
仏壇を壊した父と。いちから畑を耕そうと決めた「何者にもなれなかった」わたし
「仏壇はいい木を使ってるからなかなか壊れなくて大変だったんだよ。」
正月に実家に集まって食事をしている時に、父が断捨離で壊した仏壇の話を武勇伝のようにドヤ顔で語りだした。
仏壇壊すって怖くないですか?
リビングの隅、父の後ろには小さな本棚があり、その一段目には位牌が納められていて、母が小さな和菓子をお供えしているところだった。
確かに世間では墓じまい、仏壇じまいをするお家が増えているとは聞きますが、まさか自分たちで仏壇を壊してゴミに出してしまうとは!
八十をとうに過ぎた両親は、ここ数年断捨離に励んでいて、冷蔵庫に大きく貼り付けられた市町村のゴミ回収カレンダーに向き合い、コツコツと時間をかけて数年がかりでやり終えた。
粗大ゴミはお金がかかるからと、他にも色々なものを解体して捨てたらしい。
生活に必要な最低限のものだけを残した家の中は、今では十人を超えた親族が集まっても充分な広さになっていた。一方で、皆で食卓を囲むと皿が足りない、椅子が足りない、と最後には風呂場の椅子まで引っ張り出してきてなんとかみんなで腰を下ろした。
そんな父に負けずに極端な母は、私が中学生の時に着ていたバレー部時代のジャージやシューズなどを「素材が良くて長持ちするから捨てるには勿体無い」と普段着にしている。
いやいや、それ胸元に名前刺繍されてますから!
それを着てスーパーへ買い物に行く母の姿は想像すると恐ろしい。
必要以上に物は買わない。使える物はどんな状態でも使い切るまで捨てない。人の目なんて1ミリも気にしない。両親は、しかしちっとも窮屈そうではなく実に清々しく生きている。
「自分は自分、人は人」
「上を見たらキリがないよ」
父がよく言うセリフだ。
若い頃の私には、そんな正論すぎる価値観は苦しかった。みんなと一緒に流行りのものを追いかけたい思春期の私は、ポケベルも欲しいし洋服だってもっとお洒落がしてみたかった。
両親のマイペースな信念に反発するように、いつのまにどこで身につけたのだろう?
「幸せとは価値の高いものをひとつずつ手に入れること」
そんな無意識の、でも強烈で、どこで拾ったのかもわからない価値観が私の信念になった。
気がつけば追われるように生きてきた気がする。
「誰か」に誇れる「何か」を手に入れなければ、と。
30を過ぎて私は美容師の夫と結婚。まもなく古民家をリノベーションした小さなカフェ併設の美容室をオープンした。はじめはコーヒーやケーキのサービスを担当して、自分たちのお店を持ったことが心から誇らしく楽しかった。
けれど次第に、美容室は予約の取れない人気店になり夫が活躍すればするほど、尊敬の思いと同時にチリチリと痛みが走った。夫のいる場所だけが豊かに実る畑のようで、私には何もないことを突きつけられているようだった。
いつか私も「何者か」になりたい。夫のように腕一本でたくさんの人に喜ばれる、そんな存在にならなければ。いつのまにかそんな思いに追われるようになった。
だから私は3人目の子どもを産んですぐに美容師の国家資格をとり、着付けやヘアメイクを学び、休みなく走り続けた。
そうしていつしか都内の美容室からも声がかかるようにまでに成長し、成人式にはたくさんのお客様を着付して送り出すなど、日々は達成感で溢れていた。
努力をすれば夢は叶うし、走り続ければ何者にだってなれる。そう信じて疑わなかったし、そうやって夢を追いかけている自分が好きだった。
やっとわたしも、誰かに必要とされる人間になれた。
これでようやく夫の隣に並ぶことができる、そう思った。
ところが6年前。私は突然のパニック発作に襲われ、じわじわと日常の当たり前のことすらできなくなっていく。
はじめは自分の身に何が起きているのか全くわからなかった。何を食べてもパニック発作が起きる。食べることが怖くなりみるみる痩せていく。胃腸、甲状腺、血糖値。あらゆる病院を渡り歩き、最後にたどり着いた精神科でパニック障害と診断された。
手に入れたはずの「何者か」の肩書きは、あっけなく消えてしまった。
病院と家を往復する日々。発作が来なければとりあえず今日も一日生き延びられたと胸を撫で下ろす日々。
どうしたら元の私に戻れるのだろう? その答えはどこにも見つからないまま。わたしは、人生はどうしたって抗えない力でいろんなことが起こるし、神様はすべてのものを平等には与えてくれないと知った。
インスタグラムをひらけば溢れるほどのキラキラな誰かの人生が見えてきて、苦しくなる。
かつての自分は間違いなくそこにいたと思えたのに。
結局私は何者にもなれなかった。
複雑な思いが今でもチクチクと私の胸を刺す。みんなが生きている世界からたった1人だけこぼれ落ちてしまったような絶望感に、そっとフォローを外したことは一度や二度ではなかった。
頑張ることさえ出来なくなった人の気持ちなんて誰にもわかるはずない。いつの間にか腹の底に溜まった苦い思い。それは緩やかに回復をしてきた今もまだ、わたしの中にあって消えない。
そんな恥ずかしい本音を、先日はじめて古くからの友人に吐き出した。
友人は驚くでもなく、憐れむでもなくただひと言。
「少なくとも私はあなたの人生に励まされているよ」
と言った。
こんな私の人生が? 誰かの励ましになるなんて信じられなかった。だって今の私には、発作は起きない、でも家事や仕事には制限がある、そんな日常だけが残されて、誰かに差し出せるキラキラしたものがもう何もなかったから。
だけどその友人の言葉は、不思議とわたしの心の中をじんわりと緩めていくように残り続けた。
何もないわたしをみてくれている人がいる。それはわたしの大きな支えとなった。
自分は自分、人は人。
どうしたって他人の畑で収穫はできないのだ。そして病になった今を変えることもできない。
ジタバタするのを諦めて私は恐る恐る自分の畑に目を向けるようになった。
かつては豊かに実ったと喜んでいた場所。病になって荒れてしまった畑。
さぁどこから手をつけたらいいのか、これからどう耕していけば良いのかと、途方に暮れる。
けれど目の前の土を思う時、気がつけば私は誰かの畑を見ることからほんの少し解放されていった。
自分の畑を「見栄えのいい誰かに差し出せる畑」にすることをやめてみようと思ったのだ。
自分は自分、人は人。
「大学を出ていないから対等に扱ってもらえなかった。」
「昔は家にお金がなかったから勉強が好きでも大学なんて選択肢は自分たちにはなかった」
両親は良くそう話していた。彼らもまた手に入らない物の中で苦い思いを経験したのだと思う。
与えられたものの中で誠実に生きる。
それは病になったから見えた両親の生き様だった。
そして、両親の姿に影響を受けたのは私だけではなかったらしい。
「もう一度、書を始めてみたいんだ」
そう言って夫がこの春、事始めに書道展を見に行きたいと言った。
普段はみんなのやりたいことを聞いてばかりで、いつだって自分は後回しだった夫からのリクエスト。
「君の両親を見ていて思ったんだ。人の為にも大事だけど、自分がどうしたいのかが1番大切な動機なんだって」と。
夫が自分のやりたいを始めようとしている。その変化に私はドキドキしながら夫に付き添って書道展を見に行った。
体をのり出して食い入るように展示作品を見つめる夫の横顔。紙の質感の違いや落款の美しさに感嘆の声を上げている。普段は自分から写真を撮らない夫が、書道展を背景に写真を撮って欲しい、なんていうじゃないですか!
新鮮な夫の姿。
「ねえ、私はエッセイを書くから、あなたが題字を書いてよ!」
着物姿のマダムたちで賑わう展示会場で、私たちはそんな小さな夢を思いつき子供のように興奮して頬が熱くなっていった。
こうしてこの春、不器用ながら手探りでそれぞれの種を蒔きはじめた私たち。
せっかくなら隣より立派な芽が出て豊かな収穫をしたい、という欲が出てしまう浅はかな自分はまだ抑えられない。
だけど失敗したって、畑さえあれば何度でも耕し直すことができるし、その試行錯誤が私を満たしていくのかもしれないと思い始めている自分がいる。
書道展からの帰り道。
画材屋に直行した。
たくさんの筆や硯、和紙も様々。
子どものように目移りしながらなかなか一つを選びきれない夫が選んだのは、ごくごく平凡なセットだった。
「あの筆はいつか納得のいく字が書けるようになったら買いたい」
夫は高価そうな筆を見上げてそう呟いた。
ああそうか。それぞれの畑に、それぞれの種を蒔けば良かったのか。
私はやっと劣等感ではなく、自分の畑を耕し始めた夫と心から笑い合うことができた。