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15歳で社会に出た私が、一番欲しかったのは『居場所』だった。【実話】

    🍀この話は、私のリハビリなのだと、
    最近になって、やっと気づきました。
    どうしても、この出来事を吐き出してしまわないと
    本当の私になれないような……。
    やっと消化できた。そんな風に感じられる、
    歳になったのかもしれません。  🐚‎🤍🍀


    『居場所がない。』

    子どもの頃の私は、そんな気持ちを抱えながら毎日を過ごしていました。
    だから15歳で社会に出ることを選びました。
    あの頃は、それが人生を大きく変える選択になるとは思ってもいませんでしたが。


    最期の会話


    中学3年の冬、

    就職先から採用通知が届いたその日、

    入院中だった父と、

    ずっと付き添っていた母に報告に行った。

    父は胃潰瘍だと言われ、手術を受けたが、

    その後、昼食後に倒れてからは、

    入退院を繰り返していた。

    『店をもつ気でやれよ』

    という父に、

    『うん』

    と言ったのが、父との最期の会話になった。

    翌月には昏睡状態になり、

    1か月もしないうちに亡くなったのだ。

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    他人の家

    兄弟の中でも一番の父親っ子だった私は、

    小学校へ上がるまでは父の膝の上を独占していた。


    5歳の時、

    妹がお腹の中にいた、母のつわりがひどかった。


    バス通園だった幼稚園の近くに住む、

    父の妹の家へ、2か月ほど預けられた。

    伯母の家には、小6・小3・3歳の

    仲の良い姉妹がいて、たくさん遊んでくれた。

    しかし、朝5時に起きて家族でジョギングしたり、

    おもちゃは小さな部品ひとつ残らず片づけたり

    (こっちが普通なのか?)

    とにかく環境が違いすぎて、戸惑っていた。


    初日の晩、

    お風呂上りに牛乳を飲んでいたら、伯母に

    『他人の家の冷蔵庫を
                       勝手に開けちゃダメじゃないの!!』

    と叱責され、泣いた。

    『さっき、自分の家だと思ってねって
                                             言ってたのに・・・』 

    子供ながらに考えていることは、

    大人には伝わらないものらしい。

    伯母は躾として言ってくれたのだろうが、

    5歳児にはショックでしかなかった。

    それでも家に帰れる訳ではなく、

    大人しく良い子にしていよう、と決意する。

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    無事、妹が生まれて


    不思議なことに、

    ここから半年くらいの記憶がない。

    家に帰れる、とか、妹との初対面など、

    イベントはたくさんあったハズなのに、

    記憶に残っていない。        ・・・謎だ。

    この後、妹をオモチャにしている

    兄と姉の姿はよく覚えているが。

    我が家は、縦社会な上に、悪ふざけが過ぎる。

    それでも年下は黙って我慢するしかなかった。

    のちに、母の葬儀後のお酒の席で、

    『みんな世間は冷たいって言うけど、
        ウチより全然優しいよ!だって世間の人は、
        私の事ブサイクって言わないもん!!』

    と、衝撃の発言をした妹。

    お互いに子を持つ親になって、

    少しは発言権を得たのか。

    私はそれでも、何も言えずにいたけれど・・・。



    妹の誕生から2年、弟が生まれた


    その頃には、父が家に帰ってこない日が増え、

    いない事が普通になっていた。

    ある日の夜中、一人で寝ていた私は、

    誰かの気配で目を覚ます。

    父が私の布団に入り込んでいて、

    私が目を覚ましたのに気づくと、

    『お母さん、赤ちゃん生まれたんだって。
                                                         一緒に見に行く?』

    と、言った。

    何て、他人事・・・


    どこにいても父は父

    それでも私は、家に帰ってこなくなった父の、

    住んでいる家を探した。

    当時7歳。

    ヒントは黒電話の横にある、母が書いた住所録。


    色んな飲み屋の名前があったが、

    一軒だけ聞いた事のない店で、住所が隣の駅だ。

    ─── 直感的に、ここだと思った。


    次の日曜日、友達を誘い、探検の旅にでた。

    住所を見ながらウロウロすること約3時間。

    やっと同じ名前の看板を見つけた。

    店の前で、濡れた髪を乾かそうと

    クルクル回っているおばさんがいた。

    『楽しそうだ。この人に聞いてみよう。』

    父の名を告げると、その人は中に向かって

    『マスターちょっと来て!』と叫んだ。

    父が、驚いて立っていた。

    それからは母に内緒でよく遊びに行っていた。

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    父は、昼間は小さな会社を経営、

    夜は知らない女性と居酒屋を営んでいた。

    その女性の優しさに甘えることができた私は、

    学校帰りに一駅分歩いたり、

    日曜日にはバスで遊びに行っていた。

    今考えれば、

    愛する男性の子供を邪険にできる訳がない。。。

    向こうも困っていたと思う。

    姉の自転車を勝手に借りて行った時には、

    父から連絡が行き、ずいぶん母と姉に叱られた。

    7つ上の姉はもうすでに女として、

    父が許せなかったんだろう。

    ずっと母の味方だった。

    ことある毎に嫌味を言い、

    空気はいつもピリピリしていた。

    家の中に私の居場所は無かった。

    父はそれを知ってか知らずか、夏休みに、

    私と妹を連れてキャンプや旅行に出かけ、

    毎年、正月には、

    おもちゃ屋で好きな物を買ってくれる、

    『あしながおじさん』のような存在だった。

    それも母には面白くないようで、

    『たまに顔出して優しくしてれば良いんだから、
                                                                       得だよね~』

    と後で言っていた。

    確かに子供を騙すのは簡単だ。


    父との亀裂、反抗期の始まり


    そんな父と私の関係も、

    小学校を卒業する頃から

    私の反抗期で終わりを迎える。

    父びいきの私には、実家に居場所がなく、

    家出をしたり、

    夜遅くまで溜まり場で騒いで補導されたり・・・

    いつもは母が迎えに来て、

    無言で歩いて帰るのが定番だったが、


    ある日、

    初めて迎えに来た父は、私に手を挙げた。

    その時、私は、

    『・・・終わった』

    と感じた。


    『自分は好き勝手してるのに??』 

    と思った私は素直に謝る気にもならない。

    体の痛みよりも、心が壊れていくのを感じていた。

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    父と末っ子


    その事件をきっかけに引っ越しの話しが進み、

    中学を転校することに。

    父は、新居で

    『これを機に、家に帰ろうと思う・・・』

    と言っていた。

    内心、

    『何を今さら。
           でも、これで少しは私の居場所ができるかも』

    と期待していたが、

    実現する前に、父は病魔に襲われてしまった。


    8歳下の弟が、

    生まれて初めて父とお風呂に入ったとき、

    その背中脇には、約30cmの手術痕があった。

    弟に

    『すごいだろ~』

    と自慢していたのを見て

    『アホか』

    と思ったのだが、

    その日は嬉しそうにしている弟の為に、

    黙って自分の部屋に戻った。

    別居はしていたものの、

    月に一度は生活費を持参していた父に、

    弟は
    『また来てね~』

    と手を振るのが習慣だった。

    慣れない父親との、唯一のスキンシップ。

    まさか、その半年後に

    父の葬儀をする事になるとは・・・

    この日、

    弟たちと夕食を食べた父が急に苦しみだし、

    床を転げまわって痛みに耐えていた。

    『救急車を呼ぶな!兄貴を呼んでくれ!』

    病院の近くに住む、叔父を呼ぶように、

    母に指示していた姿が、今も目に焼き付いている。


    その後、父は入退院を繰り返していたようだ。

    採用通知が届いたのは、

    その4か月後の出来事だった。

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    お経の罪深さ


    お通夜で読経してもらっている時に

    気付いたのだが、お経には

    『亡くなった原因』を入れるようで、

    その時初めて父が『胃がん』だったのだと知った。

    どうやら知らされていなかったのは、

    私と、幼い妹・弟だけで、

    父に告知をしていなかった事もあり、

    秘密にしていたようだ。

    『もし知っていたら、
                       もっとお見舞いに行ったのに。

                                      謝ることもできたのに。』

    ・・・ここでも疎外感を味わった時、

    もう誰とも話しができなくなってしまっていた。

    思ったことが、言葉として出てこない。

    クラスメイトも、腫れ物に触るようになり、

    孤立した。

    あいかわらず、家では誰とも口をきかず、

    ただ毎日息をしているだけだった。

    『もうすぐ、こんな毎日から脱出できる。
                                                   もう少しの我慢だ。』

    と、自分に言い聞かせながら、

    中学卒業の日を迎える。

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    天国かと思っていた就職が地獄だった件


    4月3日・・・いよいよ入寮の日。

    姉と、当時姉が付き合っていた彼の車で、

    荷物を運んでもらった。

    父が亡くなってからの姉は優しく、

    私と友達を

    デイズニーランドに連れていってくれたりもした。

    おそらく、彼氏が良い人だったんだろう。

    結婚するものと思っていたが、

    別れてしまったようだ。

    大きなお世話だとは思うが、とても残念だ。



    寮に着き、荷物を部屋に運ぶのも手伝ってくれた。

    4人部屋の室長、

    26歳の先輩に姉が挨拶をしてくれた。

    さすが社会人。と感心していたが・・・。

    姉を見送るとき、

    『あの人、信じらんないくらい、化粧濃いね。』

    と先輩をディスっていた。

    『そう?』と返すと、

    『そんなことも分からないの?? 
                                    バカじゃないの??』

    ・・・そんな人だった事を、改めて思い出した。

    ⬇その後のお話

    それでもタニシは生きていく


    大切な父を失い、

    15歳から社会へ飛び込んだ私。

    けれど、この“地獄のスタート”が

    私の人生のタフさを作った。

    仕事は甘くなかった。 

    人間関係は厳しかった。

    だけど、そこで私は “空気を読む力”を磨き、

    “どこでも働ける適応力”を手に入れ、
                        仕事のスピードも自然と身についた。

    27社を経験することになるなんて

    この時は想像もしなかったけれど、

    このときの苦労は、

    確実に私の土台になっている。


    父がくれた最後の言葉。

    『店をもつ気でやれよ』

    あの言葉は、

    “自分の人生は自分で切り拓け”

    というメッセージだったのかもしれない。

    父がどう生き、 どう私を愛していたのかは、

    今でも正解が分からない。

    でも、父がいたから 私は産まれたし、

    父が背負っていた弱さも強さも

    ぜんぶ私の中に受け継がれている気がする。

    私の人生は簡単じゃなかったし、

    楽でもなかった。

    だけど、いま私は 子どもを育て、 孫を見守り、

    そしてこうして文章を書き、

    誰かの心に寄り添えるようになっている。

    悲しい出来事があったとしても、

    人はちゃんと前に進める。

    あの頃の私に言ってあげたい。

    ――大丈夫だよ。

    ――あなたはちゃんと生き抜ける。

    ――そして、幸せになる。

    今の私は、紛れもなく あの頃の私が

     “必死で生きてきた結果” だ。


    だから胸を張って言える。

    ─私は強い。

    ─でもそれよりもっと、優しい。

    ───そして、今日も生きていく。


    私が、
    『子供には居場所が必要』
    『人を大切にしたい』
    と考えるのは、この頃の経験があるからです。

    この後、私がやった事と言えば、
    居場所を自分で作ること。

    ⬇ぜひ読んでみてくださいね🐚‎

    ⬇22歳で立ち上げた子育てサークルのお話

    最後まで読んでくださりありがとうございます。たくさんの記事からこの場所を見つけていただいたご縁に感謝します。経験は誰かの役に立つ財産になる。これからも私にしか書けない言葉で届けていきます。スキ・フォローが励みになります😊
    🐚‎この記事を引用・紹介される際は、
    ひとことご一報いただけると嬉しいです🐚🤍


    🌼仕事で使っている5S🌼
    ⬇実は家庭の掃除にも使えます🤗


     
     
     
    15歳で社会に出て、延べ27社で培った仕事の知恵や経験談を、noteで公開しています🐚‎🤍 仕事が早くなりたい人、リーダーに初挑戦する人、初めて働く人を応援したい‼️ 気づけば3人の子供とダンナを育てながら、職場でもブログでも、人を育て続けるタニシ11号です🐚‎🤍

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