
2025年2月 さぬき旅3
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2日目
朝8時に朝食。予め用意ができたら電話を入れると言われていたけれど、宿の電話って大体大音量なので、ちょっと心臓に悪い感じ。さて食堂へ。土日は満室になることも多いと伺っていたけれど、今朝は自分一人。窓の外の瀬戸内海を眺めながら、のんびり朝食をいただいていく。彩りが目に嬉しいサラダに、塩加減が程よい目玉焼き、厚ふわなトースト、コーンスープにコーヒー、いちごのヨーグルト和え。どれもこれもほっとする感じの美味しさでした。ごちそうさまでした。
駅まで送っていただくこともできるとのことだったので、その途中、展示をするコンテナまで送迎していただく。車中で昨夜の僥倖について話す。宿のご主人も「親切な方ですね」と驚かれていたので、やっぱ旅先だからといって良くあることじゃないよなぁ。そういえば宿は苗字っぽい屋号なのに、表札の名前=オーナー夫妻の苗字とは違っていたので、そのことについて触れてみる。どうも今のご夫妻が津田を旅しているときに(お遍路だったか?)泊まったのが今回の宿でその当時のオーナーが宿の買い手を探しているところだった、という経緯のようで。つまり以前のオーナーの苗字が、今の宿でも引き継がれているというお話でした。納得。そうして車は『アジアンファクトリー』前のコンテナへ。「夏頃、ここで展示をしているので、もしよろしければご覧下さい」とお伝えし、宿のご主人ともお別れ。ありがとうございました。
さて、今日は一人で下見の撮影。昨日は忘れていたメジャーで各所のサイズも測っていく。このコンテナの持ち主、『アジアンファクトリー』のオーナーにもお会いできたのでご挨拶。「夏頃にはまたよろしくお願いします」と下見を終え、津田の町中へと歩いて行く。まずは広い空につられるようにして海へ。向こうの灯台下で、釣りをしている人がいる。そこに日傘を差して歩いて行く人。ほんと、穏やかな町。そのまま波打ち際を足跡つけながら歩いて行く。内海だし波も静か。途中、小豆島のエンジェルロードよろしく潮の満ち引きで足場が出現する人工の岩場があったけれど、あれは何だったんだろう。そうして砂浜を離れ、防砂林である松並木のほうへ。二列の松の合間のまっすぐ道を歩いていく。やがて広大な松林へ(しっかし、どうして海沿いに松の植わっているところは「松原」と呼ばれるところが多いのだろう。「原」って個人的には、視界の開けている場所というイメージが強いから、少し違和感を覚える。ただ「松林」と呼ぶには、ちょっと密集度合いが高めかなぁ)。この一帯が、まさに「津田の松原」と称されるところですね。木陰にはテーブルと椅子も設けられていて、松の下でのんびりと海を眺めながら過ごすなんていうこともできるようで、さぞかし心地いいだろうなぁと。緩く巡らされた背の低い柵にそって歩き、あっちとこっちで名称の違う「出逢い橋」「見逢い橋」という木橋を渡り、松の生い茂る原へ。中には樹齢を重ねていそうな大層立派な松もそびえています。そうしてさらに先へと行けば、津田石清水神社が鎮座しておりました。京都からの分祀のようで。敷地も結構広大で、ここでもよろしくお願いいたしますとご挨拶。その後、近くの道の駅『津田の松原』へ。『うどん』という大きな看板。その脇にセルフの文字。セルフって、どこまでのことを言うんだろう。自分でうどんを茹でたりするんだろうか。まごついて、他のお客さんの迷惑になったりしないだろうか。という不安をうっすらと抱えていたので、まずは隣の物産館を見回る。したら、中でうどん店と繋がっていたので、様子を窺う。丁度他のお客さんたちが入ってきたタイミングで、郷に入ってはの精神でそのお客さんの後ろに並び「セルフ」を見極めることに。したら、何のことはない。店員さんにうどんの種類をオーダーして、自分で好きな天ぷら等を皿に置いて、最後にお会計という『はなまるうどん』と同じスタイルでした。おろしぶっかけ、小、冷、てな感じで。揚げ玉とネギも一杯ずつ盛ります。うむ。個人的にははなまるのほうが好きだったけれど、美味しかったです。というかまだ昼前だというのに、お客さんが次から次へと。やっぱ県民食なんだなぁ。ごちそうさまでした。さていい頃合いなので、駅へ。これにて下見は終わりです。穏やかながらも、若い人たちが町をより良くしていこう、という気運を感じる町でした。6月にまた会いましょう、津田。
そうしてやっぱり昼なのに高校生たちの多いJRに乗り込み、栗林駅で下車。入場記録だけになっていたsuicaをクリアにしてもらい、昨日同様のルートを戻り、ことでんの栗林公園駅へ。今日は西へと向かいます。ちょうど水を切らしたので、駅舎脇の自販機で何か地域色のある水でも買えないかなぁ、とラインナップを眺めるも、東京で見慣れたラベルばかり。けれど思い直して、サントリーの天然水を購入。サンプルのラベルには表記されてなかったけれど、取り出してみれば「奥大山(おくたいせん)」と。サントリーの天然水は地域によって採水地が違うので(関東だと南アルプス)、四国ならばきっとと思ってのサントリーだったけれど当たりでした。まぁ味の違いが分かるほど舌は肥えちゃいないが、こういうのは気分で。水を携え、二度目のことでんに乗り込み、西へ。というかあとから気づいたことだけれど、ラッピング電車に乗り合わせたようで、シートの一人幅ごとにバーバパパがプリントされていました。ことでん、という可愛らしい響きも相まって、何だか愛着が湧きます。一時間近くの乗車。車中ではときおり窓の外の田畑や家々に目を向けながらも、読書をしておりました。タイトルは『続膝栗毛』。東海道中膝栗毛の続編です(東海道中が目茶苦茶面白かったので、旅好きということもあって木曾街道とかの続編も読みたかったのだけれど、現状出版はされておらず……と思って、今回の旅を機に調べてみたら、個人で手入力でKindleに出版されている方がいて、もはや脱帽です)。で、続膝栗毛。昔の言葉のままだから分かりづらい箇所もあるにはあるけれど、序盤からきったねぇ話で、ことでんに揺られながら一人で込み上げる笑いを押し殺していました(喜多が船の窓を開けて、雨が顔に当たり「やぁ雨だ」と言って、弥次も確かめてみたら「雨なんか降ってねぇぞ。風上で小便している奴がいるぜ」みたいな下品の話のオンパレードですわ)。そもそもなぜわざわざ今回の旅に合わせて、続膝栗毛かと言えば、主人公の弥次喜多が向かうのが、香川の金比羅山(こんぴらさん)だからであります。というわけで、ことでんの行き先も琴平(ことひら)駅──金比羅山であります。到着。最初、津田への下見を企画したときは、そのまま徳島のほうへ流れようかなと考えていたんだけれど、そういや金比羅山があるな。伊勢やら熊野。古くから集団参拝の起こるような土地を今まで好んで旅してきたから、じゃあ音に聞こえし金比羅山も一度は参っておきますかぁ、という感じです。
さて金比羅山。駅を出ると、即大鳥居です。川を渡り、昔からの参道だろう石畳の町中へ。古い建物はありつつも、目に付くのは赤い誘導棒を手にした駐車場の案内人。車が通る度に「こっちこっち」と棒を振ります。それも複数人。これが公営だったら申し訳ないけれど、歴史深い観光地で私営の割高な駐車場に案内しよう、っていう光景は良く目にします。自分は遠目に見ただけだから判断がしづらいけれど、金比羅山では車を誘導棒で少し遮るような形で強引と思える客引きをしている案内人がいました。まぁ今回も含めて自分が見たケースがどうなのかは分からないけれど、観光地でのしつこい駐車場案内って全国のどこでも見かけるし、こういうのを見るだけでその観光地に対してマイナスな印象を抱いてしまうから、自治体は対策に乗り出して欲しいなぁと思います(なお近くにコインパーキングもあるようなので、車で行かれる方はそちらを検討してみてもいいかも)。
気を取り直して、金比羅山。参道は老若男女で賑わっています。下調べの時点で階段のすごい神社、ということは分かっていたので、予約しているホテルでランニングウェアに着替えて、金比羅山トレイルでもしようかとあまり信心深くなさそうことを計画していたのだけれど、チェックインまで少し時間があるのよね。じゃあ参道の様子でも少し見ますかと歩を進める。山の上に神社のある参道あるあるだけれど、麓のほうは左右にお土産店がずらりと並んでいます。そうしてあれよあれよと石段を踏み、ここで引き返せば損。思ったよりも楽だという実感もあって、あぁじゃあもうこのまま行っちゃおうか、と腹を決める。というわけで予めジャケットを脱いでおく。しかしカップルの女性がヒールの高い靴で、コツコツ石段を上っていくのを見かけたけれど、流石にそれはやめたほうがいいんじゃないかなぁ……。というか人が多いので、まぁいつものように条件反射で辟易して、脇道に「航路啓開隊」という案内板があったのでそちらへと。要は、戦争で日本近海には機雷が大量に撒かれて、戦後それを撤去する部隊があり、危険を伴う作業なので殉職された方もいて、その方々のための顕彰碑がこの脇道の奥にある、ということでした。どうして香川の金比羅山に? といえば瀬戸内海にも機雷は撒かれたようだし、金比羅山が海運の神様として信仰されていたというのが一番の理由でしょうね。で、そのまま進み、顕彰碑を仰ぎ見る。ちなみに参道を外れた野郎は自分のみで、近くには植木の手入れをされている方が一人。奥にもまだ道が続いているようだったけれど、これはどこへ行くのだろうと尋ねてみる。「この道って本宮のほうに続いてますか?」と。その通りということだったので、一人静かな道を選ぶ。木々の中の坂道を行けば、宝物館の裏手を抜け、美術館の脇へと出る。思ったよりも早く表参道に合流しました。そこからえっちらよっちら再び石段を踏んでいく。道中の文化財やら、(摂社と呼んでいいのか)青銅っぽい色味の屋根を冠した旭社も、なかなか見応えはありました。そうして階段を上り、今度は大きな手水舎、そこからまだまだ階段を行き、ようやく辿り着いた金刀比羅宮。神社建築の表現って、自分はとりあえず荘厳って言いがちなんだけれど、まさにそのような重厚な造りで。もちろん手を合わせ、頭を垂れる。よろしくお願いいたします。正面からの撮影は禁止、といったことが書かれていたので、斜めや横から撮影。近くには展望台もあって、讃岐の町並みを見渡せる。なかなかの壮観。でも、「奥社→」という看板が出ていて、まだ参道は奥へと続いています。もちろんまだまだ行きます。
(続→)


