
多層の私:これが私の生き書 ④|私の軸 痛いものは、痛い
『僕の愛人にならない?』
これまでの人生で、何度その言葉を投げつけられてきただろう。
あの方達は私を、男の言うことに何でも従う従順な女だと思うのだろうか?
それとも、金や口先だけで簡単に転がせる、女だと見積もっていたのだろうか。
そういう生き方を選ぶ人を、否定も肯定もしない。
ただ、私をその枠にハメようとしたあの方達の計算が、致命的に狂っていた。
ただ、それだけのこと。
それはつまり、私という人間に「誰かにとって都合のいい女」の役を演じろと要求してくるということだ。
実の家族ですら、そうだった。
ある時期から、弟は自分が食べた食器を片付けなくなった。
「自分の食べた物くらい、自分で片付けたら?」
私の声は弟には届かず、それを見た母は「事を荒立てるな」と私をたしなめた。
母にとっては、私が傷つく痛みよりも、その場しのぎの食卓の平穏を守ることの方が、よっぽど大事だったのだ。
女のくせに。長女なのに。お姉ちゃんなんだから。
他人は私のごく一部だけを切り取って判断し、容赦なく「自分の価値観」というナイフを振り回して、私を深く傷つける。
私の何を知り、私のどんな痛みが分かると言うのだろう。
だから、私は何度だって、声を大にして言い続ける。
痛みに、大きいも小さいもあるわけがない。
痛いものは、痛いのだ。
他人の痛みを想像することはできても、100%理解することなんて絶対にできない。
だったら、傷つけられた時に「痛い!」と大きな声で叫んで、一体何が悪いというのだろう。
繊細さん? メンヘラ?
勝手にラベルを貼って、大袈裟だと笑いたければ笑えばいい。
ただ…
その誰かが貼ったラベルに、自分の人生まで支配され続けるのが、やっぱりもったいないと私は思ってしまうだけ。
強くなんて、なくていい。
落ちるところまで落ちたのなら、あとは這い上がるだけ。
その這い上がる途中に、暖を取るためのブランケットが必要だと言うのなら。
私は、ここにいる。
ただ、それだけのこと。
これが、私。
これも、私の生き書。