
【上司の鎧を脱ぐ②】質問より大切なこと
「人に興味がないので、質問が出てこないんですけど……」
前回の投稿から、こんな意見をいただいた。
いい1on1といえば、聴くことと言われる。
「質問をして相手の話を聴くこと」。私も、コーチングアカデミーに入るまではそう思っていた。
でも、いまならわかる。ちょっと本質が違うのだ。
質問は、あくまでも手段の一つにすぎない。
そもそも、1on1はなんのためにやるのだろう?
今これを読んでいる人は、少し手を止めて考えてみてほしい。
目標達成、課題解決、話してスッキリしてもらう……どれも正解ではある。
突き詰めると、1on1とは、今より少しでもよくなる状態を作ることだ。
目標に近づく、課題が解決する、モヤモヤがスッキリする。そういう「ちょっといい未来」に向かっていくためのサポートをすることと言い換えることができる。
伴走するということ
1on1は伴走だ。指示をするのではなく、一緒に同じ目線で走っていく。
伴走するには、相手がどこに向かっているのかという「ゴール」や、今どのあたりを走っていて、どんな足取りなのかという「現状」の状態がわからないと始まらない。それが見えて初めて、本当に隣で一緒に走れる。
今、何に悩んでいるのか、何がモヤモヤしているのか、どうなったら少しよくなるのか。その答えは、すべて相手の中にある。
こちらが答えを持っていないのだから、私たちはただ、全部を聴くしかないのだ。
本人が分かっていない場合もある。
例えば、どこに向かっているのかも、自分が今どこにいるのかもわからないまま走るマラソンを想像してみてほしい。考えただけで心が折れそうだ。
でも、日々の業務に追われるメンバーは、気づかないうちにその「霧の中のマラソン」を走ってしまっている。いつの間にか大切なことを見失い、頭がぐちゃぐちゃになっているのだ。
だからこそ、私たちは問いを投げかけ、絡まった糸を一緒にクリアにしていく。
「今よりもいい状態って、どんな状態?」
「何がきっかけで、それが問題だと思ったの?」
「その時、どんな気持ちだった?」
誰かと一緒に整理していったとき、意外とゴールが近いとわかるかもしれないし、自分の現在地が見えるだけでも、人は少し前向きになれる。
これが、伴走だ。
そのためにも、相手がどう感じているか、相手がどう世界を見ているかを聞く必要がある。
「共感的理解」とは
相手が感じている通りに感じて相手を理解することを「共感的理解」という。アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した、コーチングなどの対人支援でとても大事にされている姿勢の一つだ。
「共感」というと、「相手の気持ちを察しなきゃ」と思うかもしれない。
でも、「共感的理解」はちょっと違う。
一般的な共感の場合、自分の過去の経験や解釈も交えて想像する。
「共感的理解」とは、自分の眼鏡を外して、相手の目から世界がどう見えているかを確認するのに近い。
誤解しないでほしいのだが、共感する力が悪いと言っているわけではない。むしろ、相手のトーンや言葉のニュアンスを自然と拾える人は、1on1でその才能をきっと発揮できる。
ただ、そこに自分の解釈を交えないことも同じくらい大事にしてほしい。「こう感じているだろう」と先回りするより、「教えてほしい」と一歩引くことで、初めてわかることがある。
共感的理解が全くない場合、会話例だとこんな感じだ。
【共感的理解を意識しないと】
部下「〇〇のプロジェクトに失敗してしまって……」
上司「あー、よくある。つらいよね」
部下「あー、そうなんですよ(辛いっていうか…まあいいや)」
※友達なら「そうじゃなくて!」と続けられるかもしれない。でも、上司相手だと「まあいいや」になってしまう。
【共感的理解を意識すると】
部下「〇〇のプロジェクトに失敗してしまって……」
上司「そっか。一体、何があったの?」
部下「実は……」
上司はこれまでの経験があるから、トラブルのパターンも正解も「知っている」と思いがちだ。確かに、本当に、知っているのかもしれない。
でも、その失敗や葛藤は、あくまでその人だけのもので、一つとして同じ事象はない。
仮に同じように見えたとしても、本人が感じていることは違うかもしれない。
悔しかったのか、情けなかったのか、あるいは実はホッとしていたのか―
「わかるよ」と言った瞬間、部下は「自分の痛みをわかってもらえていない」と感じる。これでは心は開かない。
ベースにあるべきは、「わかるよ」ではなく「わからないから教えて」という、ノットノーイングの姿勢だ。
世界でたった一人のあなたの体験を聴きたいから、聴くのだ。
私は、共感的理解の背後にあるのは、「世界でたった一人のあなた」を尊重する姿勢だと思っている。
「世界でたった一人のあなた」が持つ力
「世界でたった一人のあなた」を尊重することは、3つの効果があると考えている。
1)安心と自己開示
「あなたの話を聴きたい」と言われると、人は話していいんだと安心する。特に、ビジネスシーンで「何をする"べき"ですか?」と外側に正解を探しがちな人にとって、自分の内側をそのまま出していいという経験はとても貴重だ。
2)自己発見
「大したことないから」と封印していた悩みが、実は自分にとって大きかったと気づく。客観的に聴かれることで、本人も気づいていなかった本音が引き出されていく。
3)言葉の「純度」への影響
もし「あー、それね、わかるよ」と雑に流したとする。すると、相手には「わかってもらってないな」ということが、意識していなくても残るものだ。そのあとどんなに承認や激励を受けても、うまく響かない可能性がある。言葉自体は届く。でも、そこに乗せた「あなたならできるよ!」という思いは、100%の純度では届かなくなってしまうのだ。
共感的理解をベースにした言葉は、相手にまっすぐ受け取られる。
安心して自己開示ができて、そこに新しい気づきがあって、こちらの言葉も純度100%で届く。
そうやって関わりが積み重なっていったとき、人は「なんだか、自分にもできる気がする」と思えるようになるのだ。
それが、「世界でたった一人のあなた」として向き合われたときに、相手の心に起きることである。
世界でたった一人の「私」の話
「世界でたった一人のあなた」という言葉のすごさに気づいたきっかけは、あるコーチングを受けた経験にある。
私は部下を持つようになって1年が経ったとき、コーチをつけた。セッションを受けたある日、私は初めて「自分がつらい感情を味わうことが苦手だ」という事実に気が付いた。
その裏にあったのは、「いつも明るく前向きな方がいい」「弱い私はダメだ」という、自分を締め付けてきた感情だった。
それを受け入れられたとき、突然世界が変わって見えた。
私は、もしかしたら、ずっとつらかったのかもしれない。部下ができて、プレッシャーがあって、うまくやろうと必死に頑張っていた。なのに、世界で誰よりも「頑張ってるね」って、私だけは自分に言ってあげられていなかったのだ。
セッションが終わってから、私は味わったことのない感情に対して情けなさを感じていた。あまりに簡単なことだったのに、どうして今まで気が付かなかったんだろうと、さらに自分を断罪しようとしていた。
でも、思った。
今、つらい気持ちも。これまでつらかった気持ちも。つい自分を断罪してしまう不器用さも。全部、私なんだ、と。この感情は、世界でたった1人の、私だけのものなんだ、と。
そう思えたら、今まで情けないと感じていた自分すら、急に愛おしく思えてきた。 「ああ、やっぱり私は見栄を張ってしまいたいんだね、つい頑張ってしまいたいんだね」と。
そして同時に、今までそうやって頑張ってきたからこそ、いいこともたくさんあったじゃないか、と、これまでの自分だけの歩みを振り返って、心からそう肯定できたのだ。
「弱音を吐くな」「愚痴を言うな」「好き嫌いを言うな」
いつの間にか、私たちの周りはそんな強い言葉で溢れている。それどころか、知らず知らずのうちに、自分自身をその言葉で締め付けている。
「世界でたった一人のあなた」を尊重すること。それは、弱音も、愚痴も、好き嫌いも、全部あなたのものとして、大切に扱っていいんだよと、私たちに教えてくれる。
では、実際どう聴くか
難しく考える必要はない。
ベースにあるのは、わからないから知りたい、という気持ちだ。相手の話を聴いていて、自分の頭の中にイメージが浮かばないところ、景色がぼやけるところ、そこを聴けばいい。
コツは一つ。
心の中で「何があったんだろう?」と問いかけることだ。
人は意味のないことは話さない。話題に出てきたということは、何か引っかかっている。だから「何があったんだろう?」は、相手の言葉を信頼することでもある。
好奇心は無理に作るものじゃなくて、その引っかかりを信じることで自然と湧いてくる。
相手が話してくれているなら、質問はほとんどいらない。
質問より大切なのは、この人の景色を理解したいという姿勢だ。
その姿勢が伝わったとき、人は、自分から話し始める。
次回は、「こんなとき、どうする?」