
『私の初めての退職物語』
私が初めて仕事を辞めたのは、15歳の時でした。
それは、
中学を卒業すると同時にお世話になった美容院。
家があまり裕福ではなかった事と、
集団行動が苦手なこともあり、
高校進学には『全く』と言っていいほど、
興味がなかったんです。
進学しても、
すぐに辞めてしまう自信がありました😅
それなら、いっそのこと働いて、
自分で自由になるお金を稼いだ方が、
楽しいだろう、とも思っていました。
『自由を手に入れる』代わりに、
私は働くという『責任』を選んだのです。
そんな気持ちもあって、担任と相談をしながら
応募する会社を決めていくことに。
何社かの情報を見ていると、
1年前に転校してきた私が、
前に住んでいた街の募集を見つけました。
良くも悪くも、長く住んで育った街。
思い出が蘇ります。
『先生、ここにします!!』
即決でしたね😏
その美容院は全寮制ということで、
実家から離れられる希望の光が、
馬の目の前にぶら下がっている『にんじん』のようでした。

ですが先生は心配顔。
それもそのはず、ベビーラッシュ世代の私。
少子化の現在では想像もできないと思いますが、
中学1年生のとき、
MAX45人のクラスが16クラスもありましたからね。
3学年で1500人を超える、マンモス校でした。
そして当時、
『中卒女子には美容師見習い』
の、道しかなく、
ヤンキー全盛期でもありましたので(笑)
競争率が高かったようです。
面接の練習をたくさん、させられました。
そもそも、働くことを決めた時、
美容師になりたかった訳ではなく、
『他に選択肢が無かったから』
という志望動機なので、
あまり真剣みは無かったと思います。
受験を控えてピリピリしているクラスメイトを
横目に、就職組の友人と遊んでばかりいました。
そんなある日、職員室に呼ばれて行ってみると、
先生から渡される一通の封筒。
差出人は、私が応募していた美容院でした。
『面接の日が決まったのかな?』
と思いながら開封すると、
『採用通知』!!!!
『え?会ってもないけど?そんな感じで良いの?』
……ということで、就職先が決まったのでした。

社会人初日
採用が決まってすぐ、
社長である先生(美容業界ではこう呼ぶ)から
母に挨拶の電話があったきり、実家の不幸※などもあって、初顔合わせの入寮日を迎えました。
初めて会う人たちばかりの中、同期5人の中に、
転校前の学校で顔見知りだった子がいて、
少し安心したのを覚えています。
食事は朝晩、当番制で作ることや、
給料の半分が食費込みの寮費、
更に半分を貯金に回すことなどの説明があり、
社会人としての初日を迎えたのでした。
同期の話しでは、
他のメンバーは職場体験などをしていたようで、
私とは、先輩たちとの距離感が違うような
気もしましたが、今からでは何もできず、
翌日から勤務がスタートしたのです。
そこは想像以上に厳しい世界だった
新人は、1か月ごとに3店舗をローテーション勤務することになっていました。
私が最初にお世話になったお店は、本店の目の前、寮のすぐ横にあり若い人向けの美容室。
20代後半の男性が店長で、
26歳の女性寮長との2人だけでした。
最初の1週間は掃除と洗濯、お客様がいない時間があれば、シャンプーを教わるくらいでした。
朝5:30から12人分の朝食を作り、
お昼は食パンをそのまま食べるだけの15分休憩。
閉店する19時まで、
座ることなく働いていました。

足りない睡眠時間
1か月ほどすると、一人前にシャンプーもできるようになり、次の段階に。
パーマ用のロットを巻く練習が日課となりました。
”首から上だけ”のマネキンに、
決まった太さ・本数を巻いていきます。
場所と本数が、どうにも上手くおさまらない・・・
しかも制限時間は30分。
毎日、夜中まで練習をするように言われ、
睡眠時間は2~3時間になりました。
勤務中も、
いつの間にか立ったまま夢を見ていたり。。。笑
鏡越しにお客様に笑われてしまいました💦
お店のお休みは週に1日だけ。
電車で3駅の実家に帰るんですが、
ほとんど寝に行くような状態でした。

唯一の楽しみ
そんなハードな毎日の中、
楽しみだった事があります。
毎週金曜日の夕方には、
職業訓練校へ先生の車で送ってもらい、
約2時間は学生気分に戻っていました。
理容・美容の新人ばかりが、およそ30人。
15歳から23歳位までのクラスメイトです。
男女混合だったので、新鮮で楽しかったですね✨
見習い時代の、
たったひとつの、楽しかった思い出です。
このあと、この職業訓練校で彼ができて、
遊ぶ事を覚えて問題になったり(笑)
ストレスからか、勤務中に突然涙が止まらなくなってしまったり・・・
ここまでも結構きつかったのですが、
一番、衝撃だった事がありました。
ある日突然、先輩の名前が変わった!!
『今日から私のことは〇〇さんって呼んでね』
同期たちと首をかしげていると、
年の近い先輩がこっそりと教えてくれました。
『先生の亡くなった奥様がね、
すごく信頼していた占い師の人がいて、
今でもその人に何でも相談してるみたい。
それで『あなたは明日から〇〇と名乗りなさい』って言われたんだって。
私たちの部屋割りとか、
採用する子もその人の言いなりみたいよ。
あ~今度〇〇さんと〇〇さんが(二人とも先輩)
結婚して先生の跡継ぎになるんだって。』
私たちは絶句して、顔を見合せました。
私たちも年頃の女の子。
占いも大好きです。
でも・・・
でもですよ?
名前を勝手に変えられたり、
結婚相手を決められたり、
将来がかかっている就職先を
占いで決めていたなんて。。。
先輩の衝撃的な言葉
先輩たちは皆、地方出身者で
『親元に帰ることも、もうない』
と口を揃えて言います。
『帰りたいけど、帰れない。
あなたたちは毎週帰れて良いわね』
と言われたことがあります。
子供心に、
『それって、帰れないように仕向けられてない?』
と思いました。
『自由』を求めて就職したのに、このままここにいては、占い師にどうにかされてしまう……。
15歳の脱出計画
自分から辞めたいと言っても、
周りが許さないだろう。
それなら問題を起こしてクビになろう。
次の日からは、
ベランダにわざと見つかるように灰皿を置いたり、
近所で知り合った同年代の男子たちと、
大声で騒いでみたり。。。
思った通り、1週間ほどで退職を言い渡され、
恩着せがましく、
『自己退社にしておくから』ということになり、
脱出に成功したのは15歳の秋でした。

仕事を辞めて実家に戻っても、
この出来事は話しませんでした。
『私には無理でした。ごめんなさい。』
としか言えなかったのです。
5年後、子供が生まれて
少し母との距離が近づいたタイミングで、
『実は、こんな所だったんだよ。』
と話した記憶がありますが、
『何でその時言わなかったの』
と、驚いていました。
もし、その時に言ったとしても、
『言い訳するな』
と言われるのが分かってたから。
話すことができて、やっと、
当時の自分が許されたような気もしました。
私は15歳で仕事を辞めました。
でも、それで人生が終わったわけじゃない。
むしろ、その後の人生でこの経験も含めて、
たくさんの仕事を経験してきたのです。
経験する事に、
ムダなことは一つもないと、私は考えています。
経験は必ず武器になる。

そういえば、母に話した頃、
地元で偶然、同期に会ったことがありました。
私が辞めた後、同期は全員辞めて、数年のうちに先生も亡くなり、お店も閉店したそうです。
そこまでは、
占いでも分からなかったんでしょうね。。。

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