
『TOKURYU』4
第4話:国家のバグ
あらすじ
追い詰められたトクリュウの指示役「プロメテウス」は本尊へのSOSを試みるが、ハッカー・蓮(れん)はその暗号通信を完全に捕捉する。かつて自分が裏社会にいた頃に構築したシステムの鍵を開け、数十億円の違法資金を一網打尽に逆奪取しようとする蓮。
しかし、暴かれた資金の最終還流先は、海外の闇銀行ではなく「内閣府・広域経済特区推進機構」――この高齢者特区のサーバーだった。トクリュウは国家の黒幕・新城(しんじょう)に飼われた触手に過ぎなかったのだ。
巨大すぎる「国家のバグ」に愕然とする蓮と葵(あおい)。その時、すべての真相を追う刑事・鬼塚の影が、静かに二人の背後へと迫っていた――。
深夜1時。
都内の雑居ビルの一室、冷房の音だけが低く響く暗闇。
トクリュウの現場指示役「プロメテウス」こと、20代半ばの男・三島は、狂ったようにタバコを貪りながら液晶画面にしがみついていた。
画面に並ぶ、闇バイトたちからのテレグラムの悲鳴。
そして、組織の資金プール口座の残高が『¥0』のまま微動だにしない現実。
「嘘だろ……なんで全部消えてんだよ……。誰がやってる……!」
三島の手が震える。トクリュウの世界において、上の「本尊」から預かった金を溶かすことは、物理的な死を意味していた。
三島は震える指で、本尊だけがアクセスできる最高機密の「暗号資産の洗浄(ミキシング)サイト」のゲートウェイを開き、本国へのSOSを発信しようとした。
同じ瞬間。『グランドエイジ湾岸』のフロントロビー。
蓮のノートPCの画面に、数万行の暗号化されたログが、凄まじい速度で流れ落ちていた。
「ネズミの親玉が鳴いた。……完全にパニックを起こしてる」
蓮の横に、コンシェルジュの制服の上着を椅子にかけ、黒いタンクトップ姿になった葵がコーヒーカップを置いて立つ。彼女の剥き出しの肩には、自衛隊時代の訓練で負ったであろう、小さく鋭いナイフの痕が白く残っていた。
「プロメテウスの端末から、トクリュウの『真の金庫』へ繋がる暗号通信のIPを確保した」
蓮は感情を殺した声のまま、タイピングの速度を上げる。
「これまでの被害総額、そして奴らがこれから動かそうとしている全ての資金を、この洗浄ルートの根元から一網打尽に毟り取る」
「できるの?」
「人間は極限の恐怖に陥ると、最も使い慣れた『安全な避難所』に盲目的に逃げ込む。認知バイアスの『利用可能性ヒューリスティック』だ。……だが、彼らが安全だと信じているその洗浄ルートの暗号化アルゴリズムは、3年前に俺が作ったシステムをベースにしてる」
蓮の口元が、わずかに歪んだ。
「自分が作った檻の鍵を開けるのは、ハッキングとも呼ばない」
葵がコーヒーカップを両手で包みながら、蓮の横顔を見た。
「……3年前って、まだ中にいた頃?」
「ああ」
蓮はモニターから目を離さなかった。
「当時の俺には、あれが仕事だった。資金を隠す仕組みを作るのが。……褒められたよ。よくやったって、みんなに」
葵は何も言わなかった。ただ、カップを置いて、蓮の隣に静かに立った。
「その後、尻尾を切られた」
「うん」
「貯めてた金も、全部持っていかれた」
「うん」
蓮の指が、エンターキーを鋭く突いた。
「だから今、自分が作ったもので奴らを潰す。……それだけだ」
画面のログが一瞬で反転し、トクリュウの背後で世界中を流動していた数十億円規模の違法資金の「流れ(ルート)」が、網の目のようにビジュアル化されていく。
だが。
次の瞬間、蓮の指がピタリと止まった。
画面に映し出された資金の『最終還流先』。
そこには、海外のペーパーカンパニーでも、裏社会の闇銀行でもない、見覚えのある「文字列」が刻まれていた。
【内閣府・広域経済特区推進機構(内国歳入管理サーバー)】
「……なんだ、これは」
蓮の瞳に、初めて明らかな動揺が走った。
「どうしたの、蓮」
葵が画面を覗き込む。
「トクリュウが老人から奪った金は、裏社会に流れてない。……マネーロンダリングの皮を被って、この国家の、それも『この高齢者特区』の予算管理サーバーに直接流れ込んでる。……システムの上流から、意図的にこの金を還流させている『国の中枢の人間』がいる」
トクリュウは、独立した犯罪組織などではなかった。
国家の巨大なプロジェクトの裏で、合法的に金を吸い上げるために飼われている、ただの「触手」に過ぎないという現実。
蓮が推進機構の職員データベースのファイアウォールを突破する。画面に映し出されるのは、暗号化された最高機密『特区還流計画・責任者』のフォルダ。
蓮がその暗号を解いた瞬間、画面に1人の男の顔写真と経歴が表示される。
――「新城 毅(しんじょう たけし)内閣府特命担当室長」――
二人が「この男が、トクリュウを裏で飼っている本尊か」と敵の顔と名前をハッキリと認識した。
思いもしない情報に周囲への警戒を怠っていたその時、ロビーの外街灯の光の下に1台のセダンが停まっていた。
車のフロントガラス越し、煙草の煙で霞む車内から、ベテラン刑事・鬼塚が、鋭い眼光で蓮と葵をじっと見つめていた。
鬼塚はゆっくりと車のドアを開け、泥のついた革靴で、特区の静まり返るロビーへと歩みを進めてくる。
蓮は無言でノートPCの画面を閉じ、リュックへと滑り込ませた。
葵は静かに体幹を落とし、制服の上着を肩に羽織り直す。
闇バイト、半グレ、そして国家の中枢。
そのすべての糸を引く「見えない怪物」の足音が、刑事の追跡とともに、二人のすぐ後ろまで迫っていた。
(第4話・完)
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