」

     確かに、美術の授業は嫌いだけど、褒められるなら行ってもいいかも。私は微笑した。ちやほやされるって、案外悪くない。

     望遠鏡みたいに私の視覚は鋭くなった。体育でテニスをしたときには動体視力の向上を実感した。コマ送りしたみたいに、ボールがすごくゆっくりと動いているように見える。逆に皆がわざとぼけてボールを取り逃がしているようにも見える。どうしてそっちにボールが落ちることが分かるのに、いつも一歩遅れて動き出すんだ?

     ただ、テニスが上手くなることはなかった。というのも、日差しが非常に邪魔なのだ。割り当てられたコート、そしてプレーする人の向きによっては最悪の試合になる。そして実際に最悪の試合になった。目の前が日差しというベールに塞がれて、ボールどころか相手すら見えなくなるのだ。眩しすぎる。頭がくらくらする。足元に力が入らないし、地面に足がついている感覚もない。高いところから落下しているみたいに。恐怖すら覚えた。たぶん、左の方をボールが掠めたのだろう。けれどボールが地面に落ちる頃には私も地面に頭を打っていて、駆けつけてきた人たちの頭が作り出す影で光が和らげられて初めて、私は平衡感覚と視界を取り戻した。視界が九十度傾いている。倒れたのか。頭を打った痛みは頭痛と区別がつかない。ただ体がやけに地面に押し付けられるような感覚がしているので、体感覚を失ったわけではないのだろう。私は保健室に運ばれた。

    「こんなことになるなんて、聞いてないですよ!」

     私はその日の夕方、「祈り手」に直訴した。詐欺に遭った気分だ。だが同時に、自分の責任であるような気もしていた。こうなることをどこかで分かっていた気がするのだ。けれどもそんなことを認めたくはなかった。

     「祈り手」は私の心を見透かしていたはずだ。だが私が上辺だけで話を進めるので、「祈り手」も上辺だけで話を進めた。

     「祈り手」によると、視覚だけが敏感になったことが苦しさの原因であり、五感のバランスをとることができれば、混乱しないで済むだろう、とのこと。「祈り手」の話を信じるしかなかった。なぜって、向上した『生まれつきの気質』は元には戻せないから。

    「じゃあ、」と私は自分の欲望のままに思案し、次の依頼をした。「聴覚」

     どうやら魔術の効果は翌朝起床時に現れるらしい。今日はやけに鳥のさえずりがうるさいなと思いながら起きた。ベッドの上で、画面の明るさを最小限に抑えたスマホを見る。アラームの一時間も前に目が覚めたのか。寝不足だが窓を閉めていても外が騒がしすぎて、二度寝する気にもなれない。鳥が家の近くに止まっているのだろうか。カーテンを開ける。日の出の時刻から大して経っていないのに目を細める。見当たらない。眩しすぎて見えないだけかもしれない。

     ‥‥‥鳥は早朝から何を話しているんだろうか。自分と同じように、早起きしちゃったよ~! とか話してたら面白いのにな。為替の話はできなくとも、それくらいの会話ならするのではなかろうか。

     はっとしてスマホの時刻を見る。まだ起きて一分も経っていないのか。鳥の朝活を想像するのに五分は使ったと思っていたのに。何やってるんだろう、自分。

     リビングへ向かう。席に座る。温かいサンドイッチ。電子レンジの唸る音。母の足音。テレビのニュース。どれもこれもが、イヤホンで聴いているかのようにはっきりと聞き取れる。音の濁流で私は目まいがしそうになった。

    「ねえ母さん、今日はいつもに増して鳥の鳴き声がめっちゃするんだけど」

     母はサンドイッチを頬張る私をキッチンから一瞥した。「そう? いつも通りだったけど」

     なるほど、やはり自分の聴覚が鋭くなったようだ。サンドイッチのレタスが口の中でシャキシャキと音を立てる。うるさい。不愉快だ。

    「最近早起きだねえ」

    「そんなこともあるっしょ」

    「今日は体調大丈夫なの? 昨日倒れたんでしょ?」

    「大丈夫だって」

     私は母の質問攻めから逃げるように家を出た。感覚を強化するのはもう終わりにしよう。きっと耐え切れない。

     私は学校に到着する寸前で、向かう先を変えた。というのも、突然強烈な吐き気を催したからである。サンドイッチのせいか? いや、どう考えても「祈り手」が怪しい。というか、助けて。私は息絶え絶えに、病院ではなく「祈り手」の元へ向かった。

     「祈り手」はやって来た私がへなへなとその場に倒れこんでも、整然とした態度で私を看護した。私の背中をさすり、ベッドに横にさせた。魔術を施されたベッドだ。私は通学用かばんを放り出し、制服のスカートがめくれようがお構いなしに布団に体を入れた。目を開けただけで、音が聞こえただけで気分が悪くなる。理想とはかけ離れた最悪の気分だ。私は荒い呼吸をしながら、鋭い口調で「祈り手」に問い詰めた。

    「なんでこうなるんですか。この吐き気ってあなたが関係してますよね? それ以外考えられない」

     すると「祈り手」は理路整然と口を開いた。

     ――感覚を操作するというのは、脳を操作するということです。個人差はありますが脳の嘔吐中枢は刺激に非常に敏感でして、ちょっとやそっとで反応しやすい傾向にあります。

    「そんなこと説明されてないんですけど」

     ――説明して、聞きましたか?

     は? 何、その物言い。私は反論しようとして、同時に内省する自分を自覚することになった。

     ――あなたは期待したんでしょう? 普通の人から『すごい』人になれば、周りからちやほやされて、同時に可哀想に思われる、と。

    「そんなこと思ってない!」

     ――そうですか。では美術の授業で褒められたときや、テニスの授業中に皆が心配して駆け寄ってくれたとき、嬉しくなかったのですか?

    「嬉しかったけど、テニスのときは、あれはピンチのときに助けてくれたからで、そうじゃなかったら別に助けなんかいらない」

     ――それに、嬉しい経験がたくさんできるとしたら、仮病を装ってずる休みもしなくなるんじゃないんですか?

    「‥‥‥いいからなんとかしてよ」

     ――私たちみたいな『すごい』人の苦悩も知らずに、良い面だけを手に入れようとする傲慢な人間はよく私の元を訪れます。

    「なんで後に全部説明するの? 何を望んでいるの?!」

     ――傲慢な人間が『すごい』人になることを望みます。私たちを憎みながら私たちと同存在になり、いつかすべてを忘れてしまう。

     私は耐えかねて、突き刺すような胃の痛みを無視して立ち上がり、枕を思い切り床に投げつけた。

    「言い訳もほどほどにしてもらえませんか?!」

     私は人差し指を「祈り手」に突きつけた。「祈り手」が何を言おうが詐欺は詐欺だ。意味の分からない理屈を並べ立てて弱い立場の人間を圧倒し、自分は優位に立ちたがる。それこそ傲慢で、貪欲な人間だ。

    「その変な魔術もこれで最後にしますよ。元に戻してください。それで全部解決。ね。お互い放っておける」

     動いたせいで再び吐き気がやって来た。足がよろめいたが、どうにか踏ん張る。

     対して、魔女は微動だにしなかった。

     ――『私は五感を良くしたい。世界がより輝いてみえるだろうから』。あなたはそう言いました。取引は未完了です。それに、世界の輝きが欲しいのでしょう?

    「知らない。輝いてなんかいない。真っ黒だ。不幸だ」

     ――それは私たちのことですか?

    「そうだ。最低だ」

     ――分かり合えないようですね。

    「当たり前だ。感覚が良い奴はみーんなあんたのせいだろ。可哀想に」

     ――私は望んだ相手にしか施していませんよ。

    「じゃあ望んでない奴は馬鹿だな」

     ――なぜ?

    「治そうと努力しないんだから。あんたのこすい魔術があれば、鈍感にもできるんでしょ」

     私は我を失っていた。相手は物言わぬサンドバッグで、殴れば殴るほど私の方が強くなっていく。そういう思い込みに囚われていた。きっと心の奥底では全く別のことを思っていたに違いない。しかし上辺を崩すことはできなかった。なぜって、上辺が「分かり合えない」と思ってしまっているのだから。だからこそ、相手もまた上辺だけで接してくる。本心を誰も知らない。自分の本心でさえ。

     ――取引ですので、そこは完遂する必要があります。吐き気も数日で治まると思いますので。さあ、ベッドに横になってください。

     私は底知れない恐怖に襲われた。腹を空かせた獣と一緒に檻に閉じ込められたかのようだ。逃げなきゃ。本心が叫んでいる。いや、本心なのか? 心のどこかでは今もまだ、俗に言う『すごい』人を望んでいるのではないのか? いや、今はそんなことどうでもいい。とにかく危険だ。逃げなければ。

     私が出口を見据えたとき、不意に目まいに襲われた。またか。こんなときに。待てよ、何かが違う。意識を失いそうな感覚とも違う、思考が奪われ、脳内が晴れ渡るような感覚。自分なのに、自分ではないような感覚。鏡の前の人間はどう考えても自分なのに、どうしても自分だと認識できないかのような。

     私は反射的に、そしてある意味生存本能的に「祈り手」の方を振り返った。こいつのせいか。体が思うように動かない。動こうとすると吐き気が蘇ってくる。だが「祈り手」の手が私の肩をさすると、吐き気は和らいだ。やけに落ち着く。もう少し慰めて。

     ――人に褒められると自己肯定感が上がるよね。

     何の話?

     ――生きてていいって思えるよね。

     まあね。

     夢見心地で、理想の自分、理想の世界を想像する。待って。あれ? 現実の世界の手触りを思い出せない。動けない。

     ――いいっていいって! 動かなくていいよ! あ、ほら、めちゃくちゃ絵が上手くなったよね。プロもドン引きなくらいにさ。

     ‥‥‥ありがと。

     私の足は、まるで見えない糸に引っ張られるかのようにベッドへと向かい始めた。

     ――テニスも、すごく上手くなったよね。多少努力は必要だけど、絶対将来有望だよ。

     そうだね。体育の成績も右肩上がりに違いない。これからが楽しみだ。

     ――鳥のさえずりって、聞くだけで心が和むよね。話し声が、よく聞き取れるの。

     そうかもね。バードウォッチングとか楽しそうだな。自然と触れ合うのも、案外悪いことではないかもしれない。

     ――今日のサンドイッチは楽しそうに食べられてた。あはは! どうせならもっと味わいたいでしょ。

     ほんと、それ。朝は忙しいから、もっと味わえるようになりたいってずっと思ってたんだよね。

     ――いいねえ、それ! 美味しすぎるあまり、熱々のサンドイッチで火傷しないようにね。ね。

     うん。温度がちゃんと感じられるようになれたらな。

     

    温度がちゃんと‥‥‥。


     温度が‥‥‥。



     おんど。


    「‥‥‥!」

     私ははっとした。網膜を焼くような熱く鋭い蛍光灯の光が、天井から私を照らしている。私は飛び起きた。そして、慌てて周囲を見回す。

     ――終わりました。

     「祈り手」の一声で、私が我を失っている間に何をされたのかを察した。外は既に日が暮れていて、街灯が薄暗い道路に光を投げかけ始めている。ときどき通る車はハイビームの光で道を照らしてびゅんびゅんと走り去っていく。

     さて、明日目が覚めたら、どんな真っ黒な世界が私を待っているのだろう? 普段喋らないだけに、かなり久しぶりに「終わりました」だなんて声を出したせいで喉がいがいがする。晩秋、湿気が下がり始める時季はこんなものか。

     私は立ち止まった。

     あれ、誰が「終わりました」って言ったんだっけ。



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    うつ病、ASD、てんかんを持つ文学部の大学生。生きがいは小説を書くこと。 こんな記事を書いています:  ・自作の短編SF小説  ・科学の豆知識  ・小説の書き方  ・うつ病や生きづらさの体験談・知識  ・本、映画、アニメなどのレビュー

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