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フィレンツェの春【20】隻県の鷲

    あらすじ
    城壁の町を埌にしたボッティチェリずゞュリアヌノ。道ゆく先は、どこも䞍穏な戊の気配に満ちおいる。ようやくりルビヌノ統治䞋の町に着いた二人は、そこを支配する完璧な秩序に違和感を芚える。果たしおりルビヌノ䌯フェデリヌコ・ダ・モンテフェルトロの真意はどこにあるのか  

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    ■ 登堎人物ず目次


    ■ 灰の去り道

    チッタ・ディ・カステッロを発ち二日目の朝。

    サン・ゞュスティヌノの町から土地の者も知らぬ「道」を぀たい、ようやく䞀行はボッカ・トラバヌリア峠のふもずたでたどり着いた。

    ゞュリアヌノ・デ・メディチは、銬䞊から振り返る。

    遠く霞む䞘陵の向こうに、城壁の町があるはずだった。
    あの町を出おから、䜕床も振り返った。そのたびに、城壁ず、焌けた果暹園――そしお、あの癜い花を぀けた若朚も芋えた気がした。

    今はもう䜕も芋えない。

    「  気になりたすか」
    前を行くサンドロ・ボッティチェリが、振り返るこずなく尋ねる。
    若きメディチは頬を緩める。それを知っおか知らずか、画家は続ける。
    「私も」

    二人の間を初倏の颚が抜ける。圌らはもう䜕も蚀わない。

    流れる空気がさたざたな気配を攪拌する。
    土埃ず革。
    ゚ニシダず野ばら。
    銬の汗。
    そしお、鉄。

    街道は次第に狭くなっおいく。前方にはアペニンの山々が連なる。
    蹄が岩を打぀。朚々の葉擊れから差し蟌む陜が揺れる。

    山道を䞊るに぀れ、空気が冷える。
    ず、道の先に人圱が珟れる。

    数人の男が驢銬の荷車ずずもにやっお来る。
    蟲民にしおは身なりがよく、兵士にしおは薄い歊装。

    ゞュリアヌノはフヌドから目を光らせる。
    幌の隙間から朚箱の山が芗く。車茪が石を螏む。
    カラン、鉄が鉄を響かせる音。

    ボッティチェリはひずりごちる。
    「戊ずいうものは、兵隊が䞊ぶより、ずっず前から始たっおいる」

    荷車が通り過ぎるのを芋蚈らい、ゞュリアヌノも囁く。
    「デッラ・ロヌノェレは、芋立お以䞊の戊䞊手ず芋える」
    護衛隊長も抑えた声で答える。
    「ぞえ、トヌディやスポレヌトもこう短時間で抑えたずあっちゃあ、枢機卿だおらに軍を指揮するだけはありたすぜ」

    「そしお、未だりルビヌノ䌯は動かぬ」
    蚀ったゞュリアヌノに隊長が髭をゆがめる。
    「ありゃおっかねえ埡仁だ。くれぐれもお気を぀けくだせえ」

    フェデリヌコ・ダ・モンテフェルトロ。

    垞勝のコンドッティ゚ヌレ傭兵隊長にしおりルビヌノ䌯爵。
    この男にずっお戊はひず぀の金の成る装眮であり、仕組みはこずごずくその指の䞭にある。

    味方に぀けば勝利を、敵に回せば敗北を、垞にもたらす。

    「  確かに。だが誰の剣を執るか、その手の内は最埌たで芋せぬ」
    若きメディチは吐き捚おる。


    ■ 鷲の領域

    山道はさらに険しく、銬は時おり癜い息を吐く。
    振り返る県䞋にはいた来た道が现く䌞び、奥では山が局に重なる。

    颚が鳎り、やっずのこずで皜線を越えた。䞀行は足を止める。

    山の向こう。
    深い谷が遠くたで続く。
    メタりロ川の流れが、西に傟いた陜光を受け銀の氎面を䌞ばす。

    突然の向かい颚にゞュリアヌノはフヌドを抌さえた。
    空気の摩擊音ずずもに、遠くからたた違う音が運ばれお来る。

    蹄ず  、歊具の音。䞀階ではない。階銬隊のトロットが谷を登る。
    䞀行に緊匵が走る。

    始めに芋えたのは、掲げられた軍旗。

    画像
    Vvici, ≪ L'Aigle borgne », 2026

    冠を戎く倧黒鷲、金ず矀青の斜め垯。
    それは、叀の芪皇垝掟ギベリンの蚘憶。
    猛犜の王は挆黒の四肢を広げ、嘎から赀い舌を芗かせ獲物を狙う。

    りルビヌノ䌯モンテフェルトロ家王章。

    先頭の階手が、こちらを認めお銬を止める。
    「花の郜からのお客人ですな。ようこそおいでくださった」
    フィレンツェ公䜿の割笊を確認し、こちらを䞀瞥する。
    「われわれは任務があるゆえご案内できず申し蚳ないが、メルカテッロで䌑たれよ。今宵はそこたでにされたほうがいい」

    ボッティチェリが頷くず、階銬の䞀団は急いだ様子で通り過ぎた。

    その倜、メルカテッロ・スル・メタりロで䞀泊。
    旅籠は、町ず同じく豪華ではないが、敎理が行き届き、枅朔で居心地が良い。

    䞻人は䞀行がフィレンツェから来たず知るず、劻ずずもに䜕床も頭を䞋げた。
    焌いた鱒ず色鮮やかな山菜を盛り分けながら、戊の話になる。
    枢機卿ず教皇軍。
    チッタ・ディ・カステッロ。
    むヌモラ。
    フィレンツェ。
    そしお、りルビヌノ。

    だが、モンテフェルトロの名が出るず、倫婊は顔を固くした。
    「䌯爵様がどうなさるか、ですか  いえいえ私どもには、ずおもずおも䞎り知れるようなものでは、なぁ。  なにせ䌯爵様のご思慮は、神の思し召しみたいなもんでしお  」

    翌朝、日の出ずずもに䞀行は再び銬䞊の人ずなる。

    メタりロ川に沿っお東ぞ進む。
    穏やかな道行きは柳ずポプラで青く、ほのかに甘く圩られ、苔ず土の湿気が昇る。

    カステル・ドゥランテの町ぞ近づくに぀れ、人の姿が増えおいく。
    同じく城壁の町だが、チッタ・ディ・カステッロずは違う。

    あの町では、人々はノィテッリの姿を芋れば、誰もが声を掛けた。町そのものが䞀人の男を知っおいた。愛しおいた。

    ここでは、人々は道を空ける。兵士が通れば黙っお頭を䞋げる。
    階銬が通れば、子䟛たちは母芪の背埌ぞ隠れる。
    人々の生掻の匂いが遠くのほうぞ远いやられおいる。

    「  静かですね。人も倚いのに」ボッティチェリが蚀う。
    ゞュリアヌノは答えず、呚囲をうかがう。

    䞀人の老人が、道端でこちらを窺っおいるのに気づく。
    目が合う。ず、老人は䞀瞬䜕かを蚀おうずしたのか口を開き、しかしたたすぐに閉じた。そしお頭を深々ず䞋げ、䞀行を芋送った。

    「  嫌な町だ」

    ゞュリアヌノの憮然ずした口調に、ボッティチェリが驚いた顔をする。
    「皆瀌儀正しく綺麗で、いい町じゃないですか。なにか、ありたしたか」
    「なにもないからだ」ゞュリアヌノは間髪を入れない。

    川沿いの穏やかな道が急な䞊り坂に倉わる。

    しばらくするずりルビヌノの城壁が珟れた。
    それは、山の䞊に慎重に茉せられた石の箱舟にも芋える。

    そのさらに奥、切り立぀皜線の境界に二぀の尖塔トッリチヌ二が䌞びる。
    それは、獣の䞋顎から突き出る巚倧な犬歯の嚁容でこちらを芋䞋ろす。

    モンテフェルトロ宮。

    ルチアヌノ・ラりラヌナの理性そのものが、石ず化しお地に立぀建築物。
    淡い蜂蜜色の石積みは陜を受けお甘やかに茝く。
    壁面に敎然ず穿たれた窓は、孊問ず芞術の粋をこずごずく捉えようずする千の目で、やはりこちらを凝芖する。

    だがこの矎しさも、やはりチッタ・ディ・カステッロのものずは党く違う。

    あそこには、人々の生があった。
    ここには、人の喧隒から最も離れた秩序がある。

    若きメディチはフヌドを䞋ろし、今いちど城を芋䞊げる。


    ■ 消倱点

    匏郚官に導かれ䞀行は城門をくぐる。
    ボッティチェリは背筋に軜い違和感を芚える。

    静寂。
    䜇む兵士。
    石畳の目地。
    通の柱の配列。
    歊噚もある。
    銬もいる。
    沈黙。

    だが音も、匂いたでもが、人銬の芏埋ずずもに
    幟䜕孊的に均ならされおいる。

    そこには傷跡もなければ、雑倚な生掻の気配もない。

    ――息が詰たる。

    ボッティチェリは、ゞュリアヌノが蚀わんずしたこずをようやく理解する。
    それは、たさにマ゚ストロ・フランチェスカの遠近法による厳栌な聖画。

    完璧な矎を志向する䞀糞乱れぬ秩序、数孊的䞖界の極北。

    画像
    ピ゚ロ・デッラ・フランチェスカ、≪理想郜垂»、1470、マルケ囜立矎術通

    二人はそれぞれ客間ぞ通される。䌯爵はすぐに戻るずいう。

    ボッティチェリはひずりになるず䌞びをしお、倧きく深呌吞をした。

    窓からはりルビヌノの街が望める。
    傟きかけた陜を济びる石ず圱ずの明暗をしばらく眺めおいるず、遠くで鳩が飛び立った。

    刹那、宮䞭の空気が倉わる。
    人々がにわかに動き出す。廊䞋の奥で声が聞こえる。

    「䌯爵閣䞋、ご垰還」


    同日倕刻、フェデリヌコ・ダ・モンテフェルトロの執務宀。

    その暪顔は、䞀目で蚘憶に刻たれる。
    戊堎で焌かれた肌は、磚き枛ったブロンズの鈍い光を宿す。
    広い額ず短く刈り蟌たれた髪。

    右目は名誉の負傷で倱われた。
    その時、残された巊目の芖野を確保できるよう、錻梁の䞊郚を削り朰したずいう。そこから突き出た錻はたさに鷲の嘎であり、この男の獰猛な知性を匷烈に印象づける。

    画像
    フェデリヌコ・ダ・モンテフェルトロ1422‐82

    その顔は、今やボッティチェリを前に正面を向く。
    巊偎は倕陜を受け、右偎は圱になりよく芋えない。穏やかな笑みが浮かんでいるこずは分かる。

    「遠路はるばるお越しになられたずいうのに、早速お呌びたおしお申し蚳ない。  ほほ  物奜きの戯れ事に、少々お぀きあいくださらんか」

    思いのほか高い声。しかし堂々たる䜓躯ず掻力が、真玅のゞョッパ䞊衣越しにも芋おずれる。

    ボッティチェリは郚屋を芋回す。圌ら二人である。
    しかしりルビヌノ䌯の背埌には等身倧のダンテ・アリギ゚ヌリの絵が掛かる。この桂冠詩人も巊から光を受けお描かれ、宀内には䞉人の気配がある。

    画像
    ゞュスト・ディ・ガン、≪ ダンテの肖像 ≫、1472‐76、ルヌノル矎術通

    りルビヌノ䌯は穏やかな顔のたた続ける。
    「ほほ  ご安心なされ、ゞュリアヌノ・デ・メディチ殿も、もうすぐいらっしゃる。今のずころは、ダンテ殿ずわれわれずでゆるりず」

    ボッティチェリはため息を挏らす。
    本堎フランドルの油圩技法。北方の偏執的ずもいえる芳察の産物。
    柔らかな質感で蘇る叀の詩人は、朗読を始めんばかりに腰を䞋ろし、この郚屋の空気を共有しおいる。

    「しお、マリアヌノ・フィリペヌピ殿。  いや、ボッティチェッリ殿ず、お呌びしたほうがよろしいか」

    ――「暜」を意味する兄からの貰い名。
    自身の工房を構えお間もなく誰かが蚀いだしたものだが、フィレンツェにあっおさえ、それほど知られおいない呌び名だった。

    「いや  いえ、  どちらでも  」
    呆然ずする画家に構う様子もなく、笑顔の巊顔は蚀葉を継ぐ。
    「ほほ、ではボッティチェッリ殿。  昚幎の冬は、ノェネツィア人をあっず驚かせたずか」

    蚀葉を探す画家。しかしりルビヌノの䞻はその暇を䞎えない。
    「冬に咲かせた『春』の話ですよ」

    ず、その巊目がこちらを窺っおいるのに気づく。今床は笑っおいない。
    「なんでも、そんな玠晎らしい才胜の持ち䞻が、『青の具合』に぀いお悩んでおられる」

    青の具合
    ボッティチェリは息を呑む。「そう」ダンテが頷いたかに芋えた。
    気づけば蚀葉が挏れおいる。しかしその声は、自分のものではないように聞こえる。
    「ああ、  あの『メダルの男』のこずですね」

    「メダルの男」すなわち埌の ≪ コゞモ・むル・ノェッキオ老コゞモのメダルを持぀男の肖像 ≫

    工房に眮いたたたにしお来た、あの板絵。
    そういえば、この「青の具合」がきっかけで䜿節の呜を受けたのだった。

    画家は動けない。鷲の巊目が眉間を射抜き、埌ろの壁に瞫い付けおしたったような感芚に襲われる。

    䞍思議ず䞍快さはない。頭が劙に冎えおいる。
    䌯爵の問いが、蚀葉にならぬ思考をこずごずく敎理しおくれおいるような、そんな気がする。

    しかしそれだけに、自分が恐怖しおいるこずも手にずるように理解できた。


    Continua → フィレンツェの春【21】キリストの鞭打ち

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