
紀州百点の果て 第12話 廃藩
その朝も、太鼓が鳴った。
いつもと同じ音だった。喜三郎はいつもの位置に立った。いつもの銃を構えた。隣に庄之助がいた。前に新入りの農民兵がいた。
訓練が始まった。
装填した。構えた。撃った。当たった。また装填した。また構えた。また撃った。また当たった。体が覚えていた。考えなくても動いた。
休憩の間、壁の数字を見た。
今日も上だった。侍の班より上だった。喜三郎の班の番号が、一番上にあった。
悪くなかった。
庄之助が隣に来た。
「今日もええな」
「ああ」
「俺たちの班、ずっと一番やな」
「たまたまや」
「たまたまやないで」
庄之助が笑った。喜三郎も少し笑った。
午後の訓練が始まった。行進した。歩幅を揃えた。太鼓に合わせた。乱れなかった。
今日も終わる。明日も来る。明後日も来る。
そう思っていた。
訓練が終わった後、藩士が前に出た。
いつもと違う顔をしていた。紙を持っていた。
読み上げた。
「明治四年七月、廃藩置県の詔書が発せられた。これにより紀州藩は廃止され、和歌山県となる。藩に属する全ての組織、軍を含む、は本日をもって解散とする」
喜三郎は聞いていた。
意味がわからなかった。
廃藩。藩がなくなる。和歌山県になる。軍が解散する。
言葉は聞こえた。でも意味が体に入ってこなかった。
藩士が紙を下ろした。
誰も何も言わなかった。
庄之助の顔を見た。庄之助も喜三郎を見ていた。
しばらくして、喜三郎は聞いた。
「どういうことや」
「藩がなくなるんや」
「なくなる」
「ああ」
「軍は」
「なくなる」
喜三郎は壁の数字を見た。
今日の数字がまだ張り出されていた。喜三郎の班の番号。一番上にあった。
「数字は」
庄之助は答えなかった。
沈黙だった。
喜三郎はまた壁を見た。数字はまだそこにあった。でも明日、この壁に誰も数字を書かない。明後日も書かない。
数字が上がり続けていた。
なのに。
「帰れ」
藩士が言った。
皆、動き始めた。喜三郎は動けなかった。足が、地面に貼りついていた。
芸州口の夜と同じだった。あの夜も、足が動かなかった。でもあの夜とは違った。あの夜は怖かった。今は怖くなかった。
ただ、わからなかった。
夜、喜三郎は火の前に座った。
太一は眠っていた。
サヨが隣に来た。何も言わなかった。ただ隣に座った。
喜三郎は火を見ていた。
給金が増えた。太一に草履を買った。長州が見に来た。今日の数字も一番だった。
誰も悪くなかった。
なのに終わった。
サヨがいた。火があった。太一が眠っていた。
喜三郎は何も言えなかった。
火が、小さく爆ぜた。