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Photo bykanda_shirasu

第10ç«  | 元䞍登校児の青春心理孊科ず銬術郚、そしおNPOで出䌚った人たち

    ■ プロフィヌル党章ぞのリンクあり


    ■ 前章


    ■ あるNPOずの出䌚い

    心理孊科や銬術郚での掻動に少しず぀慣れだした頃、私のバックグラりンドを知った友人の䞀人から「こんなずころがあったよ」ず、あるNPOの説明䌚チラシを玹介された。

    そのNPOでは様々な子䟛たちの支揎掻動を行っおおり、その䞭の1぀に䞍登校関連事業郚ずいう組織があった。そこでは、孊校に行っおない子どもたちに察しお、有償で家庭教垫を行うずいうサヌビスを行っおいた。

    私はその組織の存圚を知り「自分が求めおいる経隓ができるかもしれない」ず思い、即座に説明䌚に参加するこずを決断した。
    芚悟のあたり、圓時の銬術郚䞻将に「もしこの説明䌚に参加できなければ、銬術郚に入るこずをやめたす」ず䌝え、参加させおもらったこずは今でも鮮明な蚘憶ずしお残っおいる。

    そのNPOは、ある倧芏暡灜害で孊習環境を倱った子どもたちぞの支揎掻動から始たった団䜓だった。
    孊生䞻䜓の掻動が広がり、やがお様々な瀟䌚課題に取り組む事業郚が生たれ、長く続く組織になったずいう。

    所属しおいる、同じ倧孊や呚蟺倧孊の孊生の先茩たちは、ずおも人栌的に玠晎らしい方が倚く、私の目には倧倉魅力的な組織ずしお映っおいた。

    ■ 心理孊科ず銬術郚ずNPO

    私は、心理孊科ず銬術郚ず、そしおこの NPO に所属するこずができれば、倧孊4幎間の䞭で自分が倧きく成長するこずができるのではないかず、盎ぐ、期埅に胞を膚らたせるようになっおいた。

    同時に、その3぀の組織で掻動するためには、自分のリ゜ヌスを党お泚がなければならないこずを理解しおいた。
    恐らく、私の倧孊生掻に「モラトリアム」ずいう考えは䞀切持おなくなるだろうず。

    しかし、その時の私は、党力で自分を成長させたいずいう気持ちの方が倧きく勝っおおり、3぀の組織で掻動ができるこずを倧倉楜しみに感じおいた。

    自分の䞭で粟䞀杯頑匵っおみお、もし駄目であれば、その時にどの組織を優先するか、取捚遞択をすればいいず考えおいた。

    ■ 銬術郚での䞍思議な日垞

    最初の1幎、特に銬術郚の生掻ず孊業の䞡立には、ずにかく必死だった。

    正匏に入郚した銬術郚では毎朝6時から緎習が始たる。
    私は、毎朝4時半頃に起きシャワヌを济び、身支床をしお、原付バむクに乗り自宅マンションから玄15分かけお銬術郚の厩舎に向かうずいう日々を繰り返しおいた。

    朝瀌を終わらせたあず、䞀番最初には各銬房の枅掃䜜業を行う。
    そしお、自分の階乗緎習がある時は、銬装(鞍やハミなど)の準備、銬出し、緎習、その埌は銬の身䜓ず銬具の手入れを行う。

    䞋玚生は毎日緎習できるわけではない。
    そもそも銬匹自䜓が、倧䌚に出る専門の銬である競技銬ず、䞋玚生から䞊回生甚の緎習銬ずいう2皮類に分かれおいた。

    䞋玚生、特に1回生甚には2頭の専甚緎習銬がおり、1幎間、圌らず共に基瀎を孊ぶ。
    2回生、3回生ずなれば、障害銬術や銬堎銬術など様々な専門性を持぀、曎にレベルの高い緎習銬に乗り技量を磚く。
    そしお技量が認められた䞀郚の3回生や4回生、スポヌツ掚薊者などが倧䌚に向け、倧孊の看板でもある競技銬に階乗し日々の緎習を行うずいう構造であった。

    毎朝6時の緎習開始から昌に終了するたでの間には、午前䞭の授業が挟たれる。
    授業がある郚員は緎習を途䞭抜けし、授業埌に厩舎ぞ戻り残りの䜜業を行う。

    月曜日だけが䌑銬日ずなっおおり、緎習がなく、郚員は早朝から参加する必芁がない。

    しかし、生き物である銬を扱うため、人間に察しおは完党な䌑みずいう抂念はなく、授業の合間に、ロヌテヌションで厩舎の枅掃䜜業や銬の飌い付け䜜業、競技銬の担圓者は自銬のケアなどをするずいうのが日垞であった。

    遅刻などでペナルティが぀いた郚員は、優先しお月曜日に䜜業するずいうのがルヌルにもなっおいた。

    ■ 銬術郚で出䌚った人々

    男女比率は玄半々で、厳しい先茩、優しい先茩、面癜い先茩ず最盛期には郚員数玄50名にものがる組織でもあった。

    私が今たで出䌚ったこずのない、様々なタむプの人たちず出䌚うこずができ、今振り返っおみおも、その人間関係から孊んだこずは倧倉倚かったず感じおいる。

    そしお、匕退埌も瀟䌚人ずしお働きながら孊生の緎習を芋おくださっおいたコヌチ陣の方々、仕事を匕退された埌、顧問ずしお䞋玚生から䞊回生の緎習を芋おくださった元東京五茪遞手でもあった倧先茩など、初心者がれロから初めおも、3幎から4幎の緎習を積み、党日本孊生倧䌚を目指せる環境がそこにはあった。

    定期的な倧䌚では、競技補助員ずしお私を含めお各倧孊の䞋玚生が駆り出され、匷烈な日差しや雚颚の䞭でも障害飛越競技で萜䞋したバヌをダッシュで拟いに行く。
    そしお、コヌス組み替えでは皆で倧量の障害物を移動し組み盎すなど、倧䌚運営を䞋支えしながら、い぀か自分が競技に出堎する日を倢芋おいた。

    ■ 銬術郚のバランスシヌト

    たた、銬術郚の運営では、圓時で幎間玄2千䞇円の費甚が発生しおいた。

    20頭前埌の゚サ代、銬具代、銬房に敷き詰めるおが屑などの消耗品、競技に関する゚ントリヌ費や銬運車銬を茞送する専甚車の手配などにも圓然費甚が生じる。

    郚ずしお結果を出すためには、高霢ずなりパフォヌマンスが萜ちた競技銬を緎習銬に切り替え、新たな競技銬ずなる銬を賌入する必芁もある。

    私の倧孊の銬術郚は、恐らく党囜的にも珍しいず思うが、圓時はその掻動費ほが党おを孊生達のアルバむトで皌ぎ出しおいた。

    「銬術郚バむト」ず呌ばれるものが耇数あり、その「枠」を郚員皆で協力しお埋め、収入の党おは、銬術郚の口座に入るこずになっおいた。

    䟋えば、倧孊内レストランでのりェむタヌや皿掗い、長い間郚ず繋がりのあるスヌパヌでのレゞ打ちや繁忙期支揎、競銬開催期間䞭のJRA斜蚭内での業務、郚員自ら探し出したものなど、本圓に倚皮倚様なバむトがあった。

    郚内には䌚蚈や人事ずいった圹職もあり、担圓の先茩から䟝頌され、特に郚ぞの貢献床が未だ䜎い頃の私は、様々な銬術郚バむトに参加し人生経隓を積んでいたようにも思う。

    ■ 最初の党日本孊生銬術倧䌚

    䞋玚生時の最も印象深い出来事は、䞀般郚員の1回生ずしお唯䞀私が同行させおもらった、東京郜䞖田谷区の旧・銬事公苑で開催された党日本孊生銬術倧䌚だった。

    そこでは党囜の倧孊から、人銬ずもに粟鋭が集たっおおり、信じられない玠晎らしい動きをする銬匹や、その銬たちず芋事に息を合わせる孊生ラむダヌを倚数目に焌き付けるこずずなった。

    そしお、各倧孊からは競技補助員ずしお、こちらも粟鋭の䞋玚生が駆り出されおおり、私は倧孊を超えお沢山の仲間を䜜るこずができた。
    その埌、圌らの倚くずは、最終孊幎に幹郚や遞手ずしお、銬事公苑で再䌚するこずになった

    最初の1幎は、そんな銬術郚掻動に慣れないながらも少しず぀適応しながら、倧孊の授業も真剣に受講するずいう日々だった。

    毎日心身ずもにギリギリの状態ずなり、寝萜ちする自分ず戊いながら授業を受け、垰宅埌には気絶するように眠るずいうのが暫くの日垞であった。

    ■ あるNPOず熱い孊生達

    そしお銬術郚ずは党く傟向が異なるが、NPO のメンバヌも濃い人が倚く私はここでもたくさんの孊びを埗るこずができた。

    様々な事業郚がある䞭で、孊生ずしお子どもたちず接する機䌚が倚く、トラブルなどを回避するために専門家を亀えた研修プログラムなども組たれおいた。

    児童支揎に関する様々な専門領域を持぀倧孊教授や講垫講習を受けるこずも倚く、心理孊科の勉匷ずはたた䞀味違う、実践的な孊びを埗るこずができた。

    圓然、掻動頻床ずしおは心理孊科や銬術郚での日々ず比范するず少ない時間ではあったが、このNPOに所属しおいる孊生の倚くは、私が銬術郚に傟けるそれず同様に、自分のリ゜ヌスを党お傟けおいるメンバヌも倚かった。

    孊生らしい玠盎で玔情な熱意に溢れる圌ら圌女らは倧倉魅力的で、私は銬術郚ず出䌚っおいなければ、この NPO に自分の持おる力の党おを泚いでいただろうず確信するほど、玠晎らしいメンバヌだった。

    たた、䞀郚管理責任者ずしおの倧人は圓然存圚するが、郚掻動ずは違い、その掻動のほずんどが孊生䞻䜓の組織だったため、孊生だけで詊行錯誀する機䌚も倚く、そういった偎面でも自己成長に぀ながる堎所であった。

    ■ あいりん地区の蚘憶

    この掻動の䞀環で、数十幎前の䞖界にタむムスリップしたような倧阪釜ヶ厎のあいりん地区を蚪問したこずも貎重な経隓だった。

    あいりん地区は、私がそれたで芋おきた日本ずはたるで違う堎所だった。
    昭和のたた時間が止たっおいるような街䞊み。日雇い劎働者が集たる簡易宿泊所。路地に挂う独特の空気。

    「日本にも、こんな堎所があるのか」ず、圓時の私は䞍思議な感芚に芆われた。

    䞉角公園で炊き出しをした埌、倜は小雚の䞭、安吊確認のために声かけをしながら芋回り掻動を行った。
    そしおそのたた、私は早朝の職安(公共職業安定所)で、求職者たちに混ざっお栌安朝食を食べたのだった。

    あの時の経隓は、今でも匷烈な蚘憶ずしお残っおいる。

    ■ 䞍登校児童の家庭教垫

    そういった、定垞的ではないボランティアに参加するこずず䞊行しお、メむンの目的である䞍登校児童の家庭教垫も行っおいた。

    私は郚掻ず授業の合間を芋぀けお、ある小孊生䞭孊幎の男の子が居る家庭に玄2幎近く通っおいた。

    最初は緊匵状態が続いおいたその子は、䌚うたびに少しず぀心を開いおくれるようになり、倖遊びなども亀えながら、無理のない緩やかなペヌスで勉匷を進めおいった。

    「か぀お䞍登校だった自分は、どのように圌に声をかければよいか、どのように向き合えばよいか」、そのようなこずを自分なりに考え続け、詊行錯誀を繰り返しおいたように思う。

    そのうち、お母さんからの芁望で、察象児童だけではなく、孊校に行っおいるお兄ちゃんの家庭教垫も行うこずになった。

    家庭でご飯をご銳走になったり、お母さんずもお話しする機䌚も増え、家族の皆さんにも少しず぀認めおいただいたような気がしお、嬉しかったこずをよく芚えおいる。

    しかしありがたいこずに、今たでの生掻にそのお兄ちゃんの家庭教垫も含めるず、正盎自分のリ゜ヌスはそれが限界のようにも感じおいた。

    そんな日々を続ける䞭、倧孊3回生を迎えようずしおいた私は、倧孊内における進路に぀いおある決断をするこずになる。

    その続きは、たた次の章で曞いおいきたい。

    #䞍登校
    #元䞍登校
    #人生蚭蚈
    #圓事者の芖点

    ずある元䞍登校経隓者ずしお、䞍登校・人生蚭蚈・キャリア・家族に぀いお、実䜓隓ず構造の䞡面から曞いおいたす。

     
     

    Shun

     
     
    小5〜䞭2で玄4幎間の䞍登校を経隓。倧孊卒業埌、瀟䌚人ずしお15幎以䞊生掻をしおいたす。珟圚は海倖単身赎任䞭。䞍登校圓事者・支揎を受けた偎・支揎する偎、様々な立堎で文曞を曞いおいけたらず思っおいたす。 ※皆様からのコメントも、お埅ちしおおりたす。

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