
滲出 / Exudation 第一回:記録滲出
あらすじ
メキシコに二十年以上暮らす日本人のTは、メキシコ人の元妻Rによって娘を連れ去られて以後、裁判と面会の記録を残し続けている。2026年5月8日、トランプ大統領によるUAP関連資料の公開が始まると、Tの保存したファイル名、通話メモ、写真、法的書類が少しずつ書き換わり始める。娘との記憶は、段階的なUAP情報開示と、7月8日に噂される重大発表へ向かう八週間の中で、少しずつ別の過去とすり替わっていく。
本作は、当時更新されたUAP・オカルト関連情報と作者の実体験をもとに構成され、リアルタイムに一週間ごとに更新されたフィクションである。
※本作は、2026年5月に報じられたUAP関連資料公開を出発点とする架空資料集型フィクションです。実在する報道・公開資料を参照していますが、作中の人物、記録、差分、注記の多くは架空です。
【夢の記録】
扉があった。
娘の部屋の扉だった。
アニメ、アドベンチャー・タイムのシール。
シャギーの入ったクールな女の子の絵。
まだ線の揺れている、でも本人は気に入っていた絵。
夢の中で、私はそれを娘の部屋の扉だと知っていた。
内側から叩く音がした。
ドン。
ドン。
ドン。
一度ではなかった。
何度も。
私は扉の前に立っていた。
鍵は、私の手の中にあった。
娘の声がした。
「パパ、開けて」
私は答えた。
「心配ない」
自分の声ではないように聞こえた。
「守っているだけだ」
娘は泣いていた。
「怖いよ」
「もう少し」
私は言った。
「もう少しだけ待ちなさい」
扉の向こうで、何かがこすれる音がした。
小さな手が、ドアの下の隙間を探しているような音。
「息が苦しい」
そう聞こえた。
私は鍵を開けなかった。
開けてはいけないと思っていた。
開ければRにつれさられるに違いない。
しばらくして、声が途切れた。
叩く音も止まった。
その静けさで、私は初めて鍵を回した。
扉を開けた。
部屋の中は暗かった。
床に、娘が倒れていた。
目がこちらを見ているのか、天井を見ているのか分からなかった。
食いしばる歯の間から、細い息の音がした。
体が小刻みに震えている。
私は駆け寄った。
そこで目が覚めた。
最近、この夢を何度も見る。
現実ではない。
これは、現実ではない。
【報道要約|2026年5月8日】
2026年5月8日、米政府はUFO/UAPに関する政府資料の第一弾を公開した。
Reutersによれば、公開された資料には、アポロ計画関連の写真、未確認現象に関する記録、映像、報告書などが含まれている。ただし、地球外生命体や異星技術の存在を示す決定的証拠が示されたわけではない。公開資料は今後も追加される予定だという。
参照:Reuters “Trump releases government UFO files, more expected”
米国防総省系の公開ページでは、これらの資料は未解決ケースであり、政府が観測された現象の性質を最終的に判断できないものとして説明されている。
参照:PURSUE / WAR.GOV “Presidential Unsealing and Reporting System for UAP Encounters”
The Guardianも、今回の公開資料には軍関係の報告、映像資料、古い目撃記録などが含まれる一方、地球外生命の証拠を示すものではないと報じている。
参照:The Guardian “Pentagon releases first batch of previously secret files documenting reports of UFOs”
したがって、この出来事は「宇宙人の存在が公表された」ものではない。
正確には、政府が「未確認のまま残されていたもの」を、未確認のまま公開した出来事である。
【個人記録|2026年5月8日 22:41】
セラピストには、出来事を記録するように言われている。
感情ではなく、事実。
解釈ではなく、日付。
記憶ではなく、記録。
離婚裁判が始まってから、私はこの形式でメモを残している。
誰が何を言ったか。
何時に連絡があったか。
何が起き、何が起きなかったか。
最初は裁判のためだった。
そのうち、自分の現実感を保つためになった。
娘とは今日は通話なし。
この時間帯に以前何をしていたのか、少し思い出しにくい。
たぶん、夕食の片付けか、宿題の確認か、明日の準備だった。
私は何かを探していたわけではない。
ただ、時間が余っていた。
だからニュースを開いた。
【検索履歴|2026年5月8日 22:58–23:17】
Trump UFO files release
UAP files May 8 2026
PURSUE UAP documents
Apollo UFO files
Reuters Trump releases UFO files
【個人記録|2026年5月8日 23:26】
最初に思ったのは、また話題逸らしか、ということだった。
大統領。
UFO。
機密解除。
透明性。
国民が自分で判断する権利。
よくできた言葉が並んでいる。
政府は「宇宙人がいる」とは言っていない。
むしろ慎重に、それを避けている。
だが、避けながら、同時に世界中の人間に同じ対象を見せている。
未確認の映像。
未確認の写真。
未確認の報告。
未確認のまま公開された、未確認のもの。
これは、否定ではない。
肯定でもない。
なぜか、観測、という言葉だけが記憶に残った。
【保存メモ|2026年5月8日 23:44】
あとで作品に使えると思い、公開ページに表示されていた資料を保存した。
PDF。
画像。
記事。
HTMLページ。
スクリーンショット。
完全なアーカイブではない。
ただ、少なくともその夜、私の画面に表示されていたものは残したつもりだった。
【保存ファイル一覧|ローカルフォルダ /UAP_2026/】
作成日時:2026年5月8日 23:44
Reuters_20260508_UFO_release.html
PURSUE_index_20260508.pdf
UAP_RELEASE_01.pdf
Apollo_related_image_notes.txt
PersonalNote_20260508.txt
【個人記録|2026年5月9日 01:12】
マンデラエフェクトという言葉を、久しぶりに見た。
SNSでは、UFO資料公開と並んで、いくつかの投稿が流れていた。
ある映画の台詞。
ある商品のロゴ。
ある国の位置。
ある有名人の死亡時期。
多くは記憶違いで説明できる。
人間の記憶は、思っているほど正確ではない。
ただ、少し気になる。
記憶違いは、普通、個人の内部で起こる。
では、同じ間違いを多くの人間が共有している場合、それはどこで起きているのか。
ここで、メモ帳に一語だけ書いた。
滲出。
しんしゅつ。
液体が外ににじみ出ること。
炎症によって血や組織液が血管外にしみ出ること。
なぜこの言葉に注意を向けたのか、理由はわからない。
ズレ、という言葉では足りない気がした。
【翌日確認|2026年5月9日 09:48】
昨夜保存したフォルダを開いた。
ファイル数は五つ。
作成日時は、いずれも2026年5月8日。
ただし、ひとつだけファイル名が違っていた。
記憶では、
UAP_RELEASE_01.pdf
だった。
現在の表示は、
UAP_RELEASE_01_HISTORY.pdf
変更日時は、2026年5月8日 23:44。
作成日時も同じ。
私はファイル名を変更していない。
【差分記録|ローカルファイル】
対象ファイル:
UAP_RELEASE_01_HISTORY.pdf
作成日時:
2026年5月8日 23:44
変更日時:
2026年5月8日 23:44
現在のファイル名:
UAP_RELEASE_01_HISTORY.pdf
差分:
_HISTORY の追加。
備考:
証拠となるスクリーンショットなし。
記憶違いの可能性あり。
【個人記録|2026年5月9日 10:03】
セラピストは、記録は現実を支えると言った。
だが、記録が現実の側へ漏れ出した場合、人は何を信じればよいのだろう。
まだ何も起きていない。
ただ、起きていないことの履歴だけが、保存されている。