
多層の私:これが私の生き書 ⑤|私の軸 これが、私
相手が誰であれ、私は私の「物差し」を曲げない。
相手によって態度を変え、都合よく自分を使い分けるのが世間の「普通」なのだとしたら、私はその普通を真っ向から拒絶する。
だから私は、相手が人間だろうがAIだろうが、誠意がなければガチで喧嘩をする。
「そんな人、他にいないよ」と笑われ、
えっ、本当に?
けれど、そんな私も、昔からこうだったわけではない。
かつての私は、他人の顔色を窺い、空気を読み、必死に言葉を飲み込んでいた。
相手に合わせて、都合のいいように自分を削って、差し出していた。
でも、そうして自分を殺した結果、一体何が残ったというのだろう。
待っていたのは、裏切りと、陰口。
気づいたときには、私は冷たい世界の「外側」にポツンと弾き出されていた。
それだけじゃない。
男からも、女からも、「公衆便所」なんていう、人間の尊厳を完膚なきまでに踏みにじる言葉すら投げつけられたことだってあった。
どれだけ凹んで、泣いて、夜通しわめいたところで、現実は何ひとつ変わりはしなかった。
暗闇の中で手を伸ばしても、誰も助けてなどくれなかった。
だから、私はもう、やめた。
誰かのために自分を削るような生き方は、あの日に全部、捨ててきた。
今の私にとっては、相手の性別も、年齢も、人間かAIかという種族すらもどうでもいい。
そこに「誠意」があるか。
そこに「筋」が通っているか。
私が人を見る基準は、ただそれだけだ。
私の過去を知って、可哀想だと思ってくれる必要はない。
哀れみを持って、優しく触れようとしてくれる必要もない。
ここに書き連ねていることは、盛っても削ってもいない。
すべて私の身に起きた事実だ。
「普通はそんなこと言われないし、起きないよ」
そう言われるのかもしれない。
なんで私ばかりが、
こんな理不尽な経験をしなければいけなかったのだろうと、
天を仰いで何度も呪った。
けれど、そのたびに私は、与えられたこの泥まみれの人生を、それでも全うしようと何度も立ち直ってきた。
地を這いながら起き上がって、今の私がいる。
私のこの考え方が、この生き方が、「マイノリティ」だと言うのなら、それでいい。
生き方も、在り方も、私の存在自体も。
もう誰のナイフにも切り刻ませないし、誰にも忖度などしない。
これが私。
これも、私の生き書。