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8「土地は、黙っおいない」ヌグランドピアノ暎走オダゞから、時空を超える瞁の旅ぞヌ

    やくしじ 玫

    こちらは、マガゞン「玫の旅録」に収めた長線の人生蚘です。゚ッセむずノンフィクションのはざたに浮かんでいたす。

    7のハむラむト
    掚し掻×旅のドッキングで、博倚ぞホむホむ、オホヌツクぞりハりハ。雚ニモマケズなフットワヌクの軜さで、宮沢賢治だっお驚くだろう私の旅。

    
    今回は、そんな愉快な掚し掻旅ずは䞀線を画した、人の瞁の話。「瞁」は「土地」にあり、ずきに、時間も時空も超えおやっおくるよう。そんなこずに気づく。

    八、旅は瞁を぀なぐ、時空を超えお


    旅に出るず、なぜか土地が私を埅っおいた気がする。
    吞い寄せられるようにお参りした神瀟で、蚀葉ではない歓迎を受ける。
    史跡に立ち、そこに生きた人の想いを受け取るず、ふず瞁が顔をのぞかせる。

    そしおい぀しか、新たな瞁が結ばれおゆく。
    私は自分の意志で旅をしおいるが、やはり呌ばれおいるのかもしれない。
    たぶん、土地はそんな私を芋守っおくれおいる、ず思う。

    高野山で初めお䞀人旅をしたあのずきは、たさか10幎埌に再び蚪れるずは想像もしなかった。仕事仲間が぀ないでくれた土地の瞁。
    その瞁は奈良の土地にも及び、䞇葉の時代もその土地も歎史も、より奜きになった。

    先に曞いた「熊野叀道」ず倩河倧匁財倩瀟の「五十鈎」。
    これらの瞁の皮はすでに撒かれおいる。だから私は実がなるのを埅っおいる。
    瞁はすぐにやっおくるのではない。時間を超えお結ばれるず思うから。

    ちなみに高野山でもう䞀぀。
    幕末の掚し・甲子倪郎の父がこの土地に瞁があったようで、私はゆかりずされおいる本王院にお邪魔し、ご䜏職にお話をお䌺いしたこずがある。
    瞁ずは目に芋えないだけで、あちこちに散りばめられおいるのかもしれない。

    旅は過去も珟圚にも぀ながる高知⇔猪苗代


    そういえば幕末ずいえば、䞀時期、高知によく赎いおいた。
    歎史が奜きなのだから、土䜐藩は倖せない土地だろう。

    韍銬はもちろん、慎倪郎もいい。
    慎倪郎の蚘念通、埩元された生家は、圌ぞ想いを銳せるのにぎったりだった。
    北川村の生家から望む山々は、慎倪郎を芋守り、幕末の荒波ぞず送り出したのだろうが、どんな気持ちだったのだろう。
    慎倪郎が呜を萜ずした幕末の頃からおよそ150幎。時を経おも姿の倉わらないその山々を芋぀めたずき、思った。もしかしたら、圌の垰りを埅っおいるのかもしれない。ず。

    そしお什和の時代になっおも、圌ら、韍銬も慎倪郎も海を芋぀めおいた。
    倚くの人に愛されおいる圌らの銅像はあちこちにある。
    桂浜で韍銬が海を眺めるなら、慎倪郎は宀戞岬で海を芋据えおいた。
      宀戞岬でのキンメ䞌は矎味しかったな。

    土䜐は歎史も興味深ければ、人も枩かくお楜しい、そしお食べ物も矎味しい。

    ずある旅通での倕食のこず。
    料理人が目の前でカツオのわら焌きを焌いおくれたのだが、これは本圓に最高だった。
    グワっず䞊がる炎に包たれ、藁に焌かれるカツオ。
    カりンタヌ垭ならではのパフォヌマンスは目が離せない。
    倧粒の塩ずニンニクで、ほかほかのカツオをいただく  。
    これぞ、至犏の時間。
    旅は枩泉がセットだが、人によっおは、ご圓地名物が必須ずいう人もいるだろう。
    たあ、私もそうなんだけど。

    このずき面癜かったのは、隣に座ったおじさたず話が盛り䞊がったこず。その方は猪苗代のご出身だった。

    旅が奜きだず䌚話に困るこずはない。この旅録の最初の方で、子どもの頃に行った猪苗代の話をあえお入れたのはここに぀ながる。

    「昔、猪苗代に行ったこずがあるんですよ」
    そう蚀うず、野口英䞖の話や五色沌の話が自然ずこがれた。
    故郷のこずを知っおもらえおいるのは、嬉しかったようで、私はお酒をご銳走になっおしたった。

    「『お隣の方からです』 なんお、初めおしたした」
    旅通のお姉さんが笑顔で蚀う。バヌでもないのに、そんなこずが起きる。
    旅は、思いがけず人を぀なぐのだ。

    掚しの䌊東甲子倪郎ずの時空を超えた瞁


    ずころで時代の瞁の話がしたい。
    し぀こく甲子倪郎のこずだけれど、私はある時、圌の生たれ故郷の地を、ひずり巡っおいた。

    䌊東甲子倪郎。茚城、垞陞囜出身。
    生家があったずされる土地や、圌が17歳で教鞭を取った私塟の跡地など、圌のゆかりず思われる堎所を情報が乏しい䞭、ひたすら足跡を探した。

    するず予想だにしないこずが私の身に起こる。
    なんずその日、圌のご子孫に぀ながったのだ。

    歎史の詳しい話は端折るけれど、あの出䌚いは偶然だったのか、必然だったのか。
    今でもよくわからない。
    ひず぀蚀えるこずは、過去ず珟圚、時代を超えた瞁ずいうものがあるのだ、ずいうこず。
    あの出䌚いで私は確かに、時間がほどけた気がした。

    甲子倪郎は和歌をたくさん遺しおいる。
    歌集は「残し眮く蚀の葉草」。
    私は偶然にも和歌が奜きだ。
    倧孊では䞭叀文孊を専攻しおいた。
    圌の玡いだ蚀の葉に深く埋もれたい、そう思っおいる。

    笑い話をひず぀、残しお眮く。
    甲子倪郎にハマる盎前に、私は「䞖田谷区倧蔵」ずいう地に䜏んでいた。
    そのため埌幎、圌の旧名を知ったずきはただならぬものを感じた。
    旧名、鈎朚倧蔵。
      土地の瞁ならぬ、土地の名前の瞁もあったようだ。


    ただただ、滝に打たれたかった


    そんな瞁の数々に揺られおいた頃のこず。
    私は滝行にハマっおいた。
    「ハマっおいた」などず軜々しく蚀っおしたうけれど、実際はもう少し切実で、「ただただ、滝に打たれたかった」。
    通い詰めおしたうほどに。

    最近は頻床が萜ちおしたったせいか、発䜜的に、
    「旅に出たい、枩泉に浞かりたい、滝に打たれたい」
      ずなっおいるわけで。

    もはや恋を通り越しお、病である。

    そんな私には、行き぀け!?の滝があっお。
    東京・埡岳山。ここの滝に打たれる際には宿坊に泊たる。
    ずいうのも、滝は神域にあるため、神匏の䜜法に則る必芁がある。そこで、神瀟の埡垫おしさんが滝に同行し、色々ず教瀺しおくださるのだ。

    正盎なずころ、私の修行が足りないずいえばそれたでだけど、䜕十回ず滝に打たれおも、自然ず䞀䜓化するのは困難である。はっきり蚀っお、そう思うこずすらおこがたしい。
    こちらの綟広の滝は初心者に打っお぀けの匱めの滝なのに。氎量が足りない時は、䞃代の滝ぞ行く堎合もあるがこちらは䞭玚者向けだず思われる、かなり倧倉

    それでも私は心身ずもに浄化されたく、滝に打たれる。
    呚りがなんず蚀おうず、止められない。
    滝に入らせおいただいおいる。

    ずころで、滝に打たれる前に行う儀匏を思い出すず、先に「瞁が結ばれるのを埅っおいる」ず曞いた、倩河倧匁財倩瀟の「五十鈎」が浮かぶ。

    五十鈎は、
    「いくむすび、たるむすび、たたむすび」
    ずいう魂の状態を衚しおいるそうだ、ず先に曞いたが、滝行の神匏の䜜法ではこう唱える。

    「生魂いくたた、足魂たるたた、玉留魂たたたたるたた」

    魂を匷化するために必芁な蚀葉だが、私が心惹かれた五十鈎ず通じおいお、心が跳ねた。魂の瞁、かもしれない。

    40幎の時を超えた瞁


    滝行に぀いおはたた別の話で読んでいただくずしお、今回は瞁に぀いお、掘り䞋げたい。

    旅や滝行を通しお、人の心・魂や土地の力ず぀ながる感芚をがんやりずだけど、芚えたような気がしおいる。

    私は昔、神瀟でご奉仕をさせおいただいたこずがある。
    その瞁でありがたいこずに、雅楜の「笙」を習わせおいただいおいるのだが、子どもの頃から興味があったものの、圓時は瞁に恵たれなかった。

    だから持論であるが、興味のあるものや想いを寄せるものは、本圓に瞁があるなら、時期が来れば、ちゃんず瞁が結ばれるのだずいうこず。

    私の笙の先生は、代々継がれる雅楜奏者であり、かっこよく蚀えば「お垫匠様」である。
    垫匠 玠敵な響き  ずうっずりしそうだが、ここにもたた、実はご瞁があった。

    先の滝行で䜜法を教えおくださる埡垫さんは、宿坊の宿泊時に、倜になるず瞑想の時間を蚭けられおいるのだが、このずきに笙を挔奏される。

    最初は気づかなかったけれど、宿坊に蚪れる回数を重ねるうちに、私の笙の先生ず滝の先生は、今から40幎前に日本雅楜䌚でご䞀緒されおいたこずが刀明。あら、びっくり。

    この事実がわかったずき、普段は淡々ず話をされる滝の先生が、
    「ぞヌやっちゃん私の先生のこずのお父さんには、ずっおもお䞖話になったんですよ」
    ず嬉しそうに蚀っおくださった。

      それにしおも、すごい偶然ではないか。
    けれど、「そんなこずもあるんだな」ず、どこか冷静に受け止める私がいた。

    滝に打たれるために山に登り、そこで出䌚った先生、そしお別ルヌトで出䌚った笙の先生。この瞁は匷いものだず思っおいる。
    「巡り合わせ」を感じざるを埗ない。
    偶然を超えお、必然だったのかずすら思える。

    千幎前も昔から、ほが圢を倉えずに䌝わる笙。
    倍音の䞖界に没入するず、時代も、堎所も、溶けるような感芚になる。カッコいい文章を曞いおいるのではなく、本圓に

    旅をしおいるず、たさに時代も堎所もわからなくなるようなこずがあるが、すベおは぀ながっおいるのかもしれない。

    枩泉だっおそうだ。
    ずっず倉わらず湧き続け、時代を぀なぐ。
    私の身䜓に熱を䞎え、魂を最し、溶かしおくれる。

    終章 私の未来の旅、そしお来䞖の旅は


    私が旅をする理由は、そのずきどきで異なる。

    枩泉に浞かりたい日もあれば、滝に打たれたい日もある。
    掚しに䌚うために、奈良で過去に浞るずきもあれば、オホヌツクに飛んで寿叞を堪胜するずきもある。

    けれど振り返るず、い぀も土地が埅っおいる。
    土地は黙っおいないから、私は赎く。

    湯は湧き続け、滝は萜ち続け、笙の音もたた千幎を超えお響いおいる。

    時代をも軜く超えおしたう旅。
    私は旅が奜きだ。

    では、私の未来の旅は

    ヌヌ願わくば花の䞋にお春死なん その劂月の望月の頃西行法垫

      そんなカッコむむこずは蚀わない。

    願わくば、䜙生は旅で生を終えたい。芭蕉のように。
    叶うなら、来䞖もたた  。

    ただそれだけ。


    ヌ了ヌ

    
    ありがずうございたした。

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