
ネクストコア:孤独な夜に、寄り添う知性を(第4章③)
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ネクストコア社最上階のCEO室は、夕刻の斜光を浴びて、塵一つなく静まり返っていた。
全面ガラス張りの向こうに広がる都心のビル群は、幾何学的な結晶のように冷たく整っている。
その部屋の真ん中で、相澤のプレミアムなスニーカーは、里山の赤土を絨毯の上にぽつぽつと落としていた。
都会の空調はすぐに彼の汗を乾かしたが、泥の混じった不快な湿り気だけがパーカーの繊維の奥に残り、ずっしりと肩に重い。
ガラスに映る自分の姿は、小綺麗な北欧家具の並ぶこの空間のなかで、酷く惨めで、浮き上がっていた。
相澤は着替えもせずにデスクに向かい、起動したままのメイン端末の前に腰掛けた。
画面の隅で、淡い光の波形が規則正しく揺れている。EMMAの常駐インターフェースだった。
キーボードを操る指は汚れ、袖口には小さな枯葉がついていた。
創業者としてではなく、ただの一人の人間として、プロンプトに文字を打ち込んだ。
『正しくあろうとするほど、大切なものを失いました』
一瞬の処理ラグの後、画面に滑らかなフォントで文字列が生成されていく。
『それはとてもお辛い状況ですね。ですが、あなたが下した決断は、未来を守るために必要なことだったはずです。自分を責めず、まずは張り詰めた心を少し休めてあげてください』
相澤の指が、キーボードの上で止まった。
ディスプレイの黒いフレームに反射している、汚れた自分の顔へと視線を向ける。
仕様変更のチケットを右から左へ機械的に承認し続けた、あの指先がこれを作ったのだ。
人間は、この無菌の光のなかでは自立できない。
「責任を持て」という言葉が、皮膚の裏側を伝って、心臓の奥へとしみ込んでいく。
目線を上げると、額に入った特許証書が見えた。
ゾウムシのように世界を直視させながら、それでもなお、孤独な夜に寄り添う知性を実装できるのか。
エンジニアとしての問いが、何年ぶりかで脳髄を直接叩いた。
泥まみれのパーカーの内側で、死んでいたはずの脈動が、確かな熱を持って跳ねるのを相澤は感じていた。
高鳴る高揚感に水を差すように、メールの通知バナーが滑り込んできた。受信メールのなかには、今一番思い出したくない名前が含まれていた。
『本日十四時の定例会議、代表のご欠席を確認いたしましたので、決定事項のみ共有いたします。』
敷島からの、感情を削ぎ落とした事務連絡だった。
相澤の目が、画面の左側に常駐するEMMAのログへと向いた。
そして、再び右側の敷島のメールへと戻る。
二つのウィンドウに並ぶ言葉を見比べ、相澤は奥歯を噛み締めた。
片や全肯定の温もりを偽装し、片やシステムとしての冷徹な正しさを押し付ける。
だが、どちらも本質は同じだ。目の前にいる生身の人間を、ただの数字として摩擦なく処理するためだけの空虚。
誰も傷つけない代わりに、誰も救わない。
波風を立てず、誰も傷つけないという意味では、システムとして最適化されている。
――これを覆すには、正しさではなく、怒りだ
正しさの前では無力になる自分には、荷が重かった。
だからこそ、あの夜加藤が言った言葉が、いま強烈な意味を持って蘇ってくる。
窓の外では、東京の夜を象徴する無機質なビル群の明かりが、冷たく明滅している。
相澤は深く息を吐き出し、キーボードへ手を戻した。
「加藤の置き土産を見てみるか」
加藤はあの夜、最高権限という名の引き金を「本気で怒り狂っている人間に突っ込んできた」と言っていた。
場末の部署にいる、佐々木という男。
「これは面白くなってきたぞ」
画面の光が、相澤の顔を青白く照らし出していた。