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③激戦の放課後デイ。一つに絞らず複数おさえて働く時間を守る

    シリーズ「予定が読めない私の仕事の回し方」第3回

    第1回

    第2回

    子どもの福祉まわりって、ずっとこういう感じ。一個終わると、また次が始まる。終わったと思った瞬間に、地図のない探しものがもう一個積まれてる。前回までと同じで、今回も「働きながらどう回したか」の話。ただ、放課後デイ探しには、これまでとはちょっと違う面白さがあった。

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    そもそも、放課後デイは「絶対入れる」保証がない

    放課後デイが必要なのは、前からわかってた。だから区のホームページに出てるリストを見たり、「〇〇区 放課後デイ」で検索したりして、動き出した。

    今は、療育と放課後デイの両方をやってる施設に、これまでの療育に追加する形で通えてる。一件は確保できてる。

    でも、ここで安心はできなかった。療育に通ってる子は、放課後デイに入るとき優先はされる。されるけど、「絶対に入れる」保証はないらしい。うちの区、どこも放課後デイが激戦だから。

    支援担当の人に言われたのは、「もう2〜3件くらい候補を見つけて、順番待ちしておいたほうがいい」ということ。入りたくて順番待ちしてる人がたくさんいるから、もし必要なくなってキャンセルしても、枠はすぐ誰かで埋まる。だから罪悪感を持つ必要はない、と。

    最初にこれを聞いたとき、私の反応は「じゃあ手を打つか」だった。焦るより先に、もう体が次の動きに切り替わってた。たぶんこれまでの療育や就学相談で、こういう「保証されない仕組み」に何度も付き合ってきたからだと思う。慣れって、こういうとき助けてくれる。

    学校と違って、1つに絞らなくていい

    調べていくうちに、放課後デイの面白いところに気づいた。学校みたいに、一つに絞る必要がないこと。

    「今日はこっちの施設、明日はあっちの施設」でいい。複数の施設を組み合わせて使える。これは私にとって、けっこう発見だった。

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    たとえば、今通ってる施設で週5回お願いしたい、と思ってるんだけど、これは正直、奇跡でも起きない限り無理だと思う。激戦だから。でも、一つに絞らなくていいなら、話は変わる。今の施設は週1回にして、ほかに週2回ずつ通える施設を2つ見つける、みたいな組み方ができる。合わせて週5。一施設では無理でも、分ければ届く。

    これ、仕事のやり方とまったく同じだなと思った。

    私はフリーランスだから、案件を一つに絞らない。一社にぜんぶ預けると、その一社が切れたとき全部止まるから。複数の案件を持って、リスクを分散させておく。放課後デイの「一つに絞らず、複数で枠を埋める」も、発想はおんなじ。一個の大きな枠を狙って外したときのダメージより、小さい枠をいくつか組み合わせて確実に埋めるほうが、結果的に強い。

    これは、頭で学んだ理屈じゃなくて、痛い目を見て覚えたこと。前に、メインにしてた案件が一つ飛んだことがあって、そのとき収入がガクッと落ちた。一社に寄りかかってると、その一社の都合ひとつで生活が揺れる。あのとき以来、「一つに集中して効率を上げる」より「分散して、何かあっても全部は倒れないようにしておく」を優先するようになった。週5を一施設に頼ろうとして外したら、放課後がまるごと空く。でも週1と週2と週2に散らしておけば、どれか一つがダメでも全部はなくならない。子どもの預け先も、仕事も、「全部を一個に賭けない」は同じ。

    それに、複数を回しておくと、比べられるのもいい。一施設しか知らないと、それが良いのか悪いのかすら判断できない。何件か通ってみて初めて、「あ、ここは合ってるな」「ここはちょっと違うかも」が見えてくる。最初から正解を引こうとしないで、いくつか持って走りながら見極める。これも仕事で案件を選ぶときと、まったく同じやり方だった。

    枠を複数押さえること自体には、あんまり抵抗がなかった。なぜかというと、私たち自身が、一件目を見つけるまでに散々「空いてないんです」と断られてきたから。「自分がキャンセルしたら、空いた枠にはすぐ誰かが入る」っていうのが、断られた側として、実感としてよくわかる。だから「入る気もないのに枠を押さえて申し訳ない」みたいな気持ちには、あまりならなかった。需要のほうがずっと多い場所では、押さえられるだけ押さえておいていい。遠慮して動かないと、結局チャンスを逃す。

    「仕事だけ」なら、どこでもよかった

    ここで正直に書いておきたいことがある。実は、放課後デイに通えなくても、仕事自体はそんなに困らない。

    うちの区には、放課後デイとは別に、学童的なところもある。だから、親の都合、、つまり「働く時間を確保する」という目的だけを考えるなら、預け先がなくて詰む、ということにはならない。じゃあなんで、わざわざ激戦の放課後デイを取りに行くのか。理由は、仕事の都合とは別のところにある。

    一つは、専門施設のほうが安心だということ。学童の支援員さんは、放課後デイにくらべると子どもの人数に対して数が少ないし、障害児対応の専門的な訓練を受けた人でもない。だからダメ、という話じゃない。でも、うちの子はかなり手がかかる。それを考えると、やっぱり専門の人がいる場所のほうが安心ではある。

    もう一つ。学童は「子どもたちが遊ぶ場」で、放課後デイでやるのは「療育」だということ。誤解のないように言うと、学童でも子どもは伸びる。遊びながら伸びる。でもそれは「健常の子向け」であって、「うちの子に合った個別のカリキュラム」ではない。どうせ預けなきゃいけない時間なら、少しでも、その子に合った形で伸びる教育を受けられる場所にいてほしい。

    それともう一つ、地味だけど大きいのが、情報のこと。放課後デイに通わないと、療育のときからついてくれてる支援の担当施設(区から認定を受けてるけど区の職員ではない、第三者機関みたいなところ)の支援担当から外れてしまう、と言われた。そうなると、これから先のこと、たとえば中学に上がるときにどうするとか、もしかしたら通常級に移れるかもしれない、ってなったときにどう動くとか、そういう情報が区からしか来なくなる。区からの情報って、基本的に自分で取りに行かないと手に入らない。待ってるだけじゃ来ない。そうなると、知らないうちに大事なことを取りこぼしそうで、それが怖い。

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    だから、放課後デイを取りに行く理由は、「今この時間をしのぐため」じゃない。「この先ずっと、情報と支援の網の中に居続けるため」。目先の効率だけ見れば学童で足りる。でも、長い目で見たときに損をしないために、いま手間をかけて専門の枠を取りに行く。短期の楽と、長期のリターン。これを分けて考えると、面倒でも動く理由がはっきりする。

    仕事でも、私はこの分け方をよく使う。今すぐ振り込まれてラクな単発の仕事と、すぐにはお金にならないけど続いていく仕事や、自分の資産になる発信。目先の入金だけ見たら単発のほうが気持ちいいけど、それだけ追いかけてると、いつまでも同じところを走り続けることになる。だから、消耗しない範囲で「先につながるほう」にも手を残しておく。放課後デイの選び方も、これと地続きだった。今ラクなほう(学童)で済ませず、先に効いてくるほう(専門施設と支援の網)に、いま少しだけ余分な手間を払っておく。

    ややこしいのは、こういう「長期のための判断」って、すぐには成果が見えないこと。だから後回しにされやすいし、忙しいと真っ先に削られる。でも、削った付けは何年か先に、情報を取りこぼした形で返ってくる。見えないコストほど、先に手を打っておきたい。

    いちばんの詰まりは、「見学」

    ここまで書くと、わりとスムーズに進んでるみたいに見えるかもしれない。でも、ちゃんと詰まってるところがある。見学だ。

    放課後デイって、「順番待ちの前に、まず見学を」という施設がほとんど。これはまあ、当然だよね。見学にも行かず、施設の人と一度も話さずに「うちの子をお願いします」って決めるのは、現実的に無理。中で何をやってるか、雰囲気が子どもに合いそうか、見ないと判断できない。

    問題は、2〜3件の順番待ちをするために、いったいあと何件、見学に行けばいいんだろう、ということ。順番待ちに並ぶ前に見学が要るなら、キープしたい件数より多めに見学を回らなきゃいけない。その「何件回ればいいか」が読めない。

    理想を言えば、とりあえず全部に並んでおいて、順番が近づいてきた施設から「見学に来ますか?」と声がかかる、みたいな仕組みだとすごくありがたい。でも、そうはいかない。先に見学、それから順番待ち。この順番が、働いてる身にはなかなか重い。見学はたぶん平日の昼だろうし、件数も読めない。第1回や第2回で書いた、タスクを割るとか、もう行く場所の動線に相乗りさせるとか、そういう手は、見学に関しては正直あんまり効かない。施設まで足を運ぶしかないから。

    ここが、今回いちばん全体を止めてるところ。一番時間と手間がかかって、しかも代わりがきかない工程。仕事でもよくあるんだけど、全体が遅れる原因って、たいてい一番手前の、地味で面倒な工程にある。一個のボトルネックで、後ろが全部つかえる。放課後デイ探しで言えば、それが見学だった。

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    私はわりと、何かが進まないとき「自分の頑張りが足りないんじゃないか」と思いがちなんだけど、たいていそうじゃない。出力が遅いんじゃなくて、その手前の、面倒で代わりがきかない一個の工程で詰まってるだけ。原稿が進まないのも、たいていは書く手が遅いんじゃなくて、その前の「何を書くか決める材料」が足りてないことが多い。だから、進まないときは自分を責める前に、「どこで詰まってるんだっけ」と一個手前を見にいく。放課後デイで言えば、それが見学だとわかっただけでも、少し気がラクになった。漠然と「全部が大変」じゃなくて、「見学が重い」と名前がつくと、対処の見当がつくから。

    見当はついても、すぐ消える詰まりじゃないけどね。見学は、結局その場に足を運ぶしかない。そこだけは、どんな道具を使っても肩代わりできない。

    で、結局まだ動けてない

    正直に書く。やればできる、とは思ってる。複数キープして、見学を回って、順番待ちに並ぶ。やり方はもう見えてる。

    でも、今やっと就学相談が終わったばかりで、ここからまた次の探しものに動くのは、気が重い。これは効率とか仕組みとかの話じゃなくて、ただの気持ちの問題。一個大きいのを終えた直後に、すぐ次のエンジンをかけるのは、しんどい。

    しかも、これから夏が来る。見学のために施設まで足を運ぶのに、暑いのも地味に困る。そして何より、夏休みが来る。夏休みの予定は、読めないことこの上ない。子どもが毎日家にいる中で、いつ見学に行けばいいのか。

    夏休みが終わってからでいいのか、それとも今のうちに、隙間を見つけてねじ込んでいくべきなのか。そこは、まだ悩んでるところ。

    前のシリーズで「予定が読めない私の仕事の回し方」なんてタイトルをつけたけど、夏休みはその極みみたいなもので。読めない予定の前では、ときどき、いったん立ち止まって「今は動かない」と決めるのも、一つの手だと思ってる。無理にねじ込んで、夏の最初で力尽きるより。気が重いまま走り出して自爆するより、重さの正体を見てから動いたほうがいい。

    放課後デイ探しは、まだ途中。たぶんこの夏のどこかで、また重い腰を上げることになる。終わらないんだよね、この手のことは。次から次に来る。でも、一つに絞らず分散して、押さえられるものは罪悪感なく押さえて、気が重いときは無理にねじ込まない判断も込みで、なんとか回していく。たぶん、それでいい。

    このシリーズで書いてきたことって、結局ぜんぶ同じ一個のことだったな、と思う。就学相談では、細切れの時間に合わせて仕事のほうを割った。面談では、自分で言えないことを人から借りて、もう行く場所に用事を相乗りさせた。放課後デイでは、一つに賭けずに分散して押さえた。やり方は違うけど、根っこは「根性で正面から殴らない」っていう、それだけ。制約のほうを変えられないなら、こっちのやり方を変える。私がやってるのは、ずっとそれの繰り返し。

    もし今、同じように「次から次に来る手続きや探しもの」に追われてる人がいたら。全部を一つの完璧な答えで片付けようとしなくていいよ。一個に絞れないなら、絞らなくていい。小さくいくつか押さえて、組み合わせればいい。そして、今日できる一個だけ挙げるなら――次に動く探しものについて、「いつやるか」より先に「今はやらない、と決めていい日もある」を、自分に許可しておくこと。それだけでも、肩の荷はちょっと軽くなる。

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    Webライター10年、うち4年は障害のある子を育てながら。療育も就学相談も平日の昼。予定は崩れるし、まとまった時間もない。それでも仕事は続いてる。 外に働きに行けない人ほど、在宅の仕事は続けやすい。才能でも気合いでもなく、道具と工夫でどうにかなった話を書いてます。

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