
死別から20年🍀㉒(終)20年経っても、立ち直れてない。写真を見るのもつらい🍀
35歳で
末期ガンで亡くなった夫
遺された
5歳の娘
2歳の息子
そして
34歳の私
孤育て
睡眠障害
パニック発作様の症状
色々あったけど
なんとか
子ども達も成人
もう少しで
孤育ても終わり
今になって思えば
もっと親を頼って
もっと友達を頼って
子育てすればよかった。
あまりにも
一人で抱え込みすぎた。
気負いすぎた。
夫が
B型肝炎から
肝硬変になることなく
肝臓癌で
亡くなったことに
いつまでも
責任を感じ
ショックを受けすぎていた。
でも
20年前に戻れても
この性格では
同じだっただろうけど⋯。
【私の後日談】
義実家とは
敷地内同居を解消後も
私の両親が仲介して
子ども達は会っていた。
私は
義父母とは
会っていなかった。
詳しくはこちら👇
だが
2011年の震災以降
両親にも
これ以上
迷惑をかけられない
義父母も
いつまでも
元気とは限らない
と
思うようになり
一念発起して
顔を合わせるようになった。
表面上
普通を装った
それに
義父母に会っても
もう
パニック発作様の症状は
出なくなった。
それでも
わだかまりは残った
その義父母も
ここ数年で
2人とも亡くなった。
そして
この20年
私の天国に行きたい願望は
何度も何度も襲ってきた
詳しくはこちら👇
このまま
心臓発作になれば
癌になれば
銀行強盗にあって
人質になって
銃で撃たれれば
正当な死の理由があれば
死にゆくことを
許してもらえるだろうか?
そんな事ばかり
考えていた
子ども達の成長に伴い
年々
図太くなっていき
さらに
ダメ元精神に
拍車がかかり
やれる事はやってる!
これ以上はムリ!
ここまできたら
2人が成人するまで
絶対に見届ける!
死なない!
死ねない!
となっていった。
いつの間にか
天国に行きたい願望は
減っていった
減っただけ⋯。
なので
今でも
気軽に
夫の写真は見れない。
仏壇の写真は見れる。
ただ
しばらく見ていない
アルバムの写真は
かなり
ハードルが高い。
深呼吸をして
覚悟して
それでも
なかなか見れない。
笑っている夫の顔を
見るのがつらい。
4人家族だったのは
わずか2年。
その頃の写真は
特にキツい。
暗い感情に
引き込まれて
鬱っぽくなりそうな事が
何度も何度もある
今でもある。
涙も
もう出ないほどに泣いて
今は
考えすぎて
夫は実在したのか?なんて
思う日もある。
それに
今でも
夫が亡くなっている話は
なるべく
したくない。
立ち直ってる風を
装っているだけで
正直
全然
立ち直れていない
詳しくはこちら👇
かつて
子ども達との
無理心中を考えた私が
図々しいかもしれないが
これからの人生は
自分のために
楽しんで
生きてみたい
自分のしてみたいこと
行ってみたい所へ
詳しくはこちら👇
上手く
立ち回れた
20年とは言えないが
許されるなら
笑って生きていきたい
夫が入院中
よく
「笑ってよ」と言っていた。
遅くなったけど
今なら笑える
完全に
立ち直ってはいないけど
20年も経った
とっくに
遺族という
期間は過ぎた
🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱
〈最後に〉
長々と
ポップではない
暗い話を
読んでいただき
感謝しております
当時
B型肝炎から
肝硬変にならず
肝臓癌になる事を
知りませんでした。
B型肝炎の方は
減少していますが
当事者の方に
関係者の方に
この話が
伝わればと思っています。
義父母も亡くなり
そろそろいいかな、と思い
成人した
子ども達にも許可をもらい
今回
noteに
20年という節目に
心の整理をしたくて
夫の話を書きました。
書きながら
当時を思い出し
泣いてしまうことも
多々ありましたが
今は
前向きな気持ちになれました。
そして
当時
『死別』と
検索するとでてくる
掲示板がありました。
皆さんの死別の話を
たくさん
読ませていただきました。
勝手に
自分の身に置き換えて
勝手に
励まされた気になり
過ごしていました。
辛いのは
自分だけじゃない
前を向かないと
強くならないと
理不尽なことに
負けない!
そう思えたのは
あの掲示板の
皆様のお陰です。
読みながらたくさん泣いて
生きる力を
いただきました
読む専門で
書き込むことは
ありませんでしたが
感謝しても
しきれません。
本当に
ありがとうございました。
おこがましいですが
私も
いつか
誰かの力になれればと
思っています

七五三
チャッピーが
私を可愛くしすぎ(>_<)