
『TOKURYU』3
第3話:引き金とマレット
あらすじ
激しい雷雨の夜、タワマン24階の部屋へトクリュウの強盗3人組が侵入する。だが、狙われた老人・高橋は微塵も動じない。
蓮(れん)はフロアの誘導灯をハッキングし、不規則なストロボ点滅で侵入者の三半規管を狂わせる。舞台が整った暗闇の中、コンシェルジュの葵(あおい)が突入。元特殊作戦群の圧倒的な格闘術で、わずか45秒で暴徒を制圧する。
蓮が強盗の端末から組織の資金を逆奪取する中、高橋は二人の正体を見抜き、「我々が何から保護されているのか気づく頃だ」と不敵に微笑む。特区の不気味な真実が牙を剥き始める中、刑事・鬼塚の執念の捜査も二人へと肉薄していく――。
午後11時、激しい雷雨。
稲光が、タワーマンション『グランドエイジ湾岸』の24階の窓を白く浮かび上がらせていた。
その部屋の住人――元・貿易商社役員の高橋(72歳)は、薄暗いリビングで一人、ブランデーグラスを傾けていた。
背後のベランダの鍵は、すでに内側から何者かによって解錠されている。トクリュウが仕込んだスマート家電のハッキングによるものだ。
カーテンが濡れた風に揺れた。
直後、漆黒のレインコートを着た3人の男たちが、音もなく滑り込んできた。全員が目出し帽を被り、手にはサバイバルナイフと、結束バンドを握っている。
「動くな。声を出したら殺す」
先頭の男が、高橋の喉元に刃先を突きつけた。
だが、高橋はグラスを置く手すら震わせない。ただ、老いた眼球をゆっくりと動かし、男たちの足元と、その構えを観察していた。
「金庫の場所を言え。あと、スマホの暗証番号だ。早くしろ」
若者の声は、恐怖を隠すように荒々しい。
高橋は深く息を吐くと、微笑みすら浮かべてボソッと言った。
「……3人とも、腰が浮いているな。刃物の持ち方も素人だ。今のトクリュウは、こんな雑な子供しか集められないのか」
「あ? なめてんじゃねえぞ、ジジイ!」
男がナイフを振り上げた、その瞬間だった。
部屋のブレーカーが、唐突に落ちた。
完全な暗黒が、リビングを支配する。
「おい、なんだ!?」「停電か!?」
パニックを起こす若者たち。
その闇を切り裂いて、カチャリ、と硬質な金属音が響いた。
「2402号室、センサー感知。……侵入者は3」
フロントロビーの暗闇。ノートPCの画面を見つめる蓮の顔が、青白く照らされている。
蓮の指がキーボードの上を滑る。彼がハッキングしたのは、24階フロア全体の「非常用誘導灯の点滅サイクル」だ。あえて不規則なストロボ効果を生み出し、侵入者の三半規管を狂わせる。
「葵。舞台は整えた」
イヤホンの向こうで、一瞬の間があった。
「……了解」
蓮は画面を見つめたまま、その短い沈黙の意味を考えた。
葵が躊躇う場面など、これまで一度もなかった。
「葵」
「何」
「無理はするなよ」
今度は間を置かず、答えが返ってきた。
「あなたこそ、その指を止めないで」
すでに24階の廊下に立っていた葵は、フロントの制服のまま、右手に握った黒塗りの特殊警棒を静かに振り出した。伸縮式のスチールが、シャキインと重い音を立てて固定される。
葵が2402号室のドアを静かに押し開けた。
ストロボのように点滅する非常灯の光の中、男たちのシルエットが激しくブレる。
「誰だ!?」
気づいた1人がナイフを突き出して突進してくる。
葵は避けない。
最短のステップで刃先の内側へ踏み込むと、左手で男のナイフを持つ手首を固定。同時に、右手の特殊警棒を男の鎖骨へと真っ直ぐ「突き」降ろした。
鈍い破砕音。
「が、あっ……!」
悲鳴をあげる暇もなく、男の膝が折れる。葵はその崩れ落ちる頭部を掴み、室内の大理石の壁へと正確に叩きつけた。
「この女、ヤバい!」
残る2人が同時に襲いかかる。
葵の身体が流れるように沈んだ。1人の大振りのナイフを紙一重でかわしながら、相手の軸足を容赦なく蹴り砕く。男がバランスを崩した瞬間、その顎に向けて、葵の美しいローファーのヒールが下から突き上げられた。脳震盪を起こし、男が白目を剥いて倒れる。
最後の手負いの1人が、狂乱状態でナイフを振り回した。
葵は警棒をあえて手放し、男の突きを両手で受け流す。
男の腕を背中側に捻り上げ、そのまま床へと完全に制圧した。
「動かないで。関節が外れるわよ」
葵の声には、息の乱れすら生じていなかった。
完全にトクリュウの3人を無力化するまで、わずか45秒。
暗闇の中、部屋の電気が復旧する。
眩しい照明の下、ソファに座ったままの高橋が、拍手をしていた。パチ、パチ、と乾いた音が響く。
「実に見事だ、コンシェルジュさん。元特戦群(特殊作戦群)かね?」
葵は表情を変えず、落ちた警棒を拾い上げながら言った。
「……ただの警備担当です、高橋様。お怪我は?」
「ないよ。彼らが持っていたバッグの中に、私から奪うはずだった電子マネーの引き出し用端末が入っている。……蓮くん、だっけ? 彼はもう裏(ネットワーク)から抜いたかな?」
葵のイヤホンから、蓮の冷徹な声が響く。
『ああ、端末からトクリュウの資金サーバーのIPを特定した。今からこの3人の身代金代わりに、サーバーの全残高を被害者の口座へ還流(返済)させる。……高橋さん、あんた何者だ? なぜ俺の名前を』
高橋はブランデーを一口含むと、窓の外の豪雨を見つめた。
「若者よ、ここは『保護特区』だ。我々が何から”保護”されているのか、そろそろ気づいてもいい頃じゃないかね」
高橋の目が、葵へと向いた。
「……君も、誰かを守れなかった夜があるだろう。それを埋めるためにここにいるのか、それとも、もう埋まったのか」
葵は何も答えなかった。
ただ、警棒を制服の奥へと静かに仕舞いながら、窓の外の雨を一瞬だけ見た。
その目に何が宿っていたか、蓮にはイヤホン越しには分からなかった。
翌朝。
嵐が去ったタワマンの敷地内。
水溜まりの残る公園で、大曽根老人がゲートボールのマレットを構えていた。
カツン、と乾いた音を立てて球が転がる。
老人は笑いながら、マレットの木柄をトントン、トントンと、あの独特の3拍子で地面に打ち付ける。その目は、24階から警察に連行されていくトクリュウの若者たちを、冷たく見送っていた。
敷地外の覆面パトカーの中。
刑事の鬼塚は、タバコの煙越しにその光景をじっと見つめていた。
手元の資料には、昨夜の事件でトクリュウのサーバーから『1円残らず資金が消滅した』という速報データ。
「トクリュウの資金源をピンポイントで毟り取るハッカー。そして、プロの兵隊並みの動きで現場を制圧するコンシェルジュ……」
鬼塚はタバコを一息ふかすと、ハンドルを握りしめた。
「役者が揃いすぎてやがる。……おい、この特区、一体何が起きようとしてるんだ」
パトカーが静かに発進する。
その視線の先、タワマンのフロントガラスの向こうには、いつもと変わらぬ笑顔でルーティンワークをこなす葵の姿があった。
(第3話・完)
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