
どいちょ
50年前、私は小学生だった。
どこにでもいる小学四年生の男児。
両親と妹、弟と5人で市営住宅に住んでいた。
貧乏だった。
でも、周りにもっと貧乏な人がいたので、気にならなかった。
同級生も、一軒家に住んでる人と、市営住宅もしくは賃貸アパートに住んでいる人が、半々ぐらいだった。
ただ、遊びに行く友達の家は、やはり一軒家が多かった。
友達みんなで、プラモデルを買いに行こうと盛り上がったことがあった。当時、スーパーカーのプラモデルは500円ぐらいだった。
私は母親に事情を話し、お小遣いをねだった。
母親は引き出しから「給食費」と書かれた封筒を取り出し、そこから500円札を取り出し、無言で私に渡した。
カルピスが贅沢な楽しみだった。当時は原液が入った瓶タイプしか売ってなかった。瓶にまかれたカルピスのパッケージが眩しかった。
冷蔵庫にカルピスがある時は、飲みたくてしかたがなかった。飲んでいいか親に尋ね、了承を得たら冷蔵庫から瓶を取り出し、コップに1センチ弱ほど原液を入れ、一度親に見せる。オッケーがでれば、水を注いで飲んだ。「多すぎるでしょ」と言われれば、原液を少しだけ瓶に戻した。
たくさん水を入れると当然薄くなるが、当時は量を飲みたかった。
のちにカルピスウォーターなるものが販売され、それを飲んだ時、「当時かなり薄めて飲んでたんだなぁ」と気づいた。
どいちょ、というあだ名で呼ばれている友達がいた。親が医者で、病院を経営していた。お金持ちだった。
どいちょは同じ学年で一番背が高かった。当時、背が高い子はなんとなく鈍い子が多かった。どいちょものんびりした性格で、いつもぼーっとしてる感じだった。
どいちょは勉強も運動もいまいちだった。みんなからは、それをからかわれることが多かった。でも、どいちょは怒らず、いつもにこにこしていた。
どいちょは、バスが苦手だった。遠足などでバスに乗ると、必ず車酔いしていた。ビニール袋を渡され、それを握って青い顔をしていた。
どいちょの親が経営している病院は4階建てで、どいちょの家族は一番上の階に住んでいた。時々遊びに行った。広い廊下を走り回れるのが楽しかった。新しく出たおもちゃが、必ずあった。
そのうち、どいちょの親は、病院から少し離れた場所に家を建てた。だが、そこに遊びに行くことは、どいちょの母親が許してくれなかった。引き続き、病院の方に遊びに行っていた。
ある日、どいちょの家に遊びに行くことになった。どいちょの母親から遊びに来ていいと許可が下りた。家に入った。子どもながらにすごい家だなと思った。広々としたどいちょの部屋で遊んでいると、どいちょの母親が入ってきた。いつもは愛想のあまりよくないどいちょの母親が、にこにこして飲み物を持ってきてくれた。カルピスだった。
どいちょも入れて5人ぐらいいたと記憶している。私は心の中で「カルピスだぁ」と胸躍らせた。飛びつくようにコップをとり、一口飲んだ。その瞬間、ぶうっと吹き出してしまった。
「あらあら、どうしたの?」と、軽いほほえみとともに声をかけてくれたどいちょの母親に、私は言った。
「これ、水で薄めて飲むんですよ」
一瞬の静寂。
どいちょの母親が爆笑した。周りもつられて笑った。母親は私に何か言おうとするが、笑いが収まらず、そのまま部屋を出ていった。
私は、あの時のどいちょの母親の笑い声を一生忘れない。そして「いつか、見てろよ」と、今も心に誓っている。