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再婚に正解なんてあるのか?ドーパミンに負けたセロトニン

    「再婚なんて娘が二十歳をすぎるまではできないよ。」
    私はそう言って3度目の彼のプロポーズを断った。

    18年前、バツイチ子持ちの私はまだ4歳の娘を連れて実家で暮らしながら、パリに住む元同僚と遠距離恋愛をしていた。
    彼からは、それまで何度もプロポーズをされていたが、私はその度に母の顔を思い出して「それは絶対に無理。」と答えていた。

    私の母は離婚なんて絶対に認められない人だったから、もちろんその先にある再婚なんて論外な人だった。
    母は、私がパリに住む素性も良く知らない男と遠距離恋愛をしているのでは?と勘付いたらしい。密かにパリへの旅行を企てていた私に
    「子供がいるのに自分の幸せを考えるなんて許さないよ。」
    と言って呪いのように楔を打った。

    私はそんな縛りのある生活から逃げ出すように、娘を連れて六畳一間のボロアパートへと引っ越した。
    1DKの部屋は、隣のテレビが漏れ聞こえ、引っ越した日にはお湯が出ないありさま。
    ヤカンで沸かしたお湯で娘をバケツ風呂に、私は白い息を吐きながら蒸しタオルで体を拭いた。

    快適な実家暮らしと引き換えに私は自由を手に入れた。まず身の回りにあったありとあらゆるものを売った。
    大好きだったダイビングのウェットスーツや機材一式も手放し、資金ができるとすぐにパリにいる彼の元へと飛び立った。

    初めて降り立つパリの休日の街並みには家族連れの姿が多く、その姿に自分たちを重ねてみる。
    娘と彼と3人で週末にパリの街を歩く景色を思い描き「最高だなぁ」と叶うはずもない夢に心を弾ませた。

    帰国する前日。
    私たち3人は多くの画家が愛したと言われるモンマルトルの丘に出かけた。長い坂道を登り切った丘の上に現れたサクレクール寺院は観光客で溢れていて、背の高いヨーロッパの人たちの波に押されるように中に入った。

    目の前は人で溢れかえっていて背の低い私は周りが見渡せない。しかたなく視線を上へと逃したとき。私の目に飛び込んできたのは両腕を広げる大きなイエス様のモザイク画だった。

    イエス様のその視線は私を一瞬で捉えて離さなかった。私ははっと息を漏らした。その瞬間、身体の奥が震え、込み上げるように涙が溢れて止まらなくなった。突然の出来事に私は自分自身に驚き、行き交う観光客に揉まれながらしばらくその場に立ち尽くし泣いていた。

    あまりにも圧倒的なそのモザイク画は、どうしようもなく社会から置いていかれそうな私を、丸ごと抱きしめてくれた。

    「全部わかってる。それでも大丈夫。安心してここへ来なさい」

    その絵は、私に向かってはっきりとそう語りかけてくるように思えた。今思えばそれは自分にとってあまりに都合のいい解釈だったのかもしれない。でも、

    「結婚したい。」
    その絵を見上げたまま、気がつくと私は泣きながらそう呟いていた。

    バツイチ子持ちのシングルマザーとして、自分の幸せは決して求めてはいけないと言われていた私にとって、それは大きな決断だった。そして同時に多くのものを捨て去る覚悟でもあった。


    私たちの結婚宣言はあまりに唐突で、周りの人たちからの風当たりはびっくりするくらい冷たかった。

    加えて彼の会社からはパリに住むビザの都合で、結婚の許しが出なかった。
    彼は、結婚を諦めるか仕事を諦めるか迫られて、結果会社を辞めて日本に帰国した。
    なんの家財も無く身一つで帰国した彼は、そのまま私と娘の住む小さなボロアパートへと転がり込んだ。

    憧れたパリでの休日は儚く消え去り、私の目の前には「住所不定無職」の男となった婚約者が現れたのだ。それは私の人生最大の想定外だった。

    私のあまりに無謀な決断に両親は反対する言葉すら出ないほど驚いて、ただ険しい目つきで自分の指先をジィッと見つめて黙り込んでしまった。今思えば当然の、親として至極真っ当な反応だった。
    いくつになっても社会的にふさわしい選択ができない娘に、それでもどうにか手を差し伸べようとした母が思いついたのは、彼の分の布団を買ってアパートへ送ることだったらしい。「彼が寝るところもないだろうから送ります。」とだけ書かれた小さな紙切れと共に届いた布団のセット。しかし届いた布団を敷く隙間すらそのアパートにはなかった。


    そんなひどいスタートを切った私たち夫婦の結婚生活も18年が経った。

    夫も私もみんなの反対を見返すべく、誰もが認める良い家庭を作ろうと、どこへ行っても笑顔を絶やさず社交的に、そして何をするにも家族揃って参加した。

    とりわけ娘にはステップファミリーでも幸せになれるんだと証明しようと必死だった。

    そんな私たちの意気込みとは裏腹に、娘は学校で忘れ物や友達とのトラブルを抱え、ママ友たちからは
    「やっぱり再婚したから娘さんも不安定なんじゃない?」
    と言われ続けたし、
    その言葉を裏付けるように、高校生になった娘からは
    「私、お父さんのこと別に好きじゃないから。」
    と言われた。
    それは私たちが最も恐れていたセリフだった。

    その晩は、家から逃げるように夫と私は小さなバルへ行った。お酒が飲めない夫に合わせてジンジャーエールを飲みながら「辛いね」と一緒に泣いた。

    私たちの結婚はやはり間違いだったのかな、いつもそんな問いに苦しめられていた。
    だから私たちはどうしても幸せにならなければならなかった。

    パリで見た休日の家族の姿が目に浮かんだ。大きくなった娘と一緒にベルサイユでボートに乗って、何やら楽しそうに目元を細めておしゃべりをしている家族。それが私の幸せのカタチだった。
    目の前にあるこの家族を、どうにかしてあのパリで見た家族のように育てなければ。と必死だった私。それに反して、独立して自分の店を持った夫は社会で評価されることを追い求めて外ばかり向いていった。

    休日は家族揃ってお弁当を持って公園でゆっくり語らいたい。そんなかつては一緒に抱いていた理想はいつのまにか私だけのものとなり、夫は講習会や交流会を貪欲に求めて外へ出ていくことを望んだ。

    休日の過ごし方に現れたすれ違いはいつしか″こんなに頑張っているのになぜ?”という思いになり、いろんな言葉が意図しない伝わり方をしてお互いを傷つけた。

    もはや素直にお互いと向き合うことができないほどへそ曲がりになった私たちは、解決の糸口が見つからないまま夫婦カウンセリングに通い始め、3年が経とうとしていた。根気よく言葉を重ねていくカウンセリング。それでも埋まらない溝。
    そんなある日、突然に。その”曲がったヘソ”が大きな怒りを伴って元に戻っていく体験をした。

    きっかけはある有名なシンガーソングライターのトーク番組だった。

    一足先に次の回を見ていた夫が興奮しながら
私に話しかける。

    「ねえねえ次の回ほんと面白いから早く一緒に観たい。ドーパミンってね、未来への期待から湧いてくる物質なんだって。でね、セロトニンは日常の目の前にある幸せを感じる力らしいよ。
    ドーパミンは一瞬で興奮して冷めてしまって、中毒のようにもっともっとって欲しくなるんだって。
    僕は最近ドーパミンじゃなくてセロトニンを感じられるようになってきて嬉しいんだ。」

    一緒に観たいと言いながら完全にネタバレ?
    と夫に呆れたと同時に
    私は体の奥底から沸々と何かが湧き上がるのを感じ、それが怒りだと気がついた時には口から先に言葉が滑り出していた。

    「結婚して18年経つけど、セロトニンを感じない夫の隣にいる私は本当に深く傷ついてきたと思う。」

    言葉は静かに溢れ続けた。

    「いつも新しいドーパミンを求めて出かけていく姿に、何度も取り残されたような悲しみと怒りを飲み込んできたんだよ。」

    浮かれていた夫は私の想定外の言葉に、ただ驚き絶句していた。

    そうか。
    夫はいつも未来を見ていた。その背中を必死に追いかけながら私は今にとりのこされていたのか。どんなに追いかけても追いつく事ができないほど夫は未来を見ていた。だからこんなに怒っていたんだ。
    ずっと探していたパズルの最後のピースがはまったように、全てがストンと腑に落ちた。


    「たぶん僕はありのままの自分では君にいつか捨てられてしまうと思っていたんだ。いつも新鮮で魅力的な自分を見せ続けなければと思っていた。」
    夫は私の怒りを受け止めたあとで、誠実に自分の心をなぞるようにそう呟いた。
    自分が社会から評価を得ることで、この家族もきっと世の中から愛されて幸せになるだろうと信じていたのだという。

    「社会に認められる前に家族を置き去りにしていたんだね。順番が違った」
    夫はそう言って困ったように歪な顔で笑った。
    なんだ、私はただ勝手に傷ついていたのだ。
    隣にいても常にどこか遠くを見ているような夫の視線に。

    お互いが全く別のベクトルで頑張り過ぎてきたこと、でもその根底にはお互い家族を守るために必死だったことを知って、結婚してからずっと斜に構えていた二人の気持ちが、スルスルと解けていくのがはっきりとわかった。
    それは心の奥が溶けてゆくようでとても暖かかった。

    今はもうどちらが正しいとか間違っているなんてなかった。ただ責めることのない素直な心のやり取りだけがあった。

    あれほどいつも遠くを見ていた夫が、やっと目の前にあるものを見てくれるようになった。
    その変化に、私はようやく安心して息をつくことができた。

    再婚なんて間違いだったのかもしれない、これまで何度も思った。
    だけどこの春、就職3年目を迎えた長女が夕飯の席で言った。

    「お父さんとお母さんが一緒に考え抜いて出した答えなんでしょう? なら大丈夫じゃない?」

    18年間わたしたちの背中をずっと見ていた彼女の言葉は、いつの間にか私たちの歩みを肯定してくれるエールに変わっていた。

    そしてこの18年間で一回り小さくなった母からも短い手紙が届いた。

    「婿殿。
     娘を大切にしてくれてありがとう。
     こんなに嬉しいことはありません。」

    寒さから解放されて、競い合うように咲き始める春の花たちのように、私もまた母の呪いから解放されて花びらが開いてゆくように感じた。

    これまでの私の不器用さも、不完全さも、全てを許されていく気がして、足元からふわりと力が抜けていった。

    パリで見たモザイク画のイエス様はあの時からずっと私たちを包んでくれていたのかな、ふとそう思った。
    正しく生きることよりも許し合いながら生きることの方が遥かに優しかった。そんなことに気がつくのに18年もかかってしまった。

    正しいことをずっと求めてきた。そしていつまでも正しくあれない自分に苦しんできた。
    だけど。
    間違いのような選択ばかりをしてきた私が、やっとの思いでたどり着いたこの景色。

    そこには、どこよりも心地よい風が吹いていた。



     
     
    自分を深く知りたい そこで見つけたものを持って もう一度、人や世界とつながりたい 3人の子供を育てながら、夫婦で古民家をリノベーションした美容室をOpen 子育てや夫との暮らしの中で、自分の心を観察し、そこで見つけたことをエッセイにしています

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