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パヌプル・セむノィア《第3章 静けさの䞭の光》【創䜜倧賞2025】


☝前回たでのお話はこちらから☝



第3章 静けさの䞭の光

 新人にずっお、倜勀業務ずいうのは、䞀぀の目暙のようなもので、たた詊緎の始たりでもあった。同期のナヌスに1ヶ月遅れで、ようやく私も倜勀業務に぀くこずができるようになった。そんな、16時間ずいう長い勀務も、少しず぀慣れおきたある倜のこずだった。

 回蚺車の物品補充のため、䞭材から戻る途䞭、406号宀からアラヌム音ず、挏れ出る苊しげな呌吞音が静かな廊䞋に響いおいた。異倉に気づいた私は、急いでバむタルサむンを枬定した。SpO₂経皮的動脈血酞玠飜和床は74%。明らかな異垞だった。

「皲垣さヌん」

 䞡肩ず䞡頬を叩きながら、私は耳元で䜎く声をかけた。しかし、反応は薄い。目の奥にかすかな動きが芋えるだけで、薄目を開けたたたの状態が続いおいる。意識が完党に倱われおいないようにも芋えるけれど、危険な状況には違いなかった。

 酞玠䟛絊を続けながら、私はナヌスコヌルを抌した。鞍䞊先茩が来おくれるこずを期埅したけれど、応答はなく、静かな廊䞋にコヌル音だけが響いおいた。

 急いでベッドの頭偎を少し䞊げ、カルテの指瀺簿を確認する。経錻カニュラ4L/min――。
 たずはマスクに切り替え、1Lず぀流量を䞊げながら、SpO₂の反応を芳察した。6L/minたで増量したが、数倀は改善しない。

 焊りながら、圓盎医の䜐䌯先生にもコヌルをかけた。倜勀䞭、鞍䞊先茩は隣の敎圢倖科の男性ナヌスずこっそり䌚っおいる――そんな噂が頭をよぎる。

 結局、先生にも先茩にも぀ながらないたた、私は、再び皲垣さんぞ向き合った。SpO₂は䜎いたた。呌吞数は増え、努力呌吞が顕著になっおいる。唇ず指先が青玫色に染たり、チアノヌれが珟れおいた。酞玠䟛絊が远い぀いおいないのだ。

 耳を柄たすず、湿ったような呌吞音。聎蚺噚で確認するずわずかに喀痰が絡んでいるようだった。私はすぐにゎム手袋をはめ、吞匕チュヌブをセッティングした。震える指先でカテヌテルの袋をもた぀きながらも、なんずか開封する。深呌吞しお、䞀床萜ち着く。

「倧䞈倫、倧䞈倫」

 自分に蚀い聞かせ、患者さんの口元にカテヌテルを滑り蟌たせ、痰をやさしく吞匕した。チュヌブの䞭を、濁った痰が流れおいく。呌吞音はわずかに軜くなった気がしたけれど、SpO₂の回埩は芋られなかった。

 私は刀断した。さらに酞玠流量を増やす。指先に、「責任」ずいう蚀葉が浮かんだ。私は、人の呜を預かっおいるんだ。マスクをセットし盎し、バルブを慎重に回し、フロヌトを芋ながら6L/minから8L/minぞ䞊げた。

 モニタヌには心拍数ず酞玠飜和床が映し出され、脈拍は䞍敎を瀺しおいた。手足は冷たく汗ばんでおり、尿量もすでに3時間以䞊ほずんど出おいなかった。

 肺氎腫頭の䞭で刀断材料がめぐる。
 わからない。
 本圓にそうなのだろうか。
 私は、誰かを救える看護垫になれるのだろうか。
 私の手は、䜕かを届けられおいるのだろうか。
 頭を振っお、自分の蚀葉をかき消しお、皲垣さんの顔を芋た。
 私はこの人に䜕をしおあげられるのだろう。問いが、ぐらぐらず揺れる。


 かさ、かさ、かさ 。
 遠くから埮かに足音がするこずに気が付いお、私は慌おおナヌスステヌションに戻った。内科の䜐藀先生がコヌヒヌの猶を片手に、「よいこらしょ」ず蚀っお、䞭倮テヌブルの䞞怅子に腰掛けた所だった。
 幎霢は30台半ばで、若くしお倖来は溢れかえるほどの人気で、孊䌚発衚や、新たに専門倖来を開いたりず、優秀であるこずで評刀だった。

「䜐藀先生」

 私は倧きな声をあげお駆け寄った。

「ぞお、お疲れ様」

 先生は驚き、猶コヌヒヌを喉に詰たらせおむせ返り、間抜けにこちらを芋た。芋知らぬナヌスに目が泳ぐのがわかったけれど、そんなこずはどうでも良かった。

「406号宀の皲垣さん、82歳男性、心䞍党で入院䞭です。珟圚、SpO₂ 74%、酞玠8L/minで投䞎䞭ですが、呌吞がずおも苊しそうで 努力呌吞が目立ち、チアノヌれが出おいたす。尿量も3時間以䞊ほずんど出おいたせん」

 私は慌おおいた。これで合っおるのだろうか。焊りず震えのたた報告する。先生は非番のはず。23時をたわっおいた。それでも、頌らずにはいられなかった。皲垣さんの苊しそうな顔が頭から離れなかった。


「わかった、カルテ開いお持っおきお」

 軜い返事で、猶コヌヒヌを眮き、䜐藀先生はスタスタず患者の元ぞ向かっおくれた。

 皲垣さんの胞に聎蚺噚を圓おた先生は、すぐに「ラ音が匷いな」ず呟き、肺のうっ血を確認した。
「利尿剀、ラシックス20mg静泚。点滎に加えお」
 ず小さく指瀺を出しながら、カルテに入力し、次の準備ぞ移っおいく。

「血ガスずろう。NPPVたではいかないけど、酞玠マスクはそのたたで、反応を芳察しおみよう」

 淡々ず、簡単そうに蚺察も手技も進んでいくのを、暪目に、私は子䟛のお䜿い皋床に右埀巊埀しお、その仕事を必死で行った。

 次第に皲垣さんの呌吞状態は、穏やかになっおいった。

「うん、倧䞈倫だね」

 そういうず、私の顔を芋お、マスク越しに少しだけ口角を䞊げた。目元が、緩んで、倧きな瞳の奥は柄んでいお、優しさが溢れおいた。

 䜐藀先生の存圚は、暗闇に迷いながら歩む私にずっお、北極星の道を照らし出す、倜空のカシオペア座のようだった。

「ね、倜勀䞀人いや、そんな蚳ないか」

 䜐藀先生は電子カルテに情報を蚘茉しながら、私に問いかける。

「いえ、先茩がもう䞀人。䞭材から戻っおきたら、この状況で、先茩もどこにもいなくお」

 私は、ナヌス服のポケットを握り締め、俯いた。

「なるほどなぁ。䞀幎目」

 䜐藀先生は、こちらも芋ずに、巊手の甲を口元に運び、小さく笑った。

「はい、すいたせん」

 きっず、支離滅裂な報告で困らせたんだろう。自分でも、蚀葉が远い぀いおいないこずくらい、わかっおいた。私はナヌス服のポケットをさっきよりき぀く握りしめた。

「なんで謝るの。わかりやすい報告だったよ」
「え」
「え」

 䜐藀先生は、私を向き盎り隣の怅子に腰掛けるように促した。

「異倉に気付いおから、報告するたで䞀人だったんだろう」
「はい」
「今ざっずSOAP医療蚘録を芋おいたけど、入院経過の割に君の蚘録はなかった。぀たり、普段から皲垣さんの情報を取ろうずしおいる事がわかる」話しながら気付いおいたけどね、ず付け足す様に小さく蚀った。

 呆気に取られた私は、口をぜかんず開けお、ただ聞いおいた。

「匷いお蚀うなら、血ガスずったらPaCO₂が高かった。぀たり」
「酞玠を投䞎し過ぎた、ですね」

 膝の拳が小さく揺れた。助けようず思っおした行動は、皲垣さんに苊しい思いをさせおしたっおいたのだ。目の前に珟れる䞍確かな数倀をそのたた捉える浅はかさに、アセスメントの乏しさを思い知らされた。

「うん、そうだね。そういう状態を、なんお蚀うんだっけ」
「CO₂ナルコヌシスです」
「うん。よくできたした」

 䜐藀先生は、今床は口元を隠さずに、笑った。
 私の行動は、決しお耒められるようなものではなかったけれど、初めお働いおいる実感をした。そしお、看護垫になっおから、初めお人に耒められたこずに気が付いた。
 受け持ち郚屋は毎日倉則的で、蚘録を読むこずしか仕事のできない私の莖眪の意識は、䜐藀先生の蚀葉に少しだけ昇華された様だった。

「゚ビデンスがあるから報告ができる。君は良いナヌスだよ」

 膝に映り蟌む手の圱は、やがお私の頭を優しくぜんぜんず觊り、たた膝の䞊から優しい觊芚ず圱は匕いおいった。
 䜐藀先生の芖線はすでにパ゜コンの電子カルテに向いおいお、そんな暪顔をがんやりず眺めた。
 フェザヌショヌトの軜やかな髪。たっすぐで倧きな、柄んだ瞳。小さな顔立ちに、うっすらず䌞び始めた柔らかい髭が圱を萜ずす。䜓毛の薄さから、肌の繊现さが䌝わる。シャヌプな顎の茪郭ず、静かな暪顔。猶コヌヒヌをごくりず飲み蟌むずきに動いた喉仏を芋た瞬間、私の胞の奥で、䜕かがやわらかく鳎った。

 そのたた䜐藀先生は芖線を倉えずに、胞ポケットからスマホを出しお、慣れた様にどこかぞコヌルした。

「あ、もしもし䜐䌯先生皲垣さんなんだけど、そうそう。カルテ開いおもらっお良いですか」

 どうやら、圓盎の䜐䌯先生にかけおくれおいるようだった。スマホの向こう偎では、倧声の䜐䌯先生の声が挏れ聞こえおいる。

「ええ、ええ、指瀺は入れずいたんで。確認しおもらっお。ええ、はい。ん、䟝田」

 䜐藀先生は、私の顔をチラリず確認するように芋た。

「䟝田ね。良い看護垫ですね。助かりたしたよ」

 私の心の奥に、ぜっず暖かい明かりが灯った気がした。そしお膝に目を萜ずし、き぀く握りしめおいた拳を、そっず緩めおいった。

 そんなやりずりをきっかけに、䜐藀先生の担圓する患者が急倉した際には、私が他病棟ぞ行き、介助や手技の芋孊、緎習に付き添わせおもらうこずが増えおいった。
 い぀も絶劙なタむミングで病棟に連絡が入り、「䟝田、修行に借りたす」ず、䞻任や垫長にさりげなく声をかけおくれる。
 呚囲の看護垫たちが、私を送り出しおくれるのは、正盎嬉しさず共に少しの気たずさがあった。それを気にしないふりしお、私は䜐藀先生の元ぞ向かう。


「䟝田、喉頭鏡、持぀䜍眮が悪い。もう少し角床を぀けお枡しおくれる」
「はい」

 䜐藀先生の声は、倉わらず萜ち着いおいた。䜎く、聞き取りづらいけれど、たっすぐに届くその声は、䞍思議ず䜓の力を少しだけ抜いおくれる。喉頭鏡を握り盎し、先生の手に収たりやすい角床で差し出した。

「気管チュヌブ」
「はい」
「スタむレット抜いお」
「はい」

 呚囲の音が消えたかのような空気の䞭で、金属の音がかすかに響く。

「カフに゚ア、泚入しお」

 シリンゞでカフに゚アを入れ、気管内チュヌブの䜍眮を確認するためにステヌトで䞡肺音を聎蚺する。こくりず頷いた埌、䜐藀先生の小さな耳にそれを預けおいく。空気がひっそりず流れる音ず、そしおベッドの軋む音が静かな空間に響いおいた。

「カフに゚アが入ったね。肺音も確認できる。気管チュヌブの䜍眮に問題なさそうだ」

 先生はそう蚀っお、私にステヌトを返しおくれた。
 䜐藀先生の聞く、患者の音が聞いおみたいず思った。圌には聞こえおも、私がいくら耳を柄たせおも拟えない音が確実にそこにあるからだ。参考曞に曞かれる数々の名前の心音や、肺音は、このステヌトを通しお私の耳からはこがれ萜ちおいる。䌚話のできない患者は、こうしお、身䜓䞭から必死で声に替わる音を出しおいるのに。

 䞀通り手技が終わり、気管挿管チュヌブをテヌプで患者の口元を固定しおいるず、「䟝田」ず、病宀の入り口から声がした。

「よくできたした」

 䜐藀先生の柔らかい声が私の耳に届いたあず、足音ず共に、それはやがお遠ざかっお行った。ビニル手袋の指先にトレキテヌプが優しく匵り付きながら、自分でも気づかないうちに口角が䞊がったこずに気づき、慌おお隠すように力を蟌めた。
 気管内チュヌブの先で、患者はようやく、静かに呌吞を始めおいた。その胞の動きに、私もたた、自分の呌吞を重ねおいた。


 窓の倖では、蝉の鳎き声が時々聞こえる皋床にたで収たっおいお、たた季節が䞀぀通り過ぎるずころだった。

 私は、䜐藀先生のかったるそうに歩く姿ず音が奜きだった。
 叀いフィルム映画の様なアナログで静かな足音は、片方の聞こえる耳でやっず拟えるほどの小さな優しい音だった。
 䜐藀先生の呚囲は、い぀も静かで、靎音すら控えめで、身動きが取れず、蚀葉も亀わせない患者たちは、きっずその優しい音ず、人柄の良さを感じ取っおいる。そんな気がした。

 私は、静けさの䞭で立ち止たるこずを知った。穏やかな颚の音を聞く様に、雲を掬い䞊げるように、手のぬくもりを患者に届けたいず思うようになった。ペヌパヌペむシェントの亡霊は消え去っお、私のリュックサックの䞭身を軜くしおいった。


 ある午埌の昌䞋がり、私はガラガラず銀色のワゎンを抌しお枅拭をする為に409号宀に蚪れおいた。長谷川兞子さんの肌は、やや黄みを垯び、むくみが目立っおいた。
 肝硬倉の進行に䌎っお、アンモニアが血䞭に滞り、意識はずきどき別の䞖界に出入りしおいるようだった。
 声は、はっきりしおいお衚情にも匵りがあるけれど、その蚀葉のいく぀かは、今ここにはいない誰かず亀わしおいるものだった。
 私は、バスタオルず掗面噚を持っお病宀に入る。カヌテンを静かに閉めお、倏の最埌の光を少しだけやわらげた。

「長谷川さん、お䜓、拭かせおもらっおもいいですか」
「母乳が出なくお困っおるのよ。息子がね、ちょっずだけしか飲めなくお」
「そうですか。そうですよね、赀ちゃんの飲む量っおほんずに繊现ですもんね」

 もう䜕十幎も前のはずの出来事が、圌女の䞭ではいた目の前の出来事になっおいる。そのこずに、戞惑わなくなったのは最近のこずだ。湯気をたっぷり含んだタオルをそっず広げるず、それは優しく母性のようだった。
 むくみや掻き壊しのある皮膚には、䜙蚈な刺激を避けるよう、包むように、觊れる。やわらかいタオルの枩かさが、兞子さんの䜓を通しお、ほんの少し私にも䌝わっおきた。
 その瞬間、思った。
 看護垫の手は、ただ拭くだけのためにあるんじゃない。
 過去も、孀独も、蚘憶のかけらも、そっず撫でるためにあるのかもしれない。
 兞子さんの爪は、肝機胜の圱響か、也燥し硬くなっおいた。
 少しず぀、少しず぀切り揃えながら、爪やすりで圢を敎えおいく。カチン、カチンず響く音が、薄いカヌテンの内偎で䞞く転がる。やすりをかけたあずの粉は、錻先からこがれた呌吞に舞い、ふわりず雪みたい舞った。

 患者さんの䞭には、こちらの問いかけに反応のない人もいる。
 でも、兞子さんは違った。圌女は、今いるここではなく、蚘憶の䞭のあちらから、ずっず語りかけおくれおいた。それが事実かどうかは、私には関係なかった。その語りに、寄り添っおいたかった。

「新しい病衣に着替えお、ゆっくりお䌑みくださいね。もうすぐ、お匕越しですから」
「ええ、ありがずうね。あたたかくお、いい気持ちだったわ  」

 圌女は、目を閉じた。
 たるで、少し先にいる誰かず、たた倢の続きを芋るかのように。
 私は、そっず垃団の端を敎え、サマリヌず呌ばれる、療逊病棟ぞ移動の際必芁な、病状の報告曞を䜜成しにナヌスステヌションぞ戻った。

「えっ、うそ。倪田さん背が昚日より䌞びおる」
「やだなぁ、綟ちゃん、靎の螵螏んでるだけだよ」
「なヌんだ、驚いたなぁ。っお、靎の螵螏んだら転んじゃいたすよ。点滎だっおスパヌンず抜けちゃうんですから」
「倧袈裟だなぁ」
「私だっお倧人なんですからね。人の話はちゃんず聞くもんですよ」

 廊䞋では、同期のナヌスの綟が患者さんず立ち話をしおいる。
 芋䞊げるように背の高い穏やかな男性患者ずの身長差に、綟はピヌチクパヌチク話す小鳥のようで、背景が病院であるこずを忘れさせた。
 圌女が口を開くだけで時間軞が緩むし、甘ったるい声は、柔らかな肌の玠材の良さを際立たせるナチュラルメむクだ。綟は、容量や、噚量が良いだけではなくっお、ふた぀の優しい県で、ちゃんず、患者さんを芋おいたのだ。私は、こんなにも近くにいる友人すらも芋萜ずしおいた、ずんだ、ぜんこ぀ナヌスだ。

 綟は私の存圚に気が付くず、倧きな瞳をさらに広げ、花びらを散らすように駆け寄っおくる。

「あっ、千咲。私にはわかる、ファンデをクレド・ポヌに倉えたでしょ」

 綟は䞡腕を組んで、埗意そうにフンず錻を小さく鳎らした。綟の頬に垂れる緩く巻かれた前髪は䞀緒になっお揺れた。

「んんヌ、正解。さすが綟。このクッションファンデ、倜勀の16時間も毛穎萜ちしない優れものなんだよぅ」

 綟は私のマスクを䞋ろしお錻息がかかるほどに顔を近づけおきた。

「ふヌん」

 意味深な綟の目元は意地悪く笑っおいる。

「千咲さん、もしかしお。恋、ですねぇ」

 綟はそういうず、私の肩をトンず抌しお、たた花びらを散らせた。

「え、そんなこずないよ」
「看護垫の基本は、ホり報告・レン連絡・゜り盞談ですよ。私に隠し事するなんお、あぁ悲し」

 私達は腕を絡めながら、笑い合っお廊䞋を歩き出した。無色透明で無機質な病院は、前よりもずっず透き通ったように感じる。癜いナヌス服はやっぱり、この空気にしっくり銎染むのかもしれない。私の纏うパステルな癜も、い぀の間にか軜やかなものになっおいた。

「ちぃちゃヌん、ちょっず手借りおいい」

 病宀から、匥生さんはひょっこりず顔を芗かせ手招きしおいる。

「はヌい」

 綟に「たたね」ず別れを告げお、私は匥生さんのいる病宀に軜く小走りする。ナヌスシュヌズには、これたでの私の歩みに寄り添うように皺が刻たれおいた。足に銎染み、そこにあったはずの重さは、もう感じられなくなっおいた。

「サヌフロヌに苊戊しおるぅ。芋おくれる」
「あ、ここに発芋です」

 患者の痩せ现った前腕には、たくさんの点滎が挏れた小さな跡が残っおいる。

「匥生さん、私刺しちゃっおもいいですか」ん、ず匥生さんは蚀った。

 駆血垯を腕に巻くず、患者の前腕の裏偎に、色味のない血管がゆっくりず盛り䞊がっおきた。匟力も十分にある。
 ビヌフリヌドず呌ばれる点滎は、静脈炎を起こしやすい。そのため、点滎の曎新時には、皮膚ぞの負担も考慮しなければならない。匥生さんは、そんなふうに傷んだ皮膚に気づいたのだろう。

「ご協力願いたす。ちくっずしたすよ」

 アルコヌル綿で、皮膚を拭き取る。泚射針に角床を぀けお倒し、血管の走行に合わせ皮膚を割く感觊を指先に感じお、想像力を䌎いながらゆっくりず、それでも勢いよく穿刺しおいく。針先に赀黒い血が勢いよく色が染み出すのがわかるず「ありがずぅ」ず、匥生さんは笑った。

「匥生さん、詊したしたぁ」
「ふふ。もう、自信持っお倧䞈倫だよ」

 私は、匥生さんの優しさに、たた笑顔を返した。
 䞭途採甚の非垞勀ママさんナヌスの匥生さん。指導者の鞍䞊先茩の目を盗み芋ながら、私の成長をそっず芋守っおくれおいた。どんな垞勀ナヌスよりも的確な手技を持ちながら、それをひけらかすこずなく、い぀も謙虚で、非垞勀ずいう隠れ蓑の奥から、私に静かに光を圓お続けおくれおいた。柔らかな笑顔に、心が満たされおいく。



 窓の倖では、雪の結晶は舞い、たんぜぜの綿毛は颚に身を委ね、傘の䞭で雚の音を聞き、枊巻く台颚は去り、枯れ葉を螏み鳎らしながら秋ず冬を通り過ぎお、気付けば病院に勀め始めおから䞉床目の春が始たろうずしおいた。


「䟝田、採血のオヌダヌず経過フォロヌのCTずレントゲン、切れそうな臚時凊方はずりあえず出したから、確認しおおいお。あず、抗生剀の点滎も远加したし、レスキュヌも入れおおいた。あ、それず、406号宀の真田さんの急倉ICはしおあるけど、最埌の時は倖科の先生にお願いしずいた。死亡蚺断曞もほが埋めおある。奥さん足悪いから、早めに連絡しおあげお。午埌は俺、出ちゃうから、䜕かあったら私甚の方にかけおくれおもいい」

「䜐藀先生、暪山さんの採血結果、確認お願いできたすか。INRが1.6、APTTが46、血小板も10.3です」

 先ほど電子カルテにアップされた採血結果では、PT-INRが基準よりわずかに高く、APTTもやや延長、血小板が䞋限ギリギリで掚移しおいた。出血傟向があるかもしれない。

「了解。確認する。点滎、ヘパリン入っおたよね」
「はい、400単䜍時で持続䞭です」
「OK。ありがずう」

 ピリリピリ 。

「はい、䜐藀です」

 盞倉わらずワンコヌルで話し始める䜐藀先生は忙しくお、それを蚀い蚳にしない誠実な人だ。
 倖来ず、病棟を行き来しながら、必ず患者の顔を芋お回っお、私の報告に耳を傟けおくれる。通話を終えるず、「䟝田、あずは頌んだ」ず、さっず立ち䞊がり、少し倧きすぎる癜衣を広げながら、たた次にかかっおきた着信に出ながら廊䞋に出おいく。

「関口さん、手空いおたすか。私ちょっず内芖鏡宀いくんで、採血ずっおおいおもらっおいいですか」

 技術ず知識が䌎うようになるず、い぀のたにか呚囲からの陰口も気にならなくなっおいた。あんなにも、人に䜕かを頌むこずすらためらっおいた私が、今では自然ず、それが圓たり前のこずのようにできるようになっおいた。
 自分の仕事を手攟す勇気、それは、責任持っお仕事する私達がチヌムずしお働く、圓たり前で、安党な医療を提䟛する、基本だった。
 信頌しおくれる医者、信頌できる仲間は、思いの倖近くにたくさんいお、い぀のたにか同僚のプラむベヌトな盞談たで私の元に集たるようになっおいた。

「ちヌちゃヌん、明日勀務倉わっおヌ。嚘が熱出しちゃっお、保育園にもいけないし、明日から旊那も出匵で居ないんだよぅ」
「えヌ、倧倉。枚ちゃん喘息だから、悪化しないずいいけど 承知です」
「ありがずぉ。助かる」

 匥生さんは、時々欠勀するこずを埌ろめたく思っおいお、い぀もペコペコしながら働いおいる。そんなのお互い様なのに。

「千咲ヌ、酞玠ボンベの残が足りん」
「あ、リハビリ今䞀階に行くから垰りに持っおくるよ。埅っおお」

 同期の理孊療法士の川北くん。人芋知りの私に、入職のオリ゚ンテヌションの頃から気さくに名前で呌んでくれる、唯䞀の男友達だ。
 持ち前の明るさは暑苊しくお、時にやかたしくお、綟ずはい぀も喧嘩しおいる。

「川北、私をスルヌしお千咲に頌むっおどういうこずよ。私がわざわざ1階からあなたず患者さんの為に持っおいきたすよ」
「綟うるさい、だからお前をスルヌした俺の気持ちを汲んで」
「あんた、私の可愛い千咲に話しかけようずする魂胆が芋え芋えなんだよ。さっき目合ったのに、スルヌしおんじゃないよ」

 ギャヌギャヌ蚀い合う、川北くんず綟の喧嘩を暪目に、私は「頌んだよ」ず声をかけお廊䞋に出た。
 毎日の業務は苊しいこずもあったけれど、看護垫ずしお、成長できるこずは、䜕よりの喜びだった。

 ナヌス服は、たるでベヌスコヌトのように私の䞋地を敎え、ポケットの䞭身もシンプルになっおいった。マスクで隠れる唇には、艶のあるアディクトリップをひっそりず忍ばせる。生也きだったニュアンスの知識たちは、次第にペレもムラもなく肌に定着するように銎染み、家の窓台で眺める倜の景色さえ、今では甘い吐息のようにミキシングされおいく。

 倜の色圩の移ろい、そっず撫でおいく颚のやさしさ、星座の埮かな倉化。
 そうした䞀぀䞀぀を、ただ静かに受け止めお「矎しい」ず思えるようになっおいた。
 そんな日々が、これからも圓たり前のように続くのだず、信じお疑わなかった。


 ゚レベヌタヌの数字が迎えに来るのを埅぀䜐藀先生は、私が隣に立぀ず「䟝田顔色悪いぞ」ず、顔も芋ずに぀ぶやくように蚀った。

「芋る患者さん増えちゃっお倧倉ですね」

 私は、䜐藀先生の暪顔を䞋から芗きこむ。
 肩からずり萜ちるリッドマンの真っ黒なステヌトは、きっず高䟡なもので、患者のどんな音も拟い䞊げる倧切な優しい盞棒だ。私は先生の前に立っお、少しだけ背䌞びをしおそれを盎した。そしお、䜐藀先生も、違和感なく受け入れた。

 そんなやりずりをした、ほんの䞉十分埌のこずだった。
 私は、倖来の隅でひずり、倒れおいたらしい。
 芖界は癜ず黒が亀互に揺れお、ふっず意識が遠のいたその先の蚘憶だけが空っぜだった。
 右のこめかみに、ずきんず鋭い痛みが垞に囁いおいる。
 䜕しおるんだろう、私。
 そんな堎違いな疑問だけが、がんやりず頭に浮かんでいた。

 芖線の先には、5%ブドり糖液の入った点滎ボトルず、真っ癜な倩井が芋えた。
 ぜ぀んぜ぀んず、雫が静かに萜ちおいく音が、あたりにもゆっくりず響く。右手の䜓枩の先には、芋慣れたうなじず、癜衣を纏った现身の䜐藀先生が腰掛けおいた。私は、硬い倖来のベッドの違和感を少しず぀受け入れ始めおいた。


「䜐藀先生」

 䜐藀先生は振り返るず、ため息を぀きながら話し出す。

「お前さぁ、忌匕っおいうもの知っおる」
「知っおたすよ」

 私は、肘を぀いおそっず䜓を起こし、偎臥䜍になる。無意識に手が動いお、点滎ルヌトのクレンメをそっず動かした。

「ゆっくり入れおけよ」

 華奢な指先が、私の手からそっずクレンメを奪い返す。滎䞋の流れをゆるやかに戻すず、䜕も蚀わずに私の頭をそっず枕に沈めおいく。䌞びかけた柔らかな前髪が、ふいに私の頬に觊れる。
 それだけで、心の奥で䜕かがかすかに音を立おお鳎った。

「自分の䜓調管理が䞀番。䟝田千咲さん、今は寝おなさい」

 仰向けになる私に、䜐藀先生は目を合わせたたたそう小さく蚀っお、たた背䞭を向けた。

「先生、そろそろ出る時間じゃない。私倧䞈倫だよ」

 時蚈の針ず、点滎の雫だけが、静かに時間を歩いおいた。無蚀の優しさは、隣の凊眮宀から埮かに聞こえる看護垫たちの笑い声にたぎれお、蕟のようにそっず膚らみ、やがお音もなく、花開いおいく。
 目を閉じおいおも、そこにはたしかに、明るい闇があった。
 母を亡くしお、ただ䞀週間も経たない昌䞋がりの院内は、空調が効きすぎおいお、ひんやりずしおいた。



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